1 ドラゴンになっていた
「はぁ……はぁ……」
男は今にも死にそうな顔で、薄暗い洞窟を当てもなく進んでいた。
ドサッ!
男はついに力尽き、手を出す事も出来ずに冷たい地面の上に倒れこんだ。もう立ち上がることは出来そうにない。
「はははっ……歴代最強の魔法剣士と言われたこの俺の死因が、まさか餓死になるとはな……」
生気の全く籠っていない笑い声が、薄暗い洞窟の中で虚しく反響する。
俺はこの洞窟、正確には世界最難関ダンジョンの一つ”無限迷宮エターナル”に、とある装備が眠っていると聞いて来ていた。
だが、如何やら俺は致命的なミスをしていたらしい。そしてそのミスとは――
「まさか食料入れてた鞄……家に忘れてくるなんて……」
ただの物忘れである。家にいた時までは確かに覚えていたのだ。今日と言う日の為に、一週間前から食料や冒険用の道具を用意していたのだが、このダンジョンに来るのが楽しみ過ぎてついうっかり、家の玄関に食料の入った鞄を忘れてしまったのである。
普通のダンジョンなら笑い事で済むだろう。笑いながら、例え魔法を使えなくても元来た道を戻ればダンジョンを出ることができ、家に帰ってからもう一度挑戦することが出来る。
だがここは世界最難関ダンジョンの一つ”無限迷宮エターナル”だ。ダンジョンの入り口は一つなのだが、その入り口を通った者はこのダンジョンにランダムで生成される出口を見つけるか、最奥の部屋にいるボスモンスターを倒すまで帰ることが出来なくなる。
このダンジョンは入り口が独立しており、入った瞬間ダンジョン内に転移させられるので、入り口に戻って通りすがりの誰かに食料を分けてもらう事も出来ない。
このダンジョンを制覇した者はおらず、運良く別の出口を見つけて生還した冒険者たちの平均滞在期間は、最高クラスのAランク冒険者が五人以上のパーティーで五ヶ月、最速で生還した冒険者パーティーでも一ヶ月はかかっている。
勿論最難関なだけあって、中に出てくる魔物も討伐難度はBを超える強者のみだ。討伐難度Bと言えば、その魔物が一体ダンジョンから町に出てくるだけで、その町は滅びると言われている程強い。
まあその程度の魔物ならば全く問題なく倒せるのだが、問題はその魔物たちが食べられる獣系の魔物ではなく、絶対に食べてはならないアンデット系の魔物やミミック、スケルトン系の魔物しかいないという事。
このダンジョン内では食料はおろか、水すら採取することは出来ないのである。最初は自分の魔法で出した水を飲んで渇きを潤していたのだが、食料が無いので徐々に体力が減り、元々平均値以下だった魔力が回復しなくなったのでそれも出来なくなった。
人間は水を飲まなければ数週間で死に至る。魔物と戦いながらでは尚更だろう。俺には仲間がいないので、水が尽きた時点で完全に詰みだ。
運良く出口が見つかることを期待して歩き回ったが、結局見つけることが出来なかった。動かなければ少しは延命できたかもしれないが、そうしたところでこんな世界最難関ダンジョンに、そうそう都合良く冒険者が通りかかるとも思えない。どちらにしろ餓死していた事だろう。
最強の魔剣士と呼ばれた男の最後が、ついうっかり食料の鞄を忘れてきたせいでダンジョンを彷徨い続け、挙句の果てに餓死とか、もういっそ笑えてくる。
何とか便利魔法であるアイテムボックスを開き中を覗き込んでも、その中に入っているのは使われることの無かった調理器具と、数々の装備が収納されているだけだ。
これはもうダメだな……。
男にはもう指を動かす力も残っていない。こんな状態で魔物に襲われ、最後まで苦痛を感じながら死ぬことは無く、運が良かったと思うべきだろうか?
運は運でも悪運だが。
幸い? な事に俺が死んでも悲しむ人はいないだろう。俺はパーティーも組んだことのない生粋のボッチだ。親はおらず、唯一家族と呼べる師匠も今はもう生きていない。
師匠、今そちらへ向かいます……早すぎると怒るかもしれませんが、どうか俺のバカをお許しください。
それから直ぐに、男の意識は遠のいて行った――
何処からか無機質な声が聞こえる。聞いた事のある様な、無い様な良く分からない、そんな声だ。
所有者の絶命を確認――
次転生体の設定【未設定】
転生体のランダム生成開始
転生体の生成完了
魂の所在を転生体へ変更完了
転生プログラム正常に作動
転生プログラム、実行します――
◇
目が覚めると、そこは真っ暗な空間だった。目が開いている感覚はあるが、暗闇に邪魔されて自分の掌すら見えない。
最初は「これが地獄か?」と辺りを眺めていたのだが、足が床を踏んでいる感覚はあるし、ひどい空腹感もある。
腕を前に突き出せば、何か硬質な物体が男の周りを囲んでいるのが分かった。男は一瞬、運良く別の冒険者が通りかかって自分を助けてくれたのかと思ったが、流石にこんな部屋に閉じ込める訳は無いだろう。
奴隷商に売り渡されていたとしても、ここまで徹底して閉じ込める必要は無いはずだ。
まぁ、外に出てみれば分かること。男はいつもやっている様に、魔法を使ってこの空間から脱出しようと試みた。だが、どうも魔力の集まりが悪い。いつもは一瞬未満で魔法を発動させることが出来るのだが、いくら待っても魔法を発動させるだけの魔力が集まることは無かった。
……どういう事だ? 何故魔力が集まらない?
男は疑問に思い、便利魔法である【ステータス開示】で自分のステータスと、そこに一緒に表示されるスキルツリーを確認する。
自分の使えるスキルを木の枝の様に表示さしているスキルツリーを見ても、特におかしなところは無かった。いつもと同じように、そこには自分の使えるスキルが長々と表示されているだけだ。
そして男は、自分の基本情報が記されているステータス画面を確認した。
氏名 グロウ=ザカート 種族 火炎龍
職業適性 魔法剣士
MP 10/10
魔力 SSS+
筋力 SSS
俊敏 A+
技能 S+
体力 SS+
特に変わった様子も無――いっ!?
男――グロウはステータス画面を見て一度閉じようとし、綺麗な二度見をした。グロウのステータスは、前回見た時よりも大幅に上昇していたからだ。
通常、ステータスにSランクがあればその時点で人類最強と称され、国の騎士団長やトップ冒険者として名を馳せるだろう。
Aランクでも各国の騎士団から部隊長クラスの推薦がかかるのは確実。それから先の未来は約束されたようなものだ。本来Cランクもあれば、上位の冒険者と言えるだけの実力を持っていることになる。
それなのにグロウのステータスは最低でA+、最高でSSS+、人間でこの数値はもうどれ程の力を持つのか皆目見当もつかない。確かに前見た時、これまでの戦いで鍛え抜かれたグロウのステータス内にはSランクが複数あった。
歴代最強と言われた実力はそのステータスからも明らかだったのだが、Sランクを超えた人類なんて伝説上でも聞いた事がない。
グロウはステータス画面を閉じると、再び目の前に立ち塞がっているであろう壁と対峙する。さっきのステータス画面を見るに、俺の筋力はSSS。ランクが一つ上がれば下のランクとの差は絶対的な物となる。
つまり今の俺なら、ランクSSである魔王にすら絶対に勝てる力があるという事だ。
肉弾戦は得意では無いが、ただの壁ならデコピンでも壊せる。グロウが軽く壁を小突くと、立ち塞がっていた壁に亀裂が入り、パラパラと砕け散った。
「眩しっ!?」
壁を破ると、数週間ぶりの爽やかな風を全身で感じると同時に、強い光が照り付けてきた。遠くには見覚えのない山脈が連なっている。周囲は断崖絶壁に囲まれ、俺が立っているこの場所は崖の中腹に出来た横穴だという事が分かった。
「? 何だこの巨大な卵は?」
直ぐには気付かなかったが、俺の隣には俺よりも大きな卵が鎮座していた。こんなに大きな卵は見たことが無い。
これだけ大きな卵があれば、ダンジョンでも後数週間は長く生きれたのではないだろうか?
「って、そんな事今考えてもしょうがないか……そんな事よりも、まずは腹ごしらえしないとな! 問題はこの崖をどう降りるかだが――やっぱり魔法は使えないか……魔力は何故か弱体化されてるし……どうしたもんかな?」
何故かこの時、グロウには目の前の卵を食べるという選択肢を思いつかなかった。魔法を使って食料を探そうとしてもうまくいかない。
魔力は魔法を使う上で最も重要な要素だ。その魔力が何故かかなり弱体化されていた為、今のままでは初級の魔法すらまともに使う事が出来なかった。
一応アイテムボックスの中身を確認してみたが、中に入っているのは調理道具と複数の武器、後は着替えくらいのものだ。
空を短時間移動することが出来る、中級風魔法の【空中歩行】は勿論使えず、魔法を使って崖から降りることは出来そうにない。
「まっ、飛び降りれば良いか!」
今のステータスならば、崖の上から飛び降りたとしても大したダメージは受けないだろう。崖を覗き込んでみると、遥か下に川が見える。あそこなら新鮮な魚が採れるはずだ。
グロウは躊躇うことなく崖から飛び降りた。落下中の浮遊感が暫く全身を包み込む。
ドカーンッ‼
谷底に爆音が響き渡る。前ならばあの高さから落ちれば、死ぬことは無くとも怪我くらいはしていたが、今はどこも痛くない。
本当にステータスが上がっていた事に喜びながら、グロウは川を覗き込んだ。
川面から深紅の鱗を纏った幼いドラゴンが覗き込んでくる。
「……ッ!?」
咄嗟にグロウは後ろに跳んだ。全身から冷や汗が噴出していた。
(どうしてこんなところにドラゴンが居るんだ!? 剣も魔力も無い今の状態で勝てる訳が――)
グロウは川からドラゴンが出てくる前に、近場の岩影に身を隠す。いくら幼いとは言え、飛べるドラゴンを相手に今の状態で逃げることなど出来ない。
予期せぬドラゴンとの遭遇に焦るが、グロウは半ば反射的に気配を殺し、ドラゴンが出てくるであろう川面を凝視する。だが、ドラゴンはいつまで経っても一向に現れることは無かった。
「逃げた? いや、ドラゴンが人間を見ただけで逃げるとは思えない……」
畏れよりも好奇心が勝り、グロウはもう一度川面を覗き込む。そこには、先程みた深紅のドラゴンと全く同じものが映り込んでいる。
だが、そのドラゴンが襲い掛かってくることは無かった。川面に向かって手を振ってみると、中のドラゴンも全く同時に手を振る。あれ――?
「……てか、このドラゴン俺じゃね?」
ええええええええぇぇっ!?
谷底にグロウの叫び声が響き渡る。
俺、気が付いたらドラゴンになってた――