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18・人生はバイキング

 五十嵐さんとは、東さん家のバーでほんの少し顔を合わせたきりで、ほぼ初対面です。おそらく、私のような地味な高校生なんて日頃は眼中に無いのではないかと思われる程華やかな雰囲気の人。東さんからどうしてもと言われない限りは、会わないつもりでした。


 場所は東さん家の二階。他所の家のリビングに正座させられて、私に逃げ場はありません。


 昨今はデジタル化が進み、私と東さんのやり取りはスマホ越しです。東さんは、するすると画面の上に指を滑らせると、少し真剣な表情で打ち込んだ文字をこちらに見せてきました。


『来ないかと思ったよ。でも、来た限りは少しは進展させるからね』


 東さんの決意の強さがひしひしと伝わってきますが、私はすぐにその画面から目を外にやりました。

 季節は夏の終わり。日によっては少し暑さが和らいで、吹き抜ける風と天高く青いキャンバスに子羊たちの群れが並ぶ心地よい日もあります。ですが今日は残暑が厳しく、部屋の片隅では大きな扇風機がしきりに首を振っているのでした。


「東さんのお願いですから」


 正直言うと、こうして話す自分の声も聞こえないのです。本当に私の意図通りに私の身体が声を放っているのかどうか心配でなりません。東さんは、私が再び目の前の宙の一点だけを見つめて動かなくなったのを見て、分かりやすく肩を落としました。隣で胡座をかく五十嵐さんは何か言います。私の悪口ではなさそうでしたが、私にとって都合の悪いことを話していたように見えました。


「お話があると聞きました」


 目の前にいるのに除け者にされるかの如く、場の雰囲気がどこかへと動き出すのは嫌なこと。私は、渋々五十嵐さんに向き直ります。彼はそんな私を見留めると、ローテーブルに置かれてあった茶封筒から紙を取り出しました。読めということなのでしょう。私は片手で受け取って、そろそろと折りたたまれたそれを開きました。


 それは、五十嵐さんからの手紙というかは、録音された彼の叫びのようなものでした。














 俺は怒っているし、嘆いている。

 あいつは、ゼロは、千代子ちゃんも知っている通り良い奴なんだ。


 ゼロは、ここから遠くで生まれて、こっちへやってきたのは高校の頃だった。おそらく遠い遠い親戚か何かに連れられてきたのだと思う。毎日制服を着ていて、休みの日まで制服で、事情を聞いたら大人という大人から見放された子どもだということが分かった。当時も今も大人の事情なんて俺にとっては知ったことじゃない。とにかく、あいつはボロボロなのにヘラヘラ笑って、「でも、まだ僕は生きてるし」だとか馬鹿なことしか言わない。まさか、学校一の秀才の実態がこれなんて、俺はすぐには受け止められなかった。


 俺ん家は商売してて、それなりの規模の会社やってて、小さい頃から偉くなれ、人の上に立つ人間になれ、前を向け、どこまでも進め、そして期待に応えて期待を越えよと言われて育ってきた。個人情報がどうたらと五月蝿い昨今では珍しく、俺達の通っていた高校ではテストの度に順位が廊下に張り出される。もちろん上位だけな。俺は一位になるはずだったし、ならねばならなかった。なのに、いつもゼロを越えることはできなかった。いつも二位だ。成績表を見た親の糞みたいな反応よりも、順位のことなんて三日前の夕食の献立と同じぐらいに記憶の彼方へ追いやってるゼロのスカした態度の方がよっぽど腹が立った。


 あいつは、どんな生活をしているのか。どんな勉強をしているのか。どんな家庭教師がついていて、何を食べたらああなるのか。地元で、しかもこの歳で、俺以上の生活している奴なんて俺は知らない。ゼロはどこの家の子なのだと思って先生に詰め寄った挙句、知ったのは『親無し』。その時の屈辱感は、それまでに味わったことのないものだった。分かるか?何もかも持っている俺が、何にも持っていない文字通りゼロのあいつに負けたんだ。


 完全に負けたんだ。


 その後、俺が親に強請って、一人暮らしのマンションを手に入れ、そこへゼロを引きずり込むまでにそう時間はかからなかった。あいつを俺の下に置いて優越感に浸りたかったのか、はたまたゼロの勉強を直に見て必勝法を盗もうとしていたのか。何が目的だったのかは当時の俺に聞いても分からないだろうけど、少なくとも結果として俺とゼロは唯一無二の親友になったと思うし、俺は初めて自分以外の人を心配したりするようになった。


 言いたいことはだいたい伝わっただろうか。


 俺はゼロを守りたい。でもアイツは俺なんかに守られたくはない。ゼロも大人だからな。ま、仕方ない。


 千代子ちゃんはまだ子どもだ。でも、ゼロが俺よりも大切にして、俺よりも心を開いている相手だ。俺としたら、気に食わなくてもぽっと出のあんた、千代子ちゃんに頭を下げるしかないわけだ。


 千代子ちゃん、ゼロを助けてやってよ。


 助ける方法はいろいろある。さっさとそのストレス性難聴とやらを治して、普通の主婦として、奥さんとしてあいつと一緒にいてやってよ。別に夕飯はスーパーの惣菜でいいから。ただダイニングテーブルの向かい側に座って、にこにこしてるだけでいい。たぶんそれだけで、ゼロは再び生きることができる。今は半分以上死んでるから。


 もう一つの方法。

 それは、ゼロから離れること。ゼロは千代子ちゃんを忘れる。千代子ちゃんもゼロを忘れる。もう一度知らない人同士になる。元々出会うはずなんてなかったんだ。本来の路線に戻るだけで、どこもおかしいところなんて無い。むしろこっちの方が世間的には真っ当だ。


 どちらにするかは、千代子ちゃんが決めればいい。俺は何も言わない。

けど、一つだけ、ありがたい言葉を教えてあげる。




 人生はバイキングだ。




 たくさんあるメニューの中から、好きなものだけを自分の皿に取って食べればいい。並ぶメニューの中に一つや二つ、三つや四つ、苦手なものとか嫌いなものがあっても、それを食べられないからって死ぬわけじゃない。そんな世の中にある万物のうちほんの一握りだけ体質と合わないからって、それでこの世の終わりが訪れるわけじゃない。フルコースだけが贅沢で最高ってわけじゃないし。


 だから、ゼロっていう夫だとか、親だとか、決して変えることの出来ない過去の失態や思い出も、普通は選り好みできないようなものだって、ちゃんと自分の判断で選んでいけばいい。それらがなくても、人間はちゃんと生きていける。そうそう簡単に死ねないし、案外やっていけるもんだ。

 俺が、保証する。


 だから、そろそろ決めた方が良い。全てが完全に壊れてしまう前に。




 俺は怒っているし、嘆いている。

 それでいて、希望を見出している。



 千代子ちゃんは十七だ。

 まだ、十七なんだ。






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