第81話 街灯
もう一つのエピローグ。
それは偽りと、そして真実を物語るいつか遠くの出来事だ。
志賀潤史朗という男は確かに存在した。
しかし、それが今ある本人と同一人物かといえば、もしかしたら違うのかもしれない。
ただ事実として彼はあり、そしてそれが残した痕跡は、今もどこかで誰かの中に生きている。
あの日のこと。
地下労働民革命結社の掃討作戦の後だ。
生き残った孤児たちは無残に殺され、その中で沙紀のみが残される形に終わった。
彼らのアジトを襲撃し、単体戦力にて構成員全てを抹殺したのは、アサルト・ゼロ所属のとあるエリート隊員であった。
その男は生き残った孤児である沙紀に対し、彼女の能力をアサルト・ゼロにて存分に振るうよう告げるが、戦闘後の今、もはやそんなことが通じる状況ではなかった。
子供たちの亡骸を前に膝をつく沙紀。首は完全に脱力したように前傾し、表情は伺えない。そして、それを後ろから突っ立って眺めるのは例の男であった。
無言の両者。
この光景に何を感じ、そして何を思うのか。
怒り、悲しみ、憎しみ、絶望。若しくは、そのどれにでもない、おぞましい何かであったか。
すべては、ここから始まった。
照らすサーチライトは、暗闇の中この二人だけを明るく照らしていた。
四方に伸びる彼らの影。
そして。
「殺しなさいよ。」
彼女は一言そう言い放った。
沙紀は何もかもを失った。家族も、仲間も、そして妹や弟のように可愛がっていた子供たちも。
この先に、もうどうすることもない。
もし何かあるとするならば、それは壮絶な復讐劇か。
しかし、そんなことをしたところで、心に空いた穴は報復で塞ぐには巨大すぎる。
失った物、失ってきた物は、大きすぎて、そして多すぎた。
いっそここで一緒に殺されてしまった方が楽だろう。
だがこの時、相変わらず無言を貫いていた男は、こちらに拳銃を投げて渡すのだった。
死にたいならば自分で撃てと、そんな言葉を適当に添えて。
そしてその瞬間に沙紀は動いた。
腹の底から湧き上がるような醜いものが。屍同然たる自分にその銃を取らせたのだ。
振り返り、握りしめる銃の先に男を捉えた。
捉えたと言っても男は目の前。狙わなくとも100パーセント命中する距離にある。
続いて、男は何を言い出すかと思えば、その彼の挑発するような言葉はどこか力が抜けており、威圧感もなにもない。
弾丸を避ける構えも無ければ、反撃して銃を抜く素振りもない。
向けられた筒先に対し、実に自然で、撃たれようとどうしようが関係ないといった態度だった。
この憎しみも、そして世に溢れるあらゆる不幸の全てさえも、なんなく受け入れてみせると、男の眼はまるでそう語っているようにさえも感じる。
だが。
すでに沙紀の、自分の奥の底から沸き上がった黒い感情の渦は、それが止まることを許さなかった。
この男を撃ってどうする?
どうにもならない。
何も変わらない。
どうしたいのか。
少し前にもこの男に聞かれた。
ほんとは、自分は何をどうしたいのか。
しかし。
この重い引き金を引く指は、どうあっても止まることを拒んだ。
地下に響き渡る銃声。
反響し、また帰っては行ってを繰り返す。
男の顔面。
そのすぐ横を弾丸が掠めた。
無論、かわしてなどいない。
「どこ狙ってんだ。」
「なんで避けないの。」
「絶対はずれるから。」
「嘘ね。アンタは今、当たるつもりでいた。そのつもりで挑発してウチに撃たせた。違う?」
男はまたしても無言だった。
違うとも、そうだとも言わず、ただその両目で沙紀の視線を受け止める。
優しさなんてものはない、しかしそれは同情でもなく、また絶望とも、希望ともつかない。
死のうが生きようが、進む道さえぶれていなければ、それでいいと。
この男にとって立場なんて些細な問題であった。
自分が放つ弾丸も、自分に放たれる弾丸も、それを選ぶ権利は自分にあり、行きつくところ、そのどちらの弾にも同じ意志が宿っている。
「いえ、違うなんて言わせないわ。」
沙紀は言葉を続けた。
「はぁ、クソみてぇな茶番を俺に押し付けんな。」
「ねぇ、アンタの敵は何なの?」
「知るかよ、そんなもん。ま、強いて言うなら、俺が気に入らねぇ全部だ。どこの何であろうと例外じゃねえ。」
「それって、公安の事も含んでるわけ?」
「さあな。」
「でもそれってそう言うことよね。」
沙紀は、右手に握った拳銃を下ろした。
そして。
「そっちに行くわ。」
目に溜まった水分を雑に拭い、彼女は立ち上がる。
「は?」
「アンタについてく。」
「は?」
「アンタが誘ったんじゃない。」
「は?」
「で、参考までに。お前どうする気?」
「殺すわ。」
「誰を。」
「殺したい奴を。それができる組織なんでしょ? アサルト何とかってのは。」
「……。」
「本当に倒さなきゃいけないやつがどこかにいるのよ。でも今ウチがいる場所からじゃ、全然それが見えてこない。結局テロやって公安を殺し回ったって何も変わらないわ。でも、アンタのいる場所からなら、もっと根本的な敵がわかると思う。」
そして。
「ウチは、公安に入って公安を殺すわ。」
彼女の言葉には、力強さと、確かな決意がそこに見えた。
結局なにをどうしたいのか。
意味がわからない?
意味なんてどうでもいいだろう。
ただ、直感でわかる巨大な闇が、この日本社会に大きな不幸を呼んでいる。その正体が何なのかはさっぱりわからない。しかし、ずっとこのまま地下でテロリストをやっても永遠にその影は掴めないだろう。
敵は、それだ。
それが公安であれば公安を討ち、そうでないならそれを討つ。
そして間違いなく、目の前の男もそれを追っている。
「とんでもねえこと言いやがったなこの女。」
「文句ある?」
「あ? 文句だぁ?」
男は少し息を吸い、そして天井を仰ぎ見た。
「ゕはははははははははははははっ、んなもんねぇなぁ。公安に入って公安を殺すたぁ面白い。是非とも見てみたい。いいぜ、今日からお前はアサルト・ゼロ。ようこそ、史上最高の殺戮組織へってなぁ。ゕははははははははははははははははははは。あははははははははははは。」
その笑い声は高らかに。
悪魔のようなその声は、この深い深い闇一帯にどこまでも響き渡るのであった。
その日より、駆け抜けた月日はまさに一瞬。
公安隊アサルト・ゼロでの活動の後は、九州南部地下調査団の事件を経て現在は地下衛生管理局に移りSPETの隊員として更なる力を獲得した。片手間で怪虫を倒しつつも、公安に対しては常に睨みを利かせている。
目的は、未だに達成されていない。
しかし、その大きな影には遥かに接近できたと言える。
その敵は果たして怪虫だったのだろうか、そう考えた時もあった。
それも間違いではない、だが、やはり根本的な悪意は違う。
彼女が向ける銃口の先は……。
さて、時は戻って現在。
地下核実験場にてアサルト・ゼロを撃退し、そこから先は覚えていないが、どうやらムカデリオンの方も片付いたとのことらしい。
走らす車は、ボコボコに傷がついた公安の巡視車両。
このパクった車で例の少年仁太を然るべき機関まで送り届けた後、現在は地表にて帰路についていた。
とは言っても別に帰る場所が特にあるわけではない。そもそも本当に帰らなければいけない場所は随分昔に失っている。
そういうわけで向かった先はとある物との待ち合わせ場所だ。
場所は尾張中京都郊外、俗に旧市街と言われるところ。ここに流れる二級河川には、例のさび付いた橋が架かっていた。
ある物との待ち合わせに沙紀はこの場所を選んだのだった。
時刻は既に20時過ぎ。
暗い橋の手すりの上、街頭が照らすその下の、そこにそれが待っていた。
「よう。こんなとこに呼び出して一体何の用だ。」
クワガタムシ型のAIドローンだ。
今日はその相棒たる男は来ていない。
クガマルが単体で、この待ち合わせ場所に現れたのだ。
止めた車の扉を閉め、龍蔵寺沙紀はクガマルのいる所へと歩み寄る。
「聞きたい事があるの。」
「つーかテメエよ、怪我はどうした怪我は。結構マジで致命傷受けてただろうが。」
「は? ああ、あの程度ならすぐに回復するわ。改良人間なんだから、回復力も半端じゃないっての。」
「どうせ強がってるだけだろ。オラ、ちょっと傷見せてみろ。」
「へ? あ、ちょ、ちょっと!!」
と、突然飛びついてきたクワガタドローンは、大顎で彼女の服を掴むとそのまま上に引っぺがす。
ひんやり。冷たい空気にお腹が触れた。
「おい! この虫! スケベか!」
「オラ見ろ、何が平気だ。まだ全然塞がってねえじゃねえか。このクソ怪我人が。おとなしくそこに座ってろ。馬鹿が。」
「あ、ちょっと。痛い痛い痛い。」
無理やり隅に押しやられ、さらに上からプッシュされ。半ば強引、尻が地面に着地した。
「世話の焼ける野郎だな。ったく。昔からなんも変わんねえ。」
「……。」
静かな旧市街。
降り注ぐ星の輝きと橋上に照らす薄暗い街頭は、あの日のサーチライトとは全く違う。
それは優しく見守るように、いつの間にか二人を取り囲んでいた。
「先輩、なんでしょ?」
小さな声が伝った。
沙紀はそう言い、クガマルの方を見る。
「……。」
それに対して無言のクガマル。
いや、答える言葉を考えているのか。その無表情からは何も読み取れない。
「どうしてそう思った? なんて聞かないでよね。」
「はっ、じゃあ何て言えばいいんだ。」
「別に何も。ただ……。」
「あ?」
「生きてたんだ、先輩。さすがゴキゲーター並みにしぶといわね。そんな風に姿を変えてまでさ。」
「喧嘩売ってんのか、テメエはよ。」
「べっつに。まぁ生きてて良かったなって、一応は思ってるわよ?」
「はぁ~あ。ったく。まぁ、バレちまったら仕方ねえな。」
「先輩……。」
立ち上がる沙紀と、そしてそれに向かい合うクガマルだった。
しばらくの沈黙。
そして……。
「なんてな。ぎゃはははははははははははははは。オレがそう言うとでも思ったか?? 残念! オレはオレだ。ぎゃっははははははははは。」
「って、そんな風に誤魔化しても無駄よ! アンタが先輩じゃなかったら一体何だっていうのよ!」
「死んだよ、志賀潤史朗は。だが同時に生きているとも言える。」
「意味不明な言葉で濁さないで!! こっちは、アンタに聞きたい事とか。もう山と沢山あるんだから!!」
「?」
「ウチをアサルト・ゼロに誘ったのはアンタでしょ!?」
「……。」
「いい加減なこと言って逃げないで! こっちはずっとアンタのこと死んだと思って、それでもずっと探してて! もっと、アンタが人に与えた影響ってもんを考えなさいよね!!」
吠えるように言い放つ沙紀。
またしても静かになるクガマルだが、再び彼が言葉を発するのにそう時間は掛からなかった。
「傷口が開くぞ。」
「うるさい!」
「まぁいいだろう。オマエの言うことも一理ある。確かにオマエが今ここに立っている原因は志賀潤史朗に他ならない。ならばその責任、いや違うな、後始末だ。それをやるのはオレに違いないだろう。」
そういうと、ふと飛び上がるクガマル。
クガマルは沙紀の目線まで上昇すると、その位置でぴたりと滞空した。
「その上で問おう、龍蔵寺沙紀。テメエの戦いはまだ続いてるか?」
「ええ。まだなにも。何一つ終わってなんかいないわ。」
「よし、いいだろう。ならばオレに関する情報の一端を語ってやらないでもない。そうだ、オマエのいう通り確かにオレは潤史朗であるとも言える存在。恐らくオレが、その潤史朗という存在に最も近い位置にいる。」
「どういうこと?」
「これ以上の事はまた機会を改めて話そう。悪いが、かなりの極秘事項なんでな。あの潤史朗にも話してねえことがあるくれえだ。」
「……わかったわ。」
沙紀は、少し不服そうながらもそう答えた。
「そこで、お前の面倒を見る次いでに、お前にはこれから新設されるオレの部隊に参加してもらう。それがこの秘密を語る最低限の条件だ。」
「新設の部隊?」
「いかにも。」
「……。」
考える時間は数秒もない。その部隊とやらが如何に怪しかろうとも、彼女の中では既に回答は一択だ。
「その面倒をみるって言葉が凄く気に入らないけど。まぁいいわ、仕方ないから入ってやろうじゃない、アンタの言うその新しい部隊ってのに。」
「よし、いいだろう。覚悟しとけよ。」
「何が覚悟よ。舐めんじゃないわ。」
「く、くく。」
「え? なに?」
「ぎゃはははははははははははははっ。いいや、笑わずにはいられねえと思ってな。特に理由なんてねえが。ぎゃっははははは。」
と、夜空に響くは悪魔の笑いだった。
こうして沙紀は仲間になる。なんの仲間かといえば、これより設置されるであろう新たな部隊だ。
こうしてすべては集約し、そして次なる戦いに備えられる。
敵は新たな超級か、もしくは人、アサルト・ゼロか。
どちらにしても、それらは依然に脅威であり、人の世は常に危険とともにある。
絶妙なバランスの上、平和とは異なる平穏という名のもと、この日常は一見には普段通りの時を刻んでいる。しかしその裏側に潜む時限爆弾は、いつこの時を吹き飛ばそうともおかしくない状態なのだ。
道は戦い続けることのみ。
存在の怪しい明日に向かって、それを確かなものとして迎えれるよう。
今日という暗闇を、誰しもが生きている。




