第8話 護送車
地下世界に慣れ親しんだ潤史朗にとって、公安隊員らの逃げ場所を予測し、そこに辿りつくことは容易であった。
そして再びバイクを飛ばすこと数分。
かくして予測地点に至るも、その目の前の光景は予測を少し上回る。
群れをなすゴキゲーターが数十匹。
彼らは広い地下道を、道幅一杯に渡って広がり、潤史朗の行く手を阻む。
それらが囲うのは車両が数台。
隙間から見える赤色回転灯。公安隊の巡視車両は群れとなったゴキブリ達にたかられていた。
バキバキと鉄板がへし折れる音が聞こえてくる。
その光景は正に地獄絵図と言えた。
「異常だ。」
潤史朗はこの情景に一瞬目を疑った。
あり得ない数のゴキゲーター。こんな大群を目撃するのは実に久しぶりだ。
何故、という疑問と同時にその迫力に圧倒させられる。
「なんじゃこの数。笑っちまうぜおい。」
「……なぁクガマル、今一体何メートルなんだ?少し潜り過ぎたんじゃないかい?」
「んな訳あるか。たかが五千七百だ。浅いも浅いアメンボがいるくれえ浅い。」
「それは浅いを通り越して水面だよ。」
「で、どーすんだ。深度5700程度だろうが現実にゴキゲーターがうじゃうじゃ湧いてんだ。逃げるか殺すかさっさと決めな。中途半端は命取りだぜ?」
「いや、……既に逃げる選択肢は無くなった。」
そう言いながらバイクから降り、放射ノズルを構える潤史朗。
その先には、こちらの気配に気が付いたゴキゲーターが数体、走って向かって来ていた。
「今引き返したら、こいつ等をゲート付近まで誘導することになる。」
引き金に指を掛け、射程圏までじっと待つ。
その時クガマルは、そっと近づき耳元付近で囁いた。
「まだ生きてる人間がいるかもよ。ジュンシロ―。」
一瞬彼の指先は止まった。
だがしかし、その一瞬以上の停止は許されない。
ゴキゲーターはすぐそこだ。
「君はやっぱり悪魔だよ。」
殺虫剤を放射。
濃霧に撒かれる虫たちはみるみるうちに倒れていった。
「やりやがったなジュンシロ―。ぎゃはははは。」
「他にどうしろって言うのさ。」
潤史朗は殺虫剤の噴射を継続した。
次々に向かい来るゴキゲーターの群れは、仲間の死骸を踏み越えて襲い掛かりに飛んできた。
そして淡々と、それらに殺虫剤を振りまいて、次から次へと仕留めていく。
だがしかし。
相手の数は圧倒的であった。
迫りくるゴキゲーターの数に対して、殺虫薬剤は個体あたりの致死量を下回る。
ゴキゲーターが一体、殺虫剤の霧を突破し襲い来る。
そしてそれが二体、三体、と複数続いた。
かくして潤史朗に牙を剥くゴキゲーター。
それらはもう間近に迫った。
「クガマル!援護!!」
その瞬間、潤史朗は大きく上に飛び上がった。
接触と同時に、ゴキゲーターの頭を踏み越えて、その胴体を足場に更にジャンプ。
勢い余ったゴキゲーターと空中ですれ違う。
そして飛び上がった瞬間にやって来たクガマル。
クガマルは、飛び上がった潤史朗の腕を掴み、その強烈な羽ばたきをもって、彼の滞空時間を数秒伸ばす。
その間更に突っ込んでくる数匹のゴキゲーターを空中でやり過ごし、それらの攻撃を回避した。
潤史朗の腕を離すクガマル。
潤史朗はぼとっと地面に着地して、その瞬間にホルスターバックから新たなアイテムを取り出した。
それは小型の黄色いボンベ。
家庭用のカセットボンベサイズの物だが、またしてもラベルには“MEGAーKIILER”の文字が綴られる。
潤史朗はそれのピンを抜き、後ろへ回り込んだゴキゲーターの方にそれを投げる。
するとどうだろうか、小型ボンベは手から離れた次の瞬間、地面とぶつかると同時くらいに爆発する。
爆発は大きな音と、薬剤の濃霧を伴って拡散し、後方3体のゴキゲーターを殺しにかかる。
潤史朗はそれを確認する事をせず、再び巡視車両側のゴキゲーターに背中のボンベの殺虫剤を振りかけるが、後方の3体が彼にもう一度襲い掛かることは無かった。
「あと何匹くらいいる?」
潤史朗は殺虫剤の噴射音に負けないよう、大声でクガマルに話しかける。
「さあな。そろそろ半分くらいじゃねえのか。」
「そろそろヤバい気がするよ。」
「何がだ!?」
「ボンベの残圧!」
「あんだって!?」
との会話の最中だ。
ボンベのハーネスに取り付けられた警報ベルが突然に、けたたましく鳴り響いた。
「ほらね。」
「ほらねじゃねえ!! 言うのが遅いんだよ! どアホが!! ちょっと待ってろ!!」
クガマルは、そう叫ぶと猛ダッシュでバイクのとこまで飛んで戻る。
鳴り続ける警報ベルは、ボンベ残圧が残り10パーセントを下回ったのを知らせている。
たちまち放射圧力は低下していき、ノズルから噴射する薬剤の量はみるみる内に減っていく。
そして、それと反比例するように勢いを増してくるゴキゲーターの群れ。
彼らは、その僅かな殺虫剤など、ものともせずに塊となって突っ込んでくる。
接触まで残り十数メートル程だろうか。
潤史朗は放射ノズルを離し、先ほどの小型ボンベ型、爆散殺虫剤をポーチから数個取り出して、そのピンを引き抜きながらポイポイと前方に放り投げた。
爆ぜるメガキラー殺虫剤。
先頭のゴキブリ達は次々に吹き飛んでいく。
が、しかし、ポーチに突っ込んだ手は次の弾がもう無いことに気が付いた。
またしてもゴキゲーターの群れは勢いを増す。
「おら交換だ!!ジュンシロ―!!」
クガマルが新しいボンベを抱えて飛んできた。
「お前は目の前の虫に集中しろ! そのまま俺が交換してやる!!」
「わかった!! と言いたいとこだけど、もう爆散薬も切らしたんだなこれが。」
「あんだと!?」
「まぁいいから、はよはよ。」
殺虫剤は切らしても、まだ手持ちの武器として一応は拳銃が残ってる。
まぁほとんど効果は無いが、ボンベ交換まで多少の時間稼ぎにはなるだろう。
潤史朗はそう思い、腰のポーチから拳銃を抜き取る。
「待て! んじゃあ俺が時間稼いでやるから自分でボンベ換えろ! その方がマシだ!!」
ドローンに吊られて飛ぶボンベ、そして切らした小型爆散ボンベと手には拳銃。
クガマルは新しいボンベを置いて、再び飛び立とうとしている。
「ふむ。待ちたまえ。クガマルよ。」
「馬鹿野郎!! んな時間の余裕はねえ、ふざけてねえで急げ!」
「そのボンベを群れの中央へ落とすのだよ。」
「んあ!?」
「いいから、はよはよ。時間ないよ時間。」
潤史朗はクガマルの体をポンポンと叩いて急かす。
クガマルは若干に意味が分からずも、新品のボンベをもって飛び立った。
そして拳銃を構える潤史朗。
その姿を後ろに見たクガマルは、彼の意図を悟った。
「そういう事かよ。」
クガマルは上空から群れの中央にボンベを投下。
そしてそのボンベを拳銃にて狙い撃つ潤史朗。
数発の弾丸が、空気を切り裂きボンベに突き刺さる。
次の瞬間に爆ぜるボンベ。
一瞬にして殺虫薬剤が四方に拡散した。
その規模は、先程投げた小型爆散ボンベの遥か十数倍にも及び、辺り一帯を濃霧で撒いた。
「どうよ。この新戦術は。」
薬剤の霧の中、潤史朗の声だけが響く。
他に何かの走る音は、もうしなかった。
「普通に効率悪いだろ、殺虫剤の無駄遣いだ。それと俺が危ねえ。」
「怪我は?」
「してねえ。」
「なら良かった。」
徐々に薄くなっていくのは、殺虫剤から成る死の濃霧。
そこに姿を現すアクションカメラの男、潤史朗と、昆虫型高性能ドローンこと相棒クガマル。
彼らはゴキブリの死骸の山に立って周辺を見渡した。
「俺たちの勝利だ。」
「久々の大掃除だったねえ。ちょっとびびったさ。」
「まあな。だが、どんだけ群れようが、ゴキゲーターなんざ敵じゃねえよ。所詮はゴキブリだ。」
「そう言うのを慢心って言うんだよね。一般的に。」
「事実だろーがよ。」
「そうねぇ。」
潤史朗はそう言うと、ひょいと死体の山から飛び降りた。
「あんまり大きな口叩いてると、その内痛い目を見る事になるよ。って言うか、ゴキブリを舐めたら駄目だね。君だって知ってるはずさ、世の中にはもっと恐ろしいゴキブリがいるってこと。」
「知ってるとも、だがそいつも俺に掛かればすぐ死ぬ。」
「だといいけどね。さて……。」
死体の山を越えると、見えて来たのは大きく損傷した公安隊の巡視車両が2台、そしてもう一台あまり見かけない車が更に1台。
その3台目も公安隊所属の車両だが、他2台のセダン型とは大きく形が異なっており、何だかやたら頑丈そうな小型バンであった。
とりあえず一旦、巡視車両2台を覗き見る。
内部には、職員の亡骸が見るも無残な姿で、座席にあった。
フロントガラスを突き破られ、そこからゴキゲーターの大あごで頭からかじられたのだ。
首から上が微妙にあったり無かったり。
潤史朗到着の時には既に手遅れであったようだ。
さて、そして3台目の小型バン。
こちらの損傷は他2台よりやや軽微であるが、やはり運転席と助手席は食い破られている。
遺体は腰より下だけ残っており、また必死の思いで握りしめていたであろう腕が、ハンドルにぶら下がっていた。
「こいつは護送車だな。」
クガマルが言った。
確かにこの小型バン、他の2台より大きく頑丈そうなのは、そう言うことなのだろうか。
キャビンのダメージは大きいが、荷室の損傷は内部までには至っていない。
「生存者が。」
「いるのか?」
潤史朗は護送車の後方に回って、荷室の扉をこじ開ける。
ゴキゲーターの攻撃で扉は大きく変形しており、開けるのは至難の業ではあったが、ほんの少しの隙間から、クガマルが閉じた大あごの先端をそこに突っ込み、てこの原理と油圧によるハイパワーで、曲がった扉をこじ開ける。
こうして護送車荷室は開かれた。
「……君は。」
「お前かよ。」
荷室の隅っこで小さく固まり、頭を抱えてがくがくと小刻みに震える男が一人いた。
金髪で痩せ型、キツネのような顔だちの有名人。
そう、彼こそが。
「ヒカ何とかさんじゃん。」
「う、うう……。誰か助けて……。」
潤史朗は早速ヒカリンに接触を試みた。
彼の近くまできて、しゃがんで顔を覗き込む。
「やあ。」
「誰か、誰か……、ううう。」
「来たよ。」
潤史朗は彼の肩をポンと叩く。
するとようやくヒカリンは顔をあげ、潤史朗の存在に気が付いた。
「え、ええ、君は……。」
「やあやあ。」
「う、うわ~~~ん!」
ヒカリンは、潤史朗の顔を見ると、思わず彼に抱き着いた。
そして子供のように、うわんうわんと、その胸の中で泣き散らす。
「助かった。助かったんだ。うぐっ、ひっぐ。あ、ありがとう。ほんと―にありがとう。」
ヒカリンは嗚咽交じりの声ともならない鳴き声で、潤史朗の胸にすがり付いた。
「よーしよしよし。いい子いい子。も~う大丈夫、もう大丈夫さ。ほら、もう泣くのはおよし。地上に帰ろう。」
「うわーん、ぐすん、ぐすん。」
「あ~あ、みっともねえな。汚ねえ汚ねえ。ここで助けたのが美少女だったら絵になるんだろうが、よりにもよってこんなクソ野郎とはなあ。馬鹿みてえだ。なあジュンシロ―、そいつ置いて帰ろうぜ。」
「ま~たひどい事言うなぁ~クガマルは。まあ確かに?これが美少女だったらねぇ、とは思うよ? そりゃあ思うに決まってるでしょ~よね。実際見た瞬間に、なんだ男かよ、とは少なからず思ったさ。いやむしろ美少女だったらどうしよう! ってね。まあでもそれはあり得ない事さ。地底にどんな夢見てんだってのよ。」
「ぐすん、ぐすん。」
「まあ、でもいいんじゃないかな? 何かこれ犬みたいで面白いし。僕はどちらかと言えば、美少女よりも、犬との出会いの方がよっぽどトキメキを感じるな。」
「その感性はちょっと異常だ。ちなみに、そいつ人間な。」
「え? あ、うん。勿論わかってるさ。わかってるとも。」
「怪しいぞお前。」
「ぐすん、ぐすん。」
「で、お前いつまで泣いてんだ。ぶっ殺すぞクソ野郎。」
「ひいぃいっ、す、すいませぇん!」
「大型犬飼いたいなぁ。実は僕は昔からねぇ……。」
「お前もいい加減にしとけ。」
「ふむ。短気な虫だ。」
「こうして不可解な点をいくつか残す訳なんだけど。」
「とりあえず帰還だ。殺虫剤も残り少ねぇ。」
バイクに跨る潤史朗。そしてその後ろには、昨日と同じような形で同じ人物を乗せて帰ることとなった。
残念ながら公安隊員は全滅。そして幸いにも取り調べ中で、堅固な護送車に守られていたヒカリンのみが助かるという形になった。
現場の写真は幾らか収めており、これで公安の方には事態の説明がいく。
取り敢えずは一件落着。
と、そう思っていたかった。