第72話 アジトー3
急所に受けた攻撃に、沙紀は歯を食いしばって耐えた。
お腹の中にあるものが全て今の衝撃で登ってくる。
しかし、これは意地でも吐き出すまいと全身に力をいれて耐え抜くのだ。
「いいじゃん。お前さ、公安隊、じゃなくてアサルト・ゼロに来いよ。今見た感じだけど、結構見込みあるわ。」
「あ?」
お腹を押さえる沙紀は、力なく声を出した。
「何言ってんのよアンタは。」
再び男を睨み付ける沙紀。
「いい加減にしなさいよ、アンタたち公安はウチのお父さんとお母さんを殺して。ふざけんじゃないわ。許さない、絶対に許さない!!」
体の回復に伴い、沙紀の声には力が戻る。
「あっそ。でもお前ら過激派ってさ、俺のお袋と親戚みんな殺したじゃん。テロとか言って何でもかんでも吹き飛ばしやがって。それが無かったら、今こんなとこに俺は立ってねえって。」
「アンタのことなんか知るか!! お前らが殺したんだ!! ウチのお父さんとお母さんを!!」
「話になんねえ。そんじゃどうする? まぁここで死んどくか? これ以上生きても辛いだけだろ。惜しい人材だったが仕方ねえな。」
腰のホルスターに収納した拳銃に、男は手を伸ばした。
抜き取る。
スライドを引く。
装填。
冷たい指先はトリガーに。
添えて、腕を持ち上げた。
銃口が。
それは彼女の脳天に。
ぴたり。
「あばよ。」
死ぬのか。ここで。
目を瞑る沙紀。
そのとき。
後方より聞こえてくる声が。
「沙紀ねえ!!!! 死んじゃいやだぁ!!!!」
男の子の声だ。
「翔太!? 駄目!! ここに来ちゃ!!」
振り返ると、あの泣き虫の子が走ってきている。
「頭の悪そうなガキだぁ。ここで生かしといても国の穀潰しだぜ。」
男が、銃口の向かう先を変える。
拳銃を持つその腕を、ゆっくりと持ち上げた。
そして……。
「やめろぉおおおお!!!」
叫びを上げる沙紀と。
同時に高鳴る銃声が、廊下の向こうまで響き渡った。
カラリと床に落ちる薬莢の音。
「さ、沙紀ねえ……。」
男の子の前に飛び出した沙紀。
拳銃は。
男の肩越しに後ろを向いていた。
男の後方に向かって盲目的に発射された弾丸は、その床を抉っている。
抉られた床の上には、新たに登場した人物がそこの上にたっていた。
細い眼鏡をかけた、アサルト・ゼロの隊員である。
「き、君いぃいいい!! あ、当たったらどうするつもりだったのかね!!! いや、当たったらとかではなくだね!?!? 私は君の上官、いやいやいや、上官以前に君は味方に向かって発砲をしたのだよ!?!? 一体何を考えてる!!!」
「ああ、いたのかよ、サドスケ。」
「な!? 誰がサドスケか!!」
そう言って男に対して激昂する眼鏡の隊員。
その眼鏡が両手に持っていたのは、小銃である。
小銃の安全措置は解除されており、いま、一体誰を撃とうとしていたのだろうか。
「貴様! 反逆罪だ!! 反逆罪!! 逮捕する!!」
「馬鹿かよ。ほざけ眼鏡。」
「上官に向かって馬鹿とは何事だ!!」
「上官だぁ? あ~はいはい。残念だが来週の辞令で俺はお前とどっこいだ。いや抜き去るかもしれねえな。サドスケよ。」
「な、そんな。馬鹿な。あり得ん!」
「おいおい、未来の上官に対して馬鹿とは何事だよ。こりゃ逮捕だな。反逆罪に該当すんじゃねえの?」
「あほか!」
「ったく、勝手に単独行動してくれるわ、味方に銃を向けるわ、挙句の果てには上官を馬鹿呼ばわり。とんでもないやつだ。」
と、ぼやいている眼鏡のサドスケとやらを尻目に、その若い男は床に倒れている沙紀に近づいた。
顔を上げる沙紀は無事であった男の子を見て安堵し、そして自身にも怪我がないことを悟ると、近づいてくる男を見上げた。
こいつは一体なんなのか。
「見ての通りだ。このアサルト・ゼロって組織は実力さえあれば好き放題できる。昇進もはやけりゃ、公安の一般部隊も指揮すんだ。」
「……。」
「アサルト・ゼロで公安隊は変わる。お前の何だ、憎しみ? みたいなもんは知らねえけど、まぁ良く考えるこったな。ホントは自分がどうしたいのか。ただ一つ言っておくと、お前ほどの実力があれば、ここでテメエの信念的何かを貫くことは十分に可能だ。」
そう言いながら、床にへたりこむ沙紀に対して男は手を差し伸べた。
が、彼女がこれをとる事はしない。
「まぁいい。孤児やってんのもいいが、どうせ野垂れ死ぬだけだ。遅かれ早かれ、お前はこの門を叩くだろうよ。んじゃ、あばよ。」
男は最後にそう一言残して去っていく。
眼鏡の方の隊員も、彼を追いかけてこの場から離れて行った。
「ま、待ちたまえ!! 何故殺さない!! 上からの命令は殲滅であろうが!」
「はぁ? サドスケよぉ、お前話聞いてなかったのか? さっきから孤児だっつってんだろ、そいつは。んで命令が何だ? だから命令どおり構成員は皆殺しにしたじゃねえか。んだよ、ま~た反逆とか言うつもりか? まぁいい加減になさってくれや上官殿。マジぶっとばすぞ。」
「だから貴様! 口の利き方を!!」
助かった。
だがしかし。
家族同然であった地下労働民革命結社の大人たちは、この圧倒的単体戦力によって、みな一瞬に殺されたのだ。
残されたものがあるとするならば、この、かけがえのない小さな命たちと、そして自分である。
わんわんと泣きわめく小さな男の子を、その場で力一杯抱きしめた。
アジトを後にする若い隊員と眼鏡。
入り口を蹴って開けると、その横には、また新たな隊員がそこで彼らの帰りを待っていた。
黒の戦闘服に身を包んだ美少年である。
「お疲れ様。」
腕を組んで、そちらの壁に体を預ける美少年は、アジトから出て来た若い男に声を掛けた。
「よぉ、七光り。」
若い男はそれに手を上げて応える。
「七光りって、それは僕のこと? 相変わらずひどいなぁ、君。それで首尾はどうだい? 一人で全滅にしたみたいだけど。」
「大したことねえよ。所詮アマチュア戦隊だ。」
「いやいや、それでも凄いことだよ。君はあれだね、ちょっと動くだけで伝説級の戦果を簡単に出してしまうんだ。」
「だっから敵が雑魚すぎんだっての。ほいほいすんな気持ちわりい。」
「それでさ、後学のために少し聞かせてはくれないかな?」
「あ?」
「どうして君は今回の作戦で、一人で勝手に終わらせることを選択したの? 殲滅作戦の決行は明日のはずだよね。」
「あれだよ、伝説級の何とやらに挑戦してんだ。ひとりで何処までやれるのかってな。」
「ほほう、それは凄いね! じゃあ、それとついでにもう一ついいかな!?」
「んだよ。」
「いやそれがね。君は殲滅したみたいだけど、実は、僕にはさっきから聞こえてくるのさ。死んだ戦士の亡霊の声がね。いや本当に。耳を澄ませてごらんよ、ほら聞こえてくるだろ? 亡霊の声が。もちろんそんなもの怖いから僕は信じたくない、けれど君が殲滅したと言うのだから、生き残りがいるなんておかしいでしょ? だから亡霊の声なのさ。ねえ、君には聞こえるの?」
「……さぁ、何も聞こえねえな。」
「ねえ。どうして君は今回一人で先走ったの? ねえ教えてよ。」
そう言って、男に顔を近づける美少年。
男はそれに対し、美少年の顔面を右手でつかんで突き放した。
「いてて。酷いなぁ、もう。」
「もう帰ろうぜ。幽霊なんぞ見たかねえよ。」
「ははは、そうだね。うん、帰ろう」
そう言って去る男と、その美少年は彼の後ろ姿を止まって眺める。
「無双の鉄人と呼ばれる君だけど。凄く大きな欠点があるよね。僕は君のそんなところが残念でたまらないんだ。」
一人呟く美少年。
彼は振り返ると、男によって潰された過激派のアジトを見上げるのであった。
「僕が、そんな君の欠点を克服してあげようじゃないか。」
かくして今作戦はその男一人の活躍によって、始まる前には終わっていた。
これよりアサルト・ゼロは畿内阪神都を引き揚げる。
と、誰しもがそう思っていたのである。
その夜のこと。
龍蔵寺沙紀は、生き残った子供達を集めて引っ越しの準備を進めていた。
もうこのアジトにはいられない。
せめて、この子供たちがちゃんと生活できるようにと。
自分にはその責任がるのだ。
「沙紀ねえ。」
不安そうに沙紀を見るのは、彼女と歳の一番近い女の子。
しかし、本当に不安であるのはその子ではない。
不安そうな沙紀を、この女の子は心配していた。
沙紀の様子がいつもと違うのは良くわかる。
子供達がみな不安がっているように、また沙紀自身も大きな不安を抱えているに違いなかった。
なによりも、あの男の言葉に揺れていた。
自分が本当にやりたいこと。
それは、公安隊と戦い彼らをできるだけ沢山殺す事なのか。
と。
周辺の様子を確認した後、沙紀は子供達を連れて長い間世話になったアジトを後にした。
先の見えない真っ暗な旅立ち。
この門出には端から明るい未来など待ってはいない。
そんなとはわかりきっている。
しかし、どうあっても生き抜くこと。それを放棄することはできない。
自分が死んだら子供たちはどうなってしまうのだろうか。
その時である。
暗闇から、どこからともなく誰かの声が聞こえてきた。
拡声器を通した、高い声。
――やあやあやあ、こんばんわ。テロキッズの世話も大変そうだね、とっても若いお母さん。今、僕が楽にしてあげようじゃないか。
「誰!?」
怯える子供たちを、できるかぎり自分の近くに集めて周囲を警戒した。
次の瞬間だ。
この空間に突如として光が差した。
眩しいばかりの激光である。
遮るように手をかざして、沙紀は辺り一帯を見渡した。
光が襲う方向は、右に左に前に後ろ。
気付けば、いつの間にやら囲まれている。
身の丈以上のサーチライトを盾に、何人もの公安隊員が銃を構えて沙紀と子供達を囲んでいた。
そんなはずない。
きちんと確認はしていたはず。
数刻前に、アサルト・ゼロの部隊は間違いなく引き揚げたのだ。
すると、聞こえてくる拡声器の声は更に続けた。
――ははは。驚いているねえ。そうだよ、アサルト・ゼロは帰っちゃったんだ。だからね、地元の部隊にちょ~っとお願いをしたんだ。
「誰!? 姿を見せなさい!!」
あの若い男の言葉を思い出した。
確か、彼らアサルト・ゼロは一般の部隊をも指揮できるのだと。
――君たちは本来死ぬ運命だったんだ。だからきちんと死んでもらうよ。そうじゃなきゃダメなんだ。これも全て彼の為だよ。
――それじゃ、バイバイ。
そして。
この音声がそう言った、その瞬間である。
沙紀と子供達を囲んだ公安隊員らは一斉に発砲。
その瞬間が。
信じられない程にゆっくりと感じられた。
死への覚悟もままならぬ唐突なできごとである。
ただ立ち尽くす彼女らに、放たれた無数の弾丸は容赦なく襲い掛かった。
死ぬのか。
このまま。
響き渡る銃声が、地下空間一帯に響き渡る。
飛び散る血液で、自分の体のあちこちが赤く染まった。
子供達が、バタバタと倒れる。
泣き虫だった男の子は顔を真っ赤に染めている。
「さきねえ……。」
最後の力を振り絞るように、沙紀の服を掴んで離す。
「え……、なんで……。」
死んだ。
みんな死んでいる。
お風呂で、いつも女の子らしい悩みを聞かせてくれるあの子もだ。
全身を真っ赤に染めて、そこの地面で横に倒れた。
抱き上げると、既に彼女の体は温もりを失いかけている。
「………………。」
どうして?
頭の理解が追い付かない。
ひとつわかる事は。
みんな死んでしまったということだけ。
ただただ、女の子を抱き上げる手が震えていた。
そして。
どうして自分だけ生きているのか。
サーチライトに照らされる沙紀は周囲を見渡した。
公安隊の隊員らは、その銃を構えたままで待機している状態にあった。
――はい、おしまい。どうやら君はスカウトされているみたいだから生かしておくよ。それじゃあ地元警ら隊の皆様はお疲れ様でした。どうぞ引き揚げて下さい……。
刹那。
「ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
龍蔵寺沙紀は、地元警ら隊に襲い掛かる。
その目は、すでに人間のものではない何かだ。
ただ目の前の者を全力で殺すだけの存在。
しかし。
警ら隊には小銃。
一方の沙紀はその手に何も持ってない。
この警ら隊員が、今彼女を撃つ事はおかしいか。
いや、むしろ自然だ。
身の危険を感じれば、当然にして自衛する。
沙紀を囲む隊員、その内の一人は何の躊躇いもなく発砲した。
またしても響き渡る銃声。
だが。
彼女は、まだここで死ぬ運命ではなかったのだろう。
この場において、何の予告もなく出現したのは例の男。
男は沙紀を両腕に抱えた。
「な!? あ、アンタ!」
「ばっかオメエ、直線的すぎんだ。死ぬ気かよ、クソッタレが。」
そして今、弾丸はどうなったのか。
全くの謎である。
が。
恐らくは回避したのだろう。
「オラ出て来いや!! 七光り!! こいつぁ全部テメエの仕業だろうが!!」
しかし、その大声は空しく響くのみ。それに対する返事はない。
「けっ。ずらかりやがったか。」
「放しなさいよアンタ。ウチはもう……。」
そういう彼女は項垂れる。
先ほどの攻撃も、寧ろ自分から被弾を望んでいたのだろう。
「断る。」
と、男。
見渡すと、地元公安隊の隊員らは、それぞれ顔を見合わせてこの男への対応を検討していた。
「おう。撃ちてえなら、そうしろや。そういう仕事なんだろ? 遠慮すんなって。」
そして。
どうやら男は、過激派の生き残りであると断定されたようだ。
地元公安隊の隊長は、各員に発砲の命令を下した。
だが、その次の瞬間である。
男は、両手に抱えていた沙紀を素早く肩に担ぎ、そして引き抜く機関拳銃。
目にも止まらぬ早撃ちで、しかし放たれる無数の弾は一発一発が的確に人体を射抜く。
瞬く間に半数以上が倒された。
彼ら地元公安がそれに圧倒されるや否や、男は沙紀を反対の肩に持ち替えて、忍ばしていた数本のナイフを片手で投擲。
扇状にばら撒かれたナイフは複数の隊員を瞬時に倒す。
これにて、80パーセントの敵が戦闘力を失った。
最後に残った敵は、男に対し今度こそ射撃を試みる。
しかし、その男を照準に入れたと思いきや、入っていない。
沙紀を担いで、上手い具合に壁を駆け上がる男。
隊員らは、再びこれに狙いを定める。
が、この時気付く不穏な音。
足元に何かが転がっている。
彼らが、それが何かと認識するその一歩手前、物体は突然に炎を上げて炸裂した。
これにて、地元公安警ら部隊は全滅。
「ゕははははははははははははははっ。ざまぁねえなコイツら。ゕはははははははははははははははははっ。」
男の声が高らかに響き渡る。
「ゕはははははは……。あ~あ。最低の気分だぜ。ったく、気持ち悪りぃ。」




