第71話 アジトー2
畿内阪神都。その地下4900地帯に構えるアジトは、放棄された軍事施設をベースに、彼ら地下労働民革命結社の活動拠点とされていた。
ここで沙紀は厨房に立つ頻度が高い。炊事は元々当番制で、構成員で持ち回りにやっていたが、結局大人たちは忙しいときが多ため、彼女が料理担当のような状態になってしまっていた。
しかし、彼女の作る料理について、その評判がいいかと言われれば、それは大変微妙である。
今日もこうして鍋を掻き回しているわけだが。
具材が少なすぎる。
別に彼女が特別に料理が下手というわけではない。単純に、この地下4900地帯では碌な食材が揃わないことが多いのだ。そして、たまにスーパーを襲ったかのような豊富な食料が手に入った時には、大抵は大人たち気合を入れて包丁を握り、沙紀に出る幕は無いのである。大人たちの中には元料理人という人もいるのだから仕方ない。
だが、結果的に沙紀が料理を作る日は微妙という風潮が出来上がってしまうのは、本人としては何とも解せないところだ。
して、そんな日のできごと。
厨房に立ち寄った大人は、今日の飯はなんだろうかと彼女が煮込む鍋の中を覗いてみるのであった。
「ん? お、おお。」
微妙なリアクションはこわばった表情。
それに対し、沙紀の気分が良いはずはない。
「まずそうってんなら、はっきりそう言ったらいいじゃん。」
確かに美味しくはなさそうだ。
というか、どうみても薄い。鍋の底が微妙に見えているのだから。
「いやいやそんなこと、いつも沙紀には感謝してるんだ。はははは。」
と、そう言いつつ笑って誤魔化し。この大人は厨房を去るのであった。
「……。ったく。」
わかってはいる事だが、だからと言って納得がいくと言うことではない。
絶対的に食材のバリエーション少なければ、多くの子供の分も賄うために多少薄めてでも量をかせがなければいけないのだ。
そんな時。
下の方で、彼女のエプロンを引っ張る手。
見ればいつものやんちゃな男の子である。
「俺、沙紀ねえの作るご飯好きだよ。」
大人との一連のやり取りを見ていたのだろうか。
無邪気な笑顔で、少年は沙紀を見上げた。
「別にいいのよ、ホントの事言っても。ウチだっておいしいとは思ってないもの。」
「そんなことない!」
「え?」
「だって、沙紀ねえのご飯、いっぱい食べれるもん!」
と、男の子の意外な答えに沙紀は思わず笑ってしまう。
ただ、そんな単純なことが少し嬉しくて、自分もまたこの少年の様な笑顔になるのであった。
「ははははっ、アンタは将来おっきくなるわね。いいわよ、好きなだけ食べなさい。そんなにウチのご飯が好きならね。」
「うん!!」
食後、大量に出た洗い物は大人たちも手伝ってくれるため、片付けるのにはそう時間は掛からない。
これが終わってしばらくすれば、子供達をお風呂に入れて寝る時間。
と言っても、全員が全員なんでも面倒を見てやらなければいけない小さな子供という訳ではなく、中学生ほどの子たちはある程度面倒を見る側に回ってくれるのだ。
「沙紀ねえ、背中流そうか?」
そう声を掛けてきたのは中学生くらいの女の子。
お風呂では、ある程度気が休まった。
暑苦しい男どもはいないし、家事の疲れを癒すには最適だ。
この広いお風呂で、歳の近い女の子の悩み事でも聞きながらに、ゆっくりと湯船につかるのが日課であった。
「ねえ、沙紀ねえってさ、恋、とか。したことある?」
まるで妹のように自分を慕う彼女は、最近よく家事を手伝ってくれる。みんなにとってのナンバー2お母さんである。
歳は自分より五つほど下だ。
「え~、う~ん、そうねえ~。」
と、立ち込める湯気にぼんやりしながら、昔のことを思い出した。
元はと言えば自分だって普通の女の子。
ただ、恋とか青春とか、そう言ったいい思い出は何一つない。
あるのは辛い記憶ばかり。
そして公安隊に親を殺されて、あまり思い出したくはなかったが、それが今の自分を支えている全てだ。
「まだ、ウチもないかな~。ウチに見合うようないい男なんて、そうそう見つかるもんじゃないわよ。」
就寝の時間。
ここで沙紀も一緒寝るわけでは無く、大抵は子供達を寝かしつけた後、ひっそりと戦闘訓練を行うのであった。
が、場合によっては一緒に寝てしまうことも少なくはない。
特に疲れが溜まっている時などは、最初から寝るつもりでいたりもする。
「ねえ、沙紀ねえちゃん。」
雑魚寝でみんなが横になる大部屋にて、隣に横になる男の子が沙紀に言った。
「ん? なあに?」
「沙紀ねえも、大人の人たちみたいに戦いに行くの?」
「そうよ。」
「沙紀ねえ、死んじゃうの?」
「馬鹿ね、ウチが死ぬわけないじゃない。」
「でも、帰ってこない大人の人たちもいるよ?」
「それは、あれよ、パチンコにいったのよ。きっと。」
「おれ、沙紀ねえが死んじゃあ嫌だ。」
そう言って彼女に抱き着く男の子。
沙紀はそっと、その頭を優しく撫でるのであった。
「馬鹿なんだから。ったくもう。」
いよいよ待ちに待った戦闘訓練の時間である。
とは言えども、師匠と呼べるようなベテランの戦士はみな公安隊にやられ、もはやこのアジトに自分を指導できるような強者はいない。
むしろ、格闘技に関しては他の構成員のスパーリングに付き合うこともあるし、ジュースを賭けて射撃で競い合うこともよくあった。
この実力からすれば、すでに沙紀は地下労働民革命結社の戦力として中核を担うほどの力を持っていたが、それでもまだ、この組織のボスからは依然として許可が下りないのが現状であった。
そして今日は特に射撃に集中して取り組む予定でいた。
沙紀は自身の愛用の拳銃を机の上に分解して整備に着手する。用意するのはボロボロのウエスと油の入った容器。
中古の使い古された拳銃は、いつも手入れが欠かせない。
と、そんな時である。
沙紀が銃を半分ほど分解した頃合いに、向こうの方から聞こえてくる大人たちの声がやたらと大きく、耳についた。一体何事だろうかと少し気になる。
「なんだって!? 減税自由民進ノ会が壊滅しただと!?」
その言葉を聞いた沙紀は、席を立ち上がって彼らのいる部屋へと移動した。
そこは、アジトで唯一テレビが設置されている部屋であったが、大人の構成員らは、大人数でそれを囲んでいた。
普段とは様子が異なる、妙に張り詰めた雰囲気を感じる。
テレビの画面に映るのはニュース番組であった。
その報道の内容は、尾張中京都地下にて過激派組織のグループが一つ、公安隊によって殲滅されたとのことである。
先ほど聞こえてきた減税自由民進ノ会とは、尾張中京を拠点に活動する、我々地下労働民革命結社の同盟グループであった。
そしてニュースは続く。
見慣れない公安隊車両が隊列を組んで名阪地下高速道を走っている。
新設された特殊部隊だろうか。
よく見れば、艶のない黒の車体には薄っすらと文字が書かれているのに気が付いた。
"Assault-Zero"
それを読み終えると同時くらいに、番組のアナウンサーは公安隊の新設の特殊部隊をアサルト・ゼロと紹介していた。
どうやらこの精鋭部隊は、一夜にして巨大な過激派グループを一つ壊滅させたらしい。
「馬鹿な、減税自由民進ノ会からは何の連絡も入っていない。」
「……全滅。」
「ありえんだろ。全滅? お前、減税の奴らの戦闘力を知った上で言ってんのか? あいつらは殆ど軍隊みてえな集団だぞ。」
「じゃあ他に何があるってんだ。」
「それは、一旦身を隠しているだけかもしれねえ。」
「だといいがな。だが現時点で減税の生き残りがコンタクトをとってこない以上、全滅の可能性も捨てきれない。」
「……。」
全滅。言い方を変えれば皆殺し。
この事実からわかるのは、この新設の特殊部隊は、過激派を逮捕するつもりなど端からないということだ。
年々エスカレートしていく公安隊の治安維持活動だが、遂に彼らは本気で反社会勢力を排除しに掛かったということである。
「おい、このニュースいつの時点だ。」
不意に一人がそう言った。
「これは、夕方の……。」
「違う。」
彼は大きな声でこれを遮る。
「この映像、先週だ。名阪地下高速を見ろ、反対車線が渋滞してるだろ。今調べたが、今月は渋滞ができるような工事はやってないし、今日は事故なんてない。だとすれば、昇り車線の渋滞で考えられるのは、先週のトラック玉突き事故しかないんじゃないのか? それとも今どき自然渋滞だってのかよ。」
「ど、どういうこった。」
「わかんねえか! このアサルト何とかは、あえて報道のタイミングをずらしてんだよ! それでこいつら畿内阪神都に向かって走ってやがる! 俺たちを殺しに来てんだ!! それで、もうこのニュースが流れてるってことは……。こいつら、もう当の昔に阪神都入りしてんだよ……。」
と、その男が喋っている最中である。
部屋の遠く、どこかの場所。
小さな衝撃音が廊下の向こうから伝ってきた。
「な、なんだ?」
同時に、部屋の隅に置かれてあった無線機から、だれかの呻きが雑音に交じって音を成した。
――に、逃げろ。みんな、やられ……。
その最後には、小さな爆発音を残して無線の通信は途絶えた。
外部の見張りからの連絡であった。
「みんな、戦闘の準備だ。」
このアジトに、侵入者が現れた。
敵として考えられるのは、例の特殊部隊。アサルト・ゼロの襲撃である。
同盟グループである減税自由民進ノ会は応援を呼ぶ暇もなく壊滅した。
その敵が、今まさにここに現れたのだ。
報道の調整から考えるに、もはやアサルト・ゼロにはここを制圧するにあたって万全の体勢が整っていると思われる。つまり連中は100パーセントに近い作戦の成功率を確信しているのだ。
そんな相手に、果たして敵うものなのか。
戦闘の準備を素早く整える沙紀。
拳銃にサバイバルナイフ。
武器はこのくらいしか持っていないが、自分には大人にも負けない格闘術がある。
これが、彼女にとっての初陣だ。
そうしている間も、所々で銃声や悲鳴が後を絶たない。
その侵入者を倒し、手柄を立てたいという気持ちは強かった。
しかし、そんなことよりももっと大事な事。
あの子供達を守らなけれればいけないと、そう思う前には既に本能が子供部屋へと自分を走らせている。
道中。
廊下が血まみれ。死体まみれ。
一体何が起こっているのか、死体は全てきれいな物ばかり、どこを撃たれたのか、切られたのかさっぱりわからないが、構成員の大人たちはみな、どこからか血を流して死んでいる。
その内の一人が、小さく口を動かして何かを喋っているのに気が付いた。
「……気を付けろ。敵は、一人だ……。」
沙紀はその構成員を抱えて、喋った内容を更に問いただしたが、男は間もなく息を引き取った。
「一体何が、起こっているの?」
抱えたその男を静かに床に寝かせた。
その時。
背後から聞こえる誰かの足音。
これは、適当なものを履いて済ます組織の構成員が、いつも歩いてくる音ではない。
頑強な戦闘靴で武装した、侵入者の足音だ。
それを確信した沙紀は、振り向きざまに拳銃を構える。
しかし次の瞬間に、その侵入者を自分が視認するよりも早く、自身の手から拳銃が飛んでいった。
遅れて伝わる発砲音。
黒い戦闘服を身に纏った侵入者、それが構える銃口からは静かに煙が上がっている。拳銃で拳銃を撃ち飛ばされたのだ。
「なんだ。まだ生き残りがいたか。」
若い男、である。
年齢は自分とほとんど変わらないようにも見えるが、これがアサルト・ゼロの戦闘員だとでも言うのだろうか。
「アンタが、これを一人でやったっての?」
「そんな感じ。」
「何者よ。」
ピタリと、自身の体の真ん中に向けられている拳銃。
龍蔵寺沙紀は決してこれに怯むことなく、その若い男を睨み付けた。
「これから死ぬってのに、そんなこと知ってどーすんだ?」
「呪い殺す。」
そう言う沙紀の瞳は一層強く、この男を睨み付ける。
まるで睨み殺さんとばかりの覇気。
そんな彼女の様子に、男は暫く引き金に添える指を遊ばせていた。
「お前さあ、戦闘員じゃねえよな?」
「!?」
男の意外な言葉に、戸惑いと驚きが押し寄せた。
何故、そんな事がわかるのだろうかと。
「さては孤児の中でもいっちゃんでけえ奴ってか? そう不思議がるな。見てりゃ誰だってわかんだよ。そんなもんは。」
男は続ける。
「目がちげえんだ、目がな。純粋な子供の澄みきった瞳だよそりゃ。どんな形相で睨み付けようが、可愛いもんだぜ。」
そして男は、右手に持った拳銃を腰のホルスターバックに収納した。
「まぁ感謝しろ。殺さないでおいてやる……。」
と言って拳銃をしまい、そして再び男は視線を上げる。
が。
そのとき目の前には、迫り来る沙紀の姿が全面に映っていた。
拳銃を収納したその瞬間、わずかな隙をついて彼女は男に襲い掛かかる。
凄まじい瞬発力。
10メートル近かった間合いは一瞬にして縮まった。
「はぁああああああああ!!」
振りかぶった沙紀の右手にはサバイバルナイフ。
鋭い先端は男の首へと真っ直ぐに向かう。
非常に素早い切り込み。
しかし。
男は容易にこの攻撃を回避した。
「ほほう。」
「この!! このぉおおお!!」
続く蹴り技も、凄まじいスピードと威力。
風を切り裂き、振り上げられた右足が男を襲った。
それでも当たらない攻撃。
男は簡単な重心移動で沙紀の攻撃を回避すると、彼女の軸足となる左足を軽いキックで蹴飛ばした。
沙紀はその場に転倒する。
途中までは、芸術的なまでに素早く美しい攻撃であったが、その連撃はいとも簡単に崩された。
この目にも止まらぬスピードの中、いったいどこに隙があったのか全く分からない。
ただ、一瞬よりも短いタイミングで、この男は攻撃を見定めそして最低限の一撃を与えたまでに過ぎなかった。
「いいね。格闘のセンスが素晴らしい。」
「この!!」
再び立ち上がる沙紀は、ナイフと蹴りによる攻撃を再開した。
その流れるような連撃は音を立てて風を割り、この男を追い詰める。
ようにも見えるが、そのどれもが軽々と回避され、当たる気配は全くない。
「はぁああああ!!」
気合の入った一撃を繰り出す沙紀。
しかし。
「終わろうぜ。まぁ飽きた。」
と。
男の拳が体のど真ん中に直撃。
目にも止まらぬ素早い一撃だ。
一体どうやって、この連撃の中をかいくぐったのか。
理解不能な体術である。
急所に拳を受けた沙紀は、その場に力なく膝をついた。