第70話 アジトー1
追撃と言っても、既にムカデリオンの姿は見失っている。
それでもムカデリオンが掘り進んだ穴を辿れば追い付ける、と言う考えは甘かった。
まず第一に、最低地上高の低いセダンタイプの巡視車両では、掘削によって開発されたトンネルなど、とても通れたものではない。
第二に、そのムカデトンネルとやらは所々垂直の場面がある。さすがにこれでは、いくら悪路に強い車でもあったとしても無事に通過することは不可能だ。
最後に、ムカデトンネルは途中で何度も分岐している。ムカデリオンは何も、新規に開拓した穴しか通過しないわけではない。一度通った穴を頻繁に利用し、そこからさらに新しいトンネルを掘り進んでいるのだろう。
以上のことは、車両乗車前に行ったクガマルの超音波探知で判明している。
「じゃあ、今どこに向かって走ってんだよ! まさか適当に走ってんじゃないよな!? なあ!? なあ聞いてるのか!?」
後部座席で少年仁太が言った。
「あ~もう、ぴーぴーぴーぴーうっさいわね。これだからガキは嫌いなのよ。」
と、龍蔵寺沙紀はルームミラー越しに少年を睨み付けた。
「な、なんだよ。睨んだって、こ、こわくねえからな。」
「はぁ?」
「うぅ。」
「あんたみたいなのがテロリストだなんてね。な~んか腹たつわ。ガキのくせして。どーせ世の中のことなんて何もわかっちゃいないんだから。」
「は!? はあ!? 何だよそれ!!」
「言葉どおりの意味よ。」
「ざっけんな!! 俺は、俺と兄ちゃんはなぁ!! 公安を倒して! それで‥…。」
叫ぶと同時に席を立ち上がる少年。
すでに沙紀はルームミラーから視線を外していた。
「聞いてないってのよ。そんなこと。」
「沙紀、その辺にしとけ。」
助手席でクガマルが低く呟くように言った。
「俺の兄ちゃんはなぁ!!」
「まぁまぁ、一旦落ち着きなって少年や。喧嘩は車を降りてから、表通りでするもんさ。よろしいね?」
興奮する少年に、潤史朗はなだめる様に声を掛けた。
「っ。覚えとけよ。ババア。」
「あ? 誰がババアだって?」
「ババアだろ。」
沙紀の眉間に血管が躍った。
「ぎゃはははははははっ。ババアだってよ。ぎゃはははははは。おもしれえぞ、お前らのそのガキみてえなバトルはよぉ。いいぞ、もっとやれ。ハンドルの方は任せろや。ぎゃははははは。」
「誰がガキよ、このムシ。」
笑い声をやめないクガマルを睨む沙紀。
「ガキだったりババアだったり、どういうこと? この人おかしいね、ジュンシロウ。」
後部中央の座席で、ルニアは潤史朗の方をみた。
「それはまぁ、極めて相対的な問題だよルニア。とりあえずお姉さんって呼んどきな。うん。」
「あ、ルニアわかっちゃった! きっとお姉さんはルニアと同じなんだね!」
「いや、普通はそう簡単に背は伸び縮みしないぞ? 中身の方も。そうなるのは多分ルニアだけだ。」
「?」
「それで結局、どうやって巨大ムカデを追っかけてるんだよ。」
少年は少し落ち着いた後、話を振り出しに戻した。
「うんそうだね。君の様な純粋な子は、僕は好きさ。特にリアクションがいい子はね。」
「なんでもいいから、今どーなってんだ。」
「いや大したことじゃない。発信機を追跡してる。」
「あれ、でもあんたが最後に投げた発信機は届いてなかったじゃねえか。」
「うん、それそれ、そういうリアクションが大好物でねえ。」
「そういうのいいから。」
「厳しい。」
「車だ、車。高機動殺虫車だ。」
助手席にて、補足するようにクガマルが言った。
「予測はしていたがな。アサルト・ゼロの連中が発信機を仕掛けてたんだ。どうせそんなとこだろうと思ってスキャンしてみりゃ、思ったとおり。それで敢えて外さずに置いたら、見事にムカデリオンが車を飲んだってわけだ。」
「そーいうこと。今僕らは、アサルト・ゼロが高機動殺虫車に仕込んだ発信機を頼りにムカデリオンを追っている。これも僕の作戦どおりって訳だ。」
「偶然だろうが。都合よく作戦に差し替えてんじゃねえ。」
「な、なるほど。そういうことな。」
「それでクガマル。あれから動きはあった訳?」
この話の流れに従って、潤史朗は助手席の方へと乗り出した。
「ついさっきからなんだが、動きを一旦止めている。いま多分だが移動してねえぞ。」
クガマルは、装備している小さな触覚を上に立て、両眼を赤くピカピカさせながら言った。
「どうするジュンシロー。先回りをやめて、もうその地点に直接向かうか?」
「一旦地図に出せるかい?」
「いいだろう。」
そうして潤史朗が取り出したのは汎用のケーブルである。
これをクガマルの充電口に差し込むと、もう一方の末端は巡視車両積載のカーナビゲーション装置に突っ込んだ。
すると、ナビゲーションの画面は完全にダウン。その代わりにクガマルに搭載された情報課ご用達の立体地下映像が画面上に展開された。
その中に反映されているの赤いマークは発信機と共に呑まれた高機動殺虫車の位置を示している。
場所にあっては地下。ではあるのだが、5000以下の場所でも特段に郊外。まるでその部分だけ地下のコロニー区画から横に細長く飛び出しているような奇妙な出島である。
「その場所、まさかあの大ムカデが掘ったせいで、そんな変な感じにトンネルが飛び出てんのかよ。」
画像を見て少年が言った。
「いや違う。この地図はあくまで地図だ。人が掘った記録のある場所と、僕が調べた先月分のエリアまでしか反映されてない。」
「じゃあ……。」
「尾張中京都の地下にはもともと奇妙な場所があるのさ。まるで、どこか他所の地下空間に行きつくために脱獄犯達が掘り進めていった様な、ね。しかしそのトンネルはどこに辿り着く事もなく行き止まり。立体地図で見てみると、地下空間の立方体に細いボルトを突き刺したようになっているのがわかる。」
「これは一体なんだ??」
「尾張中京都民が災害時にやたら口走るジョークがあるのは知ってるかい? まぁジョークではないね。何故かその土地に根付いた噂のようなものさ。」
「なにそれ。」
「地下で核実験が、とか、核爆発があったとか。時々、怪虫を隠蔽する言い訳に使われることもあるけれど……。」
「そ、それ!!」
と、その時少年は突然大きな声を上げた。
「っ言うかそうなんだろ!? 公安の連中は、ずっと核実験をしてて、それで5000以下の空間は汚染されてんだ! 俺はずっとそうだとばかり思ってて!!」
それで蓋を開けてみればゴキブリという訳である。
だがしかし、どんな噂やジョークも、火のないところに煙は立たない。
尾張中京で小さな地震などがあると、それはしばしば、核実験か? などと冗談じみた会話が交わされることもあるが……。
「そういう噂はあながち間違いじゃあないのさ。その地図にある変な行き止まりの横穴。それ、地下核実験場だもの。」
「えええええええ!!」
「もちろん内緒のことだよ。結局計画だおれになったけど、公安隊が昔掘った長大な横穴さ。」
「マジか……。」
そして。
その長大な横穴こと、地下核実験施設にて。
今、赤いマークが点滅しているのである。
「ムカデ野郎。ねぐらにしてやがるな。ぎゃはははははは。」
「僕らにとっては好都合だ。核実験用の穴だからね、そうそう簡単には掘削できないだろう。見方によっては袋の中のネズミだ。」
「逆に、オレ達は奴の突進攻撃をもろに受けるしかない訳だ。」
「だね。」
決戦の場は。
尾張中京都地下郊外、公安隊地下核実験場である。
「それと……。」
「んあ?」
忘れてはいけない、もう一つの決戦がある。
「彼らも、その発信機を追跡しているんだ。これがどういう意味か、わかるでしょ?」
「三つ巴の合戦になんのかねえ。ぎゃはははは。」
「いや、二対一になるだけだ。ちなみに二を相手にするのは僕らに違いない。」
「そりゃ面白い。ぎゃはははは。だから言ったろう? こいつも要るってな。」
と、そう言うクガマルはハンドルを握る沙紀の方をちらりと見た。
「そのようだね。君が正解さ。」
そうして目標が定まった車両は、その速度を更に増した。
巡視車両を運転する沙紀は、ふとルームミラーをみやる。
目に入るのは不安そうに外の景色を見つめる少年の姿だ。
何故、今こんな時に。
あの過ぎ去りし苛烈な日々の思い出が。
頭に湧いて出てくるのだろう。
思い出される過去の記憶は、その何よりも鮮明に。
すべては一つの出会いから始まったのだ。
それは、まだ彼女が公安隊に入る前の話である。
今よりもずっと酷く、地下が燃え上がっていた時期。
人間同士が殺し合い、利権や自由、主義主張と治安秩序が激しくぶつかり合っていた。
数年前、畿内阪神都地下でのこと。
場所にあっては4900から5000にかけての無法地帯。
連日にわたる過激派の活動はこの時ピークを迎えつつあったのだ。
"地下労働民革命結社"を名乗る彼らは、高度に武装された俗に言う過激派集団である。
4900地帯にアジトを構える彼ら地下労働民革命結社は、地下民の平等と権利をめぐり公安隊との徹底抗戦に臨む。
地下インフラに対する爆破攻撃、政府高官の暗殺。こういった彼らの活動は、一見は正義にもみてとれる。いや、世の中のあらゆる行動は、その本人たちからすれば、全ては正義に違いないのだろう。
しかし、彼ら地下労働民革命結社の行動そのものが、地下市民に対する差別意識を助長させ、また公共施設への攻撃により実質的な被害を被っている者達は、とても彼らを正しいとは思わないことだろう。
こうして世の中が彼らを受け入れようとも、そうでなかったとしても、ここに来て、いま地下労働民革命結社の勢いは最高地点に達していた。
彼らのアジトには何人もの戦闘員と、そして彼らが保護した生活困難者が暮らしていた。
その生活困難者とは、治安維持条例に引っかかり公安隊から追われている人間や、単に食料難で食うに困る人間、怪我で働けなくなった地下市民、そして親を公安隊に殺された少年少女であった。
過激派組織とは言えども、そのアジトの雰囲気は明るく、実情を知らないものからすれば、そこは信じられない空間になっている。
大人たちはテーブルに地図を広げ、眉間にしわを寄せながら作戦会議を進めるなか、その横には孤児たちの笑い声が絶えなかった。
たとえ子供の一人が、真剣な大人の話し合いの中に紛れ込んでも、それに対して怒鳴り散らす者は誰一人としていなかった。あるとするならば、時間の経過に気が付いて、そろそろ休憩にしようかと提案する者がいる程度である。
その子供を叱るのは別の役割の者。
「おい! 翔太!! そっち行くんじゃないわよ。いま会議やってんでしょうが!!」
若い女が声を上げる。
「ああ、いいんだよ沙紀。俺たちも少々根を詰め過ぎてたんだ。どうだ? お前も一緒にコーヒーでも。流石にもうブラックでもいけるだろ?」
彼女は、孤児の中では年長であり、姉、いや母親的な役回りを担った女である。炊事はみなが持ち回りで行っていたが、孤児らの世話は結果的に彼女が全て引き受けているような状態だ。
彼女自身も孤児ではあるが、もはや年齢も大人に近い彼女は、この大きな家族で立派に保護者をやっているのだった。
「いつも悪いな沙紀。ガキの面倒は任せっぱなしでよ。俺らが保護した以上、俺らが責任持たなきゃいけねえのにな。」
「別に。昔からだし。そんなことよりも次の作戦、そろそろウチもいいでしょ? いい加減大人なんだし、十分に戦える。」
「う~ん。」
と、そう言って沙紀に迫られる男の戦闘員は、渋い顔をしてみせた。
「言っておくけど、銃の扱いも格闘術も、しっかり教わったし、結構なもんよ?」
「それは一応、護身術って意味で教えたんだがなぁ……。」
「ねえ、戦力にならないってんなら、はっきりそう言ってよ。」
「いやそうじゃない。」
「じゃあ何?」
「俺たちの組織はな、別に戦闘員を育てるためにお前達を保護した訳じゃねんだ。」
「……。」
項垂れる沙紀。
男は続けた。
「だがまあ公安隊に親を殺されたお前の気持ちもわかる。そうだな、一度ボスに相談してみよう。」
「ほんとに!」
そう言われる彼女の表情には、ぱっと電気がついたような明るさが戻った。
「あんまし期待すんなよ。基本的には反対なんだからな。」
男はそう言いながら作戦室を去って行った。
これでようやく。両親の仇をとれる日がやってくる。
今ままでこの時のために鍛え上げてきた戦闘スキル。
それを自分に教えてくれた猛者たちは、もうほとんどいなくなってしまったが、その魂はここにしっかりと受け継いでいるのだ。
「よし。」
そう静かに呟く沙紀の下に。
小さな少年が彼女の服の裾を引っ張っていた。
「沙紀ねえちゃん、さっきはごめんなさい。」
涙ぐんだ男の子。
それに気が付いた沙紀は、しゃがんで男の子に視線を合わせた。
「これからは気をつけなさいよ。まったく。」
地下に咲く、太陽の様な笑顔。
持ち上げた右手で、沙紀は少年の頭を撫でた。
「男の子なんだから、ぴーぴー泣いてんじゃないっての。」