第68話 暴風
吹き抜ける暴風は巨虫の咆哮。
姿勢を屈めてこれに耐える。
後ろの方で、少年が飛ばされてしまわないようにとクガマルが彼を押さえつけていた。
紹介しよう。
このとてつもなく大きなムカデこそが、掘削地龍と謳われる第二の超級。その名もムカデリオンである。
大きな虫と言っても、そのスケールはそこら辺の怪虫とは一線を画す。
正面に対峙する頭部はそれだけで地下道の道幅をほとんど覆い、これの全身などとても見えたものではない。恐らくこれが地下に潜んでいる限りは、頭から尻の先まで全てを見渡すことは永遠に不可能だ。すなわち、ムカデリオンの正確な全長は完全に不明。頭との比率から推定するに500メートル以上はありそうだが、あくまでそれは推定であり、もっと巨大かもしれないし、もっと短いかもしれない。
ただ一つ言えることは、ほんの僅かながらも、こいつが暴れることで尾張中京都が揺れたのだ。
予測よりも遥かに大規模な体なのか、もしくはとんでもないパワーの持ち主であるのか。
いずれにしても、超級と呼ぶに相応しい脅威であると言えよう。
「おい、どうみても殺虫剤が効いてねえぞ。」
嵐のような咆哮が鳴りやむと、クガマルはすぐ横まで飛んできた。
「どうだろう。息でメガキラーを吹き飛ばしただけのように見える。確かにばかでかいけど、メガキラーが効かない虫なんてカタツムリくらいのはずだ。超級だからと言って効かないはずはないさ。」
「なんでもいいが、一体どうする気だ。」
「どうするだって? 虫を目の前にして僕らがやる事なんて決まってるでしょ。そうだね? ルニア。」
「ルニアぶっころす!」
その場で飛び跳ねながらにルニアが言う。
彼女は装着していた防護マスクを外すと、両目の光を更に眩しく輝かせた。
「そうさ。最高に楽しい仕事をしよう。」
「まぁ好きにしやがれ。どうせ作戦があるんだろ?」
「いいや。ない。悪いけどこの装備で勝てるとはこれっぽっちも思わない。」
「あ?」
「けれど。」
この、超級という敵を前にして。
新種の怪虫を発見した訳ではなく、とある秘密を解明したわけでもない。
しかし。
過去に一度しか目撃例のない激レア生物に遭遇して。同時に、数週間前から引きずっていた謎の現象が解き明かされて。
胸の奥に秘める童心が……。
「いま、最高に昂ってるのさ。」
『超電力状態へ移行します。――充電中です。消費電力にご注意下さい。』
装置に添えられた右手。
ルニアと顔を見合わせる。
いい顔だ。
獲物を狩る者。火炎のように湧き上がる高揚感が、怪虫ムカデリオンに対峙する。
隔離都市の存続危機や、いま目の前に迫る死の恐怖など、毛穴から出た瞬間に蒸発した。
「ルニア。」
「ジュンシロウ。」
「クガマルも、いいね。」
「ったりめえだ。オレは常時無敵だぜ。」
「よし。」
二人と一基。
大顎を構えるムカデの顔面に飛び掛かった。
左右に開かれた巨大な牙は、その顔貌のおぞましさたるや、まさしく鬼そのものである。
そして、またしても吹き荒れる暴風ブレス。
しかし、潤史朗の後ろに続いたルニアが力の作用でこの風に通り道を貫く。
鬼の頭上に着する潤史朗。
ムカデはこれを振り落とそうと頭を振り回すも、ルニアの力がその勢いを抑制した。
「牙を落とす。」
『……2、1。充電が完了しました……。』
「無理だジュンシロー、どんだけでけえと思ってんだ。この牙は大木だぜ。」
「ものは試しさ。」
『……大きな力が発動します。衝撃にご注意下さい。』
鳴り響く警報ブザーとともに、潤史朗は再び宙空へ。
天井を蹴り返し、弾丸の如く降下する。
定める狙いはムカデリオンの左大顎。
目を瞑っても外さない巨大な的だ。
同時に発動するルニアの力は、潤史朗の降下速度を更に増した。
先程投げた手斧のように。
この速度はまさしく流星。
流星からの超電力キックが炸裂。
牙は、……しかし、折れはしない。
もう一度跳躍した潤史朗は、くるりと回って、ルニアの隣に降り立った。
「だめ? ジュンシロウ。」
「やっぱりだめだ。硬すぎる。」
「ったりめえだろ。あの牙で掘削してんだろうが。」
「で、あるならば……。」
「おい、来やがんぞ!」
見上げると、大顎を広げて一旦後ろに首を引くムカデリオン。
次の瞬間、その頭部が突撃した。
大きく左右に飛んで回避。
地面のアスファルトが激しく抉れ、その巨大な破片が砲弾の様に飛び散った。
そのひとかけらは潤史朗の元に。
素早い手刀でこれを粉砕した。
続く戦闘はこちらのターン。
まったく歯が立っていない?
無論、その通りだ。まずスケールからして土俵が違う。
ムカデリオンからすれば人間など、それこそ蚊のような存在だ。
ただ鬱陶しいだけである。
ならば、撤退か。
いや、そうではない。
この戦闘において、逃げ出さない意味は大きい。
少なくとも今、この大ムカデはこの場に引き留められているのだ。
腰のホルダーから小さなボンベを抜き取る。
「ルニア、次の咆哮で風を貫いて。」
「わかった。」
再び来たる大咆哮。
迫撃するダウンバーストが、地面に転がる巨大アスファルト片を巻き上げた。
ボンベのピンを抜き去る。
右手に振りかぶるは、爆散殺虫グレネード。
「いま。」
ルニアとタイミングを合わせ、小さなボンベを直投する。
不自然に突き進む殺虫グレネードは、暴風の影響を一切受けずに、ムカデリオンの開口部へと一直線。
そして咆哮が止み、鬼の大顎は閉じられた。
同時に、その口内に走る強い衝撃。
ムカデリオンの頭部全体がびくりと一瞬振動した。
「きまった。」
先ほどよりも甲高い咆哮を鳴らすムカデリオン。再び開いた口からは白煙が昇っている。
大きく頭を振って、自身の体を壁にぶつけながらに大暴れ。
この世の生き物とは思えない、まるで、何百何千の死者が呻いているかのような叫び声。地獄の音である。
その大暴れに巻き込まれまいと、潤史朗とルニアは後退した。
「この程度でも結構効くでしょ?」
暴れるムカデリオンを眺めながらに、潤史朗はクガマルに言った。
「意外だ。オメエ知ってたのかよ。」
「いいや。でも予想は容易さ。メガキラーは少量でも十分に効く。」
「この規模の相手だぞ?」
「そうだとも、そのとおりだ。じゃあなんだって? そうさ、なんでもない普通のゴキゲーターが強すぎるんだよ。」
一通り暴れ終えたムカデリオンは、この地面にどすんと頭を打ち付けた。
大きな振動が地下道を揺らす。
「やったか?」
「まぁ、それでもこの程度じゃ話にならないさ。」
と、そうして眺めている内に、またしても巨大な頭部が持ち上げられた。
「ところでクガマル。」
「あ?」
「もうそろそろ、SPETの応援が到着してもよさそうに思うけど、どう?」
「待ってろ、確認してやる。」
駆逐トラックの積載ボンベなら、十分に殺虫は可能と見た。
ここでまだ戦い続ける意味合いとは、応援部隊の到着までこの巨大ムカデをここに留めるということに他ならない。
繰り返されるムカデリオンの暴風咆哮。
先程よりも強烈に強力。
怒りの波動が、空気中をびりびりと伝わっている。
「もう一本いこうか。」
構える殺虫グレネード。
しかし次は潤史朗がそれを振りかぶった瞬間に、ムカデリオンは空気を飲み込むように咆哮をやめ、自身の大顎を閉鎖した。
ならばと、ムカデリオンに向かって走り出す潤史朗。
ピンをまだ抜いていない殺虫グレネードをクガマルに投げて渡した。
自分が囮に攻撃を仕掛けさせ、顎を開くタイミングをクガマルに狙わせる。
駆ける潤史朗はムカデリオンの正面に。
大顎突進攻撃が炸裂した。
しかし、その一瞬の動きの中でボンベを投げ入れるというのは困難だ。
またしても地面が抉られ、この攻撃に対して潤史朗は空中に退避。
が、これにムカデリオンは追撃した。
開かれた大顎は跳躍する潤史朗に対し、下方から上向きに襲い掛かる。
「ジュンシロウ!!」
ルニアの力が発動した。
空中にて蹴り返す足場がない潤史朗は、ルニアの力によって体を瞬時に移動する
かくしてムカデリオンの攻撃は外れ、その大顎は天井面を突き破った。
降り注ぐ大粒のコンクリート礫。
して、それと同時に。
眩しいばかりの光線が天より降り注いだ。
光が差し、一瞬にして地下道に朝が訪れたようだ。
目を細めて上を見上げる。
成程、この上階は電気が通い、照明設備がいまだ生きているエリアなのだ。
考えても見れば当然。ここはまだ5000メートルより上である。
だがこの時、彼らは意外な光景を目の当たりのすることとなった。
この光を感じた瞬間、ムカデリオンは大きく暴れ出した。
まるで、殺虫グレネードを飲み込んだかのような反応である。
次の瞬間ムカデリオンは、急激に撤退を開始した。
頭を引っ込め、掘削してきた地下道を猛スピードで後退し始める。
そのスピードときたらゴキゲーターなみの速度であった。
「しまった!! にげる!!」
これを追いかける潤史朗。
クガマルも飛んで続くが、掘り進んできた道を戻るムカデリオンは、瞬く間にその闇の底へと姿をくらませた。
咄嗟に投げた小型発信器。
しかし、それがムカデリオンの体に触れることはなく、岩でごったがえした地面に虚しく転がった。
「のがした。」
そう呟く潤史朗はふと上の方を見上げた。
差し込む光がとても眩しく、無意識に目が細められる。
「通信が繋がらねえ。ほんとにSPETの連中は出動してんのか?」
クガマルがやって来た。
「そうでないと困るよ。この装備じゃどうしようもならない。」
「じゃあもう終わってんな。この町は崩壊だぜ。ぎゃははははははっ。」
「それも困るね。まぁそうはならないけれど。」
上を見上げる潤史朗は、右手でひさしを作って目の眩しさを抑えた。
「この光が嫌なんだね。君は。」
「あ? 何言ってんだオメエ。」
「もはや残された謎はなくなったよ。」
「は?」
「ジュンシロウ!」
ルニアは走って潤史朗の元へとやってくると、そのままの勢いで彼に飛びついた。
「ごふっ。」
背丈もほとんど変わらない中ルニアのアタックは中々に強力だ。
全身でこれを抱き止めるも、体は大きくふらついた。
「っとと。」
「ジュンシロウ! 体は!? 大丈夫??」
「ああ、平気だともさ。ルニアは?」
「ルニア大丈夫!」
「よかった。流石ルニア。」
「ねえねえ、ルニア頑張った? あのムカデ逃げてったよ?? うふふふふ。」
「あ、ああ。ルニア頑張ったぞ。」
と、きらきらと目を輝かせるルニアは、自身の頭をこちらに向ける。
「へ??」
「ルニア頑張ったよ? ふふ。」
「お、おう。」
「頑張った。ルニア偉い。」
ルニア。
潤史朗の手を掴むと、自分の頭にそれを乗っける。
「ジュンシロウ?」
ようやく意図を理解した。
これもドクターに吹き込まれたのか。
まぁ、そうとわかれば……。
「よ~しよしよし。」
撫でる行為に遠慮などしない。
目を細めてその手を迎え入れるルニアは、どうやら大変満足の様子だ。
「うふふふふ。」
「おう、取り込み中のとこ悪いが。」
とクガマルが横で言う。
「SPETと連絡がとれねえ上に、俺たちの武器も限定的だ。まさか引き揚げない訳はねえよな? そうだな? ジュンシローよ。」
「そのまさかさ。むしろ僕はそれしか選ぶつもりはないね。ここで引き下がれば、僕らの戦いは振り出しに戻る。」
「相変わらず馬鹿だ。が、そう言うとは思っていた。しかし残念だジュンシローよ。俺たちは移動手段すらも失ったんだ。嫌でも撤退しかねえだろ。」
「それは……、いま考えてる。」
確かにクガマルの言う通り、追撃の足となる車両をムカデリオンに飲み込まれてしまい、現状ではどうにもならないのだ。
だがしかし、ここであれを見失ってしまえば、また発見するまでに大変な時間を要する。なにしろあれは、この広大な地下空間を縦横自由自在に駆け回るのだから。
「帰るぞ、潤史朗。」
「いやもうちょっと待って!」
「大体オメエ。今だってもう十分に見失ったろうが。」
「いやそれに関しちゃ大丈夫なんだ。問題は、君の言う通り足のこと。」
車両を失ったのは大きい。
「ジュンシロウ、なんか聞こえるよ。」
不意にルニアが裾を引っ張った。
「え?」
言われて気が付く何かの音。
どこか遠方より、この地下道にてエンジン音が反響している。
やがて視界に入ってきたのは、親しみ深いあの車。
ウイング付きの黒のセダンがこちらに向かって走り来る。




