第67話 よくわからない空間
「くるよ。敵が。」
闇の地下道。
放たれるフォグランプの激光が視界を裂き、高機動殺虫車は荒れた路面を飛ぶように駆けた。
大きく振動する車内は。その揺れは路面の悪さからくるものだけではない。
今揺れているのは地面そのものだ。
そして。
我々が飛翔する先にあるのはその震源である。
運転席のシートに後ろから抱き着くルニアは、響くエンジンの轟音の中、潤史朗の耳元で小さく言った。
彼女の声は、たとえ音として伝わらなくとも彼の頭にはきちんと伝わるのだ。
「とっても大きいやつ。いるよ。」
「そうだね。僕らは今そこに向かっているんだ。怖いかい?」
「?? 怖いってなぁに?」
「ん? いや、知らないのならいいさ。別に必要のないことだよ。」
「教えて。ジュンシロウ。」
「うん、そうだね。また今度でいい?」
「むぅ……。」
「おいジュンシロー。」
今度は助手席のクワガタムシだ。
「はいはい何でござんしょ。」
車体の振動により、シート上で大きく跳ねながらにクガマルが喋る。
「まだ聞いてねえぞ、結局何なんだ、その第二の超級ってのは。」
「なに、今にわかるさ。百聞は一見にしかず。震源までの距離は?」
「1キロをきった。いや待て……。」
クガマルは一瞬静かになると、頭を上げて周辺を見渡す。
「治まりやがった。」
となると、今感じているこの振動は単なる車体の揺れだけである。それだけ道路が荒れているということでもあるが、地面の揺れの方も先程から沈静に向かっていたのだろう。
「かまわない。震源であったところに向かおう。きっとまだいるよ。」
そう潤史朗が言うと、次にキャビン後部から身を乗り出してきたのはテロリストの少年である。
「お、おい! 前ぇえええ! まえ見ろって!! やべえよ!!」
ヘッドライトが照らす正面の影、多数。
ゴキゲーターの群れがまるで洪水のように、前方より大量に押し寄せてくるではないか。
お互い高速で接近する車とゴキブリ洪水。
まもなく衝突だ。
「クガマルや、ハンドル操作よろしこ。」
そう言うと同時にハンドルから手を離す潤史朗、運転席側のパワーウィンドウを開いて、メガキラーの放射ノズルを車外に出した。
「一旦止まれジュンシロー。この車で死骸を跳ねるのは、受けるダメージが大きすぎる。」
「駄目だ。時間が惜しい。今前に進まないと、きっとあれに逃げられる。」
「どうなっても知らねえぞ。」
「見せてあげるよ! 僕のハンドルさばきをね。横滑りで全部の死骸をかわしてみせる!」
「残念!! ハンドル握ってんのはオレだぁああ!」
「あ~ら。んじゃクガマルがこれ撃って。」
「もう遅せえよ! おら! 目の前だ!」
無駄口を叩いている間にもゴキゲーターらは目の前に。このタイミングで放射しなければ討ち損じるのは確実である。
「まかせて! ジュンシロウ!」
「ほ?」
ルニアが上体を車外に乗り出し、そして彼らゴキブリ共に右手をかざす。
すると不思議。
ゴキゲーターたちは殺虫車への衝突を避けるような形にあらぬ方向へと吹き飛ばされ、まるで車の進路が切り開かれていくかのように、虫の洪水はパックリと中心で割れていった。
「モーゼ!!」
「すげえなおい。流石はバケモノ娘。」
潤史朗は再び窓を閉めると、アクセルに添える力を入れ直した。
「ルニア。その力しばらく頼めるかい?」
ルームミラーに目をやると、金色に光る彼女の瞳と視線が合った。
「ルニアわかった!」
高機動殺虫車は高速走行を維持。
前方より押し寄せるゴキゲーターの群れはルニアの力によって左右に吹き飛ばされた。
目標地点まで残りあと僅か。
距離にして数十メートルといったとこだろうか。
「クガマル! どのへん!?」
「目の前だ!!」
すると次の瞬間だ。
突然にして、ゴキゲーターの洪水が途絶えた。
前照灯は、それの映し出す目標物体を失い、虚空の闇に光を逃す。
目の前には無限の暗闇と。
一瞬目に映ったかと思うのは、あまり見慣れない地下道のゲートらしきものである。
ここで敢えて踏みこむブレーキはなく、車両は勢いを保持した状態で突撃した。
妙な衝撃が走った。
どすんとも、がたんとでもない。
殺虫車の暴走は極自然に受け止められたのだ。
アクセルを踏もうとも、タイヤは四輪とも反応がない。いや、力は伝わっていよう。ただ前進しないのだ。
四方の景色は、全て褐色の壁体である。
「……。お、おい。あんたら。車止まったけどよ、ここさ、どこ??」
後ろで少年が言った。
「おいジュンシロウ。」
「ん?」
「ん? じゃねえよ。なんだよこりゃ。」
「うん~、……。」
目の前のフロントガラスに、なにやら液体がつたった。
透明の液体である。
雨か?
いや地下水だろうか。
「おいこれ。」
それは横のガラスにもつたっている。
粘性の高いその液は、ガラスの表面をゆっくりとなぞった。
音をたてながらに。
細かい泡を発生させて。
「じゅわじゅわ。」
「ルニア、それ触っちゃだめよ。その液。」
「うん。」
「さて、クガマルよ。」
「説明、いや弁明しろや。」
「まぁ落ち着け。」
「十分落ち着いてる。で、オメエが今、前進することを急いでないことからオレはこの状況を察した訳だが。」
「流石は我が相棒。」
「あほな事言ってる場合じゃねえ。」
「なあなあなあ! これ一体何なんだ!? ここは一体どこだってんだよ!?」
と、後ろで少年。
「いいリアクションだな。そうは思わんかね、クガマル氏。」
「オメエもちったぁ見習えよ。焦ろ、慌てろ、必死になれ!」
「なぜ?」
その瞬間、ボンネット上に溜まっていた液体は、遂にその鉄板を溶かし貫通した。
エンジンは最後に弱々しく唸ると、そこでピタリと静かに止まる。
「何故かって!?」
「うん。」
「いま食われてるからだってんだぁ!!」
「ふむ。いかにも。そうだね? ルニア。」
「うん。おなかの中だよ。」
「うええええええ!?!?」
少年のリアクション。
「ま、まじ?」
「いかにも。現在地点にあっては、怪虫の消化管の中である。」
「なんで!」
「いや、スピード出し過ぎて、知らない内に口から飛び込んだっぽい。いや、ぶっちゃけると、わかってたんだけれどもね、回避するスペースがなかったのさ。」
「で、食われたと? 一体なんの腹ん中だよ。」
「まぁ超級でしょうね。超級だけに。」
フロントガラスがみるみる内に溶けていく。
この液体は何らかの消化液だ。
「バックするさ。」
「エンジンが死んでるように見えるがなぁ。」
「ふむ。」
「どーすんだジュンシロー。」
「徒歩だな。みんな荷物まとめて。カップラーメンとガスバーナーは忘れないように。」
「は~い!」
ルニアが笑顔で手を挙げる。
「ばばばばばばっか! 溶けちまうじゃねえか!」
少年が潤史朗に飛びついた。
「抱えるよ。僕の足なら数秒は消化液に耐えれる。クガマルはルニアを空輸で。」
「しゃーねーな。」
「幸いまだ入り口はすぐ後ろのはずだ。頑張って走れば一瞬で抜けれる。」
そうして彼らはすぐさま脱出の準備に取り掛かる。
若干二名お気楽な者もいるようだが、タイムリミットは殺虫車が完全に融解してしまうまでだ。
と、言うより。
そもそも虫に食われている時点で前代未聞の事態である。
この状況において、まさか自分たちが虫の腹の中にいるのだと、一体だれが思いつこうか。
湿った褐色の壁体は表面をヒダで覆っおり、よく見て見れば微妙に動いて見えるのだ。
やわらかくも弾力性に富む消化管内は、全方位より強力な粘液と消化液によって包まれている。
「サイズ的に今のルニアはお前が背負え。オレがガキの方を運ぶ。」
「あいよ。」
「なぁ、ちょっと待ってくれ!」
またしても少年が言う。
「荷物はまとまったけど、あの殺虫剤のボンベ、持てない分は置いていくんだよな。」
「メガキラー6本の内運べない4本はここで開栓したまま去る予定さ。」
「俺に少しだけ時間をくれよ! いい考えがあるんだ。」
少年は真っ直ぐな目で潤史朗を見る。
それが一体どのようなアイディアかはわからないが、取り敢えず潤史朗は、車内天井の状態を確認した。
すでに微妙に穴が空き、所々消化液が垂れてきている。
「ちょっとだけね。」
「急げよ小僧。」
潤史朗とクガマルは、何等かの作業に取り掛かる少年を見守った。
しばらく後。
「できた。」
すべての準備が整った。
もはや車両はどろどろである。
タイミングを見計らい、潤史朗とクガマルはそれぞれルニアと少年を抱えて車両を飛び出した。
着地する右足は想像以上に沈み込む。
まるで高跳び用のマットを走っているような感じだ。
両腕にルニアを抱え、何とかそのままの姿勢を保ちながら、持ち上げた右肩によってアクションカメラの外部ボタンを入力した。
『設定が変更されました。現在の設定は、ハイパーアクティブ。周囲の状況を確認し、安全に活動して下さい。』
四肢の出力特性が変わる。
ルニアを抱える腕は片方に。
もう一方の腕は自身の腰の方に伸ばされ、抜きとった物はいつもの手斧である。
振りかぶって、投擲。
手から離れた手斧は、高速で回転しながら前方に向かって飛翔した。
「ルニアたのむ!」
そして飛翔する斧に、ルニアの力が加わった。
そのスピードは弾丸、いや、それ以上に速く。
一瞬の爆発音と共に青白い閃光を吹き出して、この空間を鋭く抉った。一瞬と言うには、速すぎる光。
かくしてビーム光線のようになった手斧は、前方の壁体に命中。
それと同時に、足元、横、上、すべての壁面が大きく揺れた。
正面から僅かな光が差しこんでくる。
高速で飛行するクガマルは、その大顎に少年の襟首をひっかけ、そして潤史朗はルニアを再び抱え直した。
はしる。
時間にしてほんの数秒。
上下左右に大きく開かれたギザギザのゲートはここで終わり。
飛んで飛び出す潤史朗とクガマル。
次に着いた地面の踏み応えはしっかりと固く、頑丈なアスファルトであった。
着地と同時に振り返り、ルニアと少年を下に降ろす。
目の前に現れたのは。
巨大な口である。
左右に開かれた大顎は首を振らなければ二本の牙が視界に入らない。
体色は赤黒く、開口部には大顎の他にも対になった牙が複数確認される。そして中央付近から伸びた2本の触覚は丸太の様に極太で、後方にずっと伸びて先端は見えなかった。
「な、な、な……。」
その怪物を目の前に少年はその場に尻もちをつく。
「こりゃたまげたぜ。」
ホバリングするクガマルも、そのスケールに圧倒されたのか、しばらく怪物の頭部を見渡していた。
「ふふふ。敵だね。ジュンシロウ。」
見上げるルニア。
彼女の表情には、うっすらとした笑みが伺える。
「そうさ、こいつが。」
ルニアに防護マスクを渡し、自身もそれを装着する潤史朗。
その様子を見たクガマルも、急いで少年に防護マスクをつけさせた。
「こいつが、尾張中京都に小さな地震をもたらし……。」
背中のメガキラーを開栓。
「5000メートルの境界層をぶち破り……。」
放射ノズルの安全レバーを解除。
前後に開く両足は肩幅に。
「地下を穴だらけにして、ゴキゲーターの生息地を掻き回した全ての元凶だ。」
その照準を開口部に定めた。
「掘削地龍ムカデリオン!!」
トリガーを引き込み、殺虫剤の白い噴霧が視界を覆った。
「こいつが第二の超メガ級地底害虫ってわけだ。」
一旦放射を中止した。
すると次の瞬間、正面より来たる暴風。
洞窟が叫んでいるかのようなおぞましい咆哮である。
一瞬にして目の前を覆っていた殺虫剤の濃霧を全て吹き飛ばした。
潤史朗の短い髪がばさつく。
「まぁこんなもんか。」
またしても眼前に現れた巨大な頭部は、そのエメラルド色に光る複眼に彼ら全員を映し出していた。