第66話 尾張中京都
日本が終わる時。
世界が終わる時。
もし。
そんな事態が訪れることがあるとするならば、それはいつか遠い未来の話なのだろうと。
多くの人が死んで、国も、文明も、何もかもが滅び去る日が。
その日を迎えることなど、ありえない。
ドコデモダケが発生し、日本中が大騒動になった日を覚えている人はいるだろうか。
あの時。
世界の破滅を実感した人々は、みなキノコに呑まれて死に、もうこの世には存在しない。
一体誰が、明日に、いや今日に、1時間後に、いいや1分後に、日常が崩れ去ると予想していることだろうか。
本当はいつも、その危険は隣に座っている。
何となく座った地下鉄の席。となり席のおじさんは、知らないだけで実はテロリスト。それが列車を爆破するのは、今からかもしれないし、もう少し後の事なのかもしれない。
まさに。
尾張中京都の姿である。
終末の化け物が。
動き出した。
志賀夏子自宅にて。
彼女は自宅に友人を招き、リビングにて菓子やジュースを広げていた。
部屋の灯りは全て消え、薄型の高画質テレビのみがリビングに煌々と照っている。
ぼんやりと画面を見つめ、ポップコーンの容器を片手にする夏子。
そんな彼女にぴったりと身を寄せるのは、彼女の友人である舞島ユキナだ。
画面の奥から手を伸ばし、足を引きずりながら這い回る死人たち。
崩壊した都市で生者を死へと誘うのは、他ならぬゾンビの集団だ。体の腐った彼らは、自らの一部を周囲にまき散らしながら、映画の主人公らに襲い掛かる。
暗闇にて、突然目を覚ます死体は、劇中のヒロインに飛びかかった。
そして、これに対して子供のような悲鳴を上げるのはテレビのスピーカーからではなく、横にいるユキナからであった。
とんだB級映画も、恐怖の演出だけは素晴らしい。
夏子は飛びついてきたユキナの頭をぽんぽんと撫でる。
退屈な映画もユキナの反応も含めて鑑賞するならば、少しは楽しめた。
自分からホラーパニック映画を誘っておきながら。と、そんなことを思いつつ味気ないポップコーンにまた手を伸ばすのである。
「いや~、おもしろかったねぇ。」
「確かに。ユキナの反応は面白かった。」
エンドロールを前に、舞島ユキナはすっきりとした顔で夏子に話す。
「ユキナって意外と怖がりなんだね。あんな作り物感バリバリのゾンビに、ストーリーなんて訳が分からなかった。主人公に共感できるところもないし、死んでも何か別にって感じ? これに恐怖を感じれるユキナが逆にすごいと思う。」
「いや~、こういうのってノリじゃん、ノリ。ジェットコースター乗ったらとりあえず絶叫しとくみたいな?」
「よくわからない。」
「にしても、なっこちんは、反応薄すぎてつまりませんな~。」
「面白くなかったもん。全然。」
「女子ならとりあえずきゃーきゃー言っとくもんですぞぉ。」
「女子ねぇ……。」
と言いつつ、部屋の明かりをつける夏子。
ジュースの空き容器もついでに片づけておいた。
なんとなく彼女を家に呼んだのは、別に寂しいとか、そういうのじゃない。
ただ、兄もおじさんも、どうやら仕事の方が相当に忙しいようで二人とも帰る気配が全くない。
外に出歩くのもいいが、どちらかが帰ったとき家に誰も待っていない状態というのは何となく良い感じはしないだろうと、それでこうして暇を潰しているのであった。もし自分が逆の立場だったら、やはり誰かは家にいてほしいと思う。
「ああ~、なっこのカワイイ悲鳴を聴きたかったな~。」
「じゃあもっとマシな映画持ってきてよ。本格的なホラーとか。」
「それは寝れなくなるからダメ。ガチなのはヤバい。」
と、ユキナは2リットルボトルのコーラを飲み干しつつ言った。
食べ物で散らかった部屋は、決して夏子のせいというわけではないが、男の目を気にしない女子の集会に洒落っ気などは必要なく、菓子もジュースも気の向くままに消費する。炭酸飲料とスナック菓子を好むのは女子も男子も同じである。
「次どうする? なんかゲームする?」
「いいや、なっこ。二本目行こう。ゾンビ映画。」
「ええ。」
机にゾンビDVDを並べるユキナ。
どれもこれも聞いたことのないマイナー作品だ。
わざわざ中を見なくとも、そのパッケージの安っぽさから内容は大体想像がつく。
しかし、声と表情で明らかな拒否を彼女に伝えてみるも、こちらの意見など聞く気がないようだ。
さらなるゾンビ映画が大画面に再生された。
「でもさ。」
ユキナは独り言のように呟いた。
「実際にこの町がさ、この映画みたいに崩壊したら。どう?」
「どうって?」
「いや、そんなことあるはずはないと思うけど。でもついついそういうことって考えちゃうじゃん?」
「そうだね。もし本当にそんなことが起こったら、少し怖いかもしれない。」
「だよね。まぁそんなこと起こるはずは……。」
「でも実際に、地震とかテロとかで、この町が崩壊することは十分にあり得ることだよね。」
「え??」
「え?」
二人は顔を見合わせた。
「いや、ありえないっしょ。」
「どうして?」
「いやいや、そんな、日本の技術が結集した隔離都市だよ? 公安隊とかもいるわけだし。ゾンビならまだしも、ねえ。」
「ゾンビなんて怖くないよ、ユキナ。この映画みたいに頭を吹き飛ばせばいい。ノロマなんだし走れば逃げれる。」
「ゾンビ舐め過ぎでしょ夏子。じゃあ何が怖いっての? なっこちん様はさ。」
「怖いっていうか、いや、怖いのかな。実際に起こるものが、やっぱり一番怖い。」
暗いリビングの中。
静かに語る夏子の言葉に、映画の音はどこか遠くに聞こえていた。
そんな中。
彼女らのスマートフォンは、同じタイミングで不穏な通知を鳴動する。
胸をざわつかせる不協和音。この慣れない通知音は災害チャイムに他ならない。
その音にかぶせて呻くゾンビの声は、普段の十倍は恐ろしく聞こえてきた。
悲鳴はなく。
ただ二人はぎょっと黙り込んだ。
「地震、かな……。」
「地震、警戒情報だ。」
「ど、どーすんのこれ、どーすんのこれ。」
夏子はとっさにDVDを消し、部屋の明かりをつけると番組を国営放送のチャンネルに合わせた。
――ここで臨時ニュースをお伝えします。ただいま尾張中京都全域に……。
「24時間以内に、大地震が起こる可能性が高いみたい。」
ニュースに見入る夏子が言った。
「え? ええ? そんな、いきなりそんな。」
「ユキナ、今日はもう帰った方がいい。」
「な、なっこ。うち、どーすれば??」
「家族の人は?」
「え、えっとパパは仕事でママは家にいる、と思う。」
「じゃあお母さんに連絡した方がいい。」
「わ、わかった。」
そういって再びスマートフォンの画面をめくる彼女の指は少し震えていた。
そして。
こっちの家の人は、こんな時に家にいないときた。
ユキナにはかっこつけて見せたが、正直、ここで彼女に帰られたら怖い。
とにかく連絡をとったほうがいいだろう。
兄か、それとも叔父か。
と、そうしていると向こうの方から着信がある。
叔父だ。
画面には増住陽一と表示が出ていた。
「はい、私、です。」
――ああ、良かったすぐに出てくれて。ニュースは見たか!?
「ええ、地震警戒情報ですよね。」
――いまどこにいる?
「家です。」
――そうか、それならよかった。いいか、絶対そこから動くんじゃないぞ。わたしは少し戻れないが、ちゃんとニュースの情報を見てだな、それで、とにかくまた連絡する。じっとしてるように!
電話の向こうでの叔父は、いつもの倍くらい早くしゃべっていた。まるで数秒後にも地震が起こるとでも言いそうな焦り具合である。
それにしては、火の元がどうとか。落下物が云々とか、そういうことは一言もなかった。
ただ慌てている叔父は、もうそのまま電話を切りそうな勢いであり、反射的にそれを引き留める。
「待って!」
――どうした!?
「いま、何が起こっているんですか?」
――……、地震だ。
ほんの一瞬の間をおいて増住はそう答えた。
「それじゃあジュンは、大丈夫なんですか。」
――……夏子。
「はい。」
増住は一呼吸おいて、そして落ち着いた口調で彼女に言った。
――大丈夫だよ。彼はちゃんと帰ってくる。
そうして通話は終了した。
真剣に電話をする自分の様子を、ユキナは不安そうに横で見ていた。
「夏子。」
「大丈夫だよ、ユキナ。」
「ここにいようか?」
「ううん、いい。ユキナのお母さんは? 電話つながった?」
「うん。家だって。パパもすぐに帰ってきてくれる。」
「じゃあ、大丈夫だね。」
「でも夏子は……。」
男二人は、きっとこれについての仕事をしている。
帰ってはこないだろう。
怖いけれど。
家を守るのは自分だ。
兄と叔父の帰る場所がなければいけない。
そうしてユキナとはここで別れた。
やはり心細いのは避けようがなかったが、それでもこうしているほかはない。
地震がやってくると言われてもなんとなく実感はわかない。
ただ、この不安な気持ちはどうしても拭え切れないでいた。
なぜだろう。
地震やほかの災害よりも、なんだかもっと恐ろしい気配が、この胸の奥に蠢いている気がした。
知事室にて。
都知事、増住はパソコンを開く。
彼からは新しいメールが届いていた。
「これでいいんだな、潤史朗。」
以下がメールの全文である。
――地下の調査結果を報告します。
ただいま尾張中京都地下にて、第二の超級の出現を確認致しました。
時間がありません。
どのような形でも構いませんので全域に避難勧告をお願いします。
詳細は追って連絡します。
調査を継続します。
この文面を目にした増住は一瞬めまいに襲われたが、知事としてここで倒れるわけにはいかなかった。
超級の出現。
それは、終末を告げる怪物の到来を意味する。
もはや一刻の猶予もない。
なにも知らない一般人を逃がさなければいけなかった。嘘でもなんでも避難誘導しなければ、大勢の犠牲者がでる。
信じたくはなかった。
しかし彼が言うのだから、本当なのだろう。
もはや公安隊がどうのという問題ではなくなった。
「おいジュンシロー。」
メールを打つ背後から、クガマルが液晶画面をのぞき込んだ。
「オメエ、そんなデマを流してどうする気だ。」
「いいや、これは真実だ。超級が出たんだ。」
「オレは何も見てねえが?」
「見るまでもない。証拠が揃ってるんだ。これ以上確認に時間を費やしてると手遅れになりかねないよ。」
「是非聞かして貰いたいもんだなぁ、その証拠やらを。」
「よかろう、それではまず第一に……。」
そう、潤史朗が言いかけた。
次の瞬間である。
不意に振動を始める地面。
周辺のコンテナも音を立てて小さく跳ねている。
「行くよ!」
「どこへ!?」
ルニア、そして少年仁太をつれ、荷物を全部後ろに投げ込むと、自身も高機動殺虫車の運転席に乗り込んだ。
「この振動、間違いない!」
「はあ!?!?」
そういいながらに捻るイグニッション。
緊急事態に、大馬力エンジンは咆哮した。
「ゴキゲーターの群れが押し寄せるってか!?」
「そうだろうけど違う! これは超級の出現なんだ。クガマル! 気象庁の観測データをハックして。至急!」
「は!?」
「いいから。」
「ちっ、しゃーねーな。ったく。震源の特定か?」
「それ。」
「気象庁を頼るまでもねえ。西に3キロ。」
「ういっ。」
蹴とばすように踏み込むアクセル。
かくして殺虫車は、飛ぶように地下道を駆け抜けていった。
大きく揺れる車内にて、クガマルは潤史朗に問う。
「来んのかよ。ゴキゲリアスが。」
「まさか。」
「お前は超級と言っただろうが。」
「ねえねえ潤史朗。」
後ろの座席から、ルニアは運転席の横にひょこりと顔を出した。
「超級ってなあに?」
「"超″メガ級地底害虫のことさ。」
「すごいの?」
「そりゃあもう……。]
「……"あのゴキゲリアス"級ってことだからね。」




