第65話 書斎
どこか、広い部屋の一室だ。
ブラインドで外の色を拒んだ薄暗い部屋、中央付近には青くライトアップされた水槽と、その中には鮮やかな熱帯魚が泳ぎ回る。
木目調のデスクは、その上にはシンプルなパソコンが観葉植物と並んでいた。
若い男が一人。
この青年、名前にあっては東雲廉士。公安隊機動強襲戦隊アサルト・ゼロの司令官を務める者だ。
絞まった体型は適度に鍛えられており、すっきりとした顔立ちは女とも見えるほどに美形である。
パソコンと観葉植物、その横には近未来的にランプを灯すガジェットがこの部屋の雰囲気から浮いていた。
その奇妙な未来ガジェットは、頭に装着するヘッドセット状になっており、ぱっと見た感じには仮想空間体験型のゲーム機器そのものである。
この装置の使用法は簡単だ。
頭に装着する、そして電源を入れる。以上。
そして何ができるかと言えば、とあるドローンを遠隔操縦できるのだ。
ヘッドセットは脳波を読み取り、それによってドローンを操作。またドローンから送られてくる視覚的な情報も、両目を覆うアイウェアデバイスから鮮やかな映像となって立体的に映し出された。
東雲廉士の司令官としての業務は、最新の科学テクノロジーによって極めて効率的に行われている。
自ら現場に赴かなくても、このドローンを使用すれば現場の様子を自身の眼で確かめながらに指揮を執る事が可能だ。そしてもし、事案が複数個所で同時に起こっていたとしても、ドローンさえ出向いていればいつでもどこでも何ヶ所であっても現場指揮を行うことができるのだ。
そして今回の任務は、尾張中京地下で展開されている。
思わぬハプニングに見舞われる事となり、結果として作戦は失敗。しかしそれでいい。そもそも今作戦は非常に実験的側面が大きいのだ。その実験とは、まさしく対怪虫機動兵器カブタスの性能試験である。最初からこれが上手く行くなどとは全く考えてはいない。いずれこの兵器を使用して地下世界にて公安隊の活動範囲を広げるとしても、現段階ではこれで十分だ。
火力はゴキゲーターに通用した、やはり問題となるのは機動性に欠ける事、また他の怪虫にも備えてサポートメカ検討もするべきだろう。
そして今回だが、この結果に加えて一つ思わぬ収穫があったのは嬉しい事だ。
志賀潤史朗の生存を確認した。
アサルト・ゼロの元隊員であり、確かな実力と伝説的とも言える実績の持ち主だ。
しかし、あれは違う。
すべては推測に過ぎないが、あの人間は、その能力からして志賀潤史朗とは疑わしい。そもそも自分が、潤史朗という男を過大評価していたということも否定できないが、仮にそうであってもこの違和感は拭えない。
そして同時に浮上する新たな疑問が一つ。
あのクワガタムシ型の高性能AIドローンは一体なんだ。
まず初めに、あれがAIである筈がない。
今日の科学力において、人間が開発するAIは凄まじい学習機能とそれに伴う驚異的な知能を持ち合わせるが、それでも、あんなものがAIであるのならば、既に人間世界はAIに支配されているだろう。
タネは簡単だ。
あちらも同じく、遠隔操作によるドローンだ。
無論証拠などない。
だが他に何が考えられると言うのだろうか。
そして。
その操縦者は一体何者だ。
実におもしろい事が隠れていそうで、思わず顔に感情が出てしまいそうだ。
それは、この公安隊という巨大な組織にとって決して看過することのできない問題ではあるが、逆に日本の地下世界を揺るがしかねない、爆弾の様な秘密が隠されているのかもしれない。
あのクワガタムシに、もう少し付き合ってみようと思う。
青年は再びヘッドセットを手にすると、それを頭に装着して電源を入れた。
そして流れ込んでくる映像は、とある地下の暗い通路だ。
テントウムシ型ドローンの中に意識を乗せ込む。
その彼の目の前には、眼鏡の男と西洋人じみた女。
中隊長の嵯戸とレイシアである。
この二人の有能な部下に新たな作戦を手伝わせようと思う。
嵯戸は非常にできた幹部職員だ。特にその性格的適性において今アサルト・ゼロに求められる力をもっている。ただし、これ以上の失敗は無能の証明に他ならない。今回の作戦において、彼の持つ中隊指揮能力には疑問符を付けざるをえない。レイシアの成長次第では完全にお払い箱である。どうか、そうならないよう彼には頑張って貰いたいものだ。
そしてレイシア。
彼女はグラン-エクスノイドの試作一号機である。
フルサイボーグである彼女こそが、未来の公安隊の理想の姿だ。その戦闘力と戦術的判断能力には大きな期待が持たれる。
「それでは司令、あのクワガタムシのようなドローンを確保せよ、という事でしょうか。」
目の前のレイシアが言った。
「そう言う事だ。君たちのアルファ中隊については残念ながらあの巨大カタツムリを前に敗北してしまったが、捕らえられていたドローンがその程度でやられることはありえない。僕が与えたスタンショックも相当出力は抑えてある。目覚めるのは時間の問題だ。」
「了解しました。それではお兄様はいかが致しましょうか。」
とレイシアの目線を真っ直ぐに浴びる。
少し前から疑問に思っていたが、何故彼女はあの男をお兄様呼ばわりするのか疑問である。
そんな仕様は聞いた事もないし、これがふざけているとしたら変化として大きすぎる。
「レイシアくん、きみは何故、あの潤史朗のような男をお兄様と呼ぶのだろうか。」
「兄だからです。」
「と、言うと?」
「司令官、私の体は正確には1号機ではありません。先に製造されていた四肢のパーツが存在し、私の体の開発にあってはそれの後発にあたるのです。」
成程。
しかし。
これまた聞いたことがない。
確かに、公安隊も、その研究部の方も一枚岩とは言い切れず、それぞれの派閥で独自に研究を進めている側面もあるが、それでも上層部に届いてこないものがあるのはどうなのだろうか……。
やはり。
なにか大きな影が、陰謀が。
これも志賀潤史朗に関係があるとでも言うのだろうか。
「司令、いかがされましたか。」
「いいや。なんでもない。しかしそれではレイシアくん。君は今後数えきれないほどの妹や弟を抱えることになるのだね。」
「それはどうでしょうか。恐らく実際に運用される際には、グラン-エクスノイドも現在とは大きく仕様が異なるでしょう。そうであれば兄弟姉妹とは言い難いと思いますが、しかしお兄様と私は、実は完全に同一の設計図から手足が構成されています。これはまさしく兄妹と言えるでしょう。」
「ふむ。君の基準はいまいちよくわからないが。まぁいい。」
だが、その兄とやらが巨大カタツムリと巨大ゴキブリの襲撃の中を生き残っているとも考え難い。
何と言っても両腕両足を奪ったのだ。もしそれで生き残っていたとすれば。
それもあのクワガタムシの仕業だろう。
何しろ情報が手元になさすぎるのだ。
「そして彼らはどちらに? 残念ながら、私のセンサーで探索するには、この地下空間は広大すぎます。」
「問題ない。彼らは必ず僕らを追ってくる。」
そう言ってテントウムシドローンが指すのは嵯戸とレイシアが背負うメガキラーのボンベだ。
彼ら地下衛生管理局にとって、この殺虫剤こそが最重要機密であり、これの成分の解析をされる事をどうあっても阻止しにくるだろう。
「しかし司令。」
「大丈夫だ。もし彼らがこちらを後回しにしたとしても、地下探索は続けるだろう。そうすれば必ず、大きな動きが地底に現れるのは確実だ。」
「どういうことでしょうか。」
「彼らはあの振動の根源を追跡するということだ。5000メートル境界層にぼこぼこ穴を空けられるのを放置するとも思えない。彼らは早急にこの問題を解決しに来る。なんたって、僕らの作戦で多少の一般人が死んだだけで、すっ飛んでやってきたのだから。」
そして、地上に引き揚げられるのは都合が悪い。そう言う意味では現状の地底危機は都合がいい。
このドローン捕獲作戦を、地上で派手に行うのは少々まずいだろう。
無法地帯で、更に混乱に乗じて、あのクワガタドローンを捕まえるのだ。
「そして僕は、一つ彼らにプレゼントをしてあるんだ。こういうこともあろうかとね。」
「司令、それは一体?」
「よく見ていてくれたまえ。」
そう言う司令官ドローンは、不意に嵯戸の方へと向き直る。
「嵯戸君、こちらを見るんだ。」
「?」
嵯戸は少し不思議そうにしながらも、テントウムシドローンと向かい合った。
「そのままだ。」
と、次の瞬間、ドローンのカメラ部分から照射される緑色の光。
その光は暫く嵯戸の両目に当て続けられ、嵯戸は言われたとおりに、そのまま光を浴び続けた。
「し、司令。これは何でしょうか。」
やがて光は止められたが、特に何か変化は見られない。
ただ、両目に光を浴びただけだ。
「嵯戸くん。」
「は、はい。」
「君の頬を殴れ。」
「え?」
何をおっしゃっているのでしょうか。
と言おうとしたのだが、その喋る顎が、次の瞬間にとても大きな衝撃を受け、喋る口は止められた。
一体だれに殴られたのか。
レイシア?
いいや違う。
紛れもなく、自分の腕だ。
そして一瞬だが、自分の意識は、自分を殴るように考えていた自覚が確かに存在する。
信じがたいが、いま自分の意識が自分に反した。
「こういうことだ。公安隊の誇る脳科学の最先端はここまできた。実用化にはまだまだ時間が掛かるが、このテントウムシには実験的にその能力を搭載しておいたんだ。ただの電気ショックしか能のないドローンではないよ。」
「では司令、この力を彼らに?」
「古典的な言い方で言うと催眠術かな。そうだよ。これね、仕込んでおいたんだ。」
テントウムシ型ドローン。
これが笑う事はないが、果たして書斎におけるこの青年は今一体どのような顔をしているのだろうか。
「なあおいアンタさ!」
少年が言う。
「潤史朗とお呼びよ。で何?」
高機動殺虫車近辺にて、カップラーメンの容器を片手に潤史朗は答えた。
「これからどうする気なんだよ。あの公安隊の連中を追うのか?」
「それも必要なことだね。でもまずその前に、この地底危機を何とかしないと、まずはそれが優先だよ。実はいますごく嫌な予感がしていてね。」
「嫌な予感?」
「ぎゃははははははは、ちげーだろジュンシロ―よぉ。そりゃ良い予感の間違いだろお??」
クガマルが飛んでやってくる。
「まぁそうとも言う。いや全然よくはないんだけど。」
「何でもいいけどさ潤史朗。俺もさ、それについてくよ。」
「駄目だ。と言いたいところだけど。許可。なぜなら僕らと行動を共にすることが君にとって一番安全だからだ。君のついてきたい理由が興味本位か何なのかは知らないけど、安全第一でいかせてもらうよ。」
「な、なんだよそれ。」
「ぎゃははははははは、ガキはガキだってこったぁああ。ぎゃはははははは。」
「ちっ、感じの悪いドローンだぜ。」
飛び回るクガマル。
潤史朗はラーメンの調理器具を撤収しつつ更なる行動の準備を進めた。
もちろんここにルニアもいる。
中高生サイズとなった彼女は、今や非常に強大な戦力だ。しかしそれでも戦闘に参加させるのはあまり良くは思わないのだが、下手にとめたらこちらの体が壊されそうだ。
楽しそうにゴキゲーターの死体をもてあそぶ彼女を遠目に見る。
こうしてみれば、無邪気でカワイイ女の子なのだが。
秘めているものに、底の知れない恐ろしさを感じざるを得ない。
「お~いルニア~。そろそろこっちおいで~。」
と言うと、嬉しそうに彼女は走って戻る。
「なになにジュンシロー。」
底の知れない恐ろしさ。
最高だ。




