第64話 戦闘跡
4900メートル地帯のとある一画。
周辺の一般人たちは、突如として現れた公安隊に囲われた。
集められたここは、どことも知れぬ薄暗い地下道だ。
数時間前より妙な銃撃音や惨たらしく殺された人の死体が転がっていたが、まさか公安隊の仕業であったとは。
殺されるのだろうか。
いや、そんなはずはない。一体我々が何をしたというのか。ただ、至って真面目に今日と言う日を過ごしているだけだというのに。
何の非があって、その銃口を向けられなければいけないのか。
世の中おかしい。
狂っている。
紛争を起こす奴もそう。テロを企てるやつもそう。そして公安隊もそう。みんな無茶苦茶やりやがる。何が楽しくて人を殺すんだ。どんな権限があって人の命を奪えるのだ。
みんな、おかしい。
だが、何をどうあがこうとも。死は免れないだろう。
集められた彼らは、職業も年齢も性別もバラバラだった。
その一般市民らに銃を向けて包囲するのは公安隊職員。
乗りつけた巡視車両で逃げ場を塞いだ。
そして両手に構えている銃は、いつも車両に積載しているものだ。
これは本来護身用の銃。
とは言っても、人に向けて撃つために車に置いているものじゃない。これは、例の巨大ゴキブリに向けて撃つための護身用小銃だ。
誰が好き好んで人を撃つだろうか。
そんな輩がいるとしたら、それは過激派かもしくはアサルト・ゼロである。
そうだ。
今、我々は、そのアサルト・ゼロの命令で動いている。
まさか。
一般人を撃て、だと?
命令の内容はこうだ。
ゴキゲーターを発見次第即時連絡、一般人は発見次第銃殺。以上2点を別命あるまで徹底せよ。
馬鹿げている。
一体どこの誰がこんな命令を出したというのだ。とても正気だとは思えない。
だがしかし、例えどんな命令であろうと上位機関の指令は絶対だ。逆らえば反逆扱いは免れない。
同じ人間が、こうも人を殺していいのか。
だが、依然としてこの命令を遂行しきれないでいた。
当然だろう。
ここに集めた一般人を拘束せよというのならまだいい。だが、撃てだなんて命令は、この口がそれを部下に言うのを拒んでいた。そしてまた部下の隊員たちも、撃てと言われようが、恐らくはその引き金を引くことはできないだろう。彼らの指先を見ればわかる。
やはり、一時的に拘束し再度上の指示を仰ぐしかない。
地元警ら隊も舐められたものだ。
「彼らを連行せよ。」
「しかし隊長、アサルト・ゼロの命令は……。」
「お前はそれをできるのか。」
「いえ、自分には……。」
「全ての責任は私が負う。発砲はするな。」
「わかりました。」
これでいいのか。
いや、これでいいに決まっている。迷う方がおかしい。
丁度そんな時だった。
何か不穏な、音がする。
何かの羽音。
夏によく聞く、嫌なあれ。
暑苦しい夜。冷房をかけて寝ようと横になると、そいつはやって来るのだ。
耳元で甲高い、不快な音を響かせて。快適な睡眠の邪魔をする、それはそれは凶悪な虫であった。
だが今その音は、それが地下の通路一帯に響いているのだ。
信じられるだろうか。
そんな巨大な蚊の存在を。
暗闇の向こうから、姿を現したそれはまさに蚊である。
ただし、大きさにあっては人の顔よりずっと大きい。
不快を通り越して、もはや恐怖である。
してそれが一体何匹いるのかと言えば、数えきれない程に沢山だ。
メガ級地底害虫。
デスモスキート襲来。
「撃てぇえええ!! 撃ちまくれぇええ!!」
隊長の怒鳴り声と同時に叫ばれるのは、筒から火を噴く銃声と、それにも勝る悲鳴であった。
一斉に射撃された小銃はその何匹かは破壊したが、ほとんど数は減らせていない。
素早い動き、これに逃げながら照準を合わせるなど不可能に近かった。
「退避だ! 一旦引け!!」
と、そんな指示を待つまでもなく、公安職員も一般人も一斉に駆けだした。
迫り来る巨大蚊の集団。
その一匹が職員の体に口を突き刺した。
「うわぁあああああ!!」
どくどくと吸引される体液。
デスモスキートの腹がみるみる内に膨れ上がっていく。同時に、体内の水分を血液から何もかも奪われていく人間。皮膚がガサガサに、骨の輪郭がくっきりと浮かび上がり、まだ十分に若いはずである顔だちは、いつの間にか老人を通りこしてミイラのような顔貌だ。
その被害は続く。
もともと老けた男性も、また20代くらいの若い女性も、この巨大な蚊に刺されたならば、あっという間に水分を奪われ、男とも女ともつかぬ、年齢不詳のミイラとなって絶命した。
次々にやられる隊員と一般人。
銃の弾は偶然に当たることもあったが、その命中率はゼロに等しい。
もはやここまでか。
そう思った矢先。
この恐怖の羽音を掻き消すが如く、聞きなれたあの音が遠方より伝わったてきた。
巡視車両の甲高い咆哮。
どこからともなく響き渡るサイレン。
赤色回転灯が、この暗闇に光を放った。
その赤色は救済の赤だ。
地元公安が巡視車両で応援に来たのだろうか。
だが、駄目だ。
結局公安隊ではメガ級地底害虫には歯が立たない。
だからと言って、車内に逃げ込もうとすれば、やつらも一緒に侵入しかねない。
助けに来ては駄目だ。
「来るなあああ!!」
警ら隊、隊長が叫ぶ。
しかしその身振りを無視するかのように、巡視車両は増々速度を上げてくる。
これは勇敢な行動とは言わない。ただ愚かなだけだ。
「馬鹿野郎が!!」
やがて、彼らの目の前で急停車する巡視車両。
その運転席から姿を現したのは、女だ。
そして、どう見てもその恰好は公安隊職員ではない。
作業服に様々な装備をぶら下げて、どこかで見た事のあるような服装だ。
「どきなさい。」
彼女が構えた、その両手には拳銃。
引き込まれるトリガーは連続に、何発もの弾丸が発射された。
光る女の両眼は、赤。
二丁の拳銃はあっと言う間にデスモスキートを数匹撃墜。
その残弾が無くなったかと思うと、女は即座に拳銃を投げ捨て、そして何をしだすかと思えば、飛び上がる。
女の短い茶髪が後方になびいた。
天井を蹴り返し、ふわふわ飛翔するデスモスキートに対し、強烈な蹴り。たちまち一匹が粉砕。
続く手刀で二匹目を両断し、さらに次の蚊の攻撃を回避すると、壁面を走りながら三匹目を拳で撃破。
その姿は、まるで獲物を追う肉食獣だった。
すでにデスモスキートは半数以上が拳銃と素手によって撃墜された。
そして最後に出す武器は。
両手に、短いピッケルだ。
彼女はそれを構えると、回転しつつ蚊の群れに降下。
一気に複数体のデスモスキートを破壊していった。
地面に着地。
もはや次に襲い来る蚊はいなかった。
「き、君は……。」
振り返る女。
闇に灯った赤い両眼は、獲物がいなくなったこと悟ると、静かに光を消退させた。
「地元の警ら隊ね、何やってんのよアンタたち。」
「これは……、いや、作戦の内容は極秘だ。」
「あっそ。どうせ皆殺しとか、なんでしょ。」
女はそう言いながらに、両手のピッケルを背中のホルダーに収納した。
一体何者だと言うのだろうか。
「なんでそのことを!? って顔してるわね。わかるっつーのよ、連中の考えそうな事くらい。」
そして女は、隊長の目の前まで颯爽と歩いて詰め寄った。
勢いをそのままに、突き出された彼女の右手は隊長の胸ぐらを捕まえた。
「だからこんなに腹が立ってんのよ! 見てわかんないかしらねぇ。」
突然怒り出す。
と思った途端、隊長を壁に向かって投げ飛ばした。
「いい? あの司令官に会ったら伝えておきなさい。なんでも自分の思い通りになると思ったら大間違いだってね。それだけよ。」
彼女はそれだけ言い残すと、再び巡視車両に乗車して、エンジンを掛けると荒々しハンドルで地下道を駆け抜けて行った。
「な、なんだったんだ、彼女は……。」
一命をとりとめた隊長と、その他隊員及び一般人の数名。
この後、彼らがその命の恩人の名を知らされることは無かった。
龍蔵寺沙紀は、更に地底を目指して先を急ぐ。
「ふふふふっ、ジュンシロウ、ジュンシロウ。うふふふふふふふっ。」
ちょっと大きくなった中高生ルニアは、潤史朗にまとわりつく。
「ね、ねえ。その体が大きくなるのって、どういう仕組み?」
「うん? ルニアわかんない。」
と、彼女は笑いながらに小さく首を傾けた。
幸い、Dr.ニュートロンの用意した伸縮自在の耐衝撃スーツを身に着けているお陰で、服が悲惨なことにはならず済んでいるが、いい具合に成長した体のラインがくっきりとスーツに浮かびあがっており、正直、目のやり場に困った。
しかしながら、ルニアのくっつきようときたら小さいバージョンと変わらずだ。
取り敢えず、ちょっと、待ってくれ。
「らーめん美味しい!! 世界にはこんなに美味しいものが存在しているのね!?」
「そ、そうだね。うん。」
ずるずるとラーメンを啜るルニア。
箸を使い慣れていないため、プラスチックのフォークを使用するが。
「ジュンシロウ、はい、あ~ん。」
それですくって、こちらに突き出した。
「なにそれ。」
「あ~ん。」
「ちょい、どこでそんなん覚えたよ。」
「ドクターママ。」
「くそ。」
「あ~~ん。」
「ラーメンでやるかい。」
「あ~~~ん。」
「やらないよ? うん。いや、だからやらないよ?」
と。
そのとき背後で、鉄のコンテナが捻じ切れる音がした。というか捻じ切れた。
「あ~~~~ん。」
「は、はい。頂きます。」
なんて強敵だ。
こいつは確かに、クガマルの言う通りバケモンだ。
「うふふふっ。」
この無邪気な感じが更に悪い。凶悪。
「らーめん、おいしいね。ジュンシロウ。」
「そ、そだね。ルニアさん。」
まぁ笑顔は良い事だ。
出会った時はあまりこんな表情も見られなかったし。
変にペースを持っていかれるのは苦手だけれど、これはこれでよしとしよう。
「ふぁ~~あ。ルニア、ちょっとネムイかも。ジュンシロウ。」
そう言う彼女は、膝の上にころんと横になる。
とても寝心地がいいとは思えない金属の膝だが、とても気分が良さそうだ。
嬉しそうな笑顔でこちらを向く。
これに返す表情は、少し悩んだ。
「おう、お取込み中悪りぃがよ。ジュンシロー。」
「ん!? いや全然全然とりこんでませんがねえ、はい。んで何でしょうかね。」
「何慌ててんだ。」
「はははははは、この僕が慌ててる!? んな馬鹿な。」
「安心しろジュンシロー、今のルニアならギリギリセーフだ。」
「いや何が。」
「冗談だ。真に受けんなよ。犯罪だぜ。」
「だから何が。」
「それで、ぶっ壊れたオメエの腕の件だが。」
「はい何でしょうか。」
次なる行動の為、機材の整備と物資の集積を図る中。
クガマルは戦闘跡の一帯から、エラーによって自損した腕を持ってきた。
「故障の原因はこれだ。絶縁体が入ってる。この位置が微妙に悪さしてたんだ。」
「なんでこんな部品が?」
「さぁ、知ら……、いや……。思い当たらねえこともないが。」
「どした?」
「一旦修理するぞ。キックで壊した右足はどうにもならねえが、左腕は単に噛み合わせが駄目なだけだ。」
「いいけど、直す意味ある?」
「あるかもしれねえ。」
「ふむ。」
さて、次なる戦いは近い。
装備を整えて、来るべき決戦に備えなければならなのだ。
「あの、ルニアさん。そろそろ離れて頂けると助かるんですが。」
と、膝の上に頭をのっけるルニアに言った。
このサイズの女の子となると、ましてやこんな、ファンタジーの世界から飛び出してきたような女の子がこの距離に。
心臓に悪い。
「うふふふ、だめだよ。だってルニアまだ満足してないもん。ジュンシロエナジーほじゅうちゅうだよ?」
「それは誰に教わって?」
「ドクターママ。」
「くっそ。」
「うふふふふ。」
この妖精め。
別に構わないんだが。
とにかく慣れない。
「うふふ。ジュンシロウ。」