第48話 封鎖区画ー1
「本作戦指揮は、わたくし嵯戸中尉が一任されました。」
高度通信車にて、嵯戸はマイクを片手に落ち着いた口調で喋った。
「既に4900以下を封鎖致しました。皆さんは事前命令通り、徹底した排除活動をお願いします。それでは健闘を祈ります。」
マイクを無線機材の場所に引っ掛けて戻す。
ゴキゲーターを発見した以上、やるべきことはただ一つ。実力をもってそれらを殲滅するのみだ。
ここにあるものは、つい先日にロールアウトされた新兵器。ゴキゲーターなど恐るるに足らず。
異常事態の原因究明などは後回し。まずは目の前の敵に対して、行動に取り掛かるのが先決である。
問題ない。これはすぐにも解決されるだろう。
新兵器とそれを扱う精鋭たち、正に鬼に金棒だ。これに対して不安を持てと言う方が、むしろ失礼という話である。
氷を浮かべるアイスコーヒー。
グラスの汗が机に垂れた。
「嵯戸中尉。全機異状なく発進致しました。通信状態にあっても異状ありません。各機目標エリアに向かい侵攻中です。」
横で機材の操作を行いながら、モニターを注視するレイシアが言った。
「よろしい。皆さん励んでいますね。任務に忠実なのはいいことです。」
「はい。しかし嵯戸中尉、害虫は一体何処から侵入を果たしたのでしょうか。」
「ふむ。さぁ、どうでしょうね。」
氷が音を立てカラリと回った。
嵯戸は足を組み直す。
「レイシアさん。それは今一番重要な事でしょうか。」
「?」
「違いますね。まずは目の前に訪れた障害に対応するのが先です。突入作戦でも同じでしょう? まずは脅威の排除。それが出来なければ次のステップには進めません。」
「はい。」
嵯戸はそう言いうと少し間を置いて眼鏡を触った。
「司令は、作戦の全てをこの私に任されました。」
「中尉に期待をされているのです。」
「失敗は許されません。司令が私に対して求めるのは、決して妥協のない徹底的な作戦遂行。今までもそうであったように、今回も、そしてこれからもそうでしょう。それが私が中隊長である理由です。」
この男、嵯戸という幹部隊員が指揮を執るということには、一つ大きな意味があると言っていいだろう。
それは本人が言った通り。
妥協なく、徹底した作戦の遂行だ。
公の治安を守るという事は決して簡単な事ではない。
それは時として非常に辛い選択を迫られる時もあるだろう。しかし、その判断を迷っているようでは守るべきものを守れない、躊躇するような事があってはならないのだ。
正義とは綺麗ごとでは成し得ない。
その全ては、法に基づく大義と、それによって得た最終的な結果にのみ構成されるのだ。
つまり、正義とはすなわち結果であり、また結果そのものと言える。
結果という任務における、その最適任者として選ばれたのが嵯戸という男であった。
司令という存在が彼に期待するところは、そういった面に尽きる。逆にそれ以外の能力で秀でる者がいたとして、然るべき結果を出せないようでは組織を率いるリーダーとしては失格だ。
そして、嵯戸には間違いのない実績が伴う。
今回の件も彼ならば上手くやるだろうと。
「嵯戸中尉。3号機から生命体反応を感知と連絡が。指示を仰いでいるようです。」
「やりなさい。」
「そのように伝えます。」
地下4900メートル地帯。
かくして、その封鎖区画に解き放たれたの狩人たち。
敵が一体何であれ、このハンターは手加減知らず。発見すれば直ちにこれを撃滅する。
守るべきは正義のため。今、向かうべき対象のもとへと地を鳴らす。
「いいですね。どんどんやってしまいなさい、ふふふ。ゴキブリなどもはや我々の敵ではありません。」
笑う嵯戸と無言のレイシア。
「ふふふ。実は私、コーヒーはホットよりもアイスが好みなのです。」
「存じておりす。」
「作戦は?」
「順調です。」
「ふふふふふ。よろしい。」
結果とは正義であり、また公安そのものである。
今、封鎖区画で起きている事態は、ただの正義なのであった。
「んふ。」
いつもは開いている筈のゲートである。
平時は特に閉じる必要性もなく、気を付けて見なければこれがゲートであること自体わからないだろう。
しかし、例えばガスの漏洩、火災、化学テロ、そんな場合にこのゲート、ちょっと分厚いシャッターであるのだが、そのような時にのみ閉鎖される。
それでもって今、見事にそれが降りているわけだ。
現地点は丁度地下4900メートル地帯に入ろうとする場所である。
この向こうで一体何が起こっているのかと言われれば、まさしく大変な事態が起きているのだろう。
そうでなければ、こんなにも人は集まらない。
ゲートの前では武装した公安隊員が構えていた。
バリケードを設置しシールドを立てる。
少し距離を置いて群衆がそれを囲っていた。
みな、向こう側に行けないと生活に支障が出る者、また向こう側から来る人間の帰りを待つ者ばかりだ。
彼らは決して反社会的集団などではない。
ただ普通の、ゲートの向こうに用があるだけの一般人だった。
口々に文句を呟いて、何の正当性なく突然に閉鎖したことに憤慨した。
それも当然だろう。
みな普通に用事があるのだから。
と、そんなところに突っ込んでくるのは厳つい四駆自動車が一台。
蜂を思わせる配色を纏い、けたたましいサイレンで群衆を散らした。
容赦ない進入スピードは人を轢き兼ねない勢いであったが、逃げる人間を転倒させながらもギリギリのところで接触しない。
――オラオラオラ、どけぇええええい!! オレが通るってんだぁあああ!! どかねえ奴は轢きころーっす。ぎゃーっはっはははははははは。」
外部マイクからは賊と言わんばかりの乱暴な声。
一体何なのか。
地衛局の新型自動車、高機動殺虫車である。
高機動殺虫車は人の群れを抜けると、そのままバリケードを吹きとばしてゲートの目前で急停車した。
公安隊員らが立ちはだかる。
両手に小銃を構え、その先端を車両に向ける。
「動くな。両手を挙げ、車から降りろ。」
公安隊の命令に、搭乗者は普通にドアを開けた。
すると同時に飛び出す謎の虫。
それはブン飛び立ち、隊員を一瞬後ろに退かす。
「あ? なにいってんだオメエ。」
「な、なんだこれは!? ドローン!?」
「手か? ほら上げたぞ。これで満足か? お?」
「クガマル、そうやって人をからかうのはよくないよ。」
そう言いながら高機動殺虫車から降りる青年。
黒い作業服に各種装備を着装し、頭の横にはアクションカメラ。
潤史朗である。
「地下衛生管理局中日本支部情報課所属、志賀潤史朗です。そしてこちらはAIドローンのクガマル。現場の状況を確認に来ました。」
「なるほど、地衛局か。申し訳ないが既に現場は我々公安隊が封鎖した。下で行われている作戦は非公開である。我々が話すことは一切ない。」
妙に高圧的な対応は、いかにも公安らしい感じだが、それを地衛局に向けてくるとは珍しい。
いつもは5000以下で助けられている割りにはデカい態度だ。
「そうか、じゃあ自分で見に行くよ。」
と、一歩前に進み出る潤史朗。
「動くな!」
公安隊員は、構えた銃を下ろす気は無さそうだ。
「これより先は、誰であろうと立ち入り禁止だ。」
「ジュンシロ―、こうなったら強行突破あるのみだぜぃ、ぎゃははははっ。いいよなぁ? コイツ殺しても。どうせ大したことのねえ命だ。」
「バイオレンスは却下。」
「ぎゃはははははは。なぁアンタァ。どかねえとプッチンいったるぜぃ、おう。」
クガマルは、銃を向ける隊員の目の前へ。
大顎を左右に開閉し、隊員の顔にゆっくりと迫った。
「う、撃つぞ。」
震える銃口。
「ほおお。撃ってみろ。おもしれえ。」
クガマルの目が、赤くチカチカ点滅した。
言われも知れぬなぞの圧迫感。
こいつはただのドローンだ。しかし直感的に伝わる謎の凄みが、これに逆らう勇気を鈍らせた、
「クガマル、やめるんだ。意味がないでしょ。」
「あ? オメエの言う通り、血を流さない説得を試みてんだろうが。そうじゃなかったら今頃クビがちょんぱってんぞ。」
「ちょんぱってる? いやいや穏やかにいこうよ。」
「面倒くせえな。」
「知ってるかい? 北風と太陽の話を。まあここは僕に任せて。」
そう言う潤史朗は、向けられた銃を気にもせず、その筒先に歩いて出た。
「と、止まれ! 動くなと言っている。」
「君は、地元の公安隊員だね。」
「それがなんだ。」
「この先で好き勝手やっているのはアサルト・ゼロ、だよね? いやあ、他所からやってきた訳の分からん連中に使いぱしらされて、そりゃ同情するさ。」
「き、貴様……なぜそれを。」
「ああ、ごめん。アサルト・ゼロが行動中ってのは内緒だったかな。ごめんごめん。でもさ、どうよ? 実際さぁ。普段自分たちが命がけで守ってる地元によ? 突然現れた最強部隊がいいとこどり。それでこんな脇で地味な役回りを押し付けられるんだ。もし僕なら、そりゃ嫌だね。どうよ、クガマルさんや。」
「おう、オレが公安隊ならアサルト・ゼロと戦争だな。」
「でも組織で働く以上、上の命令は絶対だし。いやだねぇ公務員ってのは。」
その言葉に無言の公安隊員。
思うところがあったのか無かったのか、目出し帽からは表情は読み取れないが、顔を隠していなくとも、多分表情は変わらない。
ただ、隊員としてではない、この男自身の胸は知る由もないのである。
「通す気になった?」
「引き返せ。さもなくば撃つ。」
「殺せジュンシロ―。」
「みんな好き勝手ばっかだな、もう。」
「しかし。」
潤史朗は、何やら作業服のポケットをごそごそ漁り出した。
「我が同胞よ。」
またしても近づく潤史朗は、その肩にぽんと手を置いた。
まるで男が発砲しないのを知っているような余裕である。
だが、実際彼は引き金を引かない。
「これは茶番である。僕は身分を隠し、こうしてゲート付近の巡回に寄ったのだ。」
隊員は、何か言い返そうと口を動かすが、それよりも先に彼の目の前には素早くカードが掲げられた。
これは紛れもなく、アサルト・ゼロの隊員証であった。
「ば、ばかな。事前連絡は受けてない。」
「そういう勝手放題やる部隊なのは良くご存じでしょ。」
その間、ブンと飛行したクガマルは男の背後に素早くまわる。
そして再び大きく開かれた大顎は、すっと彼の首筋に立てられた。
彼の耳元で、クガマルはそっと囁く。
「ごちゃごちゃぬかしてんじゃねえ。オメエが地下の危機にできるこた何だ? 少しでも地元の意地があんならオレ達を通してみせろ。こいつの隊員証を見な、お膳立てはこれで十分だろうが。それとも真偽を疑うか?」
「ほ、ほんものだよ。僕ほんもののアサルト・ゼロ。」
徐々に狭まるクガマルの顎ペンチ。
男の首に汗が伝った。
「心配すんなぁ。嵯戸の野郎にゃ話はついてんだ。むしろ通さなきゃオメエが命令違反だぁ。ぎゃははははははは。」
その最後の一言が決定的であったのだろう。
アサルト・ゼロの隊員でなければ嵯戸のことは知らないはず。
ゲートを警戒していた隊員は、彼らと高機動殺虫車を内部に招き入れた。
恐怖と意地と確かな理由が、地元公安隊員を味方につける。
ちなみに隊員証はもちろん期限切れだ。
「ちょれえなぁ。ぎゃははははは。」
「どうだい、見事な心理作戦だっただろう? 僕こそが童話の太陽に相応しい。いいかい? 交渉ってのはこうするもんなのさっ。」
「んあ? いやオレのお陰だろ。最後のとどめがなきゃ駄目だった。」
「はぁ? いやいや、結局あんなん脅迫じゃないか。そうやってすぐ暴力をちらつかせて、なんて邪悪な虫だ。」
「オメエ、自分で心理戦を否定してんじゃねえか。」
「まぁ総合的な結果である。ただ心理戦の要素は大きかった。つまるところ北風も太陽も豊かな自然の恵みなのだよ。」
「なんでもいいがな。とにかく作戦本部を目指せ。」
こうして、地下4900メートル地帯へと進入を果たした高機動殺虫車。
地下5000以下とは異なる感じ。当然と言えば当然だが、普段ここには一般の人間が生活し労働の場として機能を果たす生きた地下空間なのだ。5000以下とは根本的に違う。道路は整備され、電灯は明るく先を示した。
しかし、だからというべきなのか。
むしろ不気味である。
5000以下と比較すれば、こんなにも整った場所であるにも関わらず。
人の気配がない。
快走する殺虫車。
その道を阻むものは何もない。
いいのだろうか、こんなにも簡単に前進できて。
「……ジュンシロー。」
「おかしいね。」
「ゴキだと思うか?」
「何とも。」
「中隊長は多分、嵯戸だろう。だとしたらやることはお決まりだ。」
「さど?」
「ああ、オメエは知らねえな。」
「!? ちょっと止まるよ。」
不意にブレーキを踏んだ潤史朗。
殺虫車の正面、その眩しいヘッドライトは人の影を道路に映した。
路上で寝転ぶ人間。
確かに4900地帯は整備されているとはいえ、それは5000以下に比べての話。
圧倒的に荒んでいるこのエリアに、浮浪者や薬物中毒者がごろごろしていようと何ら不思議ではない。
例えそれが道のど真ん中だったとしても、全く珍しい光景ではなかった。
だが。
それでも様子がおかしい。
その付近には、怪しい水溜りが広がっている。
「踏んでけ。」
「そのジョークはNG。」
運転席をから体をよじって後部に移動。
殺虫車のキャビンには必要な装備が既に積載積みである。
殺虫薬剤MEGA―KILLER、その充填ボンベは合計8本。して内一本は既にハーネス固定済みだ。
潤史朗は、そのボンベを背中に背負うと続いて防護マスクを着装する。
「圧力ゲージよし、マスク密着よし。」
放射ノズルを携えて、四方を警戒しつつ車外へと。
周辺に脅威なし。
倒れる人間へと接触を試みた。
これが泥酔や薬中だったら、むしろその方がいい。
だが、周辺に広がる液体はどう見ても血でしかない。
怪虫による人的被害。
食い止めることは出来なかったか。
「大丈夫ですか?」
しかし。
仮にゴキゲーターだったとして。
なぜ。
捕食されていないのか。
だが、そんな疑問は間もなく消え失せた。
うつ伏せの人間を上に向ける。
胸に空いた大きな穴が複数。
創部一帯は、赤黒い液で滅茶苦茶な状況だ。
「これは……。銃弾。」
「ご愁傷さまだぜ。ぎゃはははははははははは。」




