第46話 戦場通り
偵察警戒に出たアサルト・ゼロ、アルファ中隊の隊員2名が行く。
向かった先は旧戦闘街の一画だ。
一口に旧戦闘街と言っても、ここ一帯にはそれに該当する場所なんて山とある。
しかし中でも、ここは最も戦闘の傷跡が深いメインストリート。俗に戦場通りと呼ばれていた。
直線道路の左右からは、爆発で吹き飛ばされた建物が崩れかかっており、この通りを車で通過するには厳しい状況である。
空間自体は広くとも、照らす明かりはほんの僅か。
生き残った街灯がたったの数本だけ、それ自体の足元を薄暗く照らしているだけだ。
そういう訳で、戦場通りは夜よりも暗い。その暗さも相まって、ここは道路と言うよりは道路の死骸である。
しかし、その瓦礫を越えていく隊員らにとっては、たとえ街灯の光がほんの僅かであっとしても、それは何ら問題にはならなかった。
彼らが装備するものは、ヘルメットから下がっている暗視バイザー。
これさえあれば見ている視界は昼間と同じ。
二人は、それぞれ小銃を両手に構え、暗闇の中を淡々と進んで行った。
「さっきの振動は?」
片方の隊員は静かな声で言った。
「わからん。何者かの破壊活動による可能性もあるだろう。」
潜伏している過激派が起こした騒動なのか。
そいつらは一向に姿を見せる気配はないが、この闇に紛れて一体何を企んでいるのか。
この暗視バイザーさえあれば、どんなに周囲が暗かろうとネズミ一匹見逃すことはない。
なのに何故、こうも胸騒ぎが収まらないのだろう。
装備も戦術知識も、何から何まで最高峰。流石に地の利はテロリストにあるが、それでも連中はこの闇を克服できない。
圧倒的優位なのは自分たちだ。
だが。
脈の拍動がやたらと急かす。
恐ろしい程の静寂。
まるでこの場所は、地下5000以下の気を感じさせる。
そんな不気味さが目に見えそうなほど、この閉鎖空間を漂っていた。
何か、起こっているのだろう。
「嫌な予感がします。」
「俺もだ。気を付けろ。」
「了解。」
小銃は、引き金一つでいつでも発砲可能。
前後左右、そして上方までもを警戒しつつ、二人の隊員は戦場通りを前に進んだ。
聞こえる。
誰かの悲鳴が、暗闇の中を木霊した。
二人は顔を見合わせる。
この地下道では、音の発生源を特定するのは非常に難しい。
音は四方に反響し、右から、左から、後ろから、宙空を自由に泳ぎ回った。
隊員同士に背中を向かい合わせ、それぞれ持った小銃を目線の近くに引き寄せる。
どこだ。
探す、悲鳴のありか。
間もなくその声は闇のなかに消えて行き、再び静寂が訪れた。
何かが、起きたのか。
暗視バイザーで、この闇の中見えないものなど何もないはずだ。
だが。
結局何も見ることは叶わない。その奥に何が待っているのか、その実態を把握できなければ予想さえもつかない現状だ。
しかし、その為の偵察任務とも言いえる。
何かしらの情報を持ちかえらねば、簡単なおつかいすらも出来ない役立たずだ。
アサルト・ゼロがそれでいいのか。
無論、いいはずがないだろう。
「仕方ない、二手に分かれよう。」
「わかった。」
「いいか、決して無茶はするな。悲鳴のありかを発見次第、まず撤退し報告することを第一としろ。いいな。」
「了解。」
「よし。俺は右、お前は左。行くぞ。」
片方は右手側建築物へ、もう一人は反対の建築物へと進入を開始した。
入って行くのは集合住宅。人が住んでるのかも怪しく、廃墟にも等しい荒廃だ。
しかし確かな生活感もそこにある。
集合住宅と言うよりは、廃墟に浮浪者が住み着いているような感じだろう。
どうせ水も電気も来てはいない。
階段の踊り場で人を発見した。
ハエが飛び回っているそれは生きているかも不明だが、死臭と言うよりは普通に臭い。衛生状態は最悪である。
「今のところ、異常は……。」
そう思いかけた時であった。
トランシーバーのスピーカーより、人間の叫び、のような音がする。
――んぅあわぁあああっ、た、だすげぇで。
無線はそこで途絶えた。
「おい、どうした? 応答しろ。」
それ以上は無駄である。
死んだ。
そう考えていいだろう。
こんな状況でも冷静でいられるのは日ごろの精神鍛錬の成果だろうか。
しかし、これほどの危機的状況は未体験の領域だ。
今こそ全神経を最大限に高め、最高の仕事をする時だ。
我々はアサルト・ゼロ。
求められるものは、最強に相応しい結果のみ。
道向かいの建物に移動し、そちらでもまた探索活動に入る。
つんと鼻につくこの刺激は血液の臭いと判断していいだろう。
ここだ。
ばらばらに破壊された扉がそこに。
壁に背を預け、ゆっくりと中を覗きこむ。
一体何が、この奥にあると言うのだろうか。
右手は腰のホルスターに。
掴んだものは閃光グレネード。
ピンを引き抜き、素早く部屋の内部へと投げ込んだ。
暗視バイザーの電源を切って両目を閉じる。
光の爆弾が、凄まじい光量を弾けさす。
白い激光が部屋の中から漏れ出した。
そして爆発と同時に、小銃を構えて内部へ進入。
内部からの射撃はない。
恐ろしい程に静まりかえっている。
光が完全に止んだ。
荒らされた部屋の中は。
赤黒い液体でべっとり濡れる。
戦闘ブーツがぐちゃぐちゃと、床と接して音を鳴らした。
「いるのか?」
返事はない。
この血液も、まだ新しいものだろう。
そうして内部を探索していると、何か固いものを足で蹴飛ばした。
それは丸く、ブーツにぶつかると少しばかり転がった。
金魚鉢でも当たったか。
小銃に付いたフラッシュライトで床を照らす。
毛で覆われた?
丸い?
屈んでそれを右手で取った。
それは赤色でびっしょりの球体。球に空いた2つの穴からは、白いゴルフボール程度の玉が、ぶらんぶらんと垂れさがっている。
先程まで一緒にいた男の眼球だ。
眼球は瞳が大きくぎょろっと開き、赤の球体から細く繋がっている。
両手に掴んだ歪な赤い球体。
人間の頭だ。
首の切断面は非常に荒い。
また、破損した頭蓋からは、崩れた脳実質が噴き出した。
隊員は無言であった。
問題となるのは、これのより下の部分である。
フラッシュライトを照射するも、首から下の胴体が床のどこにも見当たらない。
この短時間でこの被害、テロリストに可能だろうか。
隊員は、ちぎれた頭蓋を床に置いた。
予想に反した何かがいるのだ。
と、そう思った矢先に外部にて異音。
崩落したコンクリートでも揺すり動いたか。
隊員は急いで外へと走る。
集合住宅4階から戦場通りを見下ろした。
そこで見た光景。
男は一瞬、自宅で見た事のあるそいつの姿が、目の前の情景のものと重なった。
家のキッチン。
そこによくいるやつだ。
4階から見下ろすそいつは正にそれ。
だがなぜだ?
一体なにが?
ここは、5000メートルより上のはず。そうに間違いない。
なのになぜ、その生き物がここにいるのだ。
ありえない。
そう思いたい。
だがいる。
決してあってはいけない場所に、その存在が存在している。
これは。
まずい。
疑問以前に、最悪にまずい。
男は銃よりも先に、無線機のマイクを手に取った。
「偵察隊から作戦本部。区画353にて、ゴキゲーターを確認。至急応援をされたし。」
口調がいつもより早くなるのを感じた。
冷静を取り繕おうとも、内心の焦りが抑えきれない。
そして無線で送信したその直後、眼下のゴキブリは颯爽と走り去った。
そのスピードときたら、車でも追いきれない程の速さである。
ましてここは不整地。
あんなものに追われた暁には……。
「なぜ、怪虫がこんなところに。」
決してあり得てはいけないその一線を、奴は突破している。
今ほど、悪い夢から覚めたいと思った事は今までない。
これが一体何を意味するのか。
機密以前に、今の我々には安全な場所がないという事なのだ。
高鳴った心臓が依然として落ち着かない。
死の恐怖に触れられて、今でも絶えず胸をどんどん叩いていた。
やはり穴が開いているのか。
今こそ冷静に。
わかっている。迅速な対処が必要だ。
幸い発見したのは一体のみ。それさえ何とか殺せれば、一度体勢を整えて穴なり何なり対応できる。
「えー、偵察隊から本部。発見したゴキゲーターは逃走。逃走方向にあっては……。」
無線で、そう言いかけた時だった。
上方より何らかの音。
集合住宅4階から乗り出して見上げた。
壁を。
走って降下するゴキゲーターが目の前に。
衝突。
叫ぶ間もない。
4階から突き落とされた。
その衝撃が全身を伝う。
しかし纏ったプロテクターの恩恵か、転落で意識を失うことはなかった。
だがそんな場合じゃない。
体が地面に接すると、両足が2本とも離れており、それらは別々に落ちてきた。
そしてシャワーのように降りかかるのは紛れもなく自身の体液である。
ぎょっと。
する間もなく。
続いて。
ゴキゲーターが壁を這って垂直に降下。
こちらに向かってくる。
両足を失った隊員は、地面に寝そべったまま、向かい来るゴキブリに小銃を向ける。
反射的に引かれるトリガー。
小銃は炎を上げて叫びたった。
そして、全ては静寂にかえる。
「馬鹿な!!」
作戦ボードを叩く嵯戸。
マグネットがはずんで落ちた。
「5000より上でゴキゲーターを発見しただと!? 一体誰がそんな事をいうのです!」
「偵察に向かったものからの連絡です。」
横に控えたレイシアが言った。
「ありえません。」
ボードに手をつく、その両肩は震えていた。
それもそうだろう。こんな事態は前代未聞、隔離都市構想を根本から揺るがしかねない、とんでもない状況だ。
何も知らない一般市民の居住区に、獰猛な巨大ゴキブリが紛れ込んでいる。
「アサルト・ゼロの隊員は誰しもが人間史上最強に近い精鋭集団です。報告は確定的な情報として判断してよろしいかと思います。」
「なるほど。」
嵯戸は両手で頭を掻き上げた。
そして、次の瞬間には笑い出す。
「ふふふふふ、なるほどなるほど。ふふふ。そういうことですね。いいでしょう。きっと司令はこのような状況をお望みでしたのでしょう。」
笑う嵯戸は作戦本部のテントから、その幕を華麗に払って歩き出た。
「見せてやりましょうよレイシアさん。我々アサルト・ゼロの実力を。」
テントを出た先には、ずらりと並んだ機動輸送車が控える。
「アレを、起動してください。」
「了解。」
全車両への命令伝達。
それにより、機動輸送車は荷台コンテナ部分を展開する。
甲高いモーター音を鳴らせながらにゆっくりと。
しばらくして、コンテナの隙間から影を見せるのは機械仕掛けの足である。
一体につきそれぞれ6本。
その黒い六脚が、力強く地面を捉えていた。
今、アサルト・ゼロの秘密兵器が発動する。
一方その頃、地上の市民はそんな事を知る由もない。
いつもと何ら変わらぬ週末だ。
しかし、それは一部の人間達を除く。
彼らはその異変をいち早く感知して、あるべき体勢へと速やかに移行がなされるのであった。
公安隊特務技研中央開発部。
その研究室の一室では、なにやらモヒカンの白衣が忙しない。
先程、地衛局から受けた連絡を皮切りに、こちらも作業が急ピッチで進められていた。
「やだもう、忙しいったらありゃしないわ。」
横にぼんやりと突っ立つ銀髪の少女を尻目に、Dr.ニュートロンは研究室を右へ左へと動き回る。
実験用にと、謎の戦闘服を着せられたルニア。
体にフィットしたそれは、こう見えても伸縮自在の耐衝撃スーツ。将来的にはアサルト・ゼロに配備されるものだが、現状はまだまだ試作段階。
「ニュートロウ、ジュンシロウマダ?」
「ああ、もういまそれどころじゃないのよルニアちゃん。ちょっとそれは後よ後。っていうかニュートロウって何よ。潤史朗と混ざってるわよ。」
「ムゥ……。」
「いま地下の方が大変だから、きっと潤史朗ちゃんも地下に潜るわ。」
「ルニアモ、イク。」
「駄目よ。」
ドクターは、ルニアの前でピタリと止まると彼女の前に顔を近づけた。
「あなたはまだ不安定だから外出は駄目よ。おとなしくお留守番してなさい。いいわね。」
「ムゥ。」
「お返事は?」
「ルニア、ワカッタ。」
「いい子。」
そう言って国籍不明のモヒカン白衣は、ルニアの頭にポンと手をのせた。
「ムゥ。」
そうしてまたドクターは忙しさに戻る。
「中日本支部から頼まれてる車両があるのよね。早急に納品しないと状況的にまずいのよ。」
ドクターは研究室の引き出しから車のキーを発見すると、それを一旦作業机の上に乗せた。
「あったわ。鍵。っと、その前におトイレ済ませちゃいましょっと。」
鍵を机に、ドクター研究室を出て行った。
取り残されるルニア。
先程撫でられた頭を触れる。
「ジュンシロウノ、テ、チガウ……。」
ふと、彼女は作業台の方に目をやる。
置いて行った物は車の鍵らしきものと、そしてその向こうには……。
銀色に、まだ塗装がなされていな機械が横たわる。
「……、テ。」
「あー。いそがし、いそがし。それじゃ行ってくるから。いい子にしてるのよ、ルニアちゃん。」
「ン。」
鍵だけを持って飛び出すドクター。
もう一度、ルニアは作業台の方を振り返る。
「……テ、アシ。」
そして今度はドクターの後ろを眺める。
「ジュンシロウ、チカ、モグル。」
車庫の方で、車のエンジン音が聞こえた。
「……ルスバン。」
「ムゥ……。」
 




