第45話 ファミレスー2
そんなこんなで彼らの時間は過ぎて去る。
イケメン兄貴を一目見るとういう、当初の目的はどこへやら。
二人の共通の話題である夏子。
その題目から、潤史朗とユキナは尽きない話題をいくらでも引っ張りだしてきた。
当の夏子を横に置いて。
「ははは、そうなんですよ。なっこったらサークル誘っても全然ダメなんですよ~。」
「へえ。なんかやればいいのに、夏子。」
「別に。サークル活動とか興味ないし。」
「そりゃ残念。」
先程から地味にふて腐れているのか。
夏子はストローを加えてそっぽを向く。
「も~、なっこちん、さっきからな~に拗ねてんのさ~。かわいいなぁ~もう。」
「は? どうしたらそう見えるの?」
「どう見てもだよ。ほら、ストローの袋で芋虫作ったりなんかして。」
思っていたのと違う。
それは、まぁいい。
ただ、潤史朗が外の人間と仲良くしているところを見るのは初めてで、別にだからどうという事もないのだが。その光景は少し新鮮で、こうも違って見えるのかと。
二人きりから始まった少し変わった兄妹の関係も4年も経てば状況は変わってくる。
当然と言われればその通りだ。
生きている限り人の輪はどんどん広がって行くものだし、そうでないと困るだろう。
兄も職場に行けば自分の知らない人間関係が沢山あり、自分だってそうなのだ。
ただそれを間近に見て少し困惑してしまったのだろうか。
そんな事を思いながら窓の外をぼんやりと眺める。
いつもと変わらぬ街並みと、向こうの方には通っている大学が見えた。
ふとその時、バイクに乗るときに兄から預けられたリュックサック、それを自分の座った横に置いてあったのだが、それが何故か微妙に動いたと思うのは気のせいか。
視線を落として注目した。
まさか、動くなんて。
「……、え?」
リュックサックが、自分の見ている目の前で、もそもそ移動している。
「なにこれ。」
その様子に気が付いたのか、兄がこちらの方を見る。
「夏子どした?」
「え、なんかリュックが……。」
「ん? ああ。」
兄は少し乗り出すと自分の横に置いてあった黒いリュックをひょいと持ち上げた。
「悪い、ちょっと席外すわ。」
そう言ってリュックサックと共に立ち去る兄はトイレの方へ。
席には自分とユキナのみが残された。
ようやくこれで、少しは落ち着くか。
「ふう。」
「良いお兄さんじゃん、なっこ兄。」
「あれは完全に猫被ってる。騙されちゃ駄目だよユキナ。」
「なんで?」
「は?」
「ああ、そうかそうか、お兄ちゃんをとられると思って焦っている訳ですな。なるほどなるほど。まあまあ、そう心配なさらんで! 親友の大好きなお兄ちゃんをとったりなんかしないっての。」
「なんでそうなるの。まったく。」
相変わらずユキナは人をからかうのが好きだ。
こうやって不機嫌になる様子を見て楽しんでいる。
この眉間にしわが寄ってる様をテーブル向かいでニヤニヤ観察。
だがこれも毎度のことだと思うと、いちいち腹を立てるのも馬鹿らしい。
いつも通り適当に流せばいいものを兄本人がいることで少々イライラが勝ってしまったようだ。
「でもさ、真面目な話いい人だとは思うけど?」
「どうだか。」
「逆になっこは何でそこまで否定的なの?」
「え? いや、それはまあ……。」
そう言われて、改めて考えてみる。
そりゃ、だめなところなんて山ほどある。
食玩集めとか無駄遣いが多いし、カップ麺ばっかり食べるし、服とか色々無頓着だし、全然家に帰らないし、怪我ばっかりして人に心配ばかり掛けるし、言いだしたらきりがない。
「……。」
「あれれー、まさか意外と思いつかなくて困ってらっしゃる~?」
「そんなことない!」
「じゃあ何? どこが駄目だっていうの?」
「それは、えっと……。」
「うんうん。」
「か、帰りが遅いとことか、遅くなるとき連絡よこさないとことか、人に心配ばっかり掛けさせるとことか……。」
何言ってるんだ。
とりあえず思いつくままに羅列するが、自分で言ってそのおかしさに気が付いた。
目の前の顔がどんどん嫌な笑顔に変わっていく。
「夫婦じゃん。」
「もういい。」
「あー、そうやってすぐ逃げる~。」
「ただの兄妹だし。ユキナは食い付きすぎなんだって。からかいたいあまり、面白そうな方に誘導してる。」
「そうか~、別にそうでもないぞ~。うふふ。」
笑ってるし。
「いいなー。ウチもなっこ兄みたいな兄ほしいなー。」
「……。」
そう言えば。
潤史朗のトイレ。妙に長い。
少し暇そうにし始めたユキナはスマートフォンを取り出していじる。
いつも携帯で何をしているのかと思うが、ゲームか何かだろうか……。
「なっこ見て見て。」
スマホの画面を突き出して見せるユキナ。
「地震あったっぽい。」
「うそ、本当だ。気付かなかった。って、震源ここじゃない?」
「へ?」
ユキナは再びスマホの画面を覗いて、表示される情報を隅々まで見返した。
「震源……、尾張東部。だいたいここ、だね。」
「1にも満たない震度だけど。でも震源がここって、今までにそんなこと……。」
「あ、ねえねえ! んな事よりなっこ! みてほら、あの芸人結婚するんだって~。」
震度1にも及ばない地震など、なかったも同然。ユキナはすぐにもニュース画面をスクロールし、次に目に留まった記事に関して盛り上がる。
確かに、震度1未満の地震など普通は誰も気にしないだろう。そんな些細な揺れなど、いつもどこかで起きている。
だが、どうしてだそろうか。
何とも言えぬ僅かな不安が、ぞっと胸を掠めていく。
気にしすぎなのか。
ただ何となくに過ぎないものの、ざわめく感じを拭えない。
「なっこ、聞いてる?」
「え、ああごめん。」
「もう、そうやってちょっとお兄さんがいなくなったからって心配のし過ぎなんだって~。」
「だから、そういうのじゃないって。面倒くさいな、もう。」
とは言いつつも、トイレ遅いな。
一体なにやってるんだ。
「地震あったんだね。」
男子トイレにて。
両腕に抱えた黒いリュックサックから、デカいクワガタムシがひょっこり顔を覗かせていた。
「およそ1時間前だがな。」
クガマルはリュックサックから這い出ると、いつものように飛行して洗面台に着地した。
「これをただの地震とみるか。」
「それとも、未曽有の災害の前兆とみるか。」
そんなことあり得るのだろうか。
無論、ここでいう未曽有の大災害とは大規模地震の事を言っているのではない。
潤史朗の頭の中に引っかかっているのはただ一つ。
前回の地底探索で起こった数々の異常事態。
比較的浅い地点におけるゴキゲーターの大量出現や、不可解な穴の発見。
それらに関連した、他に何かが無かったか。
そこで一つ、気付いたことを思い出したのだった。
昨日アクションカメラに収められた映像を見返して、気になる点が一つ浮かんだ。
前述の異常な現象の直前には、必ずと言っていい程何かがあったのだ。
それは、振動だ。
特にゴキゲーターが出現するその直前。またその時に限って大体近くには例の穴があった。
その事は果たして無関係、偶然とでも言うのだろうか。
もしくは人為的な何かとでも? 誰かが何かを爆発した? 地下ではよくあることでもあるが……。
「それが過激派関係の人の仕業だとしたら、地上まで伝わるこの振動は何だろうね。地下で核実験でもしてるっての?」
「ぎゃははははははっ、それはそれで面白れえな。」
「ちょっと、声が大きいよクガマル。君の様な邪悪なAIドローンは少し静かにするべきだ。」
「過激派連中もご苦労さんだぜ……。」
そんなことはわかりきっている。
潤史朗とクガマルが体感したそれらの振動、場所にあっては地下5000よりずっと深い。それらがもしテロリストの仕業であったのなら、一体彼らはどうやって、ゴキゲーターから身を守ったのか。
そうだ。これが人の仕業なんかじゃないことなど当然わかりきっている。
そうしてスマートフォンを握っていると、突然のバイブレーションが右手に伝わった。
赤くランプを点滅させスマートフォンは通知を知らせる。
「来たぞ。」
「未曽有のそれかな?」
受信したのはメールだった。
発信元は地下衛生管理局中日本支部。サブタイトルに『非常事態招集』と。
本文を開いた。
『非常事態招集』
――このメールは中日本支部所属職員の皆様全員に送信されています。
ただいま、地下深度5000メートル以下で原因不明の異常事態が感知されました。
極めて重大な生物災害の危険性があります。
全職員の皆様は参集の可否を所属長に連絡し、直ちに非常事態対応態勢を整えて下さい。
なお、このメールへの返信は不要です。
「クガマル……。」
「ああ、オレも受信した。」
潤史朗はスマートフォンをポケットにしまうと、男子トイレを後にした。
いつまでトイレに入っているのかと心配になり、夏子はテーブルから少し体をずらせて、トイレの方を遠くに見た。
丁度その時、潤史朗が向こうの方から歩いて来るのが目に入る。
どうやら腹を痛めて苦しんでいるわけではなかったようだ。
が、あれはどういうことか。いつの間にか潤史朗の肩にはAIドローンのクガマルが掴まっている。
リュックの中身はあれだったのかと納得すると同時に、なぜか顔が引き締まっている潤史朗の、その背筋が伸びた歩き方に不安を感じた。
何か、あったのだ。
「何があったの?」
テーブルのところまでやって来ると同時に、夏子はすぐに席を立ち上がる。
兄はこちらを向くが、その際に彼の顔はすっと笑顔に戻って、そして喋り出した。
「ああ、ごめん、ちょっと急用ができた。悪い、今すぐ出る。」
「ええ~、ほんとですか~。もうちょっとお兄さんと喋りた~い。」
「いやぁ、急な仕事でね。ははは。」
そう言って頭をかいているが。
いつも見ている夏子からすれば、それは何とも異様な笑顔。
不自然で、見ていて逆に不安を煽る。
「ねえ。」
夏子は強めに呼びかけた。
「もう会計は済ませたから。それじゃまた!」
潤史朗は一言そう言い残すと、軽快な足取りで店の出口へと向かって行った。
「あ~あ行っちゃった、また一緒にお茶できるといいなー。ねえ、夏子。」
と言ってユキナは夏子の方を向くが、既に彼女はそこにいない。
見れば潤史朗を追って走り出して行っていた。
「ほら、やっぱブラコンじゃん。」
ひとりテーブルに残されたユキナは、去る行く二人を眺めつつ、グラスに残ったコーラを啜った。
「待って!!」
バイクに飛び乗る潤史朗。
そんな彼を、夏子は後ろから呼び止める。
「ごめん急用なんだ。帰り送れなくなった。悪いけどコイツでタクシーなり捕まえて。」
潤史朗は財布から五千円札を取り出すと、追って来た彼女に差し出した。
「それか舞島さんと、このまま遊びに行ってもいいし。ああ、それじゃ五千円じゃ足りないか、それじゃ……。」
その時。
お札一枚を差し出した潤史朗の右手は、勢いよく彼女に払いのけられた。
「いらない。」
「え……。」
「私はそんな事を喋ってるんじゃない。」
「……。」
「また、大怪我して帰ってくるつもり?」
「そんなつもりじゃ、ないけどさ。」
「でもまたそうなるんでしょ。そうならなくても、そうなるかもしれないんでしょ。」
潤史朗は、答えられない。
確かにその通りだ。そうに違いない。
そうやって夏子の心配をないがしろにして、いつも突っ走ってきた。
そして。
今回も。
それでいいのか。
「ねえ、どうなの?」
だが、行かないなんて選択肢はあり得ない。
尾張中京都の地下で、怪虫の侵攻を止められるのは、もはや自分しかいないのだ。
公安隊で代わりが務まるかと言われれば厳しいし、関西や首都の基地からSPETを呼ぶにも、それら部隊の到着まで何時間かかるというのか。
あまりない事だけれど、ここにだってゴキゲーターの危機はある。
「夏子。」
「なに。」
「今日は良かったよ。」
「は?」
「ずっと一人だった頃の夏子を知ってるからさ。ちゃんと外に友達がいるのがわかって、安心と言うか、嬉しかった。大学での夏子のことも聞けれたし。」
「それは……、まぁ、私だって、いつまでもそんな。」
「もう一人じゃないから、夏子は。お兄ちゃんは安心だ。」
と、そう言いながら五千円を押し付けて離す。
「すぐに帰るよ。」
そのまま彼女の肩に手を置いた。
冷たい、機械の手がひんやりと肩に乗る。
この腕もそう。
何故か体がつぎはぎで、それでも兄は進み続ける。
わかっている。
地下に向かう兄を、止める事など出来やしないこと。
潤史朗は夏子の肩から手を離すと、そのままバイクのエンジンをふかし、あっという間に走り去って行った。
その姿を後ろから見送る。
吹き行く風に、長い黒髪がなびいた。