第41話 地下スラムー1
地下4900メートル地帯。
確かにそこは人の住処、人間の領域であると言えた。
巨大な人食いゴキブリが這い回っていることがなければ、一匹で数リットルの血を吸う蚊がふよふよ漂っているなんてことはない。
頑丈なゲートで境界層との区画された人間のエリアなのだ。
しかし。
だからと言ってここが安全で、平和な場所とはとても言えない。
人の管理下にあったとして、電気が切断されていれば当然暗く、維持管理をしなければ水もガスもたちまち止まってしまうだろう。
地下4900メートル地帯、怪虫がいなくとも、やはりそこは地底で間違いないのだ。
人は本来、地中で生きる生物ではない。
光が無ければ周囲の状況を碌に把握することができないし、地面を掘り進めるような牙も爪も持ち合わせてはいないのだから。
仮に地下に住めるよう上手くやったところで、一体誰がそんな場所に住みたがるというのか。
誰しも、風と緑とそして太陽が好きだ。
そしてここは、その自然の恵みから最も遠い場所である。
半分捨てられたような地下通路、何年前に付けられたかも知れない照明器具は、その多くが破損のまま。そしてガスはない。なぜなら、ガス感知器の整備が行き届かない場所で、もしそれが漏れるような事態になれば、この排気困難な地下で大爆発を引き起こしかねないからだ。水は、もしかしたら通っているところもあるかもしれない。地元でなければ配管の状態は把握しかねる。
この地下4900メートルは、俗に地下スラムと呼ばれていた。
犯罪者の巣窟であり、マフィアのアジトであり、テロリストの潜伏地帯だ。
行き倒れた人間を探すのは犬を探すより簡単だ。むしろ野生化した犬がやたら多い。そいつらが何を食っているのかと言えば、それは想像に容易いだろう。人間の子供が少ないのはきっとそいつら野犬のせいだ。
いつから日本はこんな状態になってしまったのだろうか。
一概にドコデモダケの発生から始まる隔離都市政策が原因とも言い難いが、平成も35年を超えてから、社会は自然といつの間にか荒んでいったように思う。
とある兄弟。
上が15で下が12。
両親を失った二人は、この地下スラムにて生活すること数年になる。
時には野犬に襲われたり、また飢えに苦しむ日も決して少なくは無かったが、それでも毎日の生存を諦めず、今日もまた地下スラムでの一日を送るのだった。
廃工場の一画。
その休憩室と思われる場所で二人は暮らしていた。
折り畳みの長机の上にはランタンが一つ。その唯一の明かりが、二人の顔をぼおっと照らした。
弟は地べたにガスバーナーを置き、それの上には片手鍋。レトルトパックを水に浸して、ぐつぐつとお湯が沸くようすをじっと眺める。
一方兄の方はと言えば、長机に地図を広げ、もう数時間もの間それら紙切れとの睨み合いを続けていた。
「兄ちゃん、もうすぐ沸くよ。」
「……、ああ。」
「兄ちゃん?」
弟の呼びかけに対して、聞いているのかいないのか、兄は地図から目を離さずに答えた。
「沸いた。カレーだよ兄ちゃん。一ヶ月ぶりのレトルトもん。」
「おう、サンキュー。適当についでくれ。ああ、お前の方に多めにやるよ。」
「別にいいよ。せっかくのカレーだし。」
弟はお湯からパックを開けると、アルミの皿を二つ用意して丁度同じくらいの量を注いだ。
いつもは大体犬の肉。缶詰があれば十分豪華な食事と言えたが、今日のご飯は珍しく手に入れることができたレトルト食品だ。
これもバイト先で良くしてもらっている大人から、ご褒美にと貰ったもの。
もちろん給料で買うことはできるが、食費にさけるお金はそう多くはない。
「兄ちゃん、冷めちゃうぜ?」
「よしっ。」
「兄ちゃん?」
「できた。見ろよ仁太。」
何やら地図に、鉛筆で線を書き入れた兄。
地図に示されているのは、4900地帯でも境界層と繋がるゲートを持った最下部だ。
「進入経路もこれで完璧。あした、俺たちの計画を実行する。」
そう言って、兄が見るのは部屋の隅。
そこに積まれてあるのは、大量の爆薬だ。
バイトで稼いだお金は、すべてこいつらにつぎ込まれた。
この大量の爆薬をもって……。
「立ち入り禁止区域を爆破してやる。」
「やったぜ。」
「食べようぜ、仁太。革命前夜の前祝いだ。」
プラスチックのスプーンで、二人は食事に手を付けた。
この計画が上手く行けば、明日も明後日も御馳走だ。
犯罪者の子として地底に生まれ、戸籍もなければ親もない。親はずっと昔に公安隊に殺された。成長するまで面倒を見てくれたのは親の所属していた反社会集団。だがそれも、間もなく公安に壊滅させられた。
みんな地上が嫌いなだけで面倒見の良い人達ばかりだった。
奇跡的にも生き残った二人の子供。
彼らがやろうとしていることは、紛れもなく社会への復讐だ。
爆薬を買うのは簡単。
バイトで貰った銃を使い悪い連中を撃ち殺せば、その報酬で受け取るお金が、爆薬へと変えられる。
それを売ってくれる人達は、別にその用途を聞きはしないし、むしろ快く売ってくれた。
「なあ兄ちゃん、これで立ち入り禁止区域をぶっ壊せばどうなるんだ?」
「さあな。だが、とんでもないことなるのは違いない。地上の連中は頑なにゲートを守ってんだ、何かやばいもんがあるに違いない。」
「もしかして、モンスターがいるとかかな。」
「ばーか、んなもんいる訳ないだろ。多分、俺は核廃棄物があるんだと思う。」
「核廃棄物?」
「そうだ。それも大量に。だから一度漏れ出すと、尾張中京は死の町になるだろうぜ。」
「ほんとに!? すっげーなそれ。」
「わかんねーけどな。けどそれが何なのか判明したらすぐ、俺たちは防護服を奪って大東京都にずらかるんだ。」
「すっげーぜ! でも、防護服ってそんな簡単に手に入るのか?」
「な~に簡単さ、コイツで脅して、若しくは殺して。」
そういう兄は、腰のベルトから拳銃を抜き取った。
手の大きさには不釣り合いな銃、反動を押さえられるのかも怪しいが、それでも引けば弾が飛ぶ、人を殺せる本物だ。
「母さんと父さん、それとみんなの敵だ。公安も、地上で贅沢してる奴らみんな、死ねばいい。」
銃のスライドを引いて、近くの窓に狙いを定める。
銃口の先は、彼らを地下に追いやった人間社会。
その引き金に添えられた指は、躊躇という言葉を知りはしない。
もちろん、貴重な弾丸を無駄に撃ったりはしない。
兄はそれを机に置き、明日の爆破計画のために大切な武器を整備するのだ。
それを見た弟も、自分の武器を机に出して、慣れた手つきで分解を始める。
これもすべて、いままで世話をしてくれた大人たちに教わった。
だがその時、机上の小さな部品が、小さく振動するのに気が付いた。
一旦手を止める二人。
静かに天井の方を見上げた。
「兄ちゃん……。」
「静かに。」
兄は、ゆっくりとパイプ椅子から立ち上ると、小さな小窓から工場の外を伺った。
「見える?」
後ろから弟が静かに声を掛けた。
「いや。上に行こう。」
音をあまり立てないよう、いつもバイトでやってるような足取りで。
二人は休憩室を後にする。
工場の二階部分。
錆びた階段をそっと上ると、黄ばんだ窓から道路の様子を覗きこんだ。
黒い、大きな車両が沢山。
見たこともない規模の車両群は、その全てが公安隊だ。
しかしそれらが地元の警ら隊ではないのはどうみても明らか。履帯で走る旋回砲塔などもその車列に混ざっている。
二人はしばらく、黙ってそれを眺めていた。
「兄ちゃん、これ。」
「アサルト・ゼロだ。」
「なにそれ。」
「わかんねえけど、聞いた事がある。公安最強の特殊部隊だって。」
「ええ!? なんでそんなやつらがここに!?」
「わかんねえよ、そんなの。でも、もしかしたら、俺らのやってること、感づかれたのかも知れねえ。」
「ええ!?」
「静かにっ。まだ通り過ぎてねえ。」
「ごめん。」
兄は割れた窓の隙間から、その真っ黒の車たちを睨み付けていた。
黒の公安車両は、その全てが光を返さない艶消し色。
車体の文字は、視認しづらいダークグレーで"Assault-Zero"と控えめに。
車列の中央付近。
大型の車両に挟まれて、通常の巡視車両サイズの車が行く。
ハンドルを握る女と、助手席には眼鏡の男だ。
女の方は固い表情で前方直視、もしくは時々ルームミラーに視線を移す。いつなんどき過激派が突っ込んで来ようとも、その刹那に退避するか、もしくは降車して射撃体勢に入れるように構えている。
そしてその隣の眼鏡の方にあっても、レンズの奥には一切の油断をみせない眼光が控えていた。
「嵯戸中尉。まもなく現地に到着致します。」
助手席の女は、視線を動かすことなく喋った。
「ふむ。ここが最深部ですね。実はわたしは尾張中京に来るのは初めてですが、地下というのは結局どこに行っても汚らしい。特に4000を過ぎると、もはや刑務所を見ている気分になるのです。」
眼鏡の男は中指で眼鏡の中央部を軽く持ち上げて言った。
「テロリストの皆さんは、一体どのように住まわれているのでしょうか。とてもわたしでは出来ない。レイシアさん、いかが思われますか?」
「はい。ご命令とあらば、自分は何処にでも潜伏が可能です。」
「素晴らしい。」
助手席の男は、この小隊を束ねる長であり現場の総指揮官たる幹部隊員。そしてその側近たるハーフの女は副官を任される准尉であった。
彼らこそがそう、機動強襲戦隊アサルト・ゼロである。
つい先日に大東京都を出発し、本日目的地たる尾張中京都地下に到着した。
本作戦の内容は、境界層に開けられた謎の穴の解明とそれに関連した過激派等の脅威の排除である。
これも全ては、とある有名動画投稿者の事件を発端とする。
俗に言われるマイチューバ―。その人物が、境界層の抜け穴を発見し、5000メートル以下を撮影、そして配信したことが世間では大きな話題を呼び、もはや公安隊としても事態を放置することはできなくなった。
どのような形であろうと、国民を納得させる方向で事件の収束が求められる。
穴を掘ったものがいるのならば、究極の捜査能力をもってその犯人をあぶり出し、疑わしき過激派集団がいたとすれば、強大な火力をもって容赦なく殲滅する必要があった。
上はこの事態を非常に重く捉えており、それ故のアサルト・ゼロの出動だ。
メガ級地底害虫の存在はどうあっても国民に知れてはいけない。全国民の安心と平穏、恒久的な平和を維持するためには、怪虫など存在してはならないのである。
「いいですか、レイシアさん。わたしはいつも言っていますが、テロリストに対してけして容赦してはいけませんよ。仮に相手が女や子供だったとしてもです。武器をこちらに向ける者は何であろうと極悪犯罪人、それを殺処分しない限り、善良な市民は危険に晒されることになるのです。そんなことがあっていいはずがない。そうですね?」
「その通りです、嵯戸中尉。常に心得ております。」
「よろしい。」
そうして、助手席の窓から外を見やる細い眼鏡。
そのすぐ横には廃工場が立ち並んだ。
こんなすぐそこにも、テロリストが潜伏しているのかもしれないと。
焼き払うのは簡単だ。
こちらの攻撃力と防御力、仮に相手が正規軍並みの装備であったとしても、全くもって脅威ではない。
こちらの手には国家機密級のハイテクノロジー兵器と、それを扱う無敵の精鋭達がいる。
あとは、それらを適切に運用すればいいだけの話。
数日後には凱旋だ。
「ふふ。待っていなさいよ、テロリストさんたち。ふふ。」




