第38話 守衛室
ようやく追いついた。
タクシーの後部座席で、右よっ、左よっ、もっとスピードだしてっ、とにかく踏みなさいっ、などと散々喚き散らした挙句に辿り着いた場所は、何かの工場か倉庫か。
都市の中心よりも少し外れて、その謎の施設はどかんと大きく周辺の一区画を陣どっていた。
それについて、多くの市民は疑問をもっていないだろう。どうせ何かの企業なんだろうなと。
だが、それは違う。
沙紀はタクシーの運転手にお札を投げ渡し、「釣りはいらないわ。」なんてセリフを吐きながらに下車。
「おいちょっと、ねーちゃん? お釣りを受け取らないわけには……。」
「この施設は何?」
数秒前に、潤史朗がタクシーをこれの前に付け、内部に入って行くのを確認したが、どう見ても地下衛生管理局とは違う。
正面ゲートは太い柵で閉ざされており、いかにも屈強そうな男が守衛として入口付近の事務室に待機した。
柵の中の方に目を向けるが、まだまだ奥にもゲートがあり、セキュリティの状態は極めて高そうだ。
頭上で静かに鳴り響く、小さなモーター音。
ふと見上げると、小型のドローンが監視カメラを腹に提げて、沙紀の周囲を回っていた。
「公安の施設ね。」
沙紀は、監視ドローンに目をやりながら守衛室へと足を運んだ。
「失礼、少しいい?」
外に繋がった小窓から、その内部を覗きこむ。
彼女に気が付いた守衛は、ブルドッグの様な顔を更に皺だらけにして沙紀を見る。
「ここは公安の施設だ。一般の立ち入りを禁止している。速やかに出ていきなさい。」
「私を通しなさい。」
「はぁ?」
この小娘は何を言っているんだ、といった険しい顔。
相手にするのも馬鹿馬鹿しいだろうが、ゲートを監視する者として、この女を無視して事務仕事、という訳にはいかないようだ。
「はい、これ。」
「あ?」
脈絡もなく突き出されたカードが一枚。
差し出した本人の顔写真が載せられているが、免許証かなにかだろうか。
「口の聞き方には気を付けることね。」
何を馬鹿な事を、と思いつつも守衛はそのカードに目を通す。
「ええっと、何? あさ、ると、ぜろ?」
「英語くらいちゃんと読みなさいよ。」
「アサルト・ゼロ?」
「そうよ。」
守衛の男はみるみるうちに、その目を丸くして、加えて顔色を青白く変化させる。
こんな小娘がまさかとは思いつつも、この身分証明書は本物だ。勿論、専用のカード読み取り機を通さなければ厳密には判断できないが、これ偽造のしようもない確かなものである。
だが目の前のこの調子に乗った女がアサルト・ゼロの隊員とは、証明書を出されたとしてもにわかに信じがたい。
アサルト・ゼロと言えば、日本最強とも言われる公安の特殊部隊だ。
軍事評論家いわく、アサルト・ゼロは一般の陸軍でいうところの一個連隊と互角の戦闘力を有するとのことだ。
まずはその隊員の屈強であるところ、極めてタフな精神と日々の鍛錬で鍛えた肉体、またそれも然ることながら、国家機密級の最先端兵器を自在に使いこなすだけの頭脳。各々が戦闘中に新たな戦術を編み出すようなきれ者ばかりだと。
そして、それが所有する武器は、前述のとおりの最先端の極秘兵器。それが何なのかは不明だが、単純に考えて、隠すだけの価値がある兵器なのだろう。
そして、その隊員がこれだ。
「どうしたの、驚いて声もでないわけ?」
「ああっと、すみません。これは失礼致しました。しばらくお待ちください。今すぐ確認しますので……。」
しかしどうも嘘臭い。
「早くしなさいよね。」
そう言って壁にもたれ掛かる沙紀。
この施設は一体何なのかと、その奥の方を再び見やる。
ただ一つ言えるのは、未だ潤史朗が公安に所属しているということだ。
それが意味するところは、やはり何かの理由あって、組織ぐるみで事件の真相を隠していることだ。そうでなければ、志賀潤史朗が復隊しない理由がない。
また、もう一つ言えることがあるならば、本人がそれを望んでいない、という事だ。
しかし、そうであった場合、もはや志賀潤史朗の人格変異は確定的である。
どちらにしても、もう昔の彼はいない。その結論は何をどう考察しても否定はしがたいのだった。
「先輩……。」
こつんと、彼女は壁に頭を預けた。
なんとなく昔の事を思い出す。
あの時の先輩は、ただ格好良かった。
それは外見的なものではなく、普段の態度や、仕事に向かう姿勢、そして鍛えあげられた戦闘スキルとドライビングテクニックがあり。
恋愛的な意味合いを遥かに超えて、そんな先輩をずっと尊敬していたのだ。
今でも目を閉じれば思い出す。
先輩の操るバイク、その後ろに乗せて貰った非番の日……。
四気筒のエンジンを、けたたましく吹き上げて。
そう、丁度いま聞こえてくるような、こんな音が……。
ん?
黄昏ていた沙紀は、そのエンジン音にふと目を開ける。
その咆哮はゲートの向こう。
バイクがすっ飛んでくる。
黒いカウルに、前照灯が鋭く光る。
「なっ、なんだあ??」
守衛の男が慌てて事務室から飛び出るが、迫るバイクは減速なし。間もなくゲートに差し掛かる。
「危ねえ!!」
と叫んだその時。
ゲートの柵が勝手に開き出す。
わずかに開いた数メートルの隙間。
瞬く間に、黒のオートバイはその僅かな幅をすり抜けて行った。
「な、なんだったんだ?」
「……、先輩だ。」
「は?」
吹き抜ける一瞬の風のように、現れたと思ったら消えて行ったバイク。まるで幻でも見ていたかのようだ。
丁度その時、その後方より巡視車両が一台続いてやってきた。
「よう、今のバイクなんだったんだ?」
巡視車両に乗った一般の公安隊員が、運転席の窓を開けて守衛の男に話しかけた。
「いやわからねえが、なんだありゃ。」
「アサルト・ゼロの隊員様だったりしてな。ははは。」
「ちょっと。」
のんきに言葉をかわす男二人に、龍蔵寺沙紀が切り込んだ。
「その車貸しなさい。」
「は?」
ぽかんと口を開ける隊員。
沙紀は守衛から身分証明書を取り上げると、今度は巡視車両の男に詰め寄り、そしてその制服の胸元を掴み寄せた。
「アサルト・ゼロよ。これは非常に緊急性の高い任務なの、その車を降りて。」
「え、あ、はい?」
顔面に押し付けられる身分証。
わけがわからない内に扉を開けられ、彼女の馬鹿力はあっという間に男を車内から引きずり出した。
「悪く思わないで。任務よ。」
そう一言残して、沙紀は乗った巡視車両の後輪が空転するほどにアクセルを踏み抜き、先程のバイクにも負けず劣らずの勢いで、ミサイルのように飛んで行った。
「なんだありゃ……。」
残された守衛と一般隊員。
彼女の身分証だけがそこにひらりと置いて行かれる。
守衛は再びそれを手に取ると、認証装置にそれを通して確認した。
――この証明書は有効期限が切れています。
ブザー音と共に、認証装置は電子音声を鳴らした。
「マジか。」
身分証の更新は本来個人で行わないため、忘れているとは考えにくい。
だとすれば、除隊者が身分証を隠しもっていたのか。その線が強いだろう。
「昔のお前の相棒が、こんなところに置いてあったとはなあ。」
姿勢を屈めて、荒ぶるバイクを両膝でがっちり捕まえる。その激しい風と一体化する潤史朗であったが、彼の背中では虫が呑気に黄昏ていた。
「ねえ君っ。」
潤史朗は、ぶち当たる空気の壁に負けないよう、大声をだしてクガマルに言った。
「んあ? なんだ?」
「なんでこんな大ピンチに、そんなに落ち着いてられるんだ!?」
「あ?? ピンチ?」
「夏子に危機が迫っているだろう!?」
「あ? ああ。そうだな。おう。いそげ。」
なんかいつもと様子が異なるが、それとも自分が慌てすぎなのだろうか。それでクガマルは敢えて冷静でいてくれるということなのか? なんたってAIなわけだし。
しかし何か引っかかるのも確かなことで。
だが今はそんなこと後回しだ。
夏子が残した不穏な手紙と、元気のない電話ごしの声。
何かあったに違いない。
そんな彼女のピンチに、一番に駆け付けなければ兄失格である。
「それよりジュンシロ―、なんか追って来てるぞ。」
「なにが!?」
「公安。」
「公安?」
「と思わせて中身は違うが。まぁ相手するなり振り切るなりしとけ。」
潤史朗は横目でバックミラーを確認する。
後方数百十メートルには、赤色回転灯を回しているセダンタイプの巡視車が一台。
運転席には女がひとり。
制服ではないおかしな格好。どうみても怪しい。
「くそっ、めちゃくちゃ急いでるってのに。」
「潤史朗、次右折しとけ。」
「へ?」
「いいから。」
静かな背中は、何か笑っていそうな気がする。
しかしクガマルがそう言うのならそうなのだろう。
潤史朗は右折した。
気が付けば太陽は西の空に低く、また既に東は夜に染まりつつあった。
二級河川を跨ぐ橋は、片側一車線の道路である。
旧市街ということもあって交通量は驚くほどすくないが、そんな道を駆けるのは潤史朗の操るオートバイのみ。
後ろの巡視車両はいつのまにやら消えていた。
「いない。上手く振り切った?」
と思うのも束の間。
橋の向こう側からサイレンが聞こえる。
「……君、誘導しただろ。こうなるように。」
「冷静さを欠いたオメエが悪い。」
「目的は?」
「ちょっとした事だ。まぁオレの用事とも言える。」
「なんだそれ。そんなの今やることじゃないでしょ。夏子が……。」
と、そのようにクガマルと話している間にも、前方より接近する巡視車両は距離を詰め、そして停車したバイクを見るなり、後輪を振って道を塞ぐよう横向きに停車した。
その運転席から降りてくる女。
短い茶髪で、上下はジャージ。
彼女は勢いをよく巡視車両の扉を閉めた。
「ようやく会えたわね。先輩。いや、志賀潤史朗。」
目の前に立ちはだかる謎の女。
「生きていたのに碌に連絡もせず、この4年間、ウチが一体どれだけ……、いえ、それは今はいいの。先輩、再会して早々悪いけど、一つ、確かめさせてもらう。」
「あんた、本当にウチの知ってる先輩なの?」
女が光らす鋭い目つき。
それは比喩でもなんでもなく、その瞳には本当に赤い光が灯っていた。
「答えなさい!」
急に声を荒げて、その女は潤史朗に言った。