第34話 屋上
――既視感。
いつか、どこかで見たことのある光景。
午後の斜陽が暖かく差しこんだ部屋。
白いレースのカーテンは、外から吹き込む風によって軽くなびいている。
ベッドの横、白い花瓶に挿された小さい花は、可愛らしく首を傾けた。
一人で過ごすには少々広い病室。ベッドはここの一つだけ。他に患者は寝ていない。
もう少し寝ていようか。
ここはとても気持ちがいい。
心地のいい温度と、ひんやりと頬に触れる風。
地底世界では決して味わうことのできない、地上独特の優しさだ。
光と緑、そして風。世界はこんなにも穏やかだったのかと思い出す。
なのに、なんでわざわざ地下なんかを冒険したがるのか。全くの謎である。
それで、ベッドが少し暖かいのはここで体を突っ伏して寝てる女の子の体温か。
重たく鈍い自身の体をゆっくりと起こした。
そのすぐ横で、すやすやと静かに寝息を立てているのは妹だ。
長い黒髪は腰の方までさらりと伸びて。
この感じ。
初めて会った時を思い出す。
忘れることのない午後の思い出。
ふんわりほかほかと、しかし鮮烈で、また強烈な。
そんな出会いだったと記憶する。
あの時も、こうして彼女が傍にいてくれたのだ。目を覚まさない間ずっと。
懐かしさと同時に、あの時の気持ちが奥の方からこみ上げてくる。
彼女には感謝してもしきれないくらいの思いがあった。
本当に、いつもありがとう。
それでもって今回もまた心配させてしまったようだ。
彼女の頭に伸ばす機械の右腕。
丁度、前もこんな感じで夏子の頭を撫でたのだったと、その記憶も蘇る。
だが、あの時とはちょっと違う。
短い記憶かもしれないが、初めて会う女の子ではない。
既に、この頭の中には夏子と過ごした4年間の記憶がたんと積み上げられ、それ故に、彼女をより近くに感じられた。
その事が少し嬉しくて。
心配させて悪かったとは思いつつも、何だか頬が緩んでくる。
しかし、起こしたら間違いなく怒られるんだろう。
潤史朗は夏子を起こさないよう、そっとベッドを抜け出した。
彼女の肩に毛布を掛けて。
そう言えばどこかに落としてきてしまった左腕と右足。
その辺に置いてあった松葉杖を手に取って、そろりそろりと病室のドアを開けてこの部屋を後にした。
すると。
不意に耳にした荒い羽音。
扉を開けてすぐ、目の前に飛んでいたロボットクワガタ虫と目が合った。
潤史朗は一旦そこで立ち止まる。
久しぶりに目にするクガマルの姿。普段は常に行動を共にしている事もあって、ほんの数日でも随分久しぶりな、まるで数年ぶりの再会であるような気がした。
こんなにも長い期間の別行動はもしかしたら初めてだったかもしれない。
それでその間、このAIドローンは一体どこで油を売っていたのだろう。
自身の救出に際しては結構な手間を掛けさせたようで、それについては痛み入る。
だが、一連の活動を通して。
初の別行動を展開したことにより、何らかの違和感を、薄っすらと忍ぶ疑念の影を、そのドローンの裏側に微かに感じる潤史朗である。
当のクガマルは平常どおり。
もっとも、そのAIドローンに表情機能など備わってはいないのだが。
「やあ久しぶり。元気そうじゃないか。」
潤史朗は小声でそう言うと、なるべく音をたてないようにそっと病室の扉を閉めた。
「わざわざお見舞いに来てくれるとは、君も随分と丸くなったもんだね、まぁどうせ手土産の一つもないんだろうけど。」
「……で、何の用だい?」
潤史朗は、少し低い声で短く言い放った。
「何の用だとは御挨拶じゃねえかよ。起きて早々テメエは喧嘩でも売ってんのか? ジュンシロ―よお。」
「どうだろうね。まぁ少なくとも僕たちは、ちょっとばかり激しい議論を交わす必要があるんじゃ、ないのかい?」
と、そう言ってクガマルをみる潤史朗の目は、普段よりも僅かに細められていた。
「ぎゃはははっ。なんだそりゃ。議題に思い当たる節がねえがなあ。だが、オメエがそうしたいならオレは喜んで付き合ってやるよ。ぎゃはははははっ。」
「そうか。なら君が議題をわからない事も議題の一つとして挙げよう。とりあえず行こうか、屋上に。」
「ぎゃははは。いいぜ。」
向かった先は屋上。
これもまたデジャビュを感じずにはいられなかったが、この病院から広がる景色は、九州とはまた違った感じがしていい。
「さてと、まぁお陰様で無事に地下1万2千から脱出できましたようで、それについてはありがとう。まぁそんな事は今はどうでもいい。」
と、潤史朗はそう言いながら、景色の方から目を離してクガマルの方を振り向いた。
「……クガマル。君はいったいどこまで知っているんだ。」
「藪から棒だな。なんのことだ。」
「ルニア。」
「……。」
クガマルは黙る。
それについての回答を考えているようで、少しの間その場で静止した。
「いや、それだけじゃないね。君は僕の持っていない記憶、失われた4年前以前の記憶を持っている。違う?」
「とんだ名推理だな、名探偵。どうしてそうなる。」
「わざわざ言うまでもないだろうに。ルニアに対する君の行動、明らかにその存在を把握してる。加えて、古代文明に絡んだ調査活動がもし存在していたのだとしたら、それは確実に4年前より昔の話だ。」
「いきなり古代文明ときたか。そんな都市伝説的な馬鹿げたものは存在ない。でもって、ルニアが古代人だと思い込んでいるのはお前だけだ。あれは普通の人間、すこし頭がぶっ飛んでるだけのな。まぁあれだ、龍蔵寺や五十嵐、SPETと同類かもしくは若干スペックの上回る改良人間なんだろうよ。」
「いや、古代人だ。」
「諦めろ、あれは普通の人間だ。」
「諦めるのは君だっ、クガマル。普段の君ならば、たかだか普通の人間如き、本気で殺すつもりでいかないだろっ。」
潤史朗は語調を強めた。
「加えて言うと、僕はルニアが古代人もしくはそれに纏わる存在であることを決定づける証拠を入手した。」
「ほほう、それはどんなんだ?」
「そんな細かい事今はどうでもいい! 既に前提条件は確立されているっ。早急に話し合うべきは、君が過去の記憶に関する情報を僕に知らせることなく所持していたことだ。どうなんだ! クガマル。」
「……、はあ。」
「ん?」
「激しい議論か……、まぁそうするのが手っ取り早い。」
クガマルは空を仰ぎ見ると、すこし開き直ったように言った。
「は?」
「おら、かかってこいよジュンシロ―。これはオマエの提案だ。」
「なに?」
すると次の瞬間に、クガマルは突然いつもの大声で高らかに言い放った。
「やってやろうってんだっ、ぎゃははははははっ。オレを倒してみろよジュンシロ―!! もしもオレに勝てたら!? いいだろう!! 何でも答えてやろうじゃねえか!! ぎゃはははははははっ、まぁ、不可能だろうがな!! ぎゃはははははははははははははははっ。」
空に向かって叫ぶクガマル。
そして対する潤史朗。
彼は側頭部の管制装置に手を添えた。
「わかった。」
小さく呟く。
ここからの議論は、本気である。
『アクティブコントロール――現在の設定は、セイフティ。』
「僕を甘くみないことさ。クガマル。」
『設定変更――現在の設定は、セイフティ。設定の変更は上下ボタンを操作して決定ボタンを押して下さい。』
「ぎゃははははははっ、何を言い出すかと思えば。そんで、オメエ一つ大事な事を忘れてねえか?」
『設定が変更されました。現在の設定は、スポーツ。』
「オメエ、腕と足が一本づつ足りてねえぞ! ぎゃはははははははははっ、んなんでどうするつもりだぁあああああ!! はははははははっ、ぎゃははははははっ。」
『周囲の状況を確認し、安全に活動して下さい。』
「どうするって? こうするのさ!!」
次の瞬間、左足を瞬時に屈曲させる潤史朗。
同時に右腕も屋上面に添えると、腕と足の力を用いて、瞬間的に空中へと飛び上がる。
滞空するクガマルに接近した。
松葉杖で巧みにバランスをとると、その空中姿勢から、潤史朗は回し蹴りを繰り出す。
「ぅわちゃあっ!!」
「当たるかボケがあああああっ!!」
クガマルは軽々とこれを回避。
微妙に位置をずらす程度で、その技を見切るまでもなかった。
「おいおいおい、オレに対して空中戦かぁ!? 舐められたもんだな、おい。」
降り立った潤史朗。
潤史朗は振り返るとクガマルを見上げた。
「さあ! 次は君のターンだ! クガマル。」
と言って指を差す。
「……、そういうのじゃないだろ。」
「なんだ、僕が一方的に攻撃して、いいんだね?」
「……。」
「ならば遠慮なく行かせてもらうよ。とうっ!!」
再び潤史朗は跳躍する。
「こいつは……、馬鹿なのか……。いや、地下で頭でも打ったか……。」
「メガ、ジュンシロ―キック!!」
「……。」
ゆっくりと高度を上げるクガマル。
その高さからして、もはや潤史朗の跳躍キックを回避する必要すらなくなった。
潤史朗はクガマルまで届かない。
「くそっ、卑怯な虫め。」
「……。」
「君がそういうつもりなら僕にだって考えがある。本気でいかせてもらう事にした。もう後悔しても遅いよ、クガマル。」
潤史朗。
再度、側頭部のアクションカメラを操作する。
『アクティブコントロール――現在の設定は、スポーツ。設定変更――現在の設定は、スポーツ。設定の変更は上下ボタンを操作して決定ボタンを押して下さい。』
「……。」
『設定が変更されました。現在の設定は、ハイパーアクティブ。周囲の状況を確認し、安全に活動して下さい。』
「さあ、覚悟するんだクガマル。とうっ!!」
空中に飛び上がった潤史朗。
その距離にあっては先ほどまでの倍近い。
だが。
「めっちゃキッーク!!!」
届かない。
無言に上昇するクガマルは遥か上空、残り50センチほどで、潤史朗のキックは当たらない。
せめて蹴り返せる天井があれば……。
と思わないでもないが、結局閉鎖空間でも、その直線的な跳躍と大ぶりなキックが果たしてクガマルに通用するかと言われれば、それは可能とは言い難い。
「まだだ!! それっ!!」
「なあ、ジュンシロ―。いい加減やめねえか? 見てるこっちがあほらしい。」
「殺虫キッーク!!」
「……。」
またしても空振りに終わり、屋上面に降り立つ潤史朗。
だが。
「諦めるわけにはいかないだろう。僕は取り戻さなければいけないんだ。絶対に、4年前の記憶を。」
「なんだぁ? 今度は同情攻撃か? 残念だがそれは通用しねえ。飽きるまでずっと馬鹿みてえにジャンプしてやがれ。」
「ふふふ、僕が、何の作戦もないと? そう思っているんだね? 君は。」
「なんだと?」
と、クガマルがそう言うと同時だった。
潤史朗は突然自身の胸を押さえてその場に倒れた。
「は?」
「……。」
言葉を発さない潤史朗。
「おい。」
「……。」
「お、おい。」
「……。」
「……。」
潤史朗が、何故病院で寝かされていたのか。
その原因を考えれば彼の現在の状態を察するのは容易い。
潤史朗はゴキゲーターとの戦闘中、その巨体に踏みつけられて胸部を損傷している。
肋骨の複数個所骨折と肺挫傷。
それは、とても痛い。
「ばっか!! んなことやってるから傷が開くんじゃねーか!!」
それに気が付いたクガマルは、慌てて降下すると潤史朗の隣に降り立った。
「ったく、世話が焼け過ぎんだよオメエは。」
「くっ、胸が。」
「おい、一人で立てんのか?」
「うぐ……、立て……。いや、松葉杖を……。」
「あ? それか?」
「……を使って!! 松葉杖アタァァアアアアアアアアック!!!」
突然の奇声と共に振り返る潤史朗。
右手に松葉杖。
振り下ろされたそれは、一気にクガマルの頭上に迫る。
「ぬわっとと。」
間一髪で、クガマルはこれを……。
「あぶね……。」
「っと見せかけて投げるぅぅううううううううううううううううう!!!」
松葉杖はぐるぐると。
超高速で回転しながら飛翔する。
約5メートルの間合いを時速100km以上で迫る松葉杖。
クガマルは。
これに当たった。
変な衝撃音と共に、ぽてりとその辺に落下する。
「ふははははははははははははははははははっ!!! してやったりぃいいいいい!!」
高らかに笑い、勝どきを上げる潤史朗。
胸の傷口は特に問題なさそうだ。
撃墜されたクガマルは、暫く静止し動かなかったが。間もなくして、ころりと回って体勢を戻すと、再び羽ばたいて滞空状態に直った。
「はい議論終了! 優勝はぁあああ……潤史朗選手!」
「馬鹿馬鹿しい。」
クガマルは吐き捨てるように言った。
「勝ちは勝ちさ。甘いのはどっちだろうねえ、クガマルさんやあ。」
「ま、いいがな。」
「あ~ら、意外と素直。」
「倒れたのがフリだってとこまでは、まぁ警戒はしていた。」
「が、投げるとは思わなかった。ってことっすね。」
「それが、オレとお前の違いなんだろうよ。んで、聞きてえことってのは何だ? 一応答える取り決めだ。」
「いんや。いい。」
「あ?」
潤史朗はそう言うと、片足で跳びながら松葉杖を取りに行った。
「必要があって、いろんな情報を隠してるんでしょ?」
「……。」
「君は不必要なことはしないし、いつも合理的だ。そして僕は当然のことながら、そんな君を全面的に信頼している。まあ、そういう仕組みである訳だし、100%の信頼がなきゃ僕たちの存在はおかしなことになる。そうだね?」
「その通り。と言っておくべきなのかね。」
「答える必要はないけど、おそらく君はそれを言うべきタイミングを計ってるんだ。で、ルニアの存在は君にとって完全にイレギュラーと。そういうことじゃない?」
「……。」
「帰ろうか、病室に。夏子が待ってる。」
そう言って、潤史朗はクガマルに背を向け、屋上の出入り口へと足を進めた。
「おい、待て。」
「へ?」
呼び止められて振り返る。
「じゃなんで今やりあったんだよ、オメエ。」
「いや、単純に君が僕に隠し事してたのに腹立っただけ。」
「は?」
「いや~、でもすっきりしたわ。ははは。」
「……。」
と、潤史朗が再び入り口に向き直った時。
何やら背後から羽音が……。
「ん?」
もう一度振り向く。
「オレ、アタッァアアアアアアアアアック!!」
あっという間に接近するクガマル。
クガマルによる超高速の体当たりが潤史朗に炸裂する。
片足の潤史朗は脆くもあっさり吹き飛んだ。
「ぬぐぉうおあっ。」
「ぅおっしゃああああああ、オレのターン終了だぁああああああ!! さあかかって来いジュンシロ―!! オメエのターンだぁああああ!! ぎゃはははははっ。」
「いて。いや、まじ、いたい。傷口開いたよこれ絶対。」
「ぎゃははははははははははははははははははははははははははははっ。」
そうして、お互いすっきりする潤史朗とクガマルであった。




