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MEGA-KILLER ~地下衛生管理局特別殺虫係~  作者: 浪川晃帆
第二部
31/81

第31話 特別病棟ー2


 

 ……。



 やばいな。


 自分のキャラクターが掴めない。

 


 やあやあどうも。

 僕の名前は志賀潤史朗。

 と、言うらしい。

 記憶の大半を損壊したことで、自分の名前や生い立ち、そしてその他大事な事や物や人が、何もわからないに等しい状況だ。

 ついでに両腕両足も無くなっているのだが、記憶が無くなったことに比べれば、それは大したことのように思えない。

 人との繋がり、例えば親や兄弟、友人や恋人。それは手足以上に重要だった。

 目の前を厚い包帯でぐるぐるに巻かれて視界は真っ暗、そして耳に飛んでくる音は謎の装置の電子音、人間の声などは稀である。

 また、気管にもチューブを通されているお陰で、今の僕には稀に聞こえるその声ともコミュニケーションをとる手段がなかった。


 まるで、人間ではなくなったみたいだ。

 そこに寝てただ臓器を動かしてるだけの肉の塊。

 なぜ生かされているのか全く疑問でしかない。

 いや、とても生きているとは言えないか。この状態、どちらかと言えば生きているというよりは圧倒的に死んでいる。

 人は何をもって生きていると認められるのか。生物的な意味合いではなく、あくまで人として。

 死に関する定義とか、そういう難しい話ではない。

 単純にその人が、生きている人間らしいと思ったり思われたりするかどうかのことだと思う。

 つまり、僕は死んでいる。


 更に続けて。

 どちらかと言えば、僕はもう一度生きたいと考えている。

 その理由は僕に残された唯一かつ鮮烈な記憶だ。

 ぶち壊れた記憶の中にも、頭の裏側、そこに強烈に刷り込まれた何かのイメージがこびり付いていた。

 それは、僕が最後にその名を叫んだナツコなる人物と、それと僕の体を貪る巨大ゴキブリたちの感覚だ。

 後者の方は思い出すだけでも痛みで体がどうかなってしまいそうだが、重要なのはそっちではなく前者の方。

 ナツコという女性だ。

 彼女は僕にとってどういう存在で、誰なのかと気になった。

 ただ、それでもたった一つ確かにわかることがある。

 僕はその時、きっと彼女を守りたかったのだ。

 たとえ頭で覚えていなくとも、この胸には強く刻まれている。

 燃えるような感情の跡が、この体の中でまだ少し燻っているのだ。

 僕は彼女が無事なのか、ただそれだけが気がかりで、その為だけに心臓を動かしていると言ってもいい。


 それから、変な手術を何回か受けたが、単に痛いだけで終わった。特に何か改善された気はしない。


 そんな昼とも夜ともつかぬ、まるで無限のような時間の中、僕は周囲の人間の声から、ある情報を掴み取ることに成功した。

 

 気になる彼女の名前は志賀夏子。 

 僕の妹、らしい。

 そして彼女も記憶喪失。どういうことだ?

 とりあえずは無事でよかった。良かった。本当によかったと思う。

 しかしそれでも、安堵とまでは遠く及ばない。

 無事な彼女は、他に大きな怪我や、また体じゃないところを傷にしていないか。

 心配だ。

 名前だけしか知らなくとも、やっぱりそれでも兄という訳だから、僕は妹のことを心配する。


 まぁ、そんなカッコイイ兄貴ぶりは嘘っぱちで、ただ少しでも知っている人間が彼女しかいないというのが本当のところ。頭の中では24時間、ゴキブリと夏子の記憶がローテーションして巡っていた。心配も何も、思考の対象物がそれだけときたら、具体性の高い考え事、その事柄は自然と限定されてくる。

 今彼女は何処で何をしているのだろうか。などと。

 そうでもしていないと、たちまち頭の中には奴らがやってきてしまうのだ。

 眠りにつく度、連中はどっと押し寄せてくる。

 巨大なゴキブリ達。

 奴らは動けない僕の体を囲む。

 脳みそは、あの時の痛みや苦しさをとても鮮明に、非常に詳しく覚えていた。何度も何度も繰り返される捕食の刺激。指先から削られていく感覚、足の筋肉をついばまれ、数グラムごとに体が千切れる感覚。既に四肢を失っていても、その痛みはいつまでも手足があった場所を動かないままだ。もう何度ゴキブリに食われたことだろう。少なくとも100回はいっている。閻魔様だってそんな地獄はご存知ないだろうさ。

 もう嫌になるよ。ホントに堪らない。


 だが、ふと彼女の事を思うと、まだもう少し、もう少しだけ頑張ろうかなと思えるのだった。

 地獄の中で、あの巨大なゴキブリから逃げる夢をみる度、そこから救い出してくれるのはただ一人、彼女に他ならなかった。

 彼女の事を考えている間だけは、ゴキブリの悪夢を見なくて済む。



 そしてその願いが届いたのか。別に願ったわけじゃないが。

 ある日のこと。

 例の彼女は前触れもなく、突然この病室にやって来たのだ。

 

 どれだけ嬉しかったことだろう。

 僕が、唯一名前を知っている人が、すぐそばにいる。

 触れる事も見る事も、そして声を掛けることも叶わない。しかし、そんなこと気にならないくらい僕の胸は高鳴っていた。


 夏子がやって来たその日。彼女が僕のすぐ横に座るのがわかった。

 実在する、記憶と一致した夏子の存在を確かに感じ取れた。

 そこに、夏子がいる。

 今の今まで、ゴキブリに屈さずによかったと、そう思った。とても安心した。落ち着いた。そして感謝した。

 ようやく出会えた喜びは、僕に増々生きる力を与えるのだった。

 

 それから彼女は毎日僕に会いに来てくれた。

 明日もまだ生きていようと、死んだようなこの日々に僕は大きな価値を見出す。



 その喜びは暫く続くと思っていた。

 僕が、彼女の大きな傷に気が付くまで。

 

 僕のところにやって来る彼女の足音はいつも静かだ。

 あっちの扉をゆっくりと開き、できるだけ大きな音がしないように閉める。まるで誰かに秘密で、こっそり入って来るような。

 そして僕のすぐ横でしばらくずっと立っていた。

 この時いつも何を考えているのだろうか。少なくとも笑顔ではないのは間違いない。表情も、また心の中も。

 彼女、夏子は毎日何時間もここにいるような気がする。

 ベッドの端を少し借りて寝ているときもある。最近ではここで寝るのが日課のようだ。

 それは親愛や信頼、安心の表れなのだろうか?

 その浅はかな推測は、あっという間に崩れ去る。


 夏子はここで泣いていた。

 涙のない、死人と同じ泣き方だ。


 僕は、夏子を守れたのか。

 まるで彼女は幽霊だった。居場所をなくして、流されるようにこの病室に追いやられ、滞留している。

 手足がない僕なんかよりもずっと、生きているとは言えない姿なのだ。

 

 そんな彼女を助けたい。

 それが今の、僕の唯一の願いであり、やり残した任務、果たすべき使命だ。

 この時より、僕は体の底から真に渇望した。

 夏子に掛ける声が欲しい、夏子を撫でる手が欲しい、夏子と一緒に歩く足が欲しいと。

 憎きゴキブリ共め。夏子の為についている、兄の腕と足を全て食らいやがったのだ。今更になって腹立たしい。


 が、そんな願いが実現するのに時間が掛からなかったのは、僕が心の奥底からそれを望んだからだろうか。

 いいや、それは単なる偶然だ。

 しかしなんとも都合がいい。神がいるとするならば、今こそ感謝すべき時なのだろう。

 ある日の手術後、僕は遂に光と右腕を手に入れた。喉からはチューブが抜き取られ、声までも取り戻す。

 麻酔が覚めて気が付けば、いつものように夏子が寝ている。

 まずはじめに、彼女に何を伝えようか。

 とりあえず、いや、どうしてもまず、感謝の気持ちを伝えたくなった。

 僕の元にやってきてくれてありがとう。

 僕にとっての生きる理由、そして明日も生きたいと思える命の価値を。

 遅くなったが、ありがとう。


「やあ。」


 こうして僕は、夏子の顔を初めて見た。

 自分の顔すらまだ知らないけれど、それでも似ていないことは何となくわかった。

 なんたって驚くほどの美人だ。本当に妹かと思う。もしかしたら僕の勘違いか聞き間違えだったろうか。

 切れ長の目にまつ毛は長く、小さな唇は桜色に自然だ。

 また、雪のように白い肌と、それに艶やかな長い黒髪が合わさった姿には落ち着きと気品を感じられ、人を突き放さない可憐さがあった。


 正直彼女と目を合わせるのに、僕は柄になく緊張していた。


 いや、柄とは? そもそも僕は一体どんなキャラだったろうか。

 この疑問は、この目の前の妹を発端に始まったのだった。


「ねえ、妹。」

「ん?」

「君のお兄さんって、どんな感じにみえる?」

「う~ん。一言で言うと。」

「うんうん。」

「変な人。です。」

「そうかぁ。……。」




 この病室には、夏子の他にもやってくる人は色々いた。

 主に白衣の研究者たち。体の具合を時々聞いてくるので、僕は毎回いい加減に答えていた。

 そういえば研究者といえば、だが。

 若干一名やばいやつがいた。

 何がどうやばいかと言えば……。

 まあ、全てだ。


「おほほほほほほほっ。潤史朗ちゃ~ん。元気ぃ? 来たわよ~。」


 まず最初に、女ではない。

 またこの奇声は不愉快なほど甲高い。耳が死ぬ。

 さて、病室の扉を勢いよく開き、長い白衣を翻して現れるのは……。


「Dr.ニュートロンの御登場よ!」


 を名乗る、研究者だ。

 長身で痩せ形、国籍不明のモヒカンだ。


「調子はどうかしら、潤史朗ちゃん。」

 体をくねくねと動かしながら接近してくるモヒカン。


「ああ、まぁぼちぼちですね。」


「おほほほ、順調なようで良かったわ。アタシ、あのまま潤史朗ちゃんが目を覚まさなかったらどうしようかと思ったわ。本当に心配したんだから、もうっ。」


 と、言いながら義手の右手を必要以上に撫でまわしてくるモヒカン。

 どういう意図があってか知らないが、スキンシップがやたら多い。

 外人だから?

 いや、違うな。 

 そういう種族なんだよ。きっと。

 

「仮の物だけど義手の調子はどうかしら。ほら、アタシの手の温もり、感じてる?」


「よくわかりますよ、ほら、何か鳥肌立ってきた。」


「あらやだ、きっと感知装置の調整不足ね。」

 

 この男、いや男?

 とにかくこの人が、どうやら義手を作ってくれる人らしい。

 正直性格が読めないし、まだ距離感がわからない。信用していいのかも微妙だが、少なくとも悪い人ではない。のか? 

 結論、なにもわからない。ただの怪しい人。


 しかし。

 わからなければ、わかろうとすればいい。

 僕の人間関係はゼロからスタートするんだ。変っぽいから避けていたのでは良くないだろう。

 今はすこしでも人の輪を広げたいと、そう思う。

 

「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」

「いいわよ、アタシのことなら何でも教えてあげるわ。なにかしら?」

「Dr.ニュートロンさんって、男? 女?」


「いやん、潤史朗ちゃんったら、そんな事聞いちゃうわけ。まったくもうっ、デリカシー無いんだからっ。」

 と言いながら、ばしばしと肩を叩く。


「え。この質問、駄目なやつですか。」


「セクハラよ。」

「……。」


「でもいいわ。潤史朗ちゃんだけには特別に……。教えて、ア・ゲ・ル。」


 モヒカンはそう言って、僕の耳元に顔を寄せて来た。

 顎髭が近い。

 

「両方。よ。」

 

 まあ、どっちであろうとどうでもいいんだが。

 そんなことより、今一瞬でも気を緩めていたら生命的に危険だった。囁きと共に耳に吹きかけられた微風、精神を強く保っていなければ、心臓が止まっていたじゃないか。

 でもこれではっきりしたよ。

 この人は要注意人物だ。

 

「ねえ、潤史朗ちゃん。アタシも一つ潤史朗ちゃんのこと聞いてもいい?」


「え、ああ、はい。」


「最近よく、この部屋に来る美人な子がいるでしょ?」


「あの子は一体誰なのかしら。まさか、潤史朗ちゃんの恋人? それはそれでとても気になるのだけど。でもアタシ的にはちょこっとジェラシーなのよね。ねえ、どうなの潤史朗ちゃん。」


「いや、夏子は妹のようです。」


「あらあらあら、そうなの!? 妹さんなのね! 良かったわ。いえ、別に恋人的な男女の仲だったとしても全く駄目ではないけれど、でも妹さんなら安心だわ。」

 

 なにがどう安心なんだ。

 こっちは何も安心できないよ。身の危険を感じる。

 もちろん妹の事ではなく、このドクターについてだ。


「どおりで、そう、美男美女のお似合いさんだったのね。でも兄妹ならそれも頷けるわ。だって兄妹ですものね。」


「似ていますか。僕と夏子。」


「どうかしらね。夏子ちゃんのほうは、あまり良く観察していないわ。アタシがいつも見ているのは潤史朗ちゃんことばかり……って、やだアタシったら何言っちゃてるのかしら! おほほほ。」


「……。」

 さて、何も聞いていなかったことにしようか。


 夏子は妹。

 だが傍からみていて、やっぱり兄と妹らしくはないか。

 まぁそれも仕方ないと言えばそうなのだろう。実際僕だって、彼女が妹だって実感が湧いているわけではないし、夏子だって思っていることは同じだと思う。

 お互いのことをまだ何も知らなすぎるんだ。

 父親や母親のこともわからない。前にどこに住んでいたのかも。共通の話題は入院生活の事くらい。

 いつかは思い出すことができるのだろうか。

 それとも、このまま同じ時間を過ごしていれば、知らぬ間に知らない昔と同じような距離感がやってくるのだろうか。

 今の関係を悪く思っているわけでは無いけれど、それでも家族は家族なのだから。

 全ては時間の問題。

 戻ることは出来ないし、思うようにも進まない。

 ゆっくりと、少しずつ積んでいくしかないのだろう。


「Dr.ニュートロンさんは、兄弟っています?」


「いるわ。一応ね。」


「そうですか。」


「って、そんなことより、潤史朗ちゃん。アタシのこと、もっとフレンドリーな風に呼んでくれなきゃいやよ。なによドクターなんとかって、全然可愛くないわぁ~。」


「はあ……。それでは何と呼びましょうね。」


「お・ね・え・さ・ん、って。」


「ドクターって呼びます。」


「んもう。つれないわねえ。」


 あんまりコメントしたくないんだが、これは逆に拒絶的なリアクションを求められているのだろうかね。

 まぁ無難にスルーさせてもらうが。


「それじゃあ、もう時間だしアタシは行くわね。」


「はい。どうも。」


「それじゃあ、お大事にねっ、潤史朗ちゃん。んちゅっ。」


 去り際に、この人はとんでもない爆撃をしていった。

 指二本を唇に当てた後、手首のスナップを使って甲を返すように口唇表面の雑菌を飛ばした。

  

 僕は、その放たれる軸線を即座に見切ると、冷静かつ迅速にこれを回避した。

 

 危ない。


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