第29話 初期状態
――ジュンシロー!! 目を覚まして!! ジュンシロー!!
誰かの叫びが聞こえる。
どこか遠くで。
助けを。
いや。
頭の中に直接伝わる。
それは悲しく。
願いにも似た。
痛み。
……。
「ぎゃははははははっ、いいねえ、電力を節約しなくていいってのは。やりたい放題暴れまわれるぜ。ぎゃはははははははははははっ。」
潤史朗の右足。
そこに蓄積を始める莫大な過剰電力。
目を覚まさない潤史朗。
彼の体の操作権限は未だクガマルの下にあった。
狙う標的はこの正面に立つ銀髪金眼の少女ルニア。
呼吸は乱れ、その様子からある程度の消耗があると見受けられる。
クガマルは、次の一手でとどめを刺すつもりでいるようだ。
『充電完了まで、五秒前、……4、3…。』
アクションカメラの管制システムアナウンスが、超電力状態への移行状態を秒単位で読み上げ始めた。
今一度自身に問う。
この少女を、今ここで抹殺すべきなのかと。
思い出す、あの時の出来事。
あれは随分昔、潤史朗がまだ本来の記憶をもっていた頃。
その事件は4年前に遡る。
偶然にも、その登場人物はここにもう一人いた。
龍蔵寺沙紀である。
当時、潤史朗と沙紀が戦闘要員として随伴したのは、九州南部地下の大規模調査だった。
その頃より、ゴキゲーターのような怪虫の存在は一部の機関では既に認知されており、地下深くの探索において彼らのような戦闘専門職による護衛が欠かせないのであった。
それはメガキラーのまだ開発されていない時代、特別殺虫チームも設立前の話であり、メガ級地底害虫との戦闘は非常に困難を極めた。
実行される地下調査。
一見順調に見えたそれも、戦闘専門職員の奮闘と、創意工夫に富んだ戦術がもたらした結果であると言いえた。しかしそれでも、誰も死なずに、という理想は叶わず、何名かの命を犠牲に調査は進められた。
そして調査団が行き着く、地底の最果て。
そこで彼らが目にしたものは、白骨死体が連なる広大な儀式場と、中央に構える重い石棺であった。
ついに調査団は、超古代文明の発見を成しえたのだ。
だがしかし。その世紀の大発見が日の目を見ることはなかった。
なぜか。
彼ら調査団は、開けてしまったのだ。
それはまさにパンドラの箱。
全てを破滅へと導く、悪魔が眠る石棺だ。
して、その中身は……。
その中身を知り、古代人の存在を認知する数少ない存在、AIドローンのクガマルはその一つだ。
調査団は全滅近かった。生き残りも多少はいるだろうが、今も健在なのかは不明である。
あの惨劇。
再びここで繰り返すのか。
それもまた面白い。
しかし、こっちの地上には、大災厄を勃発させるにはいささか人が多すぎる。
と、言うのはどうでもいい話。
ただ、とても心配なただ一人のために。
この尾張中京を死守していると言っても過言ではない。
その意志は、潤史朗とクガマルが共有する絶対事項に他ならないのだ。
そのために。
今、何を持ってしても、この場において災厄の始まりを摘み取る。
『……2、1。充電が完了しました……。』
「ジュンシロウ、守らなきゃ。ルニア……、戦う。」
空中に跳躍する潤史朗の体。
一度左足で天井を蹴り返し、その勢いで上空より襲い掛かる。
そのスピードをもってして繰り出される超電力キック。
彼女に残された力で、これを受け止めることができるだろうか。
クガマルの計算では、おそらくそれは不可能であると踏んだのだろう。
そして、そのバックアップとして控える駆逐トラックは、突入準備万端である。
もしここで仕損じたとしても、確実にトラックで跳ねることが可能だ。
この戦い、もらった。
警報ブザーが鳴り響く。
『……大きな力が発動します。衝撃にご注意下さい。』
この間合と、このスピード。
外しようがない。
見上げるルニアは、そこに立ち続けた。
この強烈な一撃を、超念波を持って受け止めるつもりだ。
ここで回避しまったら、潤史朗の体はこの前のように地面にめり込んでしまう。
つまり、潤史朗の体をを傷つける。
この攻撃を受け止め切れる自信はない。
だが、それが潤史朗の体であるならば、全力でそれを受け止めよう。
例え、自身の体が無事で済まなくとも。
「ジュンシロウ……。」
「くたばれバケモン! ぎゃははははっ!」
迫る潤史朗の体。
超電力キックが……。
炸裂。
しない。
警報ブザーは未だ鳴り続けたまま。
潤史朗の体は何の発動もすることはなく、その両足で、すたりと静かにルニアの横に降り立った。
「ジュンシロウ!?」
そして彼は振り向いた。
そこにあるのは。
「やあ。」
彼の、笑顔だ。
「ジュンシロウ!!」
その体はクガマルのコントロールから脱っしている。
クガマルは腕を飛び立って離脱した。
つまり。
いま、彼の体は彼の意識の管制下。
潤史朗の復活である。
「ごめんルニア。ちょっと待って。」
飛んで抱き着こうとするルニアを右腕で制し、彼女を自分の背後に庇った。
潤史朗とルニア。
今まさに、二人のもとに突進攻撃を仕掛ける駆逐トラック。
もはやブレーキなど掛ける余地もなく、衝突は免れない。
迫るトラックは目の前に。
ヘッドライトに眩しく照らされた。
「いくぞいっ!!」
「超電力!!! キィイイイイイック!!!」
足を前後に大きく開き、その状態から炸裂するは怪物級のミドルキック。
激しい光で虚空を抉り、足先はトラックとの激突を果たした。
フロントバンパーを蹴り上げられ、軌道が逸れる駆逐トラックは側壁へ衝突して、そのスピードをを殺した。
同時に、空中を舞うのは潤史朗の右足。
右の義足は、見事に膝から下がちぎれて分離し、回転しながらくるくる飛んでいくと、その辺にぼとりと落下した。
「ごめん、心配かけたね。ルニア。」
ルニアの方に向き直る潤史朗。
同時に、彼女は潤史朗の胸に飛び込んだ。
その勢いで、片足立ちする潤史朗は後方へとバランスを崩して転倒する。
仰向けになった体の上に覆い被さるルニア。
抱き着く彼女の腕は少々苦しかった。
「ジュンシロウ、よかった。死ぬんじゃないかと思ってた。」
胸の中にルニアは顔をうずめた。
「いや、ごめんよ。いろいろとまぁぎりぎりでね。ははは。」
実際今もぎりぎりだ。
頭の中、どこか遠くで彼女が叫ぶ声を聞き、精神に鞭打って無理やり目覚めたものの、正直今にも意識が飛びそうだ。
体の方は相変わらず。けがの方は全く治ってない。
「ねえねえ、聞いて、ジュンシロウ! ルニアね、頑張ったんだよ! 本当に。 敵を、いっぱい、いーっぱい倒したの!! 殺して殺してぶち殺したの。」
彼女は顔を上げて潤史朗を見た。
「そうか、すごいなルニア。よくやったよ。物騒だけど、まぁよし。さんきゅーな。」
そうして、満面の笑みを作るルニア。
彼女の頭を、機械の右手で優しくなでる。
「両目、ちゃんと開くんだ。」
「ルニアの目?」
「うん。とっても綺麗な金色さ。」
「ふふふ。ルニアの目、キレイ?」
「ああ、とてもね。」
「ふふふふふ。」
そして、彼女はこんな風にも笑うのかと、どこか少し安心した。
というか、なんか背が大きくなってる気がする。
「ねぇ、ルニア。背、伸びた?」
「ふへ?」
そう思って、再び彼女の頭に手を置いた。
と、丁度その時だ。
彼女の全身から、急激に蒸気がもくもくと沸き立ちはじめ、少しの熱とともにルニアを包む。
すると。
「アレ? ルニア? アレ?」
出会った時と同じサイズまで背が縮む。
そして両目は完全に閉ざされて、放たれる黄金の輝きは目蓋の下に収納された。
「ちっさいルニアに戻った。」
「ジュンシロウ。ルニア、ツカレタ?」
「疲れたんだね。きっと。」
「ツカレタ。ルニア。ジュンシロウハ?」
「疲れたよ。とっても。」
「オナジ。ルニアト。」
「そうね。」
彼女の長い銀髪をそっと撫でる。
すやすやと、浅い息を立てながら、彼女は胸の上で静かになった。
ここまで、ルニアが運んで来てくれたのだろう。
そりゃ眠くなるのも当然だ。
「ありがとう、ルニア。」
「おい、ジュンシロー。」
頭上から、いつもの電子音が、その荒い羽音とともに現れた。
「大円団のつもりかオマエ。いまの状況、説明するまでもないと思うが?」
「やあ、クガマル。何時間、いや何日ぶりだ? 元気そうだね。因みに僕は全く元気ではないよ。もうボロボロさ、いますぐ気絶したい。」
潤史朗は仰向けの状態でクガマルを見上げた。
「じゃかあしい。そんな悠長におしゃべりしてる場合じゃねってんだ。」
「どうかな。この状況、僕には大円団にしか見えないけど。あっちのトラックはどっちの? 関西かな。まぁなんでもいいけど。」
「そこで寝てる小娘を殺せ。」
「ルニアと戦ったんだね。どういう経緯か知らないけど。君もありがとうクガマル。」
「あ?」
「この地下と尾張中京地帯を守ろうとしたんでしょ? 僕、いや僕らのためにさ。」
「その仕事はまだ完遂できてねえ。そこまでわかってんなら協力しろ。ジュンシ
ロー。お前がどこまで知ってるのか知らないが、そいつは本物のバケモンだ。」
「そうなの? そうじゃないでしょ。たとえこの子が、ゴキゲーターを大量殺傷できる力をもっていたとして。ほら、普通の女の子だ。君はそれを抹殺しようとする。君自身も、少しおかしいと思うところがあるんじゃないの?」
「……。」
「クガマル。こう見えてさ、君には感謝してるんだ。君は僕にできない僕の役割をいつも務めてくれる。的確な判断の下、冷酷だろうと何だろうと目的のために、それを確実に実行するのが君の役割。」
「どうだかな。」
「それに対して、君にとっての僕の存在意義。それは、自身の思いに忠実な行動を実践すること。いつも僕たちはそうやってバランスをとってきた。そうだね?」
段々と、語るその声が小さくなっていく潤史朗。
クガマルは彼の顔の近くに降り立った。
「いいかい、ルニアは敵じゃない。この子は必ず、行き詰った人間社会に光を当てるよ。守るんだ。あらゆる機関がこの子を狙うだろうさ。クガマル、頼んだよ、僕が次、目を覚ます……それまでの、間……だけでいい……。」
「……。」
潤史朗は目を閉じた。
息はある。死んではないが、またしても意識がなくなった。
いや、今のいままで無理矢理に起きていたと言ったほうがいいのかもしれない。
しかし、それももう限界だ。
言いたいことは大体言った。
もういいだろうと、少し安心したように意識の所在をどこかに投げた。
「勝手極まりない野郎だ。ふざけてる。」
「ジュンさ~ん!!」
トラックから降りた輝人が、潤史朗のもとに駆け寄ってきた。
「ってあれ、気絶してる。ってええええ!? さっきの女が!? ボ、ボボボス?」
「こいつは……。」
唾を飲み込む輝人。
今まさに、自分たちを殺しにかかった怪物のような女が倒れてる。
しかも潤史朗にくっついて。
というかまた小さくなってる。
「現時刻をもって保護することに変わった。」
「保護? こ、殺すのは!?」
「なしだ。」
輝人はその言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろした。
実際、何が正解なのかなんて誰にも分らない。
もしかしたら、さっきのクガマルの言葉通りに抹殺するのが、その方が人間社会にとっては良かったのかもしれない。
ただ、ただそんなことよりも、今生きている一人の女の子を殺さずに済んだ。今はそれだけで十分だ。
難しいことはわからない。でもそれが一番後悔しないという確かな自信も、また一つの真実である。
「この女!」
続いてくるのは沙紀であった。
「だめっす!」
輝人が体を大の字に開いて壁となる。
「保護することに決定っす。」
「はあ?」
「に、ににに睨んでも、どかないっすよ?」
「おい、女。」
クガマルが言った。
「あ? なによムシ。」
「残念ながら、それが中日本支部の意向だ。引け。」
「ムシ、あんたそれ何言ってんのかわかってんの? て言うかウチがさ、ドローンの言う事なんて聞くと思う?」
「龍蔵寺沙紀、一旦頭に血が昇ると、そうやって周りが見えなくなるところ、昔から変わらんな。非常によくない。」
「は? え? 昔からって、アンタ……。」
「まあまあ姉御。」
やってきた重吾。
「ドローンのあんちゃんもそう言ってることですし、もう終わりにしましょうや。ほら、志賀潤史朗も無事に保護しましたぜ? 目的はすでに達成されやした。」
「そう、ね。」
「お前たちで協力してこの二人を車内に運べ。完了次第引き上げる。」
「おっす。」
「了解ですぜ。」
「ちょっと、勝手に仕切るんじゃないわよ、ムシ。」
「ねえ、アンタさ、何者なの? アンタの存在なんて、ウチは身に覚えがないわ。」
輝人と重吾が二人を運ぶ間、沙紀はクガマルに話しかけた。
「あ? オレが何者か?」
「まぁそうだな。」
「見ての通りだ、それ以上に説明はいらねえだろ……。」
こうして。
尾張中京都地下5000メートル下における長い長い冒険は、一旦は幕を閉じることとなった。
新たに発見された古代人たる謎の少女ルニア。
そして、近頃みられるゴキゲーターの異常行動と、そして目的不明の穴の数々。
謎は謎で謎のまま。
彼らはひとまず地上に戻る。
この災害はまだ、始まったばかりだ。




