第25話 第二覚醒ー2
「センサーに反応あり。こいつは……人間か?」
ハンドルを握っていた五十嵐重吾は、一旦車両を停止させ、中央のモニターを指した。
「どれ。」
続いてそれを覗き込むのは助手席に掛けていた龍蔵寺沙紀。
モニターに映し出されている画像は、一定の距離を等間隔で示す円が、その中心にある車両のマークから何重にも描かれた図。いわゆる道路ナビとは違い、そこに道や建物による隔壁は何も表示されておらず、ただセンサーに引っかかった直近の壁体のみを示しているだけであった。
そして、そのモニター上に反応しているのは、前方遠くに青く点滅して表示される小さな点。そのすぐ横には高低差を示す数値が光っている。
彼ら二人は、これが人間であると推測した。
車両に搭載されたセンサーは、音、熱、電波、振動等あらゆる手段により総合的に動体、生命体を判定する仕組みになっている。
そしてこれについては、相当精度が低く、かなりいい加減であることも付け加えておこう。
そもそもこんな地下において、あらゆる障害物を貫通して生物の気配を探知することなど無理といっても過言ではない、極めて難しい技術なのだ。
壁を隔ててすぐ隣にいるゴキゲーターを発見できなかった事などざらである。
ただし、いるものを感知できないことは多くとも、いない物をいると誤認することはない。それが遠ければ遠いほど、虫と人との判別は難しいが、それでも感知した限りは、そこに何かがあるのは違いない。
その実績は、キャビンの後ろに乗っている。
池上輝人も、このようにモニター上の青い点として映し出され、そして救出に至ったのだ。
「詳細表示して。」
「はいよっと。えー、これは。微妙っすな。ゴキの可能性もありますぜ。何にしてもこれじゃ遠すぎる。」
「こいつ、追跡するわよ。」
「はいよっと。」
「んむ、なんかありました?」
後ろの席で眠っていた輝人は、むくりと起き上がった。
「少年よ。仕事だ、仕事。」
「へ?」
そう言って、重吾が後ろの席に手渡すのは10センチほどの分厚い冊子。表紙には『尾張中京都-地下構造全図』と書かれていた。
「見てのとおりだ。モニターに出てるのは一番近くの壁と、目標までの距離方向だけ。そこに向かうまでのルートは紙の地図だよりだ。」
「ナビじゃないんすね。」
「そういう事。あくまでこりゃマルチセンサーのディスプレイだからな。ここに等間隔の円で表示されてる距離を、紙の地図に照らし合わせて、それで最短のルートを自分らの頭で考えるんだ。」
「結構アナログ。」
「ルート案内任せたぜ。」
「おっす。」
それでも目標地点までたどり着くことはできる。しかしそれには時間が必要だ。
輝人も、こうして駆逐トラックのセンサーに捉えられて発見されたわけだが、それでも発見してから確保に至るまで、およそ10時間ほどは時間を要した。
あの時、クガマルに尻を叩かれながら死にぬほど全力で走った地下自動車道。その時、輝人を遠くから追跡していた存在は、紛れもなくこの車、関西1号車であったのだ。
しかし、それは真後ろからの追跡ではなかった。全く異なる階層より、迷路のような細い地下道を何度も迂回しながら徐々に徐々に距離を詰めていってる。そしてあと少しで追いつくところで行き止まりを食らい、最後の最後は掘削機械で壁を突き破って前進した。それが事の全容である。
「それとこの地図、かなり古いからそこんとこよろしく。地下開発当時のもんだから、もしかしたら全然違うかもしれん。」
「それ結構昔っすね。」
「壁をぶち抜いてきゃぁいいのよ。そうすりゃ最短距離を前進できるっしょ。」
「まぁそっすけど、燃料も有限なんですからね。そこんとこわかってます?」
「それくらいだいじょぶよ。」
「姉御は方向音痴っすからね。」
「うるさいわね。」
「……。」
それで自分が地図を任されるのかと納得する輝人だった。
「とりあえず、次右っす。」
「はいよ~。」
こうして、更なる闇の中へと潜っていく駆逐トラック。
その目標地点に待ち受けるものは、果たして潤史朗なのか虫なのか、それともそのどちらでもない、何か、誰も知らない、地下に蠢く災厄か。
なんとなくはっきりとしない。
ここがどこで、今いつ頃なのだろうか。
暗い。
どこまでも深く。しかし、不思議と心地よさもある。こうしていつまでも眠っているのも悪くないのかもしれない。
誰かに、抱えられているのだろうか。
長い髪の毛、銀色。瞳の色は金色か。
知らない女のひと。
母親?
いいや、そうではない。その人はずっと昔に亡くなっている。はず、確かそのように聞き及んだ。
相変わらず記憶は失ったまま。
駄目だ。
遠のいていく意識を留めていられない。
胸部の損傷は相変わらずのよう、傷が癒えるほどの時間は経過していないらしい。
おそらく血が足りていないのだろう。それとも他の要因でもあるか、単に疲労しただけ? まさかな。どう考えても生命的に問題ありの状態だ。
それで、この人は一体誰なんだろう。
ルニア?
じゃ、ないよな。ルニアはこんなに足が長くない。そもそも僕を持ち上げられっこないだろう。
「潤史朗?」
名前を呼ぶ声が聞こえる。
彼女の顔はぼやけてはっきりとは映らない。
僕の名前を知っている女の人。
誰だろう。
夏子か、そうでなければ、ルニア。
やはりルニアなのだろうか。
もうそれでいいや。
悪いけど、まだ暫くはこうしていさせてもらおうかな。
これは夢だ。そうに違いない。
「潤史朗? 目が覚めたのか? 潤史朗?」
「……。」
「潤史朗、ワタシだよ? ルニアだ。」
「……。」
一瞬だが、わずかに薄っすらと開かれたように見えた彼の両目。
しかし、それはすぐにまた閉じられる。やはりまだまだ快方には向かわないようだ。単純に彼の持ち上げ方で、若干頭に血が多くいったのか。わからない。
このままでは駄目だ。
潤史朗が言う地上まで、辿り着けたならばきっと何かが変わるのだろう。
そこに見出す一つの希望。
もう少しだけ待っていてほしい。
あれから随分上に上ってきたはずだ。地上だって近いはず。
「……、もう少しだ。きっと、もう少し……。」
「……それで貴様らは、一体何匹いるというのだ。」
女はゆっくりと振り返った。
またしても、そこにはゴキゲーターが一体。いや二体、三体、もっといるか。
「いい加減ワタシは飽きたぞ。」
襲い来るゴキゲーター。
迫る距離は残り僅か。しかしこの相手に対して、何ら焦る必要もない。ただ空間に力を伝達させれば、どのようにでも殺すことができるのだ。
そして、彼女の特技は捻じ切ること。これが一番開放的な気持ちがいい殺し方だ。
「死ね。虫けら。」
ゴキゲーターの動きが停止する。
その体はそのまま宙に持ち上げられ、そして腹から頭にかけてすさまじい回転力が加わった。
「? 硬いのか? ……。」
もう一段強めに力を加える。
全ての足が飛び、液を噴出しながら3匹のゴキゲーターは華麗に弾けた。
「まさか、ワタシの力が弱まっている? いや、馬鹿な……。」
女は、自分の片手をじっくりと眺めてぼやく。
細長い指。傷一つの跡もなく、白い肌はすらりと伸びた。
「ありえない。」
続くゴキゲーターがもう数匹。
今日はやたらと数が多い。
しかし、そんなことは何の問題でもない。いくらでもかかって来るといい。
問題は、ないはずだ。
「死ねっ、死ねっ、死ねえええっへっへっへ。 はは、あっははっははっはははははっ。」
「ぬわあああっ! ゴキゲーターが! なんかめっちゃいる!!」
後部座席で声を上げる輝人。
駆逐トラックがヘッドライトで照らす前方には、狭い通路にずらりとゴキゲーターが並んだ。
「異常ね。どうなってんの。」
「さあ。ま、殺虫するだけっすけどね。」
沙紀は、助手席のサイドから延びる操作スティックを右手に掴む。
安全装置となるレバーを下向きにおろせば、親指側のボタン一つでいつでもメガキラーを放射可能な状態だ。
ノズルにあってはキャビンの上部。そのノズルの側部には暗視機能付きのカメラが取り付けられており、それが映し出すノズル先の映像は助手席正面のタッチパネルで確認することができた。
「いくわよ。」
赤のボタンを押している間、噴射し続けるメガキラー。
薬剤の成分は、人が背負って使用するものと全く同じであるが、こちらの車載のものの方が、圧倒的な長射程、高圧力、そして放射量と放射時間も何十倍。積載されたボンベの大きさは、背負い用のタイプのものより遥かに大きい。
車両の構造上、積載されたボンベの姿は外からは確認できないが、荷台のコンテナ内部は、その容積の半分以上をボンベが占めているのだ。
そして助手席前のタッチパネル上で確認できるゴキゲーターの死骸たち。もちろんその様子は普通にフロントガラス越しでも見ることはできるが、画面上でみるそれは、まさにゲームでもしているよう。
画面下部には、残圧ゲージが表示され、映像に重なる照準器の円に入ったゴキゲーターはたちまち殺虫剤の霧にまかれ、ほとんどその瞬間に死んでいく。
あの恐ろしい怪虫が、こうもあっさりと倒される。もはやこちらは恐怖など感じようもなかった。
駆逐トラックの"駆逐"とは、まさにこれのことだ。
薬剤の濃霧で前方の虫たちを殺して進む。死骸はそのままタイヤで踏んで乗り越えた。一体世界のどこに、こんな凶暴なトラックが存在しようか。
「姉御、目標地点が近い。そろそろ薬剤放射はやめたほうがいい。じゃねえと、メガキラーに巻き込んで人も殺しちまうぜ。」
「わかってるわ。でももう少し、あとちょっとで全滅できるわ。」
「あ、ちょっと、待って!」
その時、後部座席の輝人が突然声をだすと、そのまま前に乗り出してきた。
「どした! いたのか!?」
「いや、ちょっと。一旦ストップ!」
輝人に言われ、放射ボタンから親指を離す沙紀。
前方に広がるメガキラーの霧が、ゆっくりと晴れていく。
そしてそこに現れる光景。
3人は、これに一瞬目を疑った。
駆逐トラックのヘッドライトそして幾つも連なるフォグライト、その極めて強力な光が照らす情景は、ゴキゲーターの死体の山だ。
しかし、これらが今倒したばかりの個体ではないことは明らかな状態であった。
「な、んだこりゃ。」
足が引きちぎれ、腹がよじれ、無くなった頭部の付け根からは緑の液体を垂れ流していた。
ゴキブリの死体など、今まで嫌というほど見てきたが、それでもこんな状態にあるものを目にすることは一度も無かった。
一体誰が、いや一体何が起こったというのだろうか。
あの頑強なゴキゲーターがこんな姿になることなど、にわかに信じられない。
「あ、姉御。」
「……。」
バラバラのゴキゲーターを見て唖然とする沙紀。
彼女の耳には重吾の声など聞こえていないようだった。
「ありえない、そんな、ゴキゲーターが。なんで……。」
「姉御! どうするんすか? こりゃちょいとまずいかもしんねえぜ。って、聞いてんのか?」
「え? な、なに?」
「新種の怪虫。そうとしか考えようがねえ。ここは引くべきだ。」
重吾は、いま目の前にある状況を手っ取り早く分析した。
他の、もっと強大な害虫がこれをやったのだろう。安易な考えかもしれないが、他にどうも思いつきようがない。
何にしろ、嫌な予感には敏感であるべき。その感覚には素直に且つ早急に対応すべきなのだ。
じっくり考察することは後で何とでもできる。
「ここで引き返す? でも、先輩がこの先に……。」
「あんたが隊長だ。決めてくれ。」
ただ、あくまで隊のリーダーには従うべき。
なのだろうか、実際進むと言われたらたまったものではないが。
しかし……。
「……。」
沙希は黙ったまま、目の前に転がるバラバラ死体を見つめた。
新種の怪虫、あの鋼のようなゴキゲーターの体をこうも滅茶苦茶破壊できるパワーの持ち主、大きさもゴキゲーターの倍以上はあると考えられる。
そんなとんでもない怪虫と戦う?
ありえない。
いづれ駆除することになるとしても、駆逐トラックたったの一台ではどうしようもない。
だがしかし。
そうは言っても、この先に先輩がいることは間違いない。
一時は死んだと思われていた男。
もう随分昔に気持ちの整理をつけたその人が、今まさにこの先に生きているという情報が確定的なのだ。
引き返すのか、いま。
まるで、ここは死者の居場所、黄泉の国とでも言いたいのか。
あまりにも死が近い。
「行きましょう!」
その時、意外な人物がこの沈黙を破った。
「むしろ行くべきっす。そんな未知の昆虫がいるなら一度見てみたい。」
「……は? 正気?」
「って、ジュンさんなら絶対にそう言いますね。」
「先輩はそんな馬鹿じゃない。」
「今までで、メガキラーが通用しなかった相手がいたことなんてあるんすか? 五十嵐さん、そこんとこどっすか?」
「いや、そんな虫は聞いたことないな。」
重吾は輝人にそう言われ、一度冷静に思い返した。
「そっすよね? ただゴキブリが派手にやられてビビってるだけじゃないすか。」
「ビビってる? アンタね、うちは隊長としての正しい判断を……。」
「ビビってるっすよね!?」
輝人は少し声を大きくして言った。
またしても黙り込む沙紀。
しかし今度の沈黙は、先ほどとは種類が異なるようだ。
彼女の目つきが変わる。
「……。重吾。」
「はい。」
「前進。」
「え?」
「前進!」
「りょ、了解。」
重吾は恐る恐るアクセルを踏み込んだ。
死体の山を踏みつけて、ゆっくり前に進むトラック。
暗い地下道。そのエンジン音のみが野太く響いた。
まもまく、例の地点に到達する。
モニター中央の車両のマーク、点滅する青の地点は、ほとんどそれと重なった。
最後の角を右に曲がる。
相変わらずの死骸の山。
ライトが照らす、更にその先。
一人の女の影を浮かび上がらせる。
細長い四肢はすらりと長く、身に着けた白い衣服は丈が短い。またその服は、所々が緑色に汚れていた。
銀の長い髪は腰より長く。
そして、彼女はこちらの方にゆっくりと振り返った。
金の瞳が怪しく光る。
「……敵の、においがする。」




