第20話 遺跡ー4
潤史朗は、崩れるように膝をつき、腕の中にルニアを抱えた。
外観上ルニアは無事であるようだ。
まずそのこと安堵した。
ただ体力を激しく消耗したようで、自立は不可能。意識にあっては、ぼんやりだが保たれており、脳内音声は発しないものの、問いかけには頷いて反応示す。
問題は自分の方であるようだ。
口の中に広がる鉄の成分は、妙に塩気が効いており、空腹に滲みた。
また不安定な胸部全体が、息をするたび抉るようにひしめいてる。
もし三肢が機械でなかったら、とっくに酸素不足でやられていだろう。
良い具合のぎりぎり加減だ。
またこうして生きている。
「腹減ったなぁ、ほんと、腹減った。」
地面に接地した両膝が、細かな振動を感じている。
天井からは燦々と砂が降りおちた。
やり切った満足感に浸っている場合ではなかった。
ぼさっとしていては、またゴキブリに遭遇してしまう。
「行こうか、ルニア。地上にさ。腹減ってるでしょ?」
静かに首を動かすルニア。
潤史朗は立ち上がった。
意識から遠のいていた、抉り込むような痛覚が目覚める。
その刺激に一瞬思考が飛びそうになったが、頭も体も何とか踏みとどまった。
喉から湧きあがる血が旨い。
背中にルニアをおぶった。
天井側の穴にはもう登れない。
リスクは伴うが、入ってきた方の穴に戻る事にした。
どの道、天井からいったとしても、ゴキゲーターがいないという保証などないのだ。
揺れる地面の謎の振動が強まった。
石室の崩落危険が高まっている。
呼吸は荒く、頭もぼんやりしているが、足取りだけはしっかりと穴の方へと向かう。
最後に一旦振り返り、もう一度、目に焼き付ける様に石室を眺めた。
また必ずここに戻る。
潤史朗は静かな決意と共に、石室を後にした。
それからと言うもの、また随分と歩いた気がする。
それは何時間、いや何十時間か経過したのかもしれない。
潤史朗の頭の中では、当初の予定通りエレベータ空間の付近でクガマルのよこす救援を待つ予定であったが、いくら歩けども、一向にそこに辿り着く気配がない。
普通考えれば迷いようもない。
分岐のない一本道をただ歩いてきただけであるのに、来た道を戻っても同じ場所に行きつかない。
いや、もしかしたら朦朧とする意識の中、時間感覚がおかしくなっているだけなのかもしれないが、それを踏まえても明らかに何かがおかしい気がした。
考えられるのは、この暗闇の中、そもそもあった分岐を単純に見落としていただけなのかもしれない。
それを一本道だと錯覚し続けていただけなのか。
その可能性は低いが、あり得ない話ではない。
だけれども、それをどこで間違えたのか、探すだけ無駄と言うものだ。
体力的にも電力的にも、無駄に徘徊している余裕はなかった。
今はただ、どこかに行きつくことを願いつつ、一歩また一歩と踏み出し続ける事しか道は無い。
流石に、終わりのないなんてことはないはずだ。
むしろ、ここで止まって救援を待つ方がいいのかもしれない。
クガマルは恐らく、ここに携行する追跡用発信機を頼りに自分を探すだろう。
こんな訳の分らない場所で立ち止まるなんてのは、探す側からしてみれば、大変面倒な事になるが、こちらは本物のサバイバル真っただ中なのだ、多少面倒を掛けるのも致し方ない。
そう思って、一旦ここで立ち止まり、ごつごつした岩肌に腰を掛ける。
念のため、そう念のために、ポケットに忍ばせた追跡用発信機を確認した。
ここで確認したのが運のつきだった。
ポケットの中から現れたのは、バラバラに砕けた発信機の残骸。恐らく戦闘中に衝撃が加わったのだろう。
どうしたものか。
見なければ良かったと思った。
まぁ何とかなるだろうと、いつものように自分に言い聞かせる。
焦っても、壊れたものはどうしようもない。
ここで休憩しよう。
それでいい。
背中のルニアを下に降ろした。
相変わらず、まだ元気が戻らないようで、依然としてぐったりとしていた。
ミステリアスな小さな少女。
何としてでも、この状況を切り抜け、共に地上に戻りたい。
彼女を目の前にして、改めてそう思った。
この少女だから特別そう思うのだろうか。
当然それはあるのだろう。
何と言っても、古代文明の鍵を握る人物なのだから。
しかしそれ以上に、こんな暗闇に人を取り残して去ることなどできようか。
自分には出来ない。
日の光の届かない遥か地面の奥底に、一人取り残され死んでいく。
それはどんな死よりも、孤独で苦しく、そして救われない。
そんな経験は誰もする必要はない。
「地上はさ、明るいんだよ。ここよりずっとね。」
潤史朗は、横になるルニアを膝の上にのせ、ぼやく様にそう言った。
既に、彼の言葉に力はなく、喋ると言うより呟いた。
ルニアはその言葉に、静かに耳を傾けた。
「どちらかと言うと、僕はこの地底世界が好きなんだ。まるで深層心理にダイブするようなさ、危険と神秘が隣り合わせて、何かを探さなくちゃって気持ちに駆り立てられる。」
「でも時々、そんな事がちんけに思える位の感動が、ほんと時々だけど地上には見つかるんだ。」
「どこまでも高い空と、広い海。山があって、草があって、風が吹いて、日が沈む。たったそれだけなんだけど。日が沈んでも、家には待ってる人がいて、朝には昨日よりも眩しい太陽が白く輝く。」
「それの何処がいいんだって? その当たり前の事がさ、時々ほんとに……、ほんとに、何だろうね、綺麗で澄み切ってるんだ。実は当たり前じゃないのかもって思った途端に、急にその何でもない事が凄く良く思える。」
「はは、何言ってんだろうかね。ちょっと頭がぼーっとしててね。たださ、ルニアにも地上を見せたいな。」
「君がこんな場所で、一体何年、いや何百、何千年寝ていたのかわからないけど。それじゃ死んでいるのと変わらないよ。」
――ジュンシロウ。
「何?」
――ルニア、チジョウワカラナイ。
「だろうね。」
――デモ、チジョウミタイカモ。
「意外と普通すぎてがっかりするかもよ。」
――チジョウ、ナニガアル?
「何があるか、ねぇ。そうだ、旨いものが沢山あるな。」
――ウマイモノ?
「うん。あぁそうだ、気に入ってる定食屋があるんだ、そこにルニアを連れて行こう。」
――テイショク?
「店構えはいい加減で、中も小汚いんだけど、店主も愛想無くて。でどこがいいんだって話だけど。時々無性にそこのカツ丼を食べたくなるのさ。」
――カツドン、ウマイ?
「そりゃあもう。」
――カツドンウマイ、ルニア、タベル。
「もっと色々あるよ。」
――イロイロ?ウマイモノ、イロイロ?
「ああ、色々さ。だから地上に戻ろう、一緒に。」
――チジョウ……。
『バッテリーの電力が低下しています。充電をして下さい。バッテリーの……。』
不意に響く警告ブザーと共に電子音声が喋った。
アクションカメラが煩い。
どうやら、ゴキゲーターとの戦闘で力を使い過ぎたつけが回って来たようだ。
一体あとどれだけ動けるのだろうか。
右足が重たい。
機械の手足は、電気を失えばそれはただの重りにすぎない。
まだ少しは動けるか。
いづれにしても、完全に停止するのは時間の問題だ。
同時に意識の方も段々と薄れていく。
原因は何だろうか。
出血多量か、ただの空腹か、それか酸素が少ないせいか。
考えようにも頭が回らない。
目の前のルニアが体を揺すっているのに気が付いた。
相変わらず目は閉じられたままだが、その顔には心配そうな表情が浮かんでいる。
なに、大丈夫だと、声を出したつもりだが、もはやそれすら叶わない状態だった。
必ず救援は来る。
不思議と、まだ死ぬ気がしない。
それも一人きりではないからだろうか。
そして、ここにはいないがクガマルがいる。
それが今自分が安心しきっている大きな要因でもあった。
あれはもはや相棒ではなく、分離した自分の一部とも言える極めて特殊な存在だ。
右腕を伸ばし、その手を彼女の頭の上に乗せた。
せめて、彼女を不安がらせないようにと。
ルニアの心配そうな表情を最後に、目の前が暗く沈んだ。
――ジュンシロウ? ジュンシロウ?
いくら呼びかけようとも、それに反応する動きは無くなった。
まさか死んでしまったのか。
慌ててその両肩を掴んで前後に揺らす。
反応はない。
手を放すと、上体はがくりと前かがみに倒れた。
――……ジュンシロウ?
沈黙。
光のない世界に、音までもが失われた。
一人残される少女。
彼女の頭を撫でるその機械の腕は、再び動き出すことは無かった。
閉ざされた彼女の両眼は、光を知らない。
しかし、今は本当の意味で光をなくしたようだった。
それは、自身を知らない世界まで導く、まるで道しるべのような暖かい灯火。
しかし今は真っ暗闇。
虫のような、小さな息遣い。
失われたと思っていた音はかすかに残る。
潤史朗の胸に、ぴたりと耳を当てくっつくと、確かに呼吸の音をそこに感じた。
まだ灯火は消えていない。
その小さな希望に何を思うか。
それは、その男と同じ、共に地上へ行きたいと。
ルニアはその小さな体を、潤史朗の体の下へと潜り込ませ、彼を持ち上げようと試みる。
無論、それは不可能だ。
体格差は2倍とまではいかずとも、子供と大人の差ほどはある。
次には、彼を引きずって歩く事を試みる。
しかし、こちらも上手く行かない。
自立しない機械の三肢は金属の塊。ルニアでなくとも重過ぎる。
どうやっても、潤史朗を移動させるのは難しい。
無理だとわかりつつも、彼女は何度もそれを試した。
体勢を変え、引っ張る位置を変え、何度も何度もそれを試した。
もしかしたら、少しは移動したかもしれない。
もしかしたら、先ほどのような、目に見えない力が起きるかもしれないと。
しかしその努力は虚しく終わる。
やがて力尽きたルニアは、潤史朗の腕の中に戻った。
動かないのならばどうしようもない。
彼と共に、また長い長い眠りにつけばいい。
どの道行く場所なんてものは無いのだ。
思えば、誰かから必要とされたこともないし、誰かを必要としたことなどない。
記憶はないが、それだけは何となくだがはっきりとわかった。
潤史朗がいなければ、特に目的なんてものは無い。
ただ彼が助かればいいのかもしれない。
これでいいのだろうか。
失われようとする確かな灯火。
いづれ消えるが、今は確かに、ここに輝いている。
この暖かい胸の鼓動、小さくとも息づく呼吸の音。
それが止まるまで何もしない、出来ない、それでいいのか。
初めてかもしれない、誰かとの繋がり。
やはり。
失われるわけにはいかない。
――ジュンシロウ、ルニア、タスケル。
彼の胸の拍動を感じて、再びここに意を決したルニア。
もう一度、彼を引きずる事を試みた。
動かない。
しかし、諦める選択肢は彼女にはない。
ここで共に朽ちるのも良かったのかもしれないが、この先に見える何かを渇望せずにはいらない。
この灯火の先には必ず何かが待っている。
今なのだ。
今ここで動かねば、その小さな希望は消え失せる。
気付けば潤史朗の体は僅かながら移動した。
やれると、動かせると確信する。
必ず彼を助けるのだ。
――ジュンシロウ、タスケル。ルニア、ヤル。
不意に、現れる小さな瞬き。
潤史朗の腰のポーチが蒼く輝いていた。
――ルニア、ガンバる。絶対に助ける。潤史朗と一緒、二人で地上へ。
その光の輝きは、石室内で潤史朗が採掘した蒼い光の結晶だった。
それは、ポーチすら透過するほどの強烈な光。
そしてその輝きに呼応するかのように、潤史朗を引きずるルニアの力は強まった。
いつしか、潤史朗の体はずるずると難なく彼女に引っ張れた。
機械の手足も何のその。
いづれ引っ張る事に効率の悪さを覚え、自然に潤史朗を背中に担いだ。
男としては小柄な潤史朗。
今のルニアならば、彼を背負うのも不可能でない。
結晶の蒼い輝きは、まるでルニアに力を与えるかのように瞬いた。
――潤史朗、死なせない。