第16話 声
前方を照らす唯一の光は、側頭部アクションカメラから出るスポットライトのみ。
暗いのも狭いのも、いつも通りだが、いつも一緒の喋り相手がいないと言うのは、頭では理解しても、形のない感覚がぞっと不安を掻き立てた。
もしかしたら、彼らは死んでしまったのではないか、自分は本当に一人になってしまったのではなかろうか。
そんなはずはないとわかっていても、妙に気持ちに余裕がない。
だったら引き返して寝ていろと、きっと相棒がいたらそう言うのだろう。
だがしかし、この胸には、それに勝る好奇心が膨らんでいた。
魂が未知との遭遇を渇望しているのが、胸を発して全身に、指の先まで伝わっている。
この狭い暗闇にたった一人という状況と、未知と神秘と幻想を求める探求心が、ぐるぐると混ざり合って、丁度いい具合に気分が高揚した。
この恐ろしさが不思議と心地いいのはそのせいだ。
どんなに先が暗くても、上も下も右も左もわからなくなるような異次元空間だとしても、もう足が進むのは止められない。
かつて自分が夢見た地底の神秘。
自分の知らない自分は、きっと壮大なロマンを求めて、この地底を冒険したに違いない。いや、きっとそうだ。
そして今も追い続ける自分がここにいた。
やはりこれが魂の性というものなのだろう。
もう何分、何時間と進んだのだろうか。
夢中になっているせいか、それとも闇の中にいすぎたせいで、正確な時間はさっぱりわからない。
もしかしたらもう何日もたっているのかもしれない。
流石にそれはないだろうが、仮にそうだったとしても特段驚くことは無い。
本物の闇のなかとは、異次元空間のようなものだ。
それは、自身に秘める様々な感覚を狂わせていき、いづれ自分の中と外の区別がつかなくなる。
まるで、自分が胸の奥底に沈めていたなにかが、水圧を同じくして外に露呈したような、そんな奇妙な感覚だ。
今ならば、いつも以上に自分の内に眠る何かと、しっかり対話することも叶うだろう。
まるで、怖い夢の中に閉じ込められたような。
脳は完全に実体を見失った。
いつも探し求めていた、地下に眠る古代文明。
この事を考え出すと、決まって頭痛に悩まされるが、今日のところは大丈夫そうだ。
周囲のみなにはいつも否定されてきた。
だがしかし、その不確実な推論、いや願望こそが、今の自分の根底にあると言っていい。
あれは何年前のことか、自分ではない自分は、確かにその痕跡をどこかで目にしたはずなのだ。
その後のことも強烈すぎて、何もかもがぼやけて見えるが、この胸を叩く感覚は、その心臓自身の記憶にある。
それは何処までも純粋な、子供のような好奇心とも捉えることが出来たが、それ以上に、そのことが、まるで自分を知れるような気がしてならない。
どんなに地下に危険が潜もうと、自分を裏切らない自分と自分を止めようとしない自分が、いつもこの体を地下最深部へと駆り立てた。
巨大な虫と戦うのもいいだろう。
今、命を燃やして未知に触れ、自分に触れ、そしてこの地下にあらゆるものを見出したい。
なんて不確実、抽象的でぼんやりとした目標なのだと思う。
しかし、知りたいのだ。
知りたいのは過去。
その古代文明との再会は、きっと去りし日の自分との再会ともなろう。
そのためにはどんな暗闇でも、胸をときめかせ、思いのままに突き進むことができるのだ。
何を言っているのだろうと、自分でも思う。
冷静になってみれば、何でもないかもしれないただの洞穴を、てくてくと無謀に歩いているだけだ。
きっと隣に喋る相手がいないせいで、思考は脈絡もなく、ただ思ったままに脳みそを掻き回しているのだ。
思えば左腕がないのも忘れていた。
便利なようで不便な体だ。
ハイブリッドなんてのはちっともエコなんかじゃあない。
パンもご飯も食べるのに、バッテリーも充電しないと動かない体だ。
遭難したら真っ先に死んでしまう。
結局のところ、何億年かの長い歴史の中で進化した生命の体には、たかだか人が数年でデザインしたような無機物など、その万能性に敵うはずはないのである。
それを思うと、生命のロマンとは、なんて身近なものなのだろうとしみじみ思う。
この足2本にそして右腕。
どちらも人工の機械でできている。
これが特に優れていると感じたことは少ないが、実際思ってる以上に助けられてきているのだと思う。
例えば、この穴に飛び込んだ時。
ヒカさんの跳躍力は平均的な男性のそれとほぼ同じだろう。だが自分はそれ以上の脚力で壁を蹴り、5メートル離れた反対側壁の穴に難なく飛び込めた。それも全てはこの機械の足のおかげと言えた。
ただ、そこで無邪気に喜んでもいられない。
機械の四肢は単能に秀でるが決して万能ではないからだ。
今から数時間後、きっとこの体に嘆くことになるだろう。
体はまだ動くのに、足と腕の電力が切れ、本当に身動きが取れなくなる。
なんて体だと、思うのだろうか。
ただ一つ、四肢がなくなる前の事はいささか以上に曖昧だ。
ぼんやりと、あまりはっきりしない。
だからこの体は、むしろ機械なのが自然で当たり前のことだと感じている。
時々不満があっても、生の体の方か良かったと思う事は無いだろう。
さて、もう何キロこの穴、と言うか洞窟を進んできたのだろうか。
なあ、クガマルよ……。
――ダレカ、ダレカ、……イルノ?……。
誰かって、僕じゃあないか、クガマル。
いや、待て。
クガマルは今いない。
しかし今、誰かの声が脳内で囁かれた。
だれか知らない女の声。
いやいや、幻聴だろう。
なんせこの暗闇だ。何が音で、なにが妄想の音なのかはっきりしない。
今のは単に、独り言に対する脳内妄想会話。
誰かが答えたわけじゃない。
――ダレカ、……ダレカイルノネ、……、アナタハダレ?
「ははは、僕は潤史朗さ。志賀潤史朗。君は誰だい?」
脳内から繰り出される音の対する自己問答。
この暗闇にここまで頭を狂わされるとは意外だが、いつもの相棒がいないとこんなにも自分がわからなくなるのかと、少しばかり情けなくなる。
――ワタシノ、コエガ、キコエルノ?
聞こえるって。
自分で一体何を言っているんだろうかと。
我ながら自分の頭のおかしさに戸惑う。
――アナタハ、ジュンシロウ?
そうだが……、何だ。
これは何かの錯覚……。
――ココハドコ?……アナタハドコ?
錯覚なのか。
すこし落ち着こうと思う。
ここまではっきりと、無意識の声が頭に響くものなのだろうか。
確かにここは、正気を失うほどの極限近い環境。
――ドコニ、イルノ?
だが、幻聴にしては、はっきりとし過ぎだ。
相棒がいない今、自身を正確に客観視することはかなわないが、わかる範囲で今自分は正気である。
――ドコ、ナノ?
誰かが頭の中に直接話しかけているのか。
感覚的にはそんな風だ。
だがしかし、薬物をやっている訳ではあるまいし、そんな馬鹿なことはあるまい。
――ジュンシロウ……。
いや。
確かに聞こえる。
進めば進むほど、それはより鮮明に、かつ音を増して。
最初は囁くほどの微小な音だったが、今では、まるですこし近くで話しかけられているような程の距離感だ。
何か、この先にあるのだ。
そう思うと、前に進む足は自然と速まった。
するとやはり、頭に響く奇妙な音声も、予想通りその存在感を増す。
確実に、その先に何かがあるとの確信が強まった。
あえて声には答えずに、ただただ進む足を速めた。
妙に頭はクリアに冴えていたが、酔っているような、そんな不思議な幻想感も隣合って、今までにない新たな感覚に包まれる。
ただひたすら前進した。
するとどうだろう。
何かが視界の先に現れたのだ。
それは光。
青白く、ぼうっとそれはうごめいた。
いや、うごめいてはいない。ただはっきりとせず、なんとなく視界に映っているような気がした。
最初はそれは目の錯覚だと思った。
なんせこんな暗闇だ。目が光を捉える感覚は忘れてしまっている。
ではあの青い光は何だろうか。
これも頭の中の幻想なのか、それともホントに光があるのか。
もう少し歩いて近づく。
確かに明かりだった。決して勘違いではなかった。
更に歩くと、その光は、よりはっきりと姿を現す。
それはいつしか目の前に。
手の届きそうなそこに、それは存在した。
何だろう、夢なのか、死んだのか。
いや、夢ならばきっとアクションカメラは使えない。
どういう理屈だ、と言われるかもしれないが、とりあえず、ポンと側頭部のそれに触れ、スポットライトで正面を照らした。
するとどうだろうか。
ふと我にかえる。
目の前の足元は、僅か数十センチ先で途切れ、その先の足元の空間は、がくりと下に落ち込んだ。
一寸先は崖のよう。
慎重に、慎重に前進する。
それは崖ではない。
行きつく先にあったのは、見事に広い空間だ。
所々に埋まった青い結晶が、幻想的な光を放ち、その部屋とも言える空間を蒼く演出していた。
穴を抜ける。
ひょいと地面に着地した。
空間、と言うより部屋なのだろうか。
だが、上下左右はコンクリートのそれではない。
しゃがんでみる。
これは岩だ。
まるで古墳時代の石室を思わせる。巨大な岩を丁度いい具合に重ねて敷き詰めてあった。
言うなれば、やはり古墳か。
さて、ここは何処だ。
到達した地点は妙な空気とその乾いた匂いで溢れる。
まるで知らない時代の人間が作り上げたかのような遺跡、いったい自分はいつから古墳探検をしていたのだろうと。
いや、まて古墳とは。
古墳。
この壁の周りに描かれる奇妙な文字と、落書きのような壁画。
いや、本当なのだろうか。
にわかに信じられないが、古代遺跡に来たような気がする。
勿論実感は湧いてない。
なんたって、それらしい空間が、当たり前のようにぽんとそこにあったのだから。
そして、なぜこんなものを、いままで誰も見つけられなかったのだろう。
少し冷静になろう。
……。
どうやら、世紀の大発見をしてしまったようだ。
――ソコニ、イルノ?
頭の中から声が聞こえた。
やはり、耳で捉えてはいない。
奇妙な脳内再生音。
その原因は恐らくここにあるのだろう。
「君は誰。」
その声に応答した。
――ワカラナイ、ジュンシロウ。ワタシハダレ。
「そうか。」
見事にコミュニケーションが成り立った。
この音声の主は一体何処にあるのか。
果たしてこれは、呪いか、悪魔か、亡霊か。
そんな非科学的な事、普段考えもしなかったが今日と言う今日はそれを、信じざるを得ない。
とりあえず探索だ。それに尽きる。
思わぬところでの古代遺跡発見。
まるで声に導かれるように辿りついたが、意外なほど落ち着いているのも、やはり声のせいなのか。
いまいち夢の中という感覚から抜け出せていない。
さて、見渡す周囲には、ずらりと壁画に囲われている。
地球上のどこの遺跡とも似ない壁画は、人と虫を抽象的に表現する。
いや、芸術的とも取れるのだろうか。
絵には詳しくないが、実際のものに似せて描くというより、まるで特徴を誇張したような描かれ方。
人は小さく、虫は巨大に。
見た限りゴキブリにハエや蚊、そしてムカデにクモに蛾や毛虫。
一般的に気持ち悪がられる生き物ばかりが描かれている。
害虫という括りでいいだろう。
そしてさらに奥へと進むと、横に倒れて眠る人達を発見した。
人は人でも肉体が朽ちた骨格のみ姿であるが、それは頭蓋骨から足先の足趾骨まで綺麗に揃っており、平らな石机に横になった。
その人骨群は10体ほど。
まさか、とは思うが、声の主は彼らからだろうか。
そう思って、頭蓋骨の一つに顔を近づけるが、反応はない。
石室には更に奥があるようだ。
綺麗に並ぶ人骨をゆっくりと通り過ぎる。
地面はところどころ不自然に抉れて乱れが確認できる。
壁も、所々崩壊が見られ、完璧な保存がなされた様子ではない。
ここに進入した穴の延長線を、崩壊跡が通り過ぎていた。
壁画は部分的に擦れて消えかけ、岩壁は不自然に退けられている。
そんな様子を観察しつつ、奥へと足を進めると、そこに発見したのは一つの石棺。
その表面は知らない文字で埋め尽くされ、その重量以上に重々しい空気を纏っているようだった。
まるでずっと前からここで誰かを待っていたかの様にそこに佇む石棺。
一帯の空気を圧迫するかのような存在感。
だが、そのミステリアスな雰囲気は、見る者を吸い込むかのような魅力も同時に起こした。
ゆっくりと歩み寄る。
そして、迷うことなくそれの重厚な蓋を横にずらす。
岩と岩が擦れて鳴く。
かくして開かれた石棺。
中にあるのは、枯れた花。
そして、それに囲まれて眠る少女のミイラであった。
まるで生きているかの様に美しい肌。
それはとても乾いているとは思えない質感に見える。
いや、ミイラなのか。
石棺を開けた途端に伝わった空気は、ひんやりと冷たく、周囲の大気状態とは明らかに異なるものに感じた。
少女の推定年齢は十代の前半くらいだろうか。
纏った白い衣服は、肩から膝下まで繋がった一枚のみ。
顔立ちは東洋人らしからぬパーツで構成され、頭髪は金というよりは銀色、腰に掛かるほどに長い。
本当に死んでいる、のだろうか。
死体にしては、綺麗すぎる。
まるで今にも動きだしそうな体は、肌が白くきめ細やか。
ミイラというより、もはや造形品とも言える美しさを持っている。
その感触に触れてみたいと、半ば無意識に伸ばされた右腕。
それは少女の小さな頬に向かって、優しくそっと近づき、そして触れた。
冷たい。
やはり死んでいるのか。
と、そう思ったその瞬間だ。
銀の睫毛で飾られた彼女のまぶたがぴくりと動く。
彼女は、触れられた手の方に首を動かした。
生きている。
少し焦って自分の右腕を引っ込めるが、それ以上に腰を抜かすことはなった。
自然と、この少女が動くことが当然の様に感じられ、特段動揺することなく彼女の顔に見入った。
そして彼女も、その小さな顔を動かしてこちらを向いた。
――ジュンシロウ。
頭の中で響く声。
その主は彼女であった。
「君は?」
――ワタシハ……。ワカラナイ。
ふとその時、このやり取りに激しく既視感を覚えた。
冷たく柔らかい肌にふれ、優しく語り掛けられる少女の声。
いつか、どこかの昔で、こんなやり取りに覚えが……。
それはゴキブリより以前の。
いや以前ではない。
いつか、どこかの、わからない。
しかしそれも、知らない遺跡で、ここではないが、ここであったような。
頭がぐるぐる空で回る。
知らぬ間に、地面に膝をつく自分がわかった。
その刹那、頭の中が引き裂かれるような、脳が捻じ切れるような頭痛が走る。
声に出ない叫びと共にその場に倒れた。
石棺の少女は視界から離れ、岩壁は遠くに。
息が上がり、そして全てが暗くなる。
昔の事を思い出しそうになるといつものこんな感じだ。
クガマルはいつもこの事に気を遣ってくれていたが、思わぬ既視感に知らない過去を近しく感じ、そして頭がひどく痛み、意識がだんだん遠のいた。
視界が霞み、ぷつりと途切れた。




