第14話 エレベーター3
こうして二人と一基が飛び込んだ穴。
それはエレベータ昇降スペースの壁に不自然に空けられた、いわば割れ目のような隙間であった。
大きさとしては、ぎりぎり人が立ち上れるくらいの高さがあったが、隙間内部の縦横サイズはまちまちで、広い空間もあるが、場所によっては屈まなければ通れない低い所もあった。
いづれにしても通行は可能であるようだが、意図的に掘ったとすれば雑でいい加減、またわざわざ掘った目的もわからない。
「これは一体……。」
潤史朗は、側頭部のアクションカメラから発する光で周囲を照らした。
「データにも載って無いな。完全に知らない場所だ。」
再び彼の背中にくっつくクガマル。
潤史朗は、内壁に近づくと、アクションカメラのレンズ枠部を回して設定やピントを適切に設定。穴の壁面の更に詳細な映像を撮影する。
「掘った年代は……、そんなに古くないか? いや、何とも言えないね……。」
「そうか。」
「って!! それどころじゃないっすよ!!! 腕!! 腕は!? 早く手当しないと!!」
今までずっと伏せていた輝人は、立ち上がると突然に大声を出した。
「こいつは謎だな、目的も意味も不明だ。ジュンシロ―、この先に何か施設はあったか?」
クガマルは完全に輝人を無視して話を続けた。
「いやいやいやいや! うで!! 腕でしょ! まず。ね? ジュンさん!?」
「施設というか人工物は何も無いはずだよ。少なくとも図面上は、ね。」
潤史朗も、まるで輝人に気が付いていないかのように、夢中になって壁を観察している。
「そうだ止血!! まず止血じゃね!? えっと、包帯は……、ってあるわけないし。よしっ、それじゃ。」
輝人はそう言うと、自分の服の袖を破り始めた。
「だけどしかしだねクガマル。この場所のこんな雰囲気、僕は初めてじゃないと思うよ。なにか思い当たることはない?」
暫くしゃがんで内壁を凝視していた潤史朗は、立ち上がるとおもむろにそう言った。
「あ?何かあったか?」
「ヒントは、護送車からエレベータまでの道のりだ。何かなかった?」
「んん。ねーなぁ。」
「あったよ。普段は綺麗な道だったはず、でも僕たちはそこで躓いてゴキゲーターに距離を詰められたんだ。」
「……言われてみれば、そうだな。確かに想定外の悪路が一箇所あったな。」
「そう、想定外の荒れた路面。データ上そこは平坦だったはずだ。穴ではないけど、そこの路面もこんな感じじゃなかったかい?」
「それとこれが同じ過程のもんだって言いてえのか? ねえだろさすがに。その推論は強引だぜ。ただ荒れてるだけの路面と穴に特別な共通性なんてあるかよ。そもそも距離が離れすぎてる、現実性に欠けるな。」
「確かにそうだ。でも距離の問題じゃあ、それを実証する重要参考人がここにいるよ。」
「あ?」
「ヒカリンこと池上輝人。地下5000の境界に空けられた、その割れ目の通行者だ。」
「ん?」
潤史朗はそう言うと、手で輝人の方を指した。
二人の注意が彼に向く。
「ジュンさん!! これで止血を!!」
同時に、輝人はちぎった布を両手で持って、それを押し付けるように潤史朗に突き出した。
「服の袖が破れてるよ? ヒカさん。」
「今破ったんすよ! ほら、これで血を止めて!! ……って、あれ。」
輝人は、額に装着したLEDのライトで潤史朗の全身を照らした。
だがしかし、彼の体から一切の出血はない。ただ、上に着た長袖作業服の袖が派手に破れているだけに留まっていた。
「血が流れてない。いや、でも確かに、蚊に……。」
輝人は、力が抜ける様に布を掴んでる腕を下に垂らした。
「馬鹿かお前は。蚊にくわれた程度で包帯巻く奴がどこの世界にいんだよ。大げさにも限度ってもんがあんぞ。」
「ええ!?いやでも、確かに蚊っすけど、あの嘴、めっちゃデカ太っすよ? そもそも体の大きさがクガマルさんくらいあったじゃないすか!」
「だとよ、ジュンシロ―さんよ。」
「悪いね、ヒカさん。心配かけたようで。」
「あ、いや、そのぉ……。どうなってんすか?」
肩を落とす輝人は、若干自分の目を疑った。
つい先ほど、この人の腕は、あの化け物のような蚊に突き刺されたはず。それも、クガマルの言っているような、一般的な可愛い蚊ではなく、むしろクガマルサイズの巨大な蚊であった。
あんなものの口で刺されたら、痒くなるどころか致死的なダメージは確定だ。あれの口が刺さるなど、まるで戦国時代の侍か何かに槍で貫かれるようなものだろう。
だが、暗いせいか、その傷口は良く見えない。しかしそれでも流血がないのは確認できた。
もしかしたら、実は刺されていないとか、そういうタネということなのか。確かに冷静になってみれば、潤史朗は驚くほど落ち着いている。普通そんな怪我を負えば、きっと痛みでのたうち回るか、もしくは気絶するだろう。
納得はいかないが、無事ならそれに越した事は無い。
取り敢えず話を聞いてみよう。と、輝人はそう思った。
「まあ何でもいいじゃないか。で、そんなことはどうでもいいのさ、今。さあ話を戻そう。」
潤史朗はそう言うと、輝人の方に正対した。
「ヒカさん。君は一度これと似たような穴を通行した経験がある。どうだろう、あるか、ないか。勿論地下での話だ。そして全く同じ道を通ったかという事じゃない。ただ、似たような場所に見覚えはないか? という質問さ。」
「え!?」
「どうなんだ?」
潤史朗とクガマルは、輝人に詰め寄った。
「ええと、そうすね。」
輝人は額に指を当て、暫く目を瞑ってうなり続ける。
そして数秒、彼はまた口を開く。
「ないす。」
「と、言ってるが?」
クガマルが潤史朗に言う。
「よく思い出して。例えばほら、君がこっちに来た穴とかさ。」
「穴? ……、ああ、ああはい。はいはいはい! ありますね! ありますっすわ。」
「それはどんな感じの?」
「はい、もうなんか上も下も凸凹で、岩石的なのがゴロゴロしてて、んでもってマジ誰が掘ったんだよこれ的な?」
「それで?」
「いや、もう……、そう、丁度今いるこんな感じの場所っす。」
「そこを通って地下5000に来たんだね?」
「そうっす。」
「という訳だ。クガマル。」
「なるほどな。確かに、もしそれが確定的なら興味深い話ではある。だがまず、そいつが言ってることが当てになるとは思えん。つまりだ、これはまだ、あくまで仮定的な問題。今早急に結論をだす事じゃねえ。そうだろ?」
「そうさ。でも、上に戻ったら即調査でまた潜るよ。すぐここに戻る事になるから宜しくね?」
「お前、いま遭難してる自覚あんのか?」
「へ?」
「はあ……。なんだかな、もう脱出すんのが馬鹿らしいぜ。」
「そうかい?」
言われるまでは気が付かなかったが、確かにこの場所は、自分が地下5000を超えた抜け道によく似ていた。
そう思う輝人は、自分もライトで周囲を照らして内壁の感じをよく見てみる。
思い出すと、あの場所は、別の目的で動画を撮影しに行った時に、偶然見つけた抜け穴だった。
それが新しいものなのか、古いものなのか、自分では全く見当が付かないが、少なくとも昔からあるものではないと思う。なぜなら、確かに自分が第一発見者ではあったが、隠された秘密の抜け穴と言った風ではなく、遅かれ早かれ誰かの目に触れるような、そんな場所にあったからだ。
今地底で何かが起こっている。
自分では、まだまだ地下5000以下について知らない事だらけだが、潤史朗とクガマルの様子から、そんな雰囲気を感じ取ることが出来た。
いづれにしても上に戻ったら逮捕され、そして記憶も消されるのだろうが、例え今だけであっても、この人とその相棒の行く末を、ずっと追い続け、そしてこの地下の秘密を共に触れてみたいと、そんな感情も確かにあったのだった。
「ここで一旦別れよう、クガマル。」
潤史朗は藪から棒にそう言い放った。
「は?」
「うん。それが最善さ。」
「突然なにを言い出すかと思えば。だがお前の魂胆はわかったぞ。お前のお花畑の思考回路じゃ、そっちの穴の奥に進む気なんだろう。どうせまだ余裕だからついでに調査しようってな。お前はこの穴がどこに続いてるか気になって仕方がない。そうだな?」
「いいや、違うね。確かにそうだが全然違う。はずれだよはずれ。君ははずれさ、クガマル。」
「腹立つ野郎だな。おい。」
「そもそも穴の続く先の調査なら、一旦別れる必要がないじゃないか。」
「じゃあ何だってんだ。」
すると潤史朗は突然、背中のボンベを下ろし始めた。
ハーネスのバンドを、腰、胸と順に外していき、導管から伸びた放射ノズルも抱えて、その一式を地面の上にそっと置いた。
「お、おい、急にどうしたお前。」
少し驚くクガマルを横に、潤史朗は更に言った。
「これは君が担ぐんだヒカさん。使い方は簡単さ、誰でも扱えるようになってるから心配ない。それでも不安なら、クガマルに聞くといいよ。」
「え!? 俺が!? これを!?」
「おいどういうこった!! コイツとオレが二人でだと!?」
「そうだ。君とヒカさんがペア。僕は一人ここに残る。」
「意味が分からねえ!! ちゃんと説明しやがれ!!」
クガマルは声を荒げた。
「説明がいるかい? 君なら察しがついてると思ってたけど。」
「あ?」
潤史朗はそう言うと、左手の皮のグローブを手から外す。
そして手首まであった作業服の袖を、先端からまくって上腕の上の方までめくり上げた。
するとどうだろうか。
そこに付いていたのは腕だ。
しかし、それは人間の腕ではなかった。
ただ形状にあっては人のそれと同じ、いや人の腕を模したものである。
それは細胞から成り立つ、血の通った生のものではないのだった。
表面はアルミ素材やカーボンなどから成り立っており、そのつなぎ目や隙間から、赤や黒の配線が覗き見える。
複雑な動きをする関節は、肘や五本の指の先までが、忠実に人の動きを再現する機械構造。
まるで最先端の技術を結集して作られた様な、ヒト型ロボットの腕そのものが、彼の肩から先に生えていた。
「き、機械の腕……。」
それを目にした輝人は、両目を大きく丸して唖然とそれを見入っていた。
「解説は省くよヒカさん。で、クガマルここだ、わかるね。」
潤史朗は反対の手で、機械の左腕の一部を指す。
そこは確か、デスモスキートの攻撃をもろに受けた箇所であった。
その部分は、金属が大きく変形し、中から飛び出した配線はズタズタに千切れ、また小型のモーターとみられる物やその歯車も、バラバラに破損されていた。
「こういう事だ。僕はまともに壁を登れない。」
「マジか。」
「こっちの腕はもう完全に動かないんだ。これじゃあどうしようもないでしょ。」
「なんで早く言わねえ。」
「いや気付いてると思った。」
「他に言ってねえ怪我は?」
「ないよ。」
「ならいいが……。」
「どどどどど、どうしよう!! ジュンさんが壁を登れない!? ジュ、ジュンさん!?」
輝人は我に返ったように急に慌て出した。
「別に大したことじゃないさ。君とクガマルで地上に戻って、またここに応援をよこしてくれ。数日なら問題ないよ、実はカップ麺の他にも携帯食料を忍ばしてる。」
「ででででも、その間にゴキブリとか蚊が来たら!?」
「まぁこの中は大丈夫じゃない?」
「そんな適当な!」
「わかった。」
クガマルが静かに言った。
「確かにそれが最善策だ。コイツの背中に乗って行けばオレもバッテリーの節約になる。」
「でも! ここで虫が出たらどうするんすか!!」
輝人は少し大きな声をだした。
「ジュンさん丸腰じゃないすか!! 俺もここに残ります!!」
「駄目だ。」
潤史朗は、短くそう言い放つ。
「どうして!?」
「クガマルが言った通り、君がクガマルを背負えば電気が節約できる。ぶっちゃけクガマル単独のバッテリーで地上まで戻れるか怪しい。いや、無理だろう。」
「……。」
「残り一本のメガキラーだ。僕より君が持たなきゃね。長い道のりだし、ゴキゲーターとの遭遇は避けられないよ。」
「わ、わかったよ。」
「まあ、僕を助けると思って頑張りたまえ。」
そうして潤史朗は輝人に殺虫剤のボンベ、メガキラーを背負わせた。
そして、使い方の説明を簡単に行う。と言っても、要は開栓して放射レバーを引くだけの簡単な操作だ。ただ、気をつけないといけないのは2点だけ、それは射程距離とボンベ残圧。射程外の相手に撃てば貴重な薬剤の無駄遣いであるし、また残圧も気にして、決して切らさないように立ち回らなければいけない。
幸いこのボンベは、先ほどデスモスキートを倒しただけで満充填に近い状態であり、慌てずクガマルの指示のもと使用すれば地上まで何とか持たせられるだろう。
「いいね、しっかり頼むよ。クガマルも、頼んだよ。」
「しゃーねーな。」
「それと、餞別にこれをあげよう。」
「?」
そう言う潤史朗は、腰のポーチから携行の工具セットを取り出した。
それで何をするかとおもいきや、左腕の根元に工具をあて、ボルトやねじを緩める。みるみる内にそれらは外され、瞬く間に、破損した左腕は、左肩から離脱した。
そして、その腕を輝人に差し出す潤史朗。
輝人は驚きながらもそれを受け取った。
「遺品すか?」
「縁起が悪いねぇ。バッテリーだよバッテリー。これに内蔵されてるから、もしもの時はクガマルをこれで充電して。一応工具も貸しておくよ。」
「なるほど。」
「まぁ、確かに遺品にもなり得るのは本当だけどね。」
「いやいやいや、そんな、いや、すんません、……。」
「ま、冗談だよ。ははは。」
「……。」
「じゃあクガマル、戻ったら関西支部に応援頼むよ。こっち来るのに渋るようなら、まあ適当に法螺吹くなりしてさ。もしかしたら課長がすでに連絡入れてるかもしれないけど、まぁよろしくよ。」
「それはねえだろ。あのジジイだぞ?そんな気の利いたことは絶対にしねえ。」
「確かに。」
「あとそれとさ……、」
「んあ?」
「一応、夏子にも連絡頼む。」
「それは一応なのか?」
「ああ、いやまあ。きっと心配してんじゃん? いい感じに頼むよ。な?」
「まぁ任せとけ。」
こうして輝人とクガマルは再び壁登りの準備を整える。
靴の紐を結び直し、ポーチなどはしっかり体に密着させる。
そして、壁登り中の会敵を考え、クガマル指導のもと防護マスクや放射ノズルを適切な配置に整えた。
「いいね。」
「それじゃジュンさん!! 俺行ってきます!! そんで絶対助けに戻りますんで! 待っててください!!」
「いいよー。」
「なんか軽いすね……。」
「じゃ、クガマルよ、くれぐれもヒカさんのこと頼んだよ。あと一応、怪虫追跡用の発信機を電源入れて持っとくから、探すときはその信号を拾ってくれ。」
「了解した。」
「んじゃ達者でなぁ~。」
こうして輝人とクガマルは、穴から抜け出してエレベータ昇降空間の内壁登りへと復帰した。
謎の穴に一人残った潤史朗。
彼は二人を見送ると、すっと穴の奥へと向き直った。
「ま、そりゃ気になるでしょ。ならない訳がない。どうせ暇だし、ジュンシロウいっきま~す!」
一人になった潤史朗は、軽快な足取りで穴の奥へと進んで行った。