第6話
クリスティーナに角を向けたホーンラビットは俺と同時に地面を強く蹴る。
相変わらず凄い勢いで突っ込んでくる。
さすが、スキルに突進を持っているだけの事はある。
しかし、俺の方がクリスティーナとの距離が圧倒的に近い。
俺は飛び出した勢いそのままに、クリスティーナを突き飛ばす!
しかし、
「グッ!」
クリスティーナをなんとか角攻撃から救う事には成功したものの、今回は俺がホーンラビットからカウンター攻撃を食らう。
自分から飛び込んで行った為、正確にカウンターと呼べるかは解らないが、とにかくも到底避けることの適わない速度。
錐揉み状に突っ込んでくる頭突き攻撃が左の二の腕に当たり、強烈な衝撃を残して、ホーンラビットは勢いそのまま俺の横を通過する。
俺はその攻撃でバランスを崩して転びそうになるが、何とか体勢を立て直し、ホーンラビットに向き直る。
うしろ姿のまま、体勢を整えていないホーンラビットが目に入る。
攻撃を受けた反対側、右手に持っていた棍を、素早くホーンラビットに突きを繰り出す! が、その攻撃は空を切る。
なぜならホーンラビットは俺に背を向けたまま、先程のホーンラビットと同様にまたしても逃げていってしまったからだ。
ここで逃げるなら、何故襲って来た!
無駄に打撃を食らって良い迷惑だ!
俺はホーンラビットが逃げて行った方向を睨み付けながら、心の中で苛立ちをぶつける。
そしてその苛立ちは、素早く止めを刺していれば、今回の事は当然避けられたはずなのに、それをしなかった自分への苛立ちも含んでいる。
しばらくホーンラビットが去った方を睨み続け、再び戻ってこない事を確認して、クリスティーナに向き直る。
すると、クリスティーナは手を口に当て、顔面蒼白になりながら目を見開いている。
「な、なんて事……」
クリスティーナの声が震えている。
「あの、取り敢えず落ち着いてもらえないかな?」
いきなり襲われ取り乱すのも解らないではないが、ホーンラビットが一羽、気絶から目を覚ましたと言う事は、最後のもう一羽も目を覚ます可能性がある。
早く処理しなければならない。
俺は出来る限り全力で笑顔をつくり、クリスティーナをなだめる。
「何をヘラヘラと笑っていらっしゃるのです!」
「えっ?」
俺の全力の爽やかスマイルが一撃で否定される。
何と言う情け容赦ないアイドル……北条院クリスティーナ。
やっぱり俺、クリスティーナ苦手かも……。
「あなた、さっきから、ひっ、ひっ、ひっ」
今度はクリスティーナが訳の解らない言葉を連呼する。
ヒッ・ヒッ・フー。ラマーズ法の呼吸法か?
「左腕!」
クリスティーナが俺の腕を刺して叫ぶ。
おいおい慌てるな、ほら、ヒッ・ヒッ・フー。などと内心ふざけながら、何かな? と左腕を見ると、服が破れ血がダラダラと流れている。
一瞬、えっ? と、思考がとまる。
ホーンラビットから攻撃を受けたときから、左の二の腕が熱い感覚はあった。
強い打撃を受けたのだから当然である。
しかし、痛みはなかったので一時的に無視していたのだが、どうやらそれは戦いに際してアドレナリンがでて、痛みを遠ざけていただけのようだ。
単なる頭突きが決まっただけでなく、角も腕を捉えていたのだ。
俺の横を通り抜けたから、角は引っかからなかったと思っていたのに!
傷の大きさを認識すると、とたんに強烈な痛みが走る。
「くっ」
俺が腕を押さえて呻くと、クリスティーナが慌てて近づいてくる。
「あなた、ち、血が」
慌てて俺の腕からでる血を押さえに掛かろうとする。
「触るな!」
おもわず大きな声で俺が制止すると、クリスティーナがビクリとして手を止める。
「で、でも、こんなに血が!」
クリスティーナはなおも食い下がり、手を伸ばしてくる。
「止めろ!」
開いている右手でクリスティーナの手を払いのけ、俺はクリスティーナから距離を取る。
クリスティーナが傷ついた表情で、手を伸ばしたまま立ち尽くしている。
「他人の血は感染症を引き起こす事もある。迂闊に触るな!」
ここは異世界。油断してホーンラビットから目を離していたら、今まさに攻撃を受けて負傷した。
どんな事でも、油断は禁物なのだ!
大丈夫だと思っても、用心に用心を重ねねば!
クリスティーナは俺の言葉を聞いて、サッと顔が紅潮する。
「何をおっしゃているのですか! こんなときにっ!」
そう言い放つと、ためらわずに俺の左腕を押さえてくる。
あっという間にクリスティーナの白く綺麗な手が赤く染まる。
「ぐっ! ああっ」
強く腕を掴まれ、おもわず呻き声が漏れる。
血が出ていて正確には解らないが、どうやら広い範囲で肉がえぐれている。
恐らくあの錐揉み状の攻撃で、広範囲に傷が及んだのだろう。
ただ、幸いにも深くても数ミリ程度しかえぐれていない。
「包帯か何か……」
クリスティーナは俺の腕を押さえながらキョロキョロと辺りを窺い、自分のヒラヒラのスカートに目を留める。
……いや、止めて下さいよ? マジで。
俺の願いも虚しく、クリスティーナは簡易包帯を作ろうと自分のスカートを破りだす。
「まてまてまてまて! ぐあああぁぁぁ!」
クリスティーナがスカートを破るのを制しようとして動いたとたん、左腕に激痛が走る。
「な、何をなさっているの! 動いてはいけませんわ」
「いや、そうじゃなくて、頼むから俺の話しも聞いてくれ……」
「お話? それは後で聞きますから、取り敢えず傷口を塞がないといけませんわ」
「いやいやいやいや、だから、そうじゃなくて、ぐあああっ」
「ほら、動いてはいけませんわ」
「わかった、わかったから、でも今は急ぎなんだ、ううぅぅぅ」
俺はクリスティーナを右手で押しやり、歯を食いしばりながら激痛を耐え、大きな辞書ほどの石を拾い上げる。
こんな大きさの石を簡単に持てるのだから、やはり身体能力は上がっているな。
と、激痛に見舞われながらものんきに感心しながら、唯一のこったホーンラビットに近づく。
「何をするつもりですの?」
「止めを刺す」
「え?」
「こいつに止めを刺すから、あちらを向いていてくれ」
「え? っで、でも、え? そのウサギさんを、その、殺すってこと?」
クリスティーナが動揺した声で俺に問いかけてくる。
時間が無いから、あまり説明も出来ない。
いまは取り敢えず強行させてもらう。
……しかしクリスティーナよ、ウサギさんて、……さっきから思ってるんだけど、お前、どこのお嬢様?
こんな時まで、キャラを作ってるわけじゃないよな?
「後で説明するが、このウサギさんは魔物だ」
「魔物?」
「そうだ、魔物だ。ホーンラビットさんという人を襲う魔物だ。だからいま俺の左腕はこうなっているんだ」
俺がクリスティーナの方に左腕を向けながらそう言うと、心配そうに俺の腕を見て駆け寄ろうとする。
しかし俺はそれを手で制して、
「いつ目を覚まして攻撃してくるかわからない。やるしかないんだ。わかってくれ」
できるだけ優しく俺がそう言うと、クリスティーナは動きを止めて、困った顔で俺を見てくる。
また襲われるかもしれない。左腕も心配。でもウサギさんが……。
そんなことを考えているのだろう。
……仕様が無い。
「まあ、聞いてくれ」
俺はクリスティーナが何と言おうと、目を覚ませば容赦なく一撃を入れるつもりで、今度こそ油断なくホーンラビットを睨み付けながら話を続ける。
「あんたもホーンラビットから頭突きを顎に食らったのを覚えているだろう?
俺たちは、二人とも襲われているんだ。
こいつも今は気絶しているが、目を覚ませばまた俺たちを襲って殺そうとしてくる可能性がある魔物なんだ。
なぜ魔物と俺が知っているか今は割愛するが、見逃すのは危険だし今すぐ決断が必要なんだ」
クリスティーナに「あなた」「あなた」と呼ばれていたから、ついつい「あんた」などと呼んでしまったが、まあ、今はそれどころではない。
為すべき事を為さねば。
「どうしても見逃すと言うのであれば、安全の為この危険な魔物から全力で逃げる必要がある。でもあんたのその靴では……」
そう言って俺がクリスティーナの靴に目線をやる。
本人も自分が厚底のショートブーツである事にやっと気が付いたようで、足元を見ながら黙っている。
加えて言えば、その服装。
レースがふんだんに使われているブラウスとリボンに、裾の短いブレザー。ヒラヒラしてボリューム感のある超ミニのコルセットスカートで胸元とくびれラインを強調。さらに、ガーターベルトに網タイツといった格好だ。
服の配色も、全体的に赤と金を使用していて、かなり目立つ。
これでは急いでこの場を離れるにしても限界がある。
故に、俺は止めの一言を付け加える。
「それに、俺もこの出血で逃げるのは辛いんだ……」
本当はそこまで深刻なわけではない。
激痛はあるが、川まで行って傷口を洗い、服で縛り付ければ一時的には大丈夫だと思うが、そんな余計な事は言わない。
負傷している上にクリスティーナを抱えて、魔物もいる森だ。
正直なところ、そこまでのリスクを背負って逃走したくはない。
とてもじゃないが、それがベストな選択肢とは思えないし、良い事だとも思えないのだ。
理由は他にも幾つかあるが、いまクリスティーナにそれを言ってもしょうがない。
だって、ウサギさんは食用に使えるかも……とかいえる雰囲気では無いし。
更に言うなら、それより大きな問題もある。……先程チッらと見た、クリスティーナのステータスと言う問題が。
それに、はやく決着をつけて次に進まないと、夜までには安全な寝床も探したい。
俺がそんな事を考えながら黙っていると、
「……わかりましたわ」
クリスティーナが、不承不承うなずく。
ウサギに止めなど、俺でも嫌なのだから、女子にはなおさらの事だろう。
しかし、理解してくれて良かった。
もしかしたら、根は良い子なのかなと、単純な俺は思うわけであるが。
「うん。じゃあ、あっち向いててくれ」
俺はそうクリスティーナに促す。
しかし、クリスティーナは首を左右に振ると、こちらを見続けている。
最後まで見届けたいと言うことか?
中々天晴れな性格だ。
だが俺にはこの子の性格がいまいち掴めないな。
もっとも、いま考えても仕様が無い事ではあるのだが。
……しかし、罪悪感がこみ上げてくるから、手を合わせながら見ているのは止めて欲しい。
まあ、最早グダグダ言っていても始まらない。ここで俺が躊躇っていれば、クリスティーナのせっかく覚悟した心も揺れてしまうかもしれない。
俺も覚悟を決めて、せめて苦しめないようにと、こめかみに一撃を入れる。
ゴッ!!!
クリスティーナが一瞬ビクリと震える。
……やはり、嫌な気分である。
だが、この世界で生きていくつもりならば、慣れないといけないのかもしれない。
左腕に激痛が走るたびに、そう再認識させられてしまう。
しかし、そう考えても、当分は慣れそうもないなと思う。
異世界に来て、いきなり今までと違う自分になってしまうよりは、自分自身でいられていると言う意味で、それはそれで良いのかもしれないが……。