第4話
倒れているクリスティーナは気を失っているのか、身動き一つしない。
死んでいるわけではあるまいな?
たぶん大丈夫だと信じたい。
異世界に来て直ぐに知っている人が、……とかだったら、正直こころが折れてしまいそうだ。
絶対、生きていると思うことにしよう。そうしよう!
角ウサギは、周りをキョロキョロと確認して、舌なめずりをしている。
そのとき、鋭い牙がギラリと光った。
……肉食ウサギか……。
もしや食べる気ですか?
クリスティーナのこと?
お、俺のクリスティーナのこと?
オ、オ、オデのクリスのことを?
いや、ふざけている場合では無い。
しかし、クリスティーナの事を助けようにも、ここからの距離は約五十メートル。
身を隠しながら何とか近づいても、十メートル手前までが、せいぜいだろう。
取り敢えず、角ウサギを鑑定して見る。
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名前:なし
種属:ホーンラビット(魔石)
総合能力値:30
通常スキル:突進
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俺のファンタジー基礎知識の中ではあんなに大きくなかったはずのホーンラビット。
と言う事は、単なる雑魚モンスターでは無いと言うこと……なのか?
しかし俺は総合能力値:100だから、ホーンラビットの総合能力値:30には、楽勝で勝てるくらいの強さだろうか?
知力なども総合された値だから、まだよく解らない部分もあるが問題ないだろう。
三倍の能力値があって問題なら、この世界での生き残りは難しいだろうし。
取り敢えずクリスティーナを助け出すくらいは出来るかな?
であるならば、行くか!
と意気揚々、飛び出そうとした瞬間、ホーンラビットの後ろにあるの木陰から、もう二羽ホーンラビットが姿を現す。
飛び出すのを一時見合わせ、鑑定して見ると、一羽目のホーンラビットとほぼ同様、総合能力値:28と総合能力値:32。
……弱い相手とは言え、まだ良くわからない世界で、三対一はちょっと不味いかも?
いや、それはさすがにビビリすぎか?
単純に考えれば、三羽合計で、総合能力値:90。
俺一人よりも低い値だ。
ランチェスターの法則の考えに基づけば戦闘力はどうなるだろうか?
いや、そんな事まで考えても無駄か。
どんなに考えても数字上の問題に過ぎない。
結局はやるかやらないかだけなのだ。
ちなみに、『種属:ホーンラビット(魔石)』の中で『魔石』を鑑定すると、ここでは、魔石を体内に持つ存在をあらわしているようだ。
そして、更に詳しく鑑定すると、この世界では魔力と魂の混合体である魔石を体内に持つ存在を、魔物と分類するらしい。
さらに、魔物は他の存在を殺し、その死と同時に開放される魂を吸収して、自分の『魔石を強化』するという。
人間などの魂を持つ存在が死んだ直後、その近くにいる魔物は、魂を磁石のように魔石に引き寄せ、吸収する事が出来るらしい。しかもこの『魔石の強化』は、人間や亜人の『魂の強化』と同じく魔物自身の強化に直結する。
このため、魔物によっては半ば本能的に生き物を襲うようだ。
魔物は魂を吸収するという明確な目的があって襲い掛かってくるわけだから、ホーンラビットとも話し合いによる解決は成立しない可能性が高い。
……もっとも、ホーンラビットが話せるだけの知能は無いと思うが。
更にいうなら、例え話し合いの成立する相手であっても、俺はこの世界の言葉が解らない訳だが……。
それらの前提で、今は取り敢えず北条院クリスティーナとホーンラビットをどうするかだ。
ホーンラビットは、あの大きさがあり、かつ牙と角。
最低でも、大型犬くらいの攻撃能力はあると仮定したほうがいいのだろう。
俺のほうが優位といえども、戦力差はほとんどない。
勝ったとしても、負傷する可能性もある。
治癒魔法が有るわけでもないので、傷を負えば、破傷風で死にいたることすらもある。
普通の破傷風菌ならば大丈夫でも、この世界での破傷風菌もどきは、大丈夫で無い可能性が十分に考えられる。
さらにホーンラビットのスキル:突進で一時的に攻撃力にブーストが掛かるのであれば、戦闘力的に不利だ。
どうするか?
考えるまでもない。
逃げる!
逃げるしかない!
当然、「ごめんよ、クリスティーナ……」とかいう展開ではなく……。
不本意ながら、なんとかクリスティーナを取り戻して、逃げるしかあるまい。
これが美月ルナちゃんなら、素直に命はれるのに!
いや、ルナちゃんのためでも、命は、捨てられないけど。
……、いやいや、この考え方は駄目なのか?
アイドルのファンとしては、俺、命かけてますから! くらいの意気込みが必要なのか?
しかし俺はアイドルファンというより、ルナちゃんの事が好きなだけだ!
どちらかと言うと、ファン心よりも、恋心のほうが強いし!
いや、初めての生アイドルで興奮していたし、恋心と言うほどでもないか?
まあ、今はそんな事どうでも良い。
命、大事!
俺の命も、ルナちゃんの命も! アイドルの命も!
ついでながら、クリスティーナの命も!
この方針で行こう!
なんにしろ、決めたからには即行動だ。
あちらは三羽になっても、なぜかまだキョロキョロしている。
何があるのか解らないが、相手は魔物。
気が変わってクリスティーナを食べ始めたら大変だ。
俺は慎重に、かつ素早く移動する。
ちょうど大きな木が数本あるので、足音に気を配りさえすれば気付かれまい。
もっとも、人間には解らないような音でも、あの耳なら捉えることができようが、考えてもしかたない。
それでも出来る限り気を使って、木の陰に隠れ移動する。
あっちがこちらを見えない代わりに、俺もホーンラビットが見えない。
しかし、俺の優位点でいえば、クリスティーナが倒れている為、木の陰からでも顔の部分だけは、こちらから確認できるということだ。
今のところ変化は無い。
飛び出した瞬間の距離もわかり易い。
近づけるぎりぎりまで来た俺は、そっと、顔をだして、ホーンラビットを窺う……。
「……っ!」
こちらを睨み付けているホーンラビット三羽!
何で解ったんだ?
絶対見られていないはずだ。
音か?
やはり音なのだろうか?
そうとう注意して近づいたのだが……。
もしかして、さっきからキョロキョロしていたのは、俺の動く音を警戒していたのか?
何者かが、近くにいたから?
五十メートル手前から聞こえるものなのだろうか?
いや、はっきりとは解らなかったからこそ、キョロキョロしていたのか。
しかし、気付かれているのであれば、不意打ちして活路を見つけようと思っていた計画は実行不可能。
投擲用にと、移動中に拾ってポケットに入れた石は、ただの重りとして、無駄になったわけだ。
……幸先悪い。
「……う、うんっ」
どうしようか、……ホーンラビットとしばし睨み合っていると、いやにセクシーな呻き声で、クリスティーナが目をうっすらと開ける。
おおっ!
やはり生きていたか!
良かった!
ホーンラビットもクリスティーナが意識を戻した事に気付いた様子だが、俺を警戒して動きは無い。
クリスティーナと俺の目が合う。
クリスティーナは不思議そうな顔をしながら俺を見つめた後、ハッと目を見開く。
そして、……不快そうに顔を歪める。
こいつは、異世界転移をまだ俺の悪戯だとでも思っているのか?
今はそれどころでは無いのに……。
俺は、口に人差し指を当て、ゆっくり首を振る。
俺的には、救出の邪魔をされないように、喋るな、叫ぶな、動くなの意味を込めたのだが、伝わったのかどうか解らない。
が、クリスティーナは、その俺の行為に何かを感じたのか、それとも何らかの気配を感じたのか、ゆっくりと後方に振り返る。
そこには、赤い目で睨み付けながら牙をみせ、クリスティーナを威嚇する三羽のホーンラビット。
「ひっ!」
クリスティーナは声にならない声を出すと全力で逃げようと飛び起きる!
だがしかし、それをホーンラビットがのんびりと見過ごすわけもなく、ドンッ! と飛び上がったホーンラビットの頭突きが、クリスティーナの顎にヒット!
かすっただけの様だが、脳が揺れる当たり方だ!
「ぐっ!」とクリスティーナが呻き声を出す。
やった!
俺は歓喜する!
いや、別に変な意味では無い!
クリスティーナがやられて、「ザマァ、やった!」とかゲスな思いがあるわけではない。
頭突きをされたとはいえ、角には刺さらず、さらにクリスティーナが、よろめいて、たまたまこちらに転がってきたから、「やった!」である。
ほんの五メートルほどだが、それでもないよりはあったほうが良い猶予。
いまなら、俺が飛び出した瞬間にクリスティーナを、あの角でズブリッ! とは出来ない。
この機を逃すまいと、俺が飛び出すと同時に、ホーンラビットが角を向けて、その身をかがめる。
俺は、その間に、クリスティーナの横まで全力で駆ける。
しかし、俺がクリスティーナを助けるよりも早く、ホーンラビット達は攻撃態勢に入り、地面を蹴り付ける!
ドンッ! と、もの凄い勢いで、迫る角の方向は、クリスティーナではなくは俺の方向。
一瞬にして、三本の角が俺に迫る!
無意識に、クリスティーナを攻撃されると思っていた俺は、虚を突かれた為、身を捻り避けるタイミングを失った!
咄嗟に手に持った棍を突き出す。
ガズンッ! と音が響き渡り、棍と真正面のホーンラビットがぶつかる。
ちょうど眉間の位置に棍がぶつかり、ホーンラビットはそのままうつ伏せ状態で地にふす。
しかし、ここにはホーンラビットは三羽いる。
残りの二羽は、棍の妨害もなく俺に迫って来て、その角を突き刺してくる!