第1話
アイドルは、恋愛禁止らしい。
理由は、皆のアイドルが、誰か一人のアイドルになってしまったら、それはもう、皆のアイドルでは無いから。
まあ、言われて見れば、そうかも知れない。
……、他にも理由は色々あるのだろうが……。
しかし、心と身体を縛り付けるわけにもいかない訳だし、アイドルが誰かを好きになってしまった場合はどうなるのだろう?
芸能事務所としては、建前としては禁止にしていても、本音は恋愛バレ禁止なのだろうか?
恋愛するなら、世間にはバレナイようにやってね、と言うものなのだろうか?
人の世である。たしかにそういう事もあるかもしれない。
とは言え、純愛として心に秘めたままで終わらせる事もあれば、プラトニックなままで終わらせる恋もあるだろう。
それはそれで、とてもアイドルらしい美しさがあると思う。
結局どれが正義で、アイドルがどうあるべきかなど、俺には解らない訳だが……。
……まあ、しかしだ。
心に秘めた純愛まで含めれば、……もしや、俺にも可能性があるのか?
運命の悪戯と幸運によって、偶然に偶然が重なり奇跡の瞬間が訪れる?
俺とアイドルが恋に落ちて……あったらいいなぁ。
俺の、そんな妄想も、妄想ゆえに、可能性は限りなく低いわけだが……。
しかし、何故俺が今そんな妄想をしているかといえば、それは、少々時間を遡る必要がある。
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クリスマス、正月、お盆、大型連休中のバイトは、割が良いものも多い。
バイトが集まらないから、時給がちょっと高めになるためだ。
しかも、現金払いのバイト先も多々見られる。
それ故に、緊急で現金の必要な人や、予定の無い独身のサラリーマン、友達の少ない学生の小遣い稼ぎに最適だ。
当然、俺のように、親も兄弟もなく、天涯孤独の身の上に、友達も少ないとなれば、うってつけの場所だ。
なんせ、その日は予定がまったく無い。
しかし、世に取り残された気分になるのは真っ平ごめん。
緊急で入るバイトだから、先方もスキルは求めていない。
指示通りに動いて、単純作業を繰り返すだけだ。
頭脳も体力も必要ない。
忙しいから、少々疲れるが、それだけだ。
なれない仕事ゆえか、時間もあっという間に過ぎる。
まあ、何にせよ、俺には最適なバイトな訳だ。
パン屋、饅頭屋、配送仕分け、事務補助、土産物屋……。
色々あるが、今年は何にしようと思った時、ふと目に付いたのが、イベントスタッフ。
急募となっている。
予定していたスタッフが、急遽ごっそり抜けたのかな?
バイト代は、……安い。
安いと言っても、平常時の時給位。
急募で、この時期なのに何故だ? とよくよく見ると、どうもいま大人気のアイドルグループのコンサートスタッフらしい。
あまり、アイドルとかには詳しくない俺でも知っている国民的アイドルだ。
一番下の、目立たない場所にその事が書かれている。
あまり大々的に書いて、ファンがスタッフ募集に殺到しても収拾がつかないからだろう。
募集も、本日午前九時から本日正午まで。
想定よりもバイト代は安いが、面白いかもしれない。
たまにはこんなのもいいか。
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バイトなのに五回も面接されて、やっと採用が決まった。
どこの一流企業の採用試験だというほどの厳重さだ。
しかも、当日、五回も面接。
第一次面接で、半分は帰らされて、次の面接へとサクサク進んだから良かったが。
何でも、アイドルに近い位置でのスタッフ募集だった為、万全を期しての五回の面接だったとか。
しかも芸能事務所付きのスタッフで、今後も契約する可能性のあるスタッフの為、派遣会社にも頼まず、今回のような形になったらしい。
まあ、良くは解らないが、今回のコンサートで使える人材ならば、芸能事務所のスタッフになれるらしい。
……悪くないな。
張り切っちゃおうかな?
詳しくは聞かなかったが、本来俺が入るポジションに元々いた人は、良からぬ事をしていたとかで、芸能事務所を解雇されていた。
良からぬ事? 当然疑問に思って聞いてみると、
「リハーサル風景の無断撮影。その映像のネット上の投稿。コンサートグッズ請負業者からのキックバックの受け取り。他にも細かく色々問題があっての解雇だよ。
君も気をつけてね。ある日突然弁護士が玄関の扉をノックなんて嫌だろ?」
と怖い笑顔で言われてしまった。
ちなみに俺が採用された一番の理由は、アイドルにあまり詳しくない為。
言い換えれば、さほどアイドルに興味の無いタイプの人間だったから、らしい。
過去にアイドルを守ろうとして、想定外の行動や、上司の指示に従わない者が居た為とか。
故に今回は、アイドルよりも上司を優先する、アイドルに興味なしの人間が良いらしい。
しかし、俺はアイドルに興味が無いわけでは無い。
アニメ、ゲーム、ラノベ、その他の趣味色々。
忙しくて、入れ込む暇も時間も無かっただけだ。
……あと、アイドルって、お金かかるし?
まあ、そんなわけで、興味が無いのではなくて、ただ、詳しくないだけ。
あまり知らないだけ。
今回は、それが良い方に転がったわけだ。
他の芸能事務所だったら、逆にアイドルに詳しくない人間は使えない、となっていたかもしれないし、運が良かった。
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俺の配置された場所は、アイドルたちの控え室の雑務。
スタッフを取りまとめている、かなり偉い人に直接指名されてしまった。
「君は信用できそうだし」
と一言付け加えて。
俺の何が信用できると言うのだ?
いや、ラッキーではあるのだから、良いのだけれど。
しかし、仕事内容を聞いていると、どうやら重要な配置場所らしい。
何をしていいのか、何をしてはいけないのか、誰を部屋に入れていいのか、いけないのか、事細かに指示された。
こんな重要なの聞いてない……。
もっと軽い感じのスタッフで、ちょっとだけ近い位置でアイドルを見られて、ラッキー程度の仕事を期待していたのに。
しかも、コンサートのリハーサル段階から呼び出されて、仕事をする事になってしまった。
まあ、バイト代はでるし、連休にかぶる日だからいいのだが。
力仕事を含む雑用をたっぷりやらされて、少々後悔し始めた頃、アイドルたちが会場に到着したらしい。
俺が大量の弁当と飲み物を控え室に運び込んでいると、アイドルたちが入ってくる。
「おはようございまーす」
と元気な声でスタッフたちに挨拶している。
横目で見ると、……。
……超絶かわいい!
…………今日から、大ファンになっていしまいそうだ。
しかし、納得だ。
世の男子たちは、この可愛さにやられるわけだな。
俺もやられたよ!
本当にファンになってしまいそうだ………………いやしかし、お金が。……だがしかし、お金の問題を超越する可愛さが……。
悩ましい……と一人頭の中で脳内葛藤をしていると、
あっ!
俺と目のあった子が、ぺこりと頭を下げる。
……かわええ。
俺、ノックダウン。
と、一人呆けていると、
「リハの準備手伝ってくるから、あとよろしく」
いきなり、俺の肩を掴んで、責任者の人が耳元で声をかけてきた。
振り返ると、優しい笑顔が怖い。
「手を止めないように。仕事は、しっかりね」
俺の内心はお見通しらしい。
しかし、バイトでも仕事は仕事だ。
家でテレビを見ているわけではないのだ、しっかりやらねば。
「はい」
俺が了解の意を込めて返事をすると、「よろしく」と怖くない笑顔で言って、俺以外のスタッフを連れて出て行ってしまった。
あとに残された、俺と、アイドルたち。
だからどうと言うわけではない。
俺は、これから他の場所にも、弁当、飲み物を配り、更に、グッズの搬入やら、テント設営の手伝いやら、予定が詰まっているのだ。
ファンになるかどうかは、今後の検討課題としよう。
今はまだ、超絶可愛いクラスメートやバイトの同僚的な位置づけで、冷静にやるべき仕事をやってしまおう。
……しかし、仕事をしながらも、ついつい考えてしまう。
偶然に偶然が重なって、おれが、アイドルと恋に落ちる。
奇跡の瞬間が訪れる?
そんな考え……。
これだけ可愛い存在を前に、するなと言うほうが無理。
……と言うわけで、アイドルの恋愛禁止はどこまでなのだろうと言う考えに戻るわけだが。
はたして純愛は許されるのか?
プラトニック・ラブまでなら大丈夫なのか?
そもそも、そんな幸運が訪れるほど、俺には豪運があるのだろうか?
……あったらいいなぁ。
そんな事を考えていたからだろうか?
ふわりと、良い香りがしたと思って、横を見ると、アイドルの一人が飲み物を取りに俺の隣まで来ていた。
確かこの子は、美月ルナ。
ロングの綺麗なサラサラヘアーに、ちょっと垂れ目気味で、おっとり優しい雰囲気の子だ。
「いただきます」
ニコッ、と笑顔を向けてくる。
オーマイ、ガッ!
可愛すぎるだろ!
俺も、何か言わなければ!
「あへっ!」
……。
あああああああああああああっ!
何だ! あへって!
頭おかしいのか?
固まっちゃったよ!
俺も美月ちゃんも!
折角、会話する機会が!
緊張しすぎて台無しだ!
俺の、馬鹿野郎!!!!!!!!!!
……と、思っていた時期もありました!
全国アイドルファンの諸兄!
朗報です!
美月ちゃんは、一瞬、固まったあと、フフフッと優しく笑って下さりました!
性格も最高です!
性格美人さんです!
俺、美月ちゃんのこと大好きかもしれませんっ!!!
「す、すみません、噛んでしまって」
俺が言うと、
「私が急に声かけちゃったから、ごめんなさい」
と笑顔のごめんなさい。
何なのこれ?
この可愛い生き物を、どうにかしてくれ!
理性が、ぶっ飛びますよ?
ああっ!
こんなラッキーで良いのだろうか?
人生のラッキー使い果たして、この後、とんでもない事が身の上に降りかかったりし無いだろうな?
またしても、……そんな事を考えていたからなのか?
俺と美月ちゃんが、見つめあうその中心に、いきなり小さく黒い、丸い玉が現れる。
何だこれ……?
あっけに取られ見ているうちに、見る見る大きくなって行き、……ついには、黒い玉が俺と美月ちゃんを飲み込んで、
「きゃっ」
という美月ちゃんの可愛い声と共に、俺の意識は無くなった。