第4話 夏野菜焼きと酢だこさん太郎
ベランダにプランターを並べて、夏は野菜を育てている。
シシトウが文字通り鈴なりになった。ナスも大ぶりなのが育って、こちらも採れごろ。
夏は特に、旬のもの、地物を摂るようにする。
美味いものを食べているという充実感が、落ちた食欲を少し上げてくれる。
でも調理は手軽に済ませたい。厨房に立って火を使うのが億劫な季節だから。
日の暮れかかるベランダで適当に野菜を摘み取り、それをさっと洗って、さっと切り、グリルのアルミ箔にさっと並べる。野菜たちがグリルでウンウン言って焼かれてる間に、冷やした枝豆、鰹節を乗せた豆腐を用意する。そして、ビール缶。この間、4分。
キッチンからシシトウとナスの匂いが漂うころ、もう俺はビール缶を開けている。
プシュ。
こういう食卓は、妻のヤネコが夕飯を外で済ませてきてくる日に限る。
ヤネコは、今日は会社を早く上がって、大学時代の同級生と飲みに行くと言っていた。
ビールと夏野菜でやっていたら、ヤネコからメールが来た。
「チナツもね、やっぱりスッピンで外歩いてるときは声かけられたくないって」
チナツさんは、ヤネコの同級生。
メールは昨晩のことを言っている。
ヤネコと家で話していたら、「女のスッピン、触れるべからず」と言われたのだ。
きっかけは、俺が近所の知り合いの女性と外ですれ違ったことをヤネコに話したからであり。
俺は、その女性に挨拶をしようと声を出しかけた。向こうも俺に気がついたようだが、さっと目を俺から逸らしてスタスタと行ってしまったのだ。
ーそのとき、向こうはどんな格好だった?
ヤネコの問い。
ー近くに買い物に行った帰りかなんかで、ラフだったよ
ー帽子は?
ー帽子?あ、被ってたな
ーメガネは?
ーしてたね。初めてメガネしてるところ見たな
ースッピンよ
ーへ?
ーだから、そのとき、彼女はあなたに話しかけられなくなかったからそうしたのよ
ーでも、それ感じ悪くないか。だって、近所に買い物行ってて、近所の人に会うって普通でしょ
ーだから帽子とメガネしてたのよ。それは私はスッピンですっていうサインなの
ーじゃあ、そういうときって
ーそういうときは、あなたも会釈ぐらいにして、サッと通り過ぎるの!
ーなにそれ。
ーそういう女の事情、知ってないと損するわよ
ー損って。何を失うわけ?
ーあそこの旦那さん、気の回らない人だなってなるでしょ。
ー回り回って、ヤネコに影響があるわけね
ーそうよ!
めんどくさ。
メール、気がつかなかったことにしておこう。
旧友を味方につけて、鼻息荒くスッピンの掟なるものを語るヤネコの姿が目に浮かんだ。
さてと。
俺は酢だこさん太郎をマイ駄菓子袋から選んだ。
賞味期限が迫っている。
袋をためつすがめつする。
表には蛸壺とタコくん2匹。1匹は赤い蛸。赤いってことは、もう茹でられたってことか。もう一匹、というか1人は擬人化されたタコくん。こっちは頭のツルッとしたキン肉マンみたいだ。
これはタコさんではなくてタコくんだろう。
雄の匂いがする絵ではないか。
酢だこさんの後に太郎だし。
米酢のこの酸っぱさはクセになる。
嫌いな人はとことん嫌う味らしいですが。
大人になってから、タコくんはハイボールのアテになることを発見した。
だが、酢だこさん太郎は危険な駄菓子。何せ雄だ。
酸っぱさをベトベトのコーティングで身に纏う。これがなかなかに手を焼く。なるべく手を汚さずに食べたい。
さて、袋をどう切るか?ハサミで縦に切れば、その口から押し出すようにして食べればいい。
だけど、ハサミがない場合はどうか。
酢だこさん太郎を食べようとすると大抵のハサミは姿を隠す。場所によっては、タコは悪魔だ。雄どころの騒ぎではない。
俺は袋を歯で食いちぎるほどの雄じゃない。
よって、手で袋を切るには端のギザギザをとっかかりに、袋に対して真横に切ることになる。
酸っぱい匂いとともに伸された姿に成り果てた茶色のタコくんが、全開の袋からすきあらば飛び出してくる。ここで、タコくんのすさまじい生命力が発揮される。袋から少し押し出し、俺の歯で裂けるタコくん。そのもがきから体を目一杯袋からはみ出させ、我が手にまとわりつこうとするのだ。伸されても本能を忘れない雄だ。
雄になりたい。