アイヴェルトと期待
「さて、話を聞こうか。理由如何によってはたとえお前でも容赦はしない」
ソファに腰掛け足を組む我が主の機嫌は最悪だ。もちろんその不機嫌になった原因は俺にあるが、仮面のように感情が削ぎ落とされた顔は、シャロン様がいる時には絶対に見られないものだ。
ゾクゾクと背筋を這い上がってくる興奮が、俺の口角を持ち上げる。
「殿下はシャロン様のこと愛してますよね?」
「愚問だな」
「だから俺は敢えて殿下に言わなかったんですよ」
俺は早い段階で殿下の病気を治すために器となる相手が必要だという事には気付いていた。しかも器の相手が誰でもいい訳ではなく、殿下の魔力に適合する者が存在するということも。
さすがに相手が誰かまでは分からなかったが、病気の性質上お互いが惹かれ合うように出会うというのも他国の研究より判明していたので焦ることはなかった。
つまりこの病気は時間が経てば必然的に治るもの。殿下に少しの間は我慢してもらうだけだと思っていた。
殿下のために高等部に入学し、シャロン様を一目見た瞬間この方が殿下の相手だと直感した。
まず殿下の纏う空気が普段のものと全く違う。甘い瞳で殿下自ら手を取り彼女に構いに行く。
どうやら旧知の中であるらしく、研究ばかりで城の外をでない俺は殿下のギャップに唖然としたものだった。
公爵家序列一位のバレンスエラ家の次女、シャンローゼ・バレンスエラ。
彼女のことを俺はほとんど知らず、最初のうちこそ大いに期待していた。
あのバレンスエラの娘だ。他の兄弟姉妹のように、レヴェルトのように、何かを秘めているに違いないと。
その考えはそう時間の経たないうちに間違いであったことに気付いた。
本当にバレンスエラの娘か?とそう思ってしまうほどには、想像と現実のギャップがあったのだ。
謙遜ではなく確実に卑下を含んだもの言い、すぐに目をそらす態度、公爵家の、何と言ってもバレンスエラ家の子女であるというのに、友人に頼ってばかりの姿。
まるで独り立ち出来ていない彼女の様子に、しばらくしてあの子は自分に自信がないんだなと理解した。それもかなりの劣等感を抱えているということも。
「殿下はあのままシャロン様が成長しなくても良いと思いましたか?」
「……成長した方が良いということは事実だ。だが成長しなくても変わらず愛することには変わりはない」
「果たしてそれは本当でしょうか?」
「愚弄する気か」
先ほどよりも更に鋭い視線が俺を射抜く。
怖い怖いと内心呟きながら、貼り付けた笑みは外さない。
「殿下は自分に自信がありますか?」
「は?」
突如脈絡のなさそうに見える話を始めた俺を見て、何の話だと眉を寄せる殿下を促すように手を向ける。
得体の知れないものを見ているような表情だが、待てば良いということは分かっていた。
「……大見得切って自信があるとは言えないが、それなりに誇りもある。それが自信になるというのなら私に自信はあるのだろう」
「そう言える殿下は間違いなく自信がある人に分類されますよ」
殿下は安定した自信を持っている。それは王の子として生まれたことが理由では無い。
無論王太子としての環境が殿下自身を作り上げたのは無視できない事実だ。
殿下に自信がある理由として、大きく三つに分けることができると考える。
一つ目は信頼できる人間関係を持っているから。
王太子という敵が多い立場の中、俺やフレドリックという仕事のパートナー兼友人が存在する。最近はレヴェルトも取り込んでいるようで殿下の地盤は着実に固められていっている。
周囲から安定した評価を得て自信を持ち、さらに積極的に行動していくことで成功への道へと歩むことができている。
二つ目は過程を重視する考えを持っているから。
自信のない人は結果ばかりを見てしまうが、殿下は過程、つまり経験に重きをおく。成人前の地方の領主の元での生活も殿下に良い影響を与えた。だからこそ失敗しても失速することなく、その経験を糧に次へと進むことができる。
三つ目は柔軟性があるから。
自信のない人はある意味頑固で、とにかく否定的な考えに固執する。柔軟性があれば、周りの言葉を上手く受けとめられるようになるし、周囲といちいち比較して落ち込んだりしなくなるのだ。その点殿下は柔軟性に富んでいる。
「シャロン様はルイス様と向き合うことで一歩前に進むことができました。自分が否定的な考え方をしていることに気付けたんですよ」
「だがお前の言葉は少し厳しすぎやしなかったか」
「お言葉ですが、シャロン様自身が見くびられることはこれから何度もあります。その度に自分を疑い下を向く鬱陶しい存在であり続けるのならば、貴族も、ひいては国民も妃として認めたがらない者も出てくるでしょう」
殿下に得た情報を全て渡してしまっていたら、シャロン様は殿下の庇護下でぬくぬくと暮らすだけの存在と成り下がっていたことは想像に容易い。
だから言わなかった。
決してシャロン様の為じゃない。誰よりも敬愛する殿下の為に。そして我が国の為に。
これが全てだ。
少しキツめに当たった事は否定しないし反省も後悔もしていないが、段々と彼女の目つきが変わっていく様子に俺は快感を覚えた。
「シャロン様はきっと」
この壁を乗り越えることが出来た時、
「──大輪の華を咲かせるでしょうね」
自信がないところを除けば彼女は立派な淑女で、周りの生徒からも慕われていると聞く。素質は十分にあるのだ。
後は彼女自身が思案し行動することが重要で、俺がこれ以上口出すことではない。
既に俺の脳裏には、国民に愛される賢妃が殿下の横で微笑んでいる。
少し口が緩んだのが分かったのか、ルイス様がギッと俺を睨みあげる。殿下としてではなくただの男としての嫉妬に眩んだ目つきだ。
「お前、シャロンにだけは手を出すなよ」
「まさか、天地がひっくり返ってもありえません。殿下の想い人に手を出すほど愚かではないですよ」
そもそも俺のタイプは彼女のような人ではない。
そう、たとえば夜中に殿下の部屋に忍び込んでくるようなお転婆娘の方がいい。きっと俺を飽きさせることのない愉快な日々を提供してくれるに違いないと想像して笑みを深めた。
殿下による疑惑の視線がしばらくつきまとったことは言うまでもない。