アマリーと殿下①
最近護衛の数が増えた。
お父様に教えられた反バレンスエラ勢力『サバト』の存在に最初こそ震え上がったが、特に何も起こらない日々にただ窮屈な日々を送っている。
中等部での授業中は教室の外にいるのか姿は見当たらないが、休み時間になると急に現れて付いてくる騎士達にありがたいとは思うもののやっぱり鬱陶しいと思ってしまうのは避けられなかった。
「もうストーリーも始まっちゃってるのかな……」
小説の話通りにストーリーが進むのなら、もうシャロンお姉様は主人公の男爵令嬢に会っているはずだ。
高等部は原則寮のため家で会うことも出来ないし、そもそも高等部の敷地に普通の中等部生が足を踏み入れることは出来ない。
「そう、普通ならね」
ニヤッと笑って私は寮の敷地に足を踏み入れた。
門番兵など魅了の力で一発だし、なによりこんな夜中に子どもが出歩いているなど大人達は夢にも思わないだろう。
護衛がいるために昼間は無理だが皆が寝静まる夜は話が違う。数が減った騎士に脅威などない。
力を今使わずにどこで使う。
体力はないけれどお姉様のためだと思ったら頑張れた。
私はこそこそと走りながら男子寮のある部屋の前まで来ていた。
ふう、と一つ息を吐いてまたもや力を使って取ってきた鍵を回す。
ガチャリと音がした瞬間、中の部屋の空気が変わったのが私でも分かった。
ドアを開きサッと入り込む。
「──誰だ」
警戒する言葉を気にすることもなく佇まいを直して、ニッコリと微笑んだ。
「こんばんは、王太子殿下」
目を見開いてこちらを凝視する殿下の手には光るナイフが握られていた。
「君は」
「お会いするのは初めてですね。バレンスエラ公が末女、アマリーと申します」
「バレンスエラの祝福持ちか」
名乗ったというのに殿下はまだ警戒心を解かない。
だから私は一歩前に足を出した。殿下の金の髪が揺れる。
「時間も場所も不適切であるとは十分に承知しています。ですが私は殿下にお話ししたいことがあり、こうして参りました」
「ほう、話とは?」
「──私の姉、シャロンについてです」
その名前を出した瞬間殿下の顔色が変わった。
ジッとしばらく見つめ合えば、殿下は瞼を閉じて息を吐き、それから困ったよう微笑んだ。
「いいよ、聞こう」
ナイフを机に置いたのを確認し、私はまたニッコリと笑った。
椅子に座るよう促され遠慮なく座り、改めてヒーローの顔を確認してやろうと顔を上げれば、月明かりに照らされ浮かび上がるとんでもない美しさに度肝を抜かれた。
こりゃ国宝級の顔面だわ、眼福だわ、流石ヒーローなだけあるわと内心ではミーハー心が爆発していたが、余裕があるように見せるためゆっくりと息を吸った。
「殿下はアイヴィー・マグナーという女性はご存知ですか?」
殿下の雰囲気が柔らかくなったのを良いことに、単刀直入に切り込めば殿下はピシリと固まった。
思わず、え?と言葉が漏れる。
「……知ってはいる、が何故アマリー嬢はアイツを知っているのかな?」
「平民上がりで王太子殿下のそばによくいるという噂は中等部にも流れてきますから」
前世の記憶云々は流石に言えないがこれも嘘ではない。
「……アイツのことは悪く言わないでやってくれ。難しい奴ではあるが事情があるんだ」
私はこの言葉にイラっとした。
やはり王太子はもうヒロインに心が傾き始めているのか?と疑ってしまうほどには。
王太子殿下を相手にしている手前、事情とやらに踏み込むことは出来ない。
「ならば言い方を変えさせて頂きます。シャロンお姉様の周りをうろつく女学生はいませんか?」
「うろつく、は心当たりがないな。仲の良い友人はいるようだけど」
「その人の名前は……?」
私の勢いに気圧されながらも殿下は顎を手をあて思い出すように答える。
「確かアデーレ・ハイロンと言ったかな」
アデーレ・ハイロン?と記憶にない名前に首を傾げる。
勿論私だってこの世界が小説をそのまま反映しているとは思ってない。
そのへんの違いは気にするべきではないかと、取り敢えずお姉様の友人は置いておくことにしておいた。
この小説はお姉様はヒーローであるルディウス王太子殿下の幼馴染で、当て馬として登場する。
婚約してないにも関わらず殿下の婚約者を気取り、平民上がりの分際で殿下に近づく主人公を目障りに思い嫌がらせを始める。嫌がらせはどんどんヒートアップしていき最終的にお姉様が主人公を階段から突き落とす事件を起こしてしまう。もともと好きではなかった幼馴染の存在を殿下はこの事件をきっかけに完全に気持ちが冷めてしまい、主人公を妃に迎えると決心する。そして悪評がたってしまい負い目のあるバレンスエラ公爵を裏で脅し、主人公を養子として迎えさせ、妃に迎え、ハッピーエンドで終わる。
私の知る小説でのお姉様は大層性格が悪く描かれていたけれど、今の時点でこの世界のお姉様の性格は随分違っている。
嫌がらせをお姉様がするとは到底思えないし、思いたくもない。
そもそもこの王太子殿下の元にきた目的は二つあった。
一つ目はアイヴィー・マグナーに注意しろということ。これは殿下がもともと知り合いのようなので遂行できなかった。
二つ目はシャロンお姉様の病気について何か情報を得ること。病気自体は公表していないので口外するつもりはないが、パートナーの可能性があるシャロンのお姉様の周囲の男性を知りたかったのだ。
私は気になって気になって仕方が無かったことを、思い切って聞いてみることにした。
なんだかこの言葉だけは喉からすんなりと出で来ず、胸がドキドキ張り詰めるのを感じた。
「……殿下は」
「うん?」
金の髪がまた光る。碧い瞳は闇を一つも感じさせることなく、透き通っていた。
「殿下は、シャロンお姉様を──愛していますか?」
しんとした時間はいやに透明で、ここで風鈴が鳴れば美しい音で響きそうだと場違いなことを考えた。