シャロンとサロン②
「──っ!」
思わず私はルイス様の手を振り払った。
呆然として自分の手を見つめる。決して嫌だから振り払ったのではない。
ルイス様に触れたのはこれで三度目だけれど、昔と違って今は病気の症状が顕著に現れており接触は絶大な効果を発揮しているに違いないのに、
──魔力が流れてこない?
その事実に気付いた時、頭の中は一気に混乱を極め、顔は青ざめていった。
『別に体を交じわすと言ってもお互いの肌に少しでも触れればいいんだ。触れるだけで体が楽になるらしい。』
いつかレヴェルトが言った言葉が思い返される。
今のは確かに触れたはずだった、なのに過去二回経験したあの感覚がやってこなかった。
急激に襲ってくる恐ろしいほどの孤独に狂いそうになる。
私はルイス様のパートナーではなくなったというのか。
何故、何故、何故、とそればかりが頭の中を駆け巡り、目の前にいるはずのルイス様の姿さえ視界に映らなくなる。
自分の手を見ながら顔を青褪めさせる私をどう見たのか、ルイス様は申し訳なさそうに小さく笑った。
その微かな笑いに引っ張れるように私はハッと顔を上げた。
「ごめん、困らせちゃったね」
「いえ、そんな!」
むしろこちらの方が不敬に違いないのに彼の器の広さにますます恐縮した。
突如ルイス様は私の方へ顔を寄せた。
美しい宝石を目の前に突きつけられたように私の息は止まる。
「ねえ、シャロン」
とろりと蜜のように甘い目と声が私を捉えて離さない。
「僕は諦めないからね」
「な、何のことでしょうか」
「ふふ、いいんだ。こっちの話」
誰だ、誰だこの人は。
心臓は胸から飛び出しそうなほど、ドクドクと動き続けている。
目の前の人がルイス様だと思えないほど、彼はいつの間にか大人になっていた。
彼と比べると私の幼さが目に付いてしまう。
思わず溜息を吐きそうになった時、「そう言えばさっきの『サバト』の件なんだけど」とルイス様が声を上げる。
その言葉に背筋が再び伸びた。呼吸は元に戻っていた。
「バレンスエラの加護持ちと祝福持ちの子達は特に注意して警護する必要がある」
こくりと頷く。国宝級の存在ともなればそれは当然のことだ。
「もちろん精霊や妖精を使役できるっていうのも大きいんだけど、精霊の聖地を狙ってる輩がいるんだ」
天国の花畑のことだと理解し、知ってる?と問われ素直に頷いた。一度連れて行って貰ったあそこは確かに天国と言って差し支えのない場所だったことを思い出す。
狙われるということは何か重大な理由があるのだろう。
「その聖地に咲く花は万病に効くと言われているそうでね」
「まさか」
それが本当の話だとしても、あそこは精霊の場所なのだ。精霊を怒らせればそれこそ天変地異が起きてもおかしくはない。
「早急にリゼ達の警備を厚くしないと!」
「大丈夫、うちの隊から何人か送っておいたから」
近衛騎士団の中でも王太子殿下直属の騎士となるとエリート中のエリートで、信頼に足る人選だ。
ホッと胸をなでおろすように背もたれに背中を預けた。
けれどルイス様を見れば何故だか満足してない様子で、静かに口を開く。
「勿論君の弟達も心配だ……でも僕は何よりシャロンのことが心配なんだ。彼らには日常から護衛がついているけれど、シャロンはこの高等部で過ごすにあたってどうしても警備は手薄になってしまう」
「私は大丈夫ですよ」
心からそう言ったつもりだったのに、ルイス様は顔を顰めた。
「……そんな君だから心配なんだ」
ルイス様は今度こそ私に手を重ねてきた。
やはり効果は感じられなかたけれど、手のひらから伝わる温もりに思わず安心し、次は振り払えなかった。
そんな私の様子に少し力を抜いて、小さく息を吐いた。
「シャロン」
何か言おうと踏み切ろうとして決心がつかず顔が強張っているように見える。
それに連動するように私の体と心も妙に固くなった。
「実は僕は──」
ルイス様がようやく何か大事なことを告白しそうになった、その時だった。
「ルーディーウースさまっ」
勢いよく部屋に入ってきたと思えば、彼女はすぐさま彼に抱き着いた。
自然とルイス様と手が離れ呆然とその様子を眺めていると、今日も存分に愛らしさを発揮しているアイヴィー様と目が合う。
まさに今私の存在に気づいたとでも言うように、あら、と声を上げる。
「おい、離れろ」
「え~~、何でですかあ?」
私には彼女しか視界になかった。
頭から冷水をかけられたように感じて突っ立っているも、さらにルイス様に顔を近付ける彼女をこれ以上見たくないと本能が訴え、足が動き出す。
「……では、私はこれにて失礼しますね」
「──シャロン待って!違うんだ!コイツは!」
ルイス様の言葉を遮るように扉を閉め、足早にそこを離れた。
しばらく教養棟の廊下を歩いていると、向こうからフレドリック様がやって来るのが目に映った。
私のおかしな様子に気付いた彼が目を丸くしてどうしましたか、と小走りでこちらに来たが、彼の目を見ないように何でもないですと首を振った。
「殿下が何か貴女に誤解を与えてしまったのでしょうか」
何が誤解と言うのだろう、アイヴィー様がルイス様に抱き着いている事実があったのだ。
そしてなにより私が出て言った瞬間、声は聞こえなくなったし、後を追ってくる様子もない。
「本当に何もないです。……体調が優れなくて退出させて頂いたのです」
「いや、しかし、」
「すみません、寮の方へ帰らせていただきます」
フレドリック様の言葉さえも無理矢理遮って、一礼しその場から逃げた。
様々な感情が入り混じった溜息を一つ吐いて女子寮に入るその時まで、影から二つの目がずっと見つめていたことに私は気付かなかった。