フレドリックと理由
高等部に進学し、僕は純粋な興味のもと経済の道に進むことにした。
高等部は中等部と違って男子が大半で、少々むさくるしく感じてしまうのはご愛嬌だ。
「フレドリック、行こう」
「はい、殿下」
殿下と二人で歩けば、鋭い刃物のような視線を背中に感じ続ける。
でもこれが当たり前になるのかと思えば、いちいち気にする必要もないと意識を向けるのをやめた。
シャロン嬢の披露パーティで王太子殿下にお会いしてから交流は続いていた。
まずあそこでシャロン嬢に声をかけられたということだけで自分の格は上がっていた。その上王太子殿下に声をかけられたことは将来的に王太子の側近候補として選ばれたも同義だった。
それを証拠に、高等部に入ってからは専門講義棟が同じなので休憩時間や昼ご飯を共にし、昼は殿下のサロン、夜は寮の談話室で世間話をしたり、時には議論をしたりと、殿下と一緒に何かをすることが常となっている。
そうなればシャロン嬢と顔を合わすのは必然的で、最初こそ中等部の時のように何かを言おうとしたが思い直して口をつぐんだ。
中等部の頃は毎日のように行なっていた求婚という行為をやめたのだ。パタリと無くなったことで彼女は顔を合わすたびに面食らった顔をして、探るようにこちらを見てきた。
それは当然の反応だと自分でも深く納得できる。
しかし何故かしらとんとそういう行動をしようと思わなくなって、それと共にどこか寂しさが心の底に溜まっていった。退屈で何かが物足りなかった。
王太子殿下の顔を見るとそれらがすっかり消え去ったというわけではないが、少し遠くまで後退したように落ち着いた。
脳裏にある人が思い浮かぶ。湧き水のように染み出た考えと愛情を、否定することはできなかった。
彼女が高等部にいないことが、会えないことが、話せないことが辛かったのだ。
認めてしまえば、中等部時代にしていた自分の言動に説明がつく。
正直に言ってしまえば、僕はシャロン嬢を利用していた。
彼女の視界に僕が映るように、彼女の言葉が僕に向かって放たれるように。求婚という方法を手に取って。
そんな手を使ったちょっと前までの僕は馬鹿で最低だったと言えばそれまでだが、それでも今思えばあの女に近づくために必死だったのかもしれない。
ある日、シャロン嬢と教養科目が同じで偶然にも隣りの席になった。
こうして一対一で会うのは本当に久しぶりで、さらに彼女に引け目を感じている身としては少し手のひらが汗ばむ。
それでもいつもと変わらない穏やかな彼女の横顔を見てほっと息が漏れる。
同時に懐かしさが胸を込み上げ、最初こそ僕はシャロン嬢を慕っていたのは間違いないと思い出す。
求婚も純粋な気持ちから始まっていたのだ。
中等部に入学するまでは僕は勉強も運動も出来ず、兄弟の中でも落ちこぼれだった。
できないから誰にも褒められず、認められない。だから努力をしない。また失敗をして怒られてやる気をなくすを繰り返し、僕はどんどん腐っていった。
そんな負の連鎖に陥っていた僕に転機が訪れたのは中等部の新入生歓迎パーティだ。
大人びた同級生に動揺していた僕は思わずパーティ会場を抜け出した中庭に彼女はいた。
絹のような美しいハニーブラウンの髪と飴を溶かしたように甘い蜂蜜色の瞳にとらわれて、予想もしてなかった波が心に立つ。頭から肩へかけてのなよやかな線に思わず目を奪われ、華奢なその姿に思わず庇護欲を駆り立てられた。
「どうかしましたか……?」
僕は心境を吐露した。初めて会う人、しかも女子にそんな情けないことを言うつもりは微塵もなかった。
でも陽だまりのような温かさに僕はよりかかってしまった。
次から次へと溢れ出てくる後悔や愚痴を彼女は辛抱強く耳を傾け、最後には背中をさすってくれさえもした。
「『なりたかった自分になるのに遅すぎることはない』」
「……え」
「そうこの本も言ってるんですよ」
そう言った慈愛に満ちた声は今でも耳の奥にはっきり残っている。
思わぬ言葉に涙が溢れ、この言葉は後に僕を人間的にも精神的にも成長させることとなった。
ろくに女性との接し方を勉強してなかった僕は恋をしたことで、結婚を申し込まなければならないと勘違いしてしまい、そこから求婚を始めてしまった。
シャロン嬢にアタックするたびに突っかかってくる女がいた。それがレーナで、この国の王女殿下だ。
最初こそ邪魔な女だとしか思っていなかったが、ある時強気な彼女の弱い部分を見てしまったことが彼女に陥落した理由かもしれない。
はっきりとした自覚が無いままここまで来てしまい、犬猿の仲状態を崩すことはしなかったのであちらは気付いていないに違いない。
今となっては好きになった理由などもうどうでもいい。ただレーナに会いたかった。
「シャロン嬢」
講義前の休憩時間にコンコンと机を叩いて小声で名前を囁けば、弾かれたように顔を上げられる。
なぜだ?と疑問を持つ前にああと納得する。僕が初めて彼女の名前を呼んだのだ。
いつも「貴女」と呼ぶことが常だった一方、レーナの名前はよく呼んでいたなと思い出す。
求婚しているはずなのに、シャロン嬢に本気に受け取られていなかったのはこのことも原因にあるのかもしれなかった。
「どうしました?──フレドリック様」
僕たちの間にあった薄い壁が今、壊れたような気がした。
流石に愛称こそ呼ばないが、それでも僕も驚いて目を丸くした。
「その、レー……王女殿下は元気にしてますか?」
気恥ずかしそうに問う僕の姿を見て、思わずと言ったように微笑まれた。
聡い彼女の事だ、もう理解しているのだろう。
「私も会えてはいないので、実際のところは分からないのですが、手紙をやりとりしている上では元気そうですよ」
レーナの近況を聞かされて上機嫌に目を細めれば、シャロン嬢はそんな僕の様子を見て、逡巡したような顔を見せた後、口を開いた。
「……なぜ、フレドリック様は私に求婚してきたのですか?」
僕はう、と言葉を詰まらせ、観念したのち喋り始めた。今までの愚かな行為を詫びるように。
シャロン嬢が殿下の想い人であると理解した時には、素直に協力しようと思えた。殿下なら彼女を幸せにしてくれる人だ。初恋の人であるからこそ幸せになって欲しかった。
専門こそ違うが、殿下が積極的にアタックしているのは他人から見ても丸わかりだ。それを本人が気付いていないのは同情してしまうけれど、あの殿下なら必ず落とすに違いない。
「シャロン嬢」
「はい?」
落ち着ききった空気の中、僕たちは二人微笑み合う。顔は十分に緩み切っていた。
そんな中、僕は何の気なしに誘いの言葉を口にした。
「良かったら──殿下のサロンへ来ませんか?」