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シャロンと儀

 この国では、男性が女性の本当の名を呼ぶ時、それは一生の願いを託すことで、実際に微力ながらも言葉に魔力がこめられる。

 それは大抵男性が女性に愛を誓う際や、求婚する際に、行動する男性が多い。


 つまり、男性にとっては人生の一大事である時に、女性の本当の名を呼ぶのだ。



 シャンローゼ、とお兄様が呼んだ。

 その事実にぶわりと嫌な汗が溢れ落ちる。


 シャンローゼ・バレンスエラ


 それが私の本当の名前。














「シャロン、そろそろ出発だよ」


 お父様のその声で、私は我に帰る。

 おそらく私は相当酷い顔をしていたに違いない。

 けれど、何も追求することもなくお父様は私の手を取って馬車までエスコートをしてくれた。


「無理だと思ったら直ぐに言いなさい。分かったね?」

「……はい」


 教会へ出発する際に、馬車から見えた家族の顔は、心配そうに、不安そうに、歪んで見えた。




 ドクドクと脈打つこの心臓が、まだ生きていると主張する。


 その事実に私はどうしようもなく、


 安心するのだ。






 儀式の前に清めの時といって、一刻ほど神殿の内部にある清華の間で、今までの欲や穢れを落とすためにに身を置くことを必要とされる。


 清華の間の白いソファに身を深く沈めていると、神域の湖で採られた聖水と、14粒の榖米が、女官によって運ばれて来た。


「ありがとう、そこに置いておいて下さい」


 そう私が言い終わるや否や、その女官は何かにつまずき盛大に聖水と穀米をぶちまけた。


 唖然と彼女を見つめれば、顔面を真っ青にし、必死に謝罪を繰り返す。


 瞬時に部屋を見渡す。

 幸か不幸か、ここには私とこの女官以外はいなかった。

 そして私は小さく息を吐き、ニッコリと口角を上げた。


「大丈夫ですよ。清めの時はきちんと済んだと言いますから。さあ、これを持って行ってください」


 幸いにも割れていなかった食器を拾い集め、彼女に手渡す。


「で、でも……!」

「いいから」

「っ、すみません!!」


 女官は一目散に部屋を出て行った。

 一人部屋に残され、絨毯に染み付く水の跡と米粒を眺めた。

 腰を曲げ一粒一粒拾い上げる。


 この御米は神域に実る稲から穫られたもので、この14粒の米と、水を飲むことで未成年時の穢れを落とすことができると伝えられている。

 神域に実るものである以上、とても希少なもので、きっとこれの替えは用意されていない。

 水もまたしかりだ。


 つまり、あの女官は牢に入れられてもおかしくない事をしでかしてしまったことになる。

 それはもしこれが心無い他家の子息子女のもとで起こったならば、これから平和に生きていける保証も無かっただろう。



 私はハンカチを取り出し染みた絨毯を軽く拭き取っておいた。

 そして外にある小池に向かって、十四の穢れを勢いよく投げ入れた。


 小さな波紋が広がるのを目で確認すると、私はソファに今度こそ深く身を沈めた。


 成人と認められてしまう私の、小さな、最後の、抵抗。






 ──成人の儀は恙無く執り行われた。


 神官長による神の御言葉で儀式は締め括られる。





 " 汝、事が故に縁あり。縁が故に事あり。


 思案せよ、思案せよ。


 汝、事が故に影あり。縁が故に光あり。


 思案せよ。思案せよ。



 神自に恥じぬ、人と成れ。"




 私はドレスを摘みゆっくりと頭を下げる。

 そして神官長より神の御髪で作り上げられたとされるヴェールを頂戴した。


 こうして名目上、私は成人と認められた。



 神官長が儀式の行われた部屋を出ていき、私は父が迎えに来るまで一人で待機していた。

 神殿の外を仰ぎ見る。


 雲が渦巻く灰色の空の中、一羽の小鳥が窓辺にやってきた。

 開閉できる窓では無いらしく、近付くことはできない。それでも窓越しに手を伸ばせば、小鳥は瞬く間に飛んで行ってしまった。

 ぶらりと手を下ろし、何気なく見つめた窓には生気のない少女が悲しそうに顔を歪めていた。


「笑いなさい、シャンローゼ」


 窓に映る少女は悲しそうに、それでも綺麗に笑んだ。

 ふわりとヴェールが揺れた気がした。


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