クロウさんのポートレート5
月も見えない真っ暗なススキが原にぽつんと少女が立っている。
白いネグリジェを着ているけれど、まるで迷子になった子供のような顔をしている。
「おひとり?」
私がたずねると、ネグリジェの裾を両手で握り締めたまま、コクリとうなずいた。
「名前は?」
すると少女は首を振って答えない。
ワサワサと葉っぱをゆらしながら近くに突っ立っている木が口走る。
「名前は? って聞かれたら答えるべきだろ? それがマナーだろ?」
少女は困った様子で木を見つめる。
「おれはけやきだ、立派な名前だろ」
私と少女はうんもすんもなく黙っていた。
「おれの友人はかしだ。名前がないと区別がつかないだろ、ずっと探して歩かなけりゃいけないだろ? おれの知ってるやつにたまにそんなのがいるけど、あいつらはフラフラしててみっともないのさ。おれを立派なけやきにしてくれたのは、け・や・き・っていう字だけじゃなくて、名前をつけてくれた友人のおかげなんだ。ありがたいと思わなくちゃな。このまま名前もなくぼんやりとしていたら、いつか自分のことまで忘れてしまうんだ。どっしりと名前をもらって、地面に足をつけてなくちゃな。フワフワうわっついてちゃいけないんだ。けやきになったらけやきがしなけりゃいけないことだってできてくるんだ。だから、おまえも名前をつけてもらえ。それともおれが考えてやろうか?」
頭の葉っぱをユッサユッサ揺らしながら、けやきは得意げにまくし立てた。
しかし、少女は首を振り、けやきの申し出を断った。
「名前はあった方がいいんだ。区別がつくんだ。地に足がつくし、だれだかはっきりわかるんだ。自分が何者かも分かるんだ。とても安心するんだ、名前は……」
けやきは未練たらしそうにいつまでもつぶやいていた。
そう言えば、私は何という名前だったろうか?
別に名前がなくても不便を感じないので、けやきの言うことをすっかり忘れてしまった。
私と少女は長いことじっと並んで立っていた。
すると、ススキが原の向こうから、黒いシルクハットをはすにかぶったクロウさんがやってきた。
クロウさんのことを面と向かってクロウさんと呼んだことはないけれど、クロウさんは私がそう呼んでいることを知っているらしく、ニヤリと笑った。
珍しくステッキをもっていない。
長い休暇を終えたしっぽでびたんと地面をたたくと、すすきはビリビリと震えた。
「おじょうさん、ごきげんよう」
少女はにっこりと笑って、クロウさんに会釈した。
と、クロウさんは少女の足を蹴った。
「あっ」と思う間もなく、カランとステッキが地面に倒れた。
クロウさんは立派な口髭をむしりながら、
「よくあることさ」
と、つぶやいた。