18.残ったものは本物だった
「そういうことか」
涼はベッドに横たわったまま、額に手の甲をつけて呟いた。CDを聴いて、涼の気持ちは変わった。前と違うCDは、確かに変な霧のようなものを消した。
後に残ったのは、明確になった想いだけだった。
「もう嘘はつけない」
涼は口の端を上げた。そして携帯電話を取り出し、電話を掛けた。
数回のコールで相手は出た。
『なんだよ…泉水』
「悪いな、朝早くに。起こしたか?」
『嫌、起きるところだったからいい。で、何の用だ?』
欠伸を噛み殺した葛西に、悪いと思いながら涼は口を開いた。
「あのCD、黒瀬からのものだったんだ」
『…それで』
「あの中には細工がされていて、俺が黒瀬を好きになるように催眠効果が施されていたんだ」
葛西の息を呑む音が聞こえた。涼は淡々と説明を続けた。
「昨日、催眠を解除するCDを貰って聴いた。いつも夢に出てきていた黒瀬は出てこなかった」
『ごめん、泉水。黒瀬がCDを入れているところを見てたんだ』
「いや、この結果は変わらなかったはずさ。気にしなくていい。これではっきりした」
『何がわかったんだ?』
葛西の問いかけに、涼は笑った。その笑い声を聞き、葛西は涼がおかしくなったのかと思った。しかし、涼は楽しそうに笑ったまま、話しを続けた。
「黒瀬のことが好きみたいだ。恋愛感情として」
涼はきっぱりと言い、葛西は沈黙した。涼は嫌われたかと思ったが、そのまま通話を続けた。
涼が声を掛けようとしたとき、葛西の笑い声が聞こえた。爆笑と言っても過言でないほど、葛西の笑い声は大きかった。
『心配して損した。なんだ、良かったじゃないか。傷付かずに済んで』
飽くまでも涼の心配をする葛西に、涼は失笑した。
「俺と黒瀬が付き合うことになったらどうする?」
『別に。関係ないだろ? 俺は第三者なんだから。当人でやってくれ』
突き放すような言い方は、偏見がないことを示していて、涼は笑みを深くした。友人が、しかも同性が付き合うことになっても気にしない葛西。そんな葛西だからこそ、近くにいても不快だったことはなかった。
「でも、黒瀬の気持ちを聞いていないから、何も言えないけど」
『それだけのことをされて、わかっていないわけじゃないだろ?』
「はっきり言われないと」
『…お前から言う気はないんだな』
深く溜息を吐いた葛西に、うん、と涼は軽く返した。葛西は呆れたように笑い、優しい声で言った。
『それでも嫌いじゃないんだ、お前のことは。もちろん黒瀬もな』
葛西は通話を終了させた。
涼は普段通りに登校した。靴箱を確かめると、千尋は既に来ていた。涼は顔を引き締め、教室へ向かった。
静かに教室のドアを開けると、その音に反応した千尋が振り向いた。視線が合い、千尋は逸らした。
「黒瀬、話がある。移動しよう」
涼の提案に、千尋は何も言わずに従った。一度も振り返らずに、涼は一直線にある場所へと向かった。千尋はどこへ向かっているのかわかり、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
涼は教室に入った。目の前にはピアノがあった。
「催眠は解けた。変な霧がなくなった。気持ちも、変わった」
「…それで」
千尋は決められた位置であるかのように、ピアノの前へ座った。涼はいつもとは違ってピアノに寄り、凭れた。
千尋は蓋を開けて鍵盤をなぞった。音が出ないほどの軽い動き。それを涼は含みのある笑いを浮かべて見ていた。
涼が何も言わないことを不思議に思った千尋は顔を上げた。千尋の目に映ったのは涼の不可解な笑みだけで、その後に唇に何か当たるのを感じた。
涼の顔が離れて、千尋はその正体がわかった。
「それでも好きだったよ、千尋」
名前で呼んだ涼に、千尋は複雑に笑った。
「その『好き』の意味って…」
「何だろうな?」
曖昧な返事をした涼は、戸惑っている千尋をそのままに、教室を出ていった。
残された千尋は、混乱する頭を整理しようとした。唇に残った感触だけが、はっきりと理解できた。
「性格悪いよな」
教室を出たところで涼は葛西に声を掛けられた。葛西はドアに体を預け、顔を歪めていた。涼は葛西が話を聞いていたことを察した。
涼は意地の悪い笑みで返した。
「そうかな?否定はしないけど」
「楽しそうなお前を見てれば、好きの意味なんて自然にわかるのにな」
葛西の正解を含んだ言葉に、涼は純粋な笑みを浮かべた。簡単な答えだった。それをどちらが先に言うかの問題だった。それを言ってしまえば、全てが変わる。それは決まっていることだった。
涼はこれから起こることが悪くはないことを確信し、一人ほくそ笑んでいた。