14.声が聴きたかった
距離が縮まっていた。
彼はいつも学校で見ている学生服を着ていたが、一つ違っている所があった。
眼鏡を掛けていない。
「涼」
前回と同じようにそう呼んだ千尋に違和感はなかった。慣れではなく、当然のように思える。眼鏡を外したことにより、千尋が意外と整った顔をしていることを知った。嫌みな感じはなくなり、人を寄せ付ける雰囲気を纏わせている。そんな千尋は知らなかった。
初めて口を開き、最初は出せなかった声が抵抗なく出た。
「黒瀬…」
「千尋。僕は千尋だよ」
にっこりと笑った千尋は顔を寄せた。いつもはレンズ越しに見る瞳が至近距離で瞬く。千尋は目を細め、吐息が掛かる距離まで詰め寄った。
動悸が高まっていくのを感じる。
千尋は耳元で囁いた。
「君の声が聴きたいんだ」
高鳴る心臓に手を当て、涼は勢い良く目を開いた。いつもの見慣れた天井だけが見えた。
冷たい汗が額に浮き、涼は手の甲で拭った。まだ、千尋が囁いた言葉と吐息の熱さを覚えている。
「黒瀬…?」
夢の中での千尋は確実に近付いている。それが示すものが何か、涼には見当もつかなかった。しかし、動悸は昔に感じたことのある種類だということはわかっていた。だからこそ、相手が千尋であることに戸惑っていた。
涼は髪を掻き揚げ、苦々しそうに唇を噛み締めた。
「おはよう」
教室のドアを開けると共に聞こえた声に、涼は動きを止めた。ドアの開く音を聞いて振り向いた千尋は、反応を返さない涼に眉根を寄せた。いつもとは違う、気まずい空気が流れる。
涼はその視線に曖昧に挨拶を返し、自分の席へと向かった。鞄を置き、一息吐いた涼は、机に腕を投げ出して突っ伏した。
朝から疲れたような気がする。手探りで鞄からイヤホンを取り出し、CDを聴いた。曲名のわからない歌が流れる。
涼は腕に頭を置いて横へ向いた。机に影が落ちたことに気付き、顔を上げた。
「どうしたの? 気分が悪い?」
心配そうに見下ろす千尋に、涼はぎこちなく笑いかけた。
「いや、大丈夫。…黒瀬、眼鏡取ってもらえるか」
千尋は疑うような眼つきをしたが、何も言わず眼鏡を外した。やはり眼鏡を外すと印象は変わったが、夢の中で見た千尋そのままだった。
涼は呆れたように笑みを零し、短く礼を言ってから腕に顔を埋めた。千尋が声を掛けようか迷っていると、涼は体を起こし、顔を引き締めて耳からイヤホンを取った。
「別にいっか。まだ確定しているわけじゃない」
不可解な言葉を残し、涼は千尋に軽く微笑んでから教室を出て行った。
千尋は眼鏡を外したまま、難しい顔をして涼の出て行った方向を見ていた。