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雪国に春の訪れるとき

作者: 風白狼

 その知らせを聞いたのは、珍しく陽射しのある朝だった。肌を刺すような寒さの中に、ほんの少しだけ暖かさが混じる。だが、もたらされた情報は穏やかではなかった。村の娘、アクアが消えた。足取りも全く掴めていない。そのことは、少年――シェランをひどく狼狽させた。

 おかしいとは思っていた。彼と親しい彼女が、その日一度も会わず、連絡もしないなど。そのせいで、シェランは彼女がどこへ行ったのか知らない。まして、他の村人が知る訳がなかった。

 魔女の呪いにより、雪と共に人の出入りを禁じられた村。小さなこの村で、隠れられる場所はそう多くない。だが、アクアはまるで存在から消滅してしまったかのようにいなくなったのだ。


 それから数日後。シェランは公園へつながる道を、何とはなしに歩いていく。歩く度に、溶けかけた雪が小気味よい音を立てる。だが、今は隣に白銀のみが居座っている。シェランにはそのことが悲しく思えた。吹き抜ける風も心なしか寒々しい。自分の腕が行き場を失ってさ迷っていた。アクアは一体、どこに行ってしまったのだろう。答えの出ない問いが、シェランの心を侵食していった。

 公園にそびえる、ひときわ大きな木を見遣ったとき、シェランははっとした。腰まで伸びた、豊かな茶髪。黒っぽいコートを羽織った横顔は、すぐに彼女(・・)だと確信した。


「アクア!」


 シェランは思わず駆け寄っていた。自分よりいくらか低い姿をとらえる。だが彼女が振り向いたとき、シェランはぎょっとした。彼女の顔には、何の感情も見られない。目だけが大きく見開かれていた。そのエメラルドグリーンの瞳は、ただただ冷たい。無言の重圧に、シェランはたじろいだ。だがすぐに我に返り、無理にでも笑顔を浮かべる。


「何やってるんだ。みんな心配したんだぜ?」


 彼女の手をとって、シェランはまた驚いた。手袋越しだったが、彼女の手が異様に冷たいことに気が付いたのだ。慌てて手袋を取って確かめると、まるで氷を触っているようだった。シェランは彼女を腕の中に引き入れた。彼女は生命の温もりを忘れてしまったかのように冷え切っていたのだ。冷気ばかりがシェランの体を包む。


「お前、こんなに冷えて……?」


 シェランは堪らなく恐ろしくなった。同時に、どうして気づいてやれなかったのだろうと嫌気がさす。一体いつから外にいたのだろうか。とにかくここで立ち止まっている訳にもいかないと思い、シェランは彼女の冷たくなった手を引いた。


「よう、シェラン。何やってるんだ?」


 よく知った声が聞こえ、シェランは顔を上げた。彼と同い年の少年、タイガルである。朗らかな笑みを浮かべながら、シェランに近づいてくる。


「何って…アクアが帰ってきたんだ!」


 嬉しそうに弾むシェランの声に、タイガルは訝しげな顔を返した。


「アクアだって? どこにいるんだよ?」


 言われて、ここにいるぞと言わんばかりに、シェランは彼女のいた方を見た。が、その目が見開かれる。

 もうそこに、彼女の姿はなかった。頭が混乱し、状況についていけない。


「さっきまで……ここにいたんだ」


 震える声で、ようやくそれだけ言った。まるで、自分に確認させているようだった。


「俺が見る限り、お前はずっと一人だったぜ?」

「そんな……!」


 目の前で起きたことが信じられなかった。彼女は確かにここにいて、無表情が張り付いた顔をして、氷のように冷たい体で――――

 シェランはただ呆然と、繋いでいた手をさ迷わせた。そんな彼に、親友は笑いかけるだけ。


「真っ昼間に夢を見るなんて、お前そうとうマズイんじゃないか? つらいのは分かるが、ほどほどに休めよ」


 彼の言う通り、あれは本当に夢だったのだろうか。だが、凍ったように冷たい手の感覚は、まだ彼の手の平に残っていた。




 それから数日後。シェランは学校にいた。教室の中は、相変わらずの騒がしさだ。いや、とシェランは首を振った。騒がしいのは全て“雑音”の中だった。自分の前には痛々しい静けさのみが広がっていたはずだ。そして、その中心にいたのは――。そこまで考えて、シェランは再び首を振った。こんなことを考えるのは、この騒がしさの中にいるせいだ。そう考え、シェランはふらりと教室を出た。

 静けさを求めて、足早に歩を進めていく。けれど教室も、廊下も、グラウンドでさえも、楽しげな声が聞こえてきて静寂はない。どうしたものかとしばらくうろうろして、ついに体育館の裏にまで来てしまった。


 シェランは目を疑った。日陰に溶けるように、ひっそりとたたずむ影があったのだ。茶髪をなびかせる彼女は、壁をじっと凝視している。


「……アクア」


 シェランは呼びかけたが、彼女は振り向かなかった。氷のように冷酷で、それでいて静かに燃える炎のような怒りを宿らせた視線を落としているばかりだ。一体何を見ているのだろうと気になって、シェランは彼女に近寄る。

 と、背後で足音がした。驚いて振り向くと、数人の女子が視界に映る。


「うっわ、誰かいるんだけど」

「えー、マジー? ついてないわー」


 シェランを見た彼女らは口々に言う。言葉は直接的ではなかったが、言外に「早くどこかへ行け」というオーラをにじませている。シェランは黙っていたが、眉をひそめた。せっかくアクアと出会えたというのに、邪魔なのはどっちだと言いたい。

 すっと黒い影がわきを通り過ぎる。あ、と思う間に、彼女はやってきた女子らを突き飛ばした。突然の仕打ちに突き飛ばされた人らはどさっと尻餅をつく。痛いだのなんだのわめく彼女らをよそに、アクアは立ち去ってしまう。去り際に振り向いたとき、その眼光は憎悪で満ちていた。


「ちょっと、あんた! か弱い女の子と突き飛ばすとかどういうつもり?」

「最っ低。マジありえないんですけど~」


 愚痴をこぼしながら、数人の女子はシェランを睨み付けていた。立ち上がり、制服のスカートの砂埃を払い落としている。

 ――やったのは自分ではない。アクアが突き飛ばしたのだ。だが口ぶりからして、彼女の姿は見えていなかった(・・・・・・・・)に違いない。そして、普段は優しい彼女が、あんなに憎悪を煮えたぎらせて突き飛ばした理由は、何となく想像できた。


「くそっ……」


 誰に向けたのかわからない悪態をついて、シェランはずんずんとぬかるんだ地面を通り過ぎた。




 それから幾日が経っても、アクアの行方はわからないままだった。けれどそれよりももっと重大なことが起こったせいで、村人は一人の少女の行方など気にならなくなってしまった。雪に閉ざされていたはずのこの村で、一斉に花が咲き誇ったのだ。

 当然、誰もが喜んだ。シェランもまた、目の前の光景に歓喜していた。白一色の雪とは違う、辺り一面色とりどりの花々達。今までこんな景色を見たことがあっただろうか。明るくて、華々しくて、何より暖かい。そもそも自分は、雪のない景色を――“春”を目にしたことがあっただろうか、と。

 だからこそ、シェランは余計にアクアの居場所が気になった。早く彼女に、この景色を見せてやりたい。これなら、暗く落ち込んでいた彼女も元気になるはずだ。


 そう思っていたせいだろうか。目の前に、彼女はいた。黒いコートを羽織り、長い茶髪を春風になびかせて。無表情な瞳でこちらをじっと見つめてくる。シェランが気付いたのを確認してか、彼女は踵を返した。シェランに背を向け、すたすたと歩いて行ってしまう。シェランは慌てて彼女を追いかけた。

 そして、アクアは大きな桜の木の下で立ち止まった。表情を変えないまま、その大樹を見上げている。釣られて、シェランも桜を仰いだ。淡い色合いの花が懸命に咲き誇っている。風が吹く度に、はらはらと儚い花びらが散った。けれど彼女が見ていたのは花ではなかった。木の幹にあいた、小さな穴――以前、彼女と二人で面白がってものを入れて遊んでいた場所だ。

 手頃な枝に手を掛けて上っていき、その穴をのぞき込む。中には以前入れていたガラクタの他に、手紙が入っていた。取りだしてみれば、彼女の字で「私を愛した人へ」と綴られていた。木から下り、アクアを見つめる。彼女はシェランを見つめ返した。その瞳は、どこか悲しげにも見える。


「読め、ってことか?」


 ためらいがちにそう問えば、アクアは無言で頷きを返す。シェランは手紙の封を切った。はやる気持ちのまま綴られた文章を読んでいく。読み進めていくごとに彼の顔は引きつり、手紙を持つ指がぶるぶると震えていった。最後まで読んだところで、ばっと顔を上げる。


「アクア、お前……!」


 顔を上げたときに既にその姿はなく、絞り出したような震える声はただ虚しく響いただけ。シェランはぎゅっと手紙を握りしめた。しばらく無言でたたずんでいた。が、やがてキッと瞳に光を宿らせ、決心したように踵を返した。



 シェランはたった一人で山を登っていく。この先は、誰も立ち入ろうとしない。この村に呪いをかけた、“魔女”の家があると言われているからだ。本来であれば吹雪に閉ざされている山だが、今や暖かな日差しが注ぎ、麓の方は既に雪が溶けてしまっている。そのぬかるんだ道を、シェランは歩いて行くのだった。

 やがて、薄く雪が残る頂上付近までたどり着く。そこには簡素な家が建てられていた。そして、その前には、ひと柱ほどの大きな氷が陽光を反射してきらめいていた。けれどそれは、ただの氷ではなかった。氷の中には人が――――彼女が、閉じ込められていた。黒いコートに身を包み、茶髪はなびくことなく固められ、目を大きく見開かせたままで。

 シェランは呆然として、彼女に触れた。いや、触れようとした。厚い氷の壁に、体温は阻まれてしまう。彼の頭の中に混乱が渦巻き、思考が形をなさずに駆け巡る。回り込んだところで、カツッと何かを踏んだ。それは人の骨に見えた。ローブに身を包み、三角帽をかぶった人骨。近くには先に宝石のついた杖が転がっている。


 魔女は死んだ。だから呪いが解け、村に“春”がもどったのだ。シェランがそう理解するのに、時間はかからなかった。それと同時に、彼女が、アクアがいなくなった訳も。

 シェランはがくりと膝をついた。涙が頬を伝わってくる。濡れたところが冷えてくるのも構わず、シェランは無言で泣き続けた。項垂れたために握りしめていた手紙が雪の中に沈む。


『私を愛してくれた人へ


私は、生きていてよかったの?

私に、生きる価値はあったの?


仲がいいと思っていた人たちが離れていって、それどころか嫌がらせされるようになって。

誰も私がいないみたいに、私がゴミか何かのように扱って。

ずっとどうすべきか悩んでた。


助けてくれた人もいた。

それは感謝しています。ありがとう。

そして、ごめんなさい。ずっと迷惑をかけました。


どうしても居場所が欲しくて。生きる意味が見つけたくて。

何をすべきか考えた。

この村を苦しめている魔女を倒すことが出来れば、価値が生まれるんじゃないかって、そう思った。


この手紙を読んでるってことは、私、失敗したんだろうな。

だって、倒して帰ってくることが出来たら、この手紙は燃やしてしまおうと思ってるから。

だから、心配かけてごめんなさい。


――――さよなら』


 溶けかけた雪と彼の涙が、その文字をにじませていった。

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