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サチ子と銀行強盗

作者: 土塀 友

   サチ子と銀行強盗

 

 一、カージャック

 土曜日の午後、K子を誘って図書館へ行った。

 調べものをしたり、余った時間は読書をしたりして、自由に過ごした。帰りには駅の近くの喫茶店で、お茶を飲んで世間話。そう……いつもと変わらない週末。

 午後七時ごろK子と別れ、スーパーで買い物をして愛車に乗る。しばらく走ると赤信号に当たった。ひと気はないが仕方なく止まると、黒い影が動いた。次の瞬間、突然助手席のドアが開き、若い男が乗り込んできた。

 驚いた私は悲鳴を上げた。男は私の口をふさぎ「騒いだら殺す」と脅した。片方の手にはナイフを持っている。

 私は動揺し、からだじゅうが震えた。

 男は面倒臭そうに

「信号が変わったぞ、出せ」

 と言った。

「どこへ行くの?」

「どこへ行こうとしていたのだ?」

「アパートへ帰ろうとしていたの」

「なら、アパートへ帰れ。おとなしくしていれば危害を加えない」

〈あー、私ってなんてバカなんだろ。駅へ行くとか言って、どこかで降りてもらえばよかった。このままじゃ付いてきてしまう〉

 ラジオからニュースが流れている。

「きょう午後一時ごろ発生した銀行襲撃事件は七時間以上たった今も、こう着状態が続いています……」

 隣町で発生した強盗事件、銀行強盗は逃げ遅れて機動隊に包囲されているようだ。

 最初に駆けつけた警察官は撃たれて路上に横たわったまま、まだ救出できないらしい。

 男はラジオを消した。

 何の打つ手もなく、私の車はアパートの駐車場に入った。

 男は降りろと命令し「騒いだら殺す」と、又言った。

〈もう少し気の利いたセリフはないの、騒いだら殺すと一人で騒いでいる。まったく〉

 私はだいぶ冷静になってきた。

 きっと管理人のおじさんが助けてくれる。

 地下の駐車場からセキュリティカードを挿入して一階の玄関フロアーに出る。

 エレベータの前に立つ。

 管理人さんからこの位置が見えるはずだ。

〈おじさん、助けて〉

 管理人さんは新聞を読んでいて顔を上げない。

〈早く、早く顔を上げて〉

 エレベータが開く。

 男は下半身を私のお尻に突き当てて、私たちはエレベータに乗り込む。

〈アー、最悪。役に立たないおじさんだ〉

「何階だ?」

「エ、…… 三階」

「ボタンを押せ」

〈モー、いちいち命令しないでよ。泣きたいわ、全く〉

 部屋のドアが開くと、男は乱暴に私の背中を押して一緒に入ってきた。

 男は居間のソファーに腰を下ろし、黒い大きなバッグを大事そうに床に置いた。テレビをつけてニュースを見ている。

 しばらくして部屋中をきょろきょろと見回し始めた。

 私は台所にある冷蔵庫の隅に身を隠すようにして、壁にへばり付いていた。

 男は部屋中うろうろしていたが、そのうちに台所に入ってきて冷蔵庫を開いた。中を確かめている。怯えている私を見ると「うまそうだな」と言った。

 私は恐怖で声が出ない、男から顔をそむけた。

 男は私を見つめたまま冷蔵庫に手を入れ、中にあったケーキを取り出した。

「誰かの誕生日祝いか?」

「エ、え~、わたしのよ」

 意外な展開に、男の顔色が変わった。

「誰か来るのか?」

 男は早口で尋ねた。

「いいえ、独りでお祝いするつもりだったの」

「そうか、誕生日おめでとう」

 男は安心したように、口元を醜くゆがめて笑った。そして、ワンホールのデコレーションケーキにかぶりつくと、あっという間に食べ尽くしてしまった。

「迷惑をかける、これは口止め料だ」

 男はバッグの中から札束を鷲掴みにして、テーブルに並べた。

「エ? こんなにたくさん? 私困ります」

〈マッタ、そーゆう問題じゃないだろう〉なんと言えばいい? 私はうろたえてしまった。

「なーに、こんなのはブルジョアのカスさ。気にすることはない」

「あなた、銀行強盗の仲間なの?」

「……」

 男は冷茶ドリンクを飲み干すと、テレビに目をやった。

「頼みがある、このバッグを預かってくれ」

「困ります、私には無理です」

 私は必死になって断った。男はとても怖い顔をして、呻くような低い声を出した。

「逆らうことはできない。取りに来たとき、無かったら殺す」

〈アー、またなの、私は何回殺されるのかしら〉

 私は黙って冷蔵庫の陰にしゃがんだ。なるべく男を興奮させないようにするためだ。

 男はそのうちに大きないびきをかいて眠ってしまった。「ガオー」と、大声を出すかと思うと、呼吸が止まる。

〈こいつ、無呼吸症候群かしら。奥さんはうるさくて、睡眠不足になってしまうわね〉

 でも、脱出するにはチャンスかもしれない。台所から居間を抜けて玄関から逃げる。

 気付いて追いかけてきたらどうしよう、エレベータでは捕まってしまうかも知れない。

〈非常階段を降りるか?〉

〈怖いけどやってみよう〉

 私はそっと立ち上がった。

 すると、いびきが止まった。

「逃げたら殺す」

 男が低い声を出す。

 私は縮み上がった、起きていたのか。いや、寝言かも知れない。でも、確かめることなどできない。

 早く夜が明けてくれ、と祈る。

 窓から見える空が、やっと白々としてきた。

 男は意外と目覚めがよかった。洗面所で顔を洗うと、大きなオナラをしてから台所に入ってきた。

「よかったら車を借りたい」

「えー、私通勤に必要なの。こ、こまるわ」

 男はもろ不快な色を顔に出した。

〈あー、またやっちゃった。この男は出ていくと言っている。車なんて何よ、お安い御用でしょ〉

「あ、まって。いいわ、私、車使わないの。だって今日は日曜日だし、通勤もいつもは電車よ。気にしないで使って」

〈気分、壊しちゃったかしら?〉

 男は何もしゃべらずにテレビを見ている。

 テレビでは昨日の事件の速報を流している。

 きょう未明、強盗犯は投降し、人質は無事解放された。事件は一件落着したようである。

「鍵は?」

突然男が喋った。

「エ、エ、エ……何々?」

「車のカギだ、どこにある?」

「あー、あそこ。玄関よ、玄関の靴箱の上に置いてあるわ」

 男はバッグから札束を一握り取り出すと、ポケットにねじ込んだ。

「いいか、よく聞け。間違えるとお前は確実に死ぬ」

「ハイ。はい、はい。わかっています、大丈夫です」

「いいか、俺は出ていくが午前中は部屋から出るな。わかったか?」

「ハイ、わかった。わかりました」

「それから、このことは誰にもしゃべるな。わかったか?」

「ハイ、もちろん。誰にもしゃべりません、全部忘れます」

 男は「聞き分けのいい娘だ」と言って出て行った。

 私は腰が抜けたようにその場にしゃがみ込んでしまった。

〈アー、アー。助かった〉


 二、任意同行

 解放されて疲れがどっと出た。昼過ぎまで寝ていて、午後二時ごろようやく動き出した。

 お腹がすいたので近所のコンビニへ買い物に行こうと、部屋を出た。

 ようやくあの男の影を感じなくなってホッとした。

 玄関のロビーまで降りていくと、人相の悪い二人連れの男に呼び止められた。

「サチ子さんですね、確か三○二号室の」

 若い男が話しかけてきた。

 昨日のこともあり、私はひどく怯えた。

 年輩の男がにこにこと愛想よく近づいてきて

「失礼しました。私は坂田と申します。いやね、大したことではないんですがね,S署の者なんですよ。いやいや、ほんとにご心配なく、何でも無いことなんですよ。こいつは相棒の柴田と申します。本当に無粋なやつでして、さぞ驚きになりましたでしょう。申し訳ありません」

と、慇懃いんぎんに頭を下げて警察手帳を見せた。

 私は少し安心して「ええ、そうですけれども。何かご用でしょうか?」と尋ねた。

 柴田という若い刑事が、一枚の写真を見せて「この男、知っていますね」と言った。

〈あの男だ〉

 私は気を失いそうに驚いた、見る見るうちに血の気が引いていくのがわかった。

「これこれ、そんな尋ね方はないだろう。いやね、大したことではないんですがね、防犯カメラにこの男が映っていましてね。ご存じないかな、と思いましてね」

「バッチリですよ。サチ子さんと一緒にエレベータに乗るところが映っていたんです。知らないっていうのなら、犯人蔵匿の可能性も出てきますよ」

〈なによ、まったく失礼な刑事さん。知らないとは言っていないわ〉

「え~、昨日のことはよく覚えていませんが……」

「それなら、署で思い出してもらおうか」

「それって何よ。逮捕令状でも持っているの?」

「いやいや、これこれ。若い者ですので口の訊き方も知らず大変失礼しました。そういう事ではなくって、少しご足労願えないかな、と思って、はいー」

結局S署に出頭させられた。


 取り調べは坂田というベテラン刑事が当たった。

「昨日の銀行強盗は知っていますでしょう?」

「ええ、逮捕されたそうですね」

「銀行に人質を取って立て籠もった三人は逮捕しました。

 最初に駆けつけて撃たれた警官ですがね、殉職しました。

 あと少しで定年退官でした。あとすこし……でね」

 坂田さんはこぶしを握りしめていた。

「あんな奴らは……。法律ってのはねえ、時として邪魔なこともあるのですよ」

 坂田さんはタバコをふかしてしばらく沈黙していた。

「ところで、写真の男ですが武田といいます。銀行強盗の一味ですが、運び役だったみたいですね。もう一人、女の見張り役がいましてね、こっちはまだ面が割れていません」

 チンピラですよ、と言ってまたしばらく沈黙した。

「武田って男はねー、サラリーマンでしたが、リストラされてね、犯行当時は無職だったみたいですね。学生時代は運動家だったみたいですよ、『資本主義打倒』とか訳の分かんないこと、叫んでいてね」

 柴田刑事がじれったそうに割り込んできた。

「何か預かりませんでしたか? 武田から」

「さー、よく覚えていないのです」

「奴は高跳びしましたよ、バッチリです。空港のカメラに映っていました」

 坂田さんがタバコをもみ消して、言った。

「国際線は捜査員が張り込んでいます、海外逃亡は無理でしょう。九州方面だそうですよ、いやなに、じきに捕まるでしょう」

 柴田刑事が机をトントン叩いた。

「奴が乗っていた車ですがね、所有者はサチ子さんです。どういうことですか? これは。場合によっては犯人隠避の可能性も出てきますよ。あんた、見張り役と違いますか?」

〈ヒェー、私って疑われているの? 何でえ〉

「サチ子さんの部屋ですが、家宅捜索に入っています」

〈ヒェー、黒い鞄、テーブルの上だし。

口止め料いや違う、あいつが勝手に置いて行った現金の束もそのままよ。これじゃ完全に共犯者じゃない〉

「こいつは刑事デカの感ですが、何か出てきそうな気がします。楽しみですな」

「これこれ、口を慎みなさい。録音されていますよ。ところでサチ子さん、あなたにとって状況がとても不利であることはご理解いただけると思います。私はあなたを信じます。どうか正直に話してくれませんか、坂田大善、一生のお願いです」


 三、逮捕

 三泊してやっと警察から解放された。

 この数日間は一体全体なんだったのだろう、疲れた体を引きずってアパートに帰ってきた。

 ドアを開けると、電話が鳴っている。急いで受話器を取る。

「洋子と申します、武田のことでお伺いしたいのですが……」

 約束の時間にチャイムが鳴った。

 玄関ホールに出迎えてみると、細身の美人が立っている。

「私は武田の代理人です。預けた物をいただきに来ました」

「あー、お返ししたいのですが、生憎と警察に押収されてしまいまして」

「冷蔵庫は見ましたか?」

「立ち会わなかったからわかりませんが、警察の事ですから……。それに冷蔵庫の中は食品しかありません」

「お願いですから、ソーセージを検めてください」

「え、ソーセージ?」

 私は半信半疑でソーセージを取り出した。

 よく見ると小さな傷があり、ほじってみると中からカギが出てきた。

「マーほんと。鍵が出てきたわ、何の鍵かしら」

「駅のコインロッカーの鍵です。

一人で行くのは心細いので、一緒に行ってもらえませんか?」

 私は好奇心から快諾し、洋子さんと駅まで連れ立って出かけた。

 ロッカーの中には小封筒が入っており、鍵とメモがあった。

 メモには、何やら十二桁の数字が書いてある。

「また鍵ね、それにこのメモ? なにかしら、ほんとに不思議ね」

「信用金庫の貸金庫ですよ」

「えー、それでは盗んだお金を貸金庫に隠してあるの?」

「そうよ、安全でしょ、場所は浜松よ。さあ、行きましょう」

「あきれた」

 私たちは新幹線に飛び乗った。座席に座ると洋子さんは暇に任せて話し始めた。

「武田さんは戦士なの、戦っているのよ」

「エ、銀行強盗じゃないの?」

「ブルジョアジーと戦っているのよ」

「まー、評価は人によって分かれるでしょうけど……」

「日本の借金が九百兆円あるって知っている?」

「エー、マー、常識的範囲ですけど」

「日本は、このままでは破産してしまう。そうなったら六十六年前の八月十五日に経験した時と同じような惨めな結果になるの」

「それなら、どうするの?」

「歳出削減して、財政赤字を減らさなければ」

「でも、景気を良くして……。利益が出たら税金で返すのではないの?」

「そこが資本家のずるいところ。そう言って国からお金を出させて甘い汁を吸っているの。だから、赤字が増えても減らないのよ」

「でも、経済学者だって意見は分かれるでしょう?」

「ギリシャ、イタリア、スペイン……。答えは出ているの」

「経済は難しくてわからないわ」

「違う、『声を出す』という事を言っているの。経済は関係ないわ」

 私は洋子さんの迫力に押されっぱなし。

「どう考えたって勝つ見込みなんか無い戦争をなぜ始めたと思う?」

「えー、わかんない」

「軍部と財閥が結託して、自分たちの利益をむさぼろうとしたから。国民は何も言わなかった。声を出さなかったのよ、戦争反対って」

「そうなの?」

「その結果国民が責任を取った、いのちと引き換えにね。国は焼け野原、まさに破産してしまったの。同じことだと思わない?」

「えー、そうね。それなら原発も同じね、電気がないなら工場を海外に移転するなんて。資本家は国民を脅してるもんね」

「そーよ、その通りよ。サチ子さんも仲間よ、同志だわ」

「エヘヘ、そんなに喜ぶなんて。わたし、いいこと言ったかな?」

 私は少し得意になったが、脳みそはすぐに混乱した。

「でも、どうしてそれが銀行強盗と結びつくの?」

「ばらまくの。奪ったお金と『歳出削減・財政再建』のビラをセットにして、東京スカイツリーから日本中にばらまくのよ」

「エ、何か……がっかり。もう少しカッコいいかな、と思った。割と地味ね」

 目を輝かしていた洋子は私の反応に興ざめしたようだった。テンションの下がった声で言った。

「見解の相違ね。夢がないって、いやね」

「ごめん、ごめん。そんなつもりじゃなかった。もうじき浜松ね、よかった」

 浜松駅からタクシーで三十分。

 田舎の地方都市だと辺りは既に田園地帯が広がる。

 目指す信用金庫に着いた。私たちは手続きを取るために受付で係りの行員を探した。

 ふとキャッシュコーナを覗くと若い男がいた。あれ……柴田刑事。

「柴田君。何しているの、こんなところで」

 柴田刑事はまずい顔をして横を向いたが、それを機に四、五人の男が私たちを取り囲んだ。

 先頭にいた坂田刑事がドスの利いた声で言った。

「洋子だな。逃げられないぞ、覚悟しろ。逮捕する」

 洋子さんは青ざめた顔を私に向けて、ちいさく「革命万歳」といった。


 坂田刑事も盆休み返上で活躍している。

 貸金庫の中にあったものは、大量のビラであった。武田はまだ捕まっていないし、強奪された多額の現金もまだ発見されていない。

 きょうは終戦記念日である。



                了


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