LA FEMME CHINOISE
「大陸って本当に広いのよ。まだまだ知られていない生き物だっていっぱいいるの」
つやつやしたあだっぽい唇が、ちょっとだけ古風な日本語をつむぎだします。本当、留学生とは思えないくらい流暢だなあ。
「北京のもう少し北に行くとね、ちょっと山の中に入っただけでもう、半人半獣の2本足で歩く生き物が現れて、村人を襲ったりするの」
あの国も最近はミスコンテストが盛んだと聞くけれど。出身地の上海でも……いや、全国クラスでもいい線いくんじゃないかね。この人。
「でもね、地元の連中はもう慣れたもので、そいつらを追い払うために、とっておきの呪文みたいな、決まり文句があるのよ」
いけません。これはいけませんよ。この方、綺麗すぎます。こういう過度に美しい人と近づきすぎると、きっと何かが狂います。それが人生か、それとも精神かは知らないけど。
「いったいなんて言うと思う?『万里の長城はまだ出来上がってないぞ!』って、怒鳴りつけるんですって」
この方とつきあいだしてから先輩、仕送りだけじゃとても足りないって言ってるしなあ。静岡の大きなお茶問屋の跡取り息子様がねえ。「惚れた弱み」って、こういうこと言うの可知らん。
「昔、万里の長城を造ってたとき、あまりにも人手が足りないから、そういう『人間以外の連中』までさらって来て、奴隷としてこき使ったのよ」
部屋代と大学の学費のぞいて、月に40万もらってるはずなのに。それでも貢ぎたりないのかねえ。まあ、これだけの別嬪さんと一緒に暮らしてたら、自分を見失って当然だけど。
「連中はそれを覚えていて『万里の長城』って言葉聞いただけで、きゃーッ!って、逃げていくんですって……ちょっと。聞いてます?」
あっ! はい! 聞いてます! でもなんか、辺境というか、周辺民族に対しての中華なあんばいの思想が見え隠れしてません? そのお話。そこらへん海のこちら側の育ちとしてはちょいと気になるんですけど。
「ああら、そんなことないわよ。あくまでもこれは不思議な生き物のお話。今の私たちにそんな優劣の意識なんかないわよ?」
ミラーに映るすぼめた唇、助手席からこちらをちらりと見やる笑みを含んだ、切れ長の流し目。いたずらっぽい瞳。タンクトップの肩の、まるで白磁みたいなつやつやの肌。
なんとまあ、どこからどこまで。パーツのどれひとつをとっても、お美しいこと。
真夏の白い午後。海へと続く田舎道を、どこどこ揺れながら、先輩とその彼女と僕の3人を乗せた車は走ります。陽炎の向こうに、見覚えのある松の並木と大学の合宿所が見えてきました。
後輩が男4人、みっしりぎゅうぎゅう詰まって先発していた軽バンが、合宿所横に停まっているのが見えました。先輩が巧みなハンドルさばきでその横につけます。はい、道中お疲れ様でした。
僕が座るスペースをかろうじて残して、車内にぎっしり積み込まれた写真機材を、ふうふう言いながら降ろします。暑いなあ。わざわざ引き伸ばし機まで持ってくることないじゃんか。
汗を拭きふき、立ち働く私の背後で、くすくす笑いしながら、世にも美しい声が命じます。
「はいはい。てきぱき動いてね。万里の長城はまだ出来上がってないわよ」
おいおい。




