飽きない遊び鬼
それはゲームだった。
機械にソフトを入れて遊ぶ『ゲーム』。
単純に遊びでという意味合いの『ゲーム』でもある。
登場人物は二名だけの遊び。
どちらの意味も持つ『ゲーム』の名称は、『隠れ鬼』というものだった。
私の眠りは浅い方だ。
毎日毎日夢を見る。
幼い頃からそれが続き、夢を見ない日は無いと豪語できるほど、私は毎日夢を見ていた。
夢はその人の記憶の断片を繋ぎ合わせて物語にしたもの、とよく聞く。
確かに、私の見る夢はその日にあったこと、話したことを元に作られているものが多かった。
今日DSやPSPで遊んだゲームの中に自分が主人公になり魔物を狩りに行く夢や、今日テレビで見た芸能人のことについて友人と話をする夢も見たことがある。
夢の中は、とても楽しい。
夢の中では、どれだけ走っても疲れない。
私が主人公の物語は、私の考えた通りにシナリオが進んでいく。
現実での嫌なことが、夢の中では笑い話になる。
夢の世界に私はいつしか憧れるようになっていた。
現実の世界は私に優しくは無い。
家で、学校で、外で、私の思い通りにならない世界は現実を突きつけて私を孤独にさせる。
私は、欲張りなのだ。
なんでもかんでも思い通りに事を運ばせて、欲しいものを手に入れようと躍起になる。
私の欲しいもの。つまり――友達だったり、信頼だったり、信用だったり、才能だったり、羨望だったり――今の、短気で浅慮で傲慢で世間知らずに礼儀も知らない私には、とてもじゃないが手も伸びぬもの達。
少しでもその欠片を持つ者を見れば嫉み妬む私は、とても薄汚いものだった。
私はそんな薄汚い自分が嫌いで仕方が無かった。
違う、違う。私はそんなに汚いものじゃない、と自分に言い聞かせて、その思い込みにさえも嫌悪を覚える決して抜け出せはしない悪循環。
そんな私を見ないですむ、私を忘れさせてくれる夢の世界に、私は憧れていた。
私は学校帰りに早速ベッドに足を向けた。
中学校から配られた宿題は、いつも朝早くに起きて片付けている。
晩御飯は食べない。風呂も朝に済ませる。
放り投げた学校指定のバッグが、床に着地したと同時に鈍い音を響かせた。
私の部屋の外から母さんの注意する声が聞こえ、それにおざなりな返事をしてベッドに潜り込む。
あ、そういえば制服から着替えてなかったな。
まぁどうでもいいか。
私は夢の世界にへと旅立った。
真っ暗な世界。
背筋を走る嫌な予感。
膝を抱えて息を噛み殺す私。
私はすぐにこれが夢だと理解した。
そしてそれと一緒にこの夢が私の望んでいない夢の世界だということも。
私は膝を抱え込んで目の前の木箱を睨みつける。
どこかの廃工場の、埃が積もった倉庫の中。
天井近くまで積み上げられた荷物に向かって、「早く夢から覚めろ早く夢から覚めろ」と繰り返し繰り返し念じる。
怖い、怖い、怖い。
カチャリ、と倉庫の扉が開く、軽い音が私の後ろで聞こえた。
私はさらに息を殺し、頭の中に浮かべていた思考を断ち切る。
後ろから、はぁー……、はぁー……、という荒い息が、私を探す。
大丈夫。大丈夫。
私を探す『鬼』は私が喋らずに、私がソイツを振り返らなければ、私を『喰う』ことはできない。
私が決めたルール。
『ソレ』は結局夢の住人で、夢の主である私には逆らえないんだ。
うろうろ、うろうろ、私を探す鬼は倉庫の中を歩き回り、時折木箱などに触れて物音を立てる。
ずりずりと足音をさせて鬼が私の近くに寄り、背中を向ける私の肩に手を、
そこで、目が覚めた。
私はベッドの上で天井を見上げている。
少し古い家である我が家の天井の木目を目でなぞり、ぎょろりと周りを目だけで見回す。
そして、私は見つけた。
暗い部屋の中に差す、窓からの光で浮かび上がった『顔』を。
青くて大きな手が私の足に縋るように置かれていて、青い大きな顔に埋め込まれた大きな目が私を見ていた。
ぞわり、と背筋が凍る感覚がして、私は上げかけた悲鳴を噛み殺して、目を瞑った。
ぴちゃりぴちゃりと水音がする。
同時に自分の足に舌が這うような感触。
私はきつくきつく目を瞑った。
これは夢だ、これは夢だ。自分に言い聞かせて早く夢から覚めることを願う。
ぎゅるり、とよく分からない鳴き声をあげた鬼。
震えそうになる身体。
だめだだめだめだめだめ。
ここで震えたり声をあげたら喰われてしまう。
これはそういう夢なんだから。
愛撫するような舌の感触が怖くて怖くて、嗚咽が漏れそうになる。
嫌だ嫌だ嫌だ死にたくないまだ死にたくない嫌だ嫌だ早く夢から覚めてよ。
死にたくない。
嫌だ。
早く、早く、早く、
そこで、目が覚めた。
私はベッドの上で天井を見上げている。
少し古い家である我が家の天井の木目を目でなぞり、ぎょろりと周りを目だけで見回す。
窓から差す光と鳥の鳴き声に、私は「あぁ、朝だ」と安堵した。
大きく息を吸い、肺に空気が満たされていく感覚を心地よく思いながら、身体を起こす。
一瞬、私の足元で目を見開く鬼の姿が脳裏に過ぎり、びくりと全身を震わす。
だけど、私の足元には鬼がいなかった。
私はそのことに再度安堵し、溜息を吐いた。
部屋に備え付けられている時計を確認する。
針が指し示す数字に、私は昨日風呂に入らなかった自分を呪い、仕方なく学校に行く準備をした。
「私ね、怖ぁい話好きなの」
学校に行くなり、私の友達がそんなことを言い出した。
「怖い話って…あーそっか。もう夏だもんね」
私の席の前に陣取る二人の友達。
二人はお互いに私の机に手を置いて雑談に興じていた。
私はあまり怖い話だとかには興味が無い。
あの夢を思い出す、ということもあるが、そんな夢を見る前も怖い話には興味が無かった。
元々私はそういう話が好きじゃないのだ。
そのことを知っている二人の友人は、私の席の前にいるにも関わらずに私を置いて会話を続ける。
「昨日さ、怖い話特集っていう番組をテレビがしてたんだけどさぁ。あれってダメだよね。隅から隅までヤラセ臭くってさ。っていうかあれは確実にヤラセだね。なのに番組に出てる人たちがキャーキャー煩くってさ。もー興ざめ」
「その番組なら私も見たよ。この頃はダメだよね、テレビ。あからさまに捏造しましたーって感じで。サクラの人たちも大変だろうね。心の中では笑いを堪えてるんじゃないかな。私はその番組見てる間ずっと笑ってたよ。怖いより先に笑えてくるし」
「確かにね。昔はまだ良かったのにぃぃ。……あ、そうだ! ねぇ、怖い話とか、無い?」
「えぇ~? 怖い話ぃ~?」
友達の一人が思案気に首を捻る。
私はそんな友達を見ながら、不愉快に顔を顰めた。
「じゃあ、これなんてどう? この前ね――――」
嬉々として喋り始める友達。
私はその話を聞き流しながら授業が始まるチャイムはまだかと待ち侘び、頬杖をついて窓の外を眺めていた。
夢はいいものだ。
私の中で燻る欲求不満を、誰にも迷惑をかけずに解消してくれる。
私は動くことが嫌いだ。
それは体育とかで身体を動かすというものと、自分から動くという意味合いを持つもので、私はその二つを限りなく平等に嫌っていた。
だけどそんな面倒臭がりの私は、とても面倒臭いことに『動く』ことが好きだった。
いや、好きというよりも憧れなのだろう。
夢の中なら私は性別を無視してヒーローになれる。
世界に悪影響を及ぼす魔物を、剣を片手に打ち倒していくのだ。
私の傍には、現実世界には絶対ありえないであろう髪や瞳の配色を持つ仲間。
あるいは悲劇のヒロインになって、王子様という陳腐なものに助けられるとか。
あぁそういえばこの前は、どこかのファンタジー世界に広がる森で、エルフという設定の私が自らを魔王と称する子供を拾ったりしてたな。
そのほかにはレースに出てくるような車相手に、私は自分の足で走って勝敗を競ったり。
ありえないことだ。
現実世界では決してありえないこと。
だから私は夢に憧れる。
憧れて焦がれて、夢の中で繰り広げられたシナリオに感動し心動かされ時に涙する。
夢に恋をしているといっても過言ではないのかもしれない。
夢境の腕に抱かれて死ぬのなら、私は惜しみなく――――……
学校から家に帰宅する。
両親はいない。
父は仕事、母も仕事。
帰ってくるのは深夜を回ってからだろう。
学校が終わり放課後、ちょうどそのときを狙ったかのように携帯電話に送られてきたメールの内容を確認した後、ぱちりと音を立てて閉じる。
今日は家に誰もいないことがわかって、ファーストフード店に寄って買ってきた晩御飯を片手に、私は自分の部屋に向かった。
部屋に入るなり、手に持っていた鞄を床に放り投げる。
結構な音がしたが、その音を注意する声は無かった。
そのままベッドに腰掛けてもそもそとハンバーガーを食べ始める。
店で食べてもよかったが、今日はなんとなくそんな気分じゃなかった。
家に私以外の人間がいないせいで、妙な静けさが支配する空間。
私は、ぼんやりと『鬼』が出てくる夢の内容を思い出していた。
あれは、『ゲーム』だ。
私はそう確信していた。
あの夢の中に出てくる、夢の住人である『鬼』と私のゲーム。
あぁ、今日もあの夢を見そうだなぁ。
完食し終え、あとは気ままに就寝時間まで暇を潰す。
時計が9時を指したのを確認し、私は眠りにつくために目を閉じた。
『隠れ鬼』。
登場人物は『鬼』である青い鬼と『人間』である私だけ。
私はPSPを覗き込んでいた。
PSPの画面に映っているのは、真っ暗な部屋で足踏みをする『人間』。
昔のゲームのような、粗いポリゴンで構成されている『人間』は、木箱を目の前に延々と足踏みをしていた。
私は「一昔前のドラクエかよ」と呟いて、ボタンを押した。
すると画面に映っていた『人間』が、ぴたりと足踏みを止めた。
ボタンを押す指をそのままに長押しを続けていると、真っ暗な部屋の唯一のドアが開く、軽い電子音がスピーカーから流れる。
『鬼』が現れた。
私と同様に粗いポリゴン姿である青いソレが、ずっ、ずっ、といっそのこともどかしく感じる程の速度で部屋の中に入ってくる。
それを眺めながら、私はボタンを押す指が離れそうになるのを必死に堪えた。
この指を離してはいけない。
離してしまったら、私の姿をした『人間』が喰われてしまう。
十字キーを押してもいけない。
動いてしまったら、やはり『人間』が喰われてしまうから。
ゲームから流れるのは、鬼が部屋の中を歩き回る音、だけ。
自然に荒くなってくる呼吸を抑えて、私はボタンを押し続ける。
このボタンを離してしまったら、ゲームの中の『人間』が喰われてしまったら、その青い鬼はゲーム画面を突き抜けて私も喰われてしまう、から。
ずっ、ずっ、ずっ、
早く夢から覚めて欲しい。
指が疲れてきた。
夢の中なのに、なんで疲れたとか思うんだろう。
あぁ嫌だなぁ。死にたくないなぁ。
早く夢から覚めて欲しい。死にたくない喰われたくない嫌だ。
ずりずりと音を響かせて『鬼』は『人間』に近付き、その背後をとって、私は思わずボタンから指を、
――――嫌だ! 夢から覚めて!!
人間、禁止されているものほどやりたがる。
それはもう本能といってもいんじゃないんだろうか。
私は視界に入る木目の天井をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていた。
「あぁ~、何か面白いこと無いかなぁ~」
「面白いこと? んー、じゃあ服でも買いに行く?」
「いやお金ないから無理。てかそんなんじゃなくてさぁ、こう、日常を塗り返すような非日常的な何かを、こう、さぁ! 分かるかなぁ私のこのもどかしい気持ち!」
「そう言われてもねぇー。私も拝んでみたいけど……、あ、でも面倒くさいことは嫌」
「え? 面倒臭いことが嫌なのに非日常を見てみたいの? 駄目だよそういうのは。だって非日常はいつでもどこでもどんな理由でも分け隔てなく面倒くさいものだからね。今まで自分が見てきたものがくるんと回って無くなる、というか変わるんだし。いつもの行動ができないのって、それってある意味『超面倒臭い』ものだよねぇ? だから駄目だよ、そういうの。面白いことと面倒臭いことは紙一重なんだから」
「えー、そうかなぁ?」
「そうだよ! そういうもんだからここは納得しなよ!」
「えぇー?」
私の席の前にいる二人がそんな会話をしていた。
私はいつも通り窓の外に視線を向けて、二人の会話を聞き流す。
面倒臭いと面白いは紙一重。
本当にそうなのだろうか。
頭の中で巡る、自分がヒーローやヒロインとなった夢の内容を反復しながら、友人の言葉が腑に落ちず微かに眉間にしわを寄せた。
今日も、なんとなくあの夢を見そうな気がした。
その予感はきっと当たる。
時計が9時を指し、私は機械的にベッドに入った。
夢はいいものだ。
たとえあの青い鬼が出てくるようなものでも。
私は夢のためなら、 、 、、、、、、、、、、、、 、 。
真っ暗な世界。
背筋を走る嫌な予感。
膝を抱えて息を噛み殺す私。
私はすぐにこれが夢だと理解した。
そしてそれと一緒にこの夢が私の望んでいない夢の世界だということも。
私は膝を抱え込んで目の前の木箱を睨みつける。
どこかの廃工場の、埃が積もった倉庫の中。
天井近くまで積み上げられた荷物に向かって、「早く夢から覚めろ早く夢から覚めろ」と繰り返し繰り返し念じる。
怖い、怖い、怖い。
カチャリ、と倉庫の扉が開く、軽い音が私の後ろで聞こえた。
私はさらに息を殺し、頭の中に浮かべていた思考を断ち切る。
後ろから、はぁー……、はぁー……、という荒い息が、私を探す。
大丈夫。大丈夫。
私を探す『鬼』は私が喋らずに、私がソイツを振り返らなければ、私を『喰う』ことはできない。
私が決めたルール。
『ソレ』は結局夢の住人で、夢の主である私には逆らえないんだ。
うろうろ、うろうろ、私を探す鬼は倉庫の中を歩き回り、時折木箱などに触れて物音を立てる。
ずりずりと足音をさせて鬼が私の近くに寄り、背中を向ける私の肩に手を置いた。
私は反射的に肩に置かれた手を振り払う。
そして私は見た。
肩に置かれた手とは反対方向に逃げようと身体を向けた私の目の前に、青い鬼が、大きい目を限界まで、力いっぱい目を見開かせた青い鬼を、私は見てしまった。
あまりの恐怖に動けずにいる私を、青い鬼は聞いたことも無いような鳴き声で、笑って、 、 、あ、あぁあああぁぁぁ、 、 ああ 、、、、あぐ、、、、、 、、、、、、 、、、 、、、 、、、、 、 ぃ 、 、、、 、、、ぎ 、ゃ、、 、、、、、 、 、、、が、、 、、、 、、、、、、、 、、 、、、 、、 。
「あ゛ぁ~! もうホント今日も暑い!」
「そだねー。でももうすぐ夏休みだよ!」
「え、いつから?」
「27日から」
「えちょっと待ってあと一週間で!?」
「は? 知らなかったの?」
「いやぁー。面白い話が無いかと思って日々模索してたからねぇ。テヘッ、私のうっかりさん!」
「あははは。馬鹿みたい。で、面白いこと見つかった?」
「ううん。全然!」
二人は席の前で楽しく談笑していた。
そのうちの一人が、席の前で話すのが億劫になったのか、自分の席に座る。
その席はまさしく、その前で今しがたまで話し込んでいた席で。
がさがさと夏休みに向けて机の中を空にしようと、机の中から教科書を取り出した。
「あ、そういえばさ」
「ん?」
いきなり自分に話しかけてきた友人の声に、立っていたもう一人の人間が振り向く。
教科書を机の上でそろえている友人を視界に収め、自分に意識が向かっていることを確認した席に座る人間は、笑って言った。
「夢って、好き?」
「夢?」
「うん。夢」
なんでそんなことを言い出すのだろう。
小首をかしげて悩み、ややあって「好きだよ」と答えた。
「へー、そうなんだ」
「それがどうしたの?」
「あぁ、うん。面白いかどうかは分からないんだけどね、ちょぉーっと興味がそそられるものをパソコンで見ちゃってさ」
「え、何々?」
食いついてきた友人の姿に機嫌を良くしたのか、にひひと笑って言葉を紡ぐ。
「あれ全部説明するのに時間が掛かるから少し割合するけどさ。私の大切な大切な友人に忠告しておいてあげまーす!」
「忠告?」
「うん。『夢に夢見ちゃいけませんよ』、です! はい終わり!」
「ちょっと待って何それ!」
「夢に憧れたり、夢のためなら『死んでもいい』なんて思っちゃいけない、ってことだよ。それ、現実になっちゃうから」
「えぇー? 夢のためなら死んでもいいって、何それ! 思うわけないって!」
「そう? なら良かった。あ、ねぇねぇ明日の時間割り何ー?」
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夢はいいものだ。
夢の中ならなんでもできる。何でも叶えることができる。
普通ならできないことでも、夢の中なら誰だってヒーローやヒロインになれる。
だから、好きだ。憧れてる。
夢を見るのは飽きない。
自分が自分ではなくなる感覚がたまらなく心地良い。
中毒になる。抜け出せなくなる。
けど、その毒に捕まったらお終い。
すべてが終わってしまう。
毒は『鬼』になる。
『鬼』は『人間』の真似をして『ゲーム』を提案する。
振り向いてしまったらお終い。
飽きることのない、決して抜け出せやしない、万人が見る『ゲーム』。
夢に憧れないよう、ご注意を。
怖い話特集-第七夜(章)-『飽きない遊び鬼』から抜粋
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夏のホラー2010に参加させていただきました。
ころころと視点が変わってるので、あまり怖くありませんね。
もっと怖く出来たらよかったんですけど。少し残念です。
最後の怖い話特集とか飽きない遊び鬼とかは完全にオリジナルなので、あんまり真に受けないで下さいね!
怖い話特集の雑誌とか見つけても、探さないで下さい^^;