マリアの右腕
約束の夜、俺は再びBar Twilightの扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうから、美月の声が聞こえた。顔を上げると、彼女が微笑んでいる。
「ヨシトさん、お待ちしてました」
「こんばんは」
前回と同じ、カウンターの端の席に座った。美月がメニューを差し出してくる。
「今日も、ノンアルコールのモヒートでいいですか?」
「ええ、お願いします」
彼女は慣れた手つきでカクテルを作り始めた。その姿を見ているだけで、なんだか落ち着く。
「仕事、お疲れ様です」
「ありがとうございます。美月さんも」
「私はいつも通りですよ」
グラスが目の前に置かれる。ミントの爽やかな香りが鼻をくすぐった。
「最近、調子はどうですか?」
美月が優しく聞いてきた。
「まあ、ぼちぼちです。失恋の傷も、少しずつ癒えてきたかな」
「それは良かったです」
今日は前回より少し暖かくて、俺は長袖のシャツの袖を肘まで捲り上げていた。グラスを持ち上げた時、美月さんの視線が俺の右腕で止まった。
「それ、タトゥーですか?」
彼女が小さく声を上げる。
右腕に彫られたマリア様のタトゥー。普段は長袖で隠しているけど、今日は見えてしまっていたようだ。
「ああ、そうです。若い頃の名残で」
「綺麗ですね。マリア様ですか?」
「はい。まあ、昔はちょっと荒れてたもので」
美月は興味深そうに、でも品よく視線を向けている。
「もう少し、見せてもらってもいいですか?」
「構いませんよ」
俺は腕を差し出した。美月がカウンター越しに身を乗り出して、タトゥーを見つめる。
マリア様は祈るように両手を合わせていて、その周りに細かい装飾が施されている。若い頃、腕利きの彫り師に入れてもらったものだ。
「本当に綺麗。丁寧に彫られてますね」
「昔はこういうのがステータスみたいなもんで」
「ヨシトさん、昔はヤンチャだったんですか?」
「まあ、そんなところです」
俺は苦笑した。美月は驚いた様子もなく、むしろ面白そうに微笑んでいる。
「今のヨシトさんからは想像できないです。とても穏やかな方だと思ってました」
「歳とって丸くなったんですよ。今はただのトラックドライバーです」
「でも、このタトゥー、大切にされてるんですね。色も鮮やかだし」
「ああ、一応ケアはしてます。若い頃の証みたいなもんですから」
美月は頷いて、また笑った。
「なんだか、ヨシトさんのこと、もっと知りたくなっちゃいました」
その言葉に、俺の心臓が少しだけ早く打った。
店内のジャズが静かに流れている。美月は他の客の対応に戻り、俺は静かにモヒートを飲んだ。
タトゥーを見せたことで、少しだけ距離が縮まった気がした。
悪くない夜だ、と思った。




