デラトリス村の青年シュフェーナ
暦の上では夏が近く、太陽とともに目覚めるバゼンダ族の朝は早い。ところがシュフェーナが目を覚ますと、昨夜出会った少女はすでに着替えを終えて、朝食である保存食を食べているところだった。バゼンダ族の中でも早起きの自信があるシュフェーナは少し面食らった。
「いやはや、ロムリスさんは早起きですね。私のせいで出発が遅れるようで、申し訳ありませぬ」
シュフェーナは慌てて起き上がったが、ロムリスは澄ました表情を崩さず食事を続けている。
「構わないですよ。ユロイ族のような放浪の民は、睡眠時間が短い傾向にありますから。それに、いくら別種族とはいえ、異性に着替えを見せるのは抵抗がありますので」
ロムリスが視線を動かさないのは『私に見えない範囲で着替えろ』という暗黙のメッセージであると合点したシュフェーナは、ロムリスの背後に回って服を脱ぎ始めた。ベタリカ町からデラトリス村はレナンタではおよそ三日というところで、荷物に着替えを入れておけば毎日着替えることができる。
「そういえば、ロムリスさんはどれくらいの歳になるのですかな?」
とはいえ黙って着替えるのもただ衣擦れの音が響くだけなので、シュフェーナは世間話をする。
「五十二歳ですが、ユロイ族の寿命は四百〜五百年なので、私はまだ駆け出しですね。ちなみにシュフェーナさんはお幾つで?」
異種族間の自己紹介では、よほど普段から交流がある種族でない限り、年齢に続いて種族のおおよその寿命と自分の発達段階を伝えるのが通例である。
「ちょうど二十歳ですが、バゼンダ族の寿命は百年程度ですから、実年齢はロムリスさんより少し上くらいになりますかね。ついこの前結婚して、第一子となる娘が生まれたところです」
「それは素晴らしい。私もそろそろ適齢期なのですが、いかんせんこのような旅の身では相手も見つからないわけでして」
シュフェーナは着替えを終えて、朝食の準備を始めた。シュフェーナの朝食も、ロムリスと同様に乾燥させたベームである。紙袋を開けて乾燥ベームの薄切りにした一切れを口に含むと、ぱりぱりとした食感に続いてほのかな甘さが広がる。
「そういえば西の大陸から来たと仰ってましたな。西に大陸があるらしいとは私もこの前聞いたばかりなのですが、いったいなぜわざわざこの大陸に来なさったので? このゴーガシャ王国は何もない小国ですよ?」
ここでロムリスはシュフェーナが着替え終わったことに気づいたのか、振り返ってシュフェーナの方を見た。すでにベームは食べ終わって、ロムリスの右手は相棒のサンミをもて遊び、左手は朝日が反射して輝いている紫色の髪を整えようとしている。
「うーん、ちょっとした偶然と気まぐれが重なっただけですよ。もともと祖国にいてもどうしようもない身で、成し遂げるか死ぬかと一時の気迷いで取った針路がたまたま新大陸に着いてしまっただけです。……でも、ゴーガシャ王国はそんなに小国でもないように思いますよ。歩いて何日もかかる広い国土があって、この東には大都市である首都ビスタルがあるではありませんか」
「いやぁ、お世辞はよしてください。ロムリスさんもこの大陸を西から渡ってきたのならよくわかると思いますが、ゴーガシャはこの大陸では小国の部類に入りますよ。ビスタルは国の中では大都市といえども人口規模は五万人程度で、国全体でも三十万かそこらですからね。大陸には数百、数千万の人口を擁する大国がぞろぞろあるわけで」
「あはは、確かにそうですね。でも、国の大小にかかわらず、人の温かさは変わらない。そして、この草原は綺麗だ」
ロムリスは髪を整え終わって、すでに眠りから覚めてロムリスを見つめていたセディーラに近づいた。セディーラはそれに呼応するように折り曲げていた足を伸ばして立ち上がる。シュフェーナはちらりと自分のレナンタを見た。二年前の結婚のときにわざわざ上京して買ったレナンタだが、最初のころより改善されたものの、まだ強く命令しないと動こうとしないときがある。ロムリスとそのセディーラが一心同体なのは、長命種ゆえの一緒にいた時間の長さか、それともロムリスの素質か。
シュフェーナはロムリスを待たせないように早くベームを口に押し込もうとしたが、同時になんともいえない重苦しさを吐き出そうとしていた。旅人だというのにそれなりにゴーガシャ語を操り、家畜と滑らかに連携し、美しい髪と体躯を持ち、そして何よりこれまでの旅からくるかのような落ち着きと余裕をもって朝日の下に立っているロムリスは、街では母語ゴーガシャ語の看板にすら苦戦し、ぼさぼさの頭と畑に埋もれるのみの強張った両手を持ち、ベームの値下がりに怯えることしか知らないシュフェーナとは何もかもが違っている。三年前にやってきた旅人もロムリスと同様の雰囲気をまとっていた。旅人たちはシュフェーナにはあまりにも高潔すぎて、しかしだからこそシュフェーナはセディーラの横で風に吹かれるままになっているロムリスから目を逸らすことができなかった。
ウォン、とシュフェーナの横で低い唸り声がして、シュフェーナは自分のレナンタが珍しく自ら出発の意思を示しているところを見た。それに気づいたロムリスが、無表情を一気にはにかませてぴょんとセディーラに飛び乗った。シュフェーナも続けてレナンタの上に上がり、レナンタを促して少し前にいたロムリスに追いついた。
「出発しましょうか。シュフェーナさん、ベラトリスまではどれくらいかかりそうですか?」
「軽く2時間くらいでしょう。すぐに見えてくるはずですよ」
「わかりました。何か村の目印になるものはありますか?」
「そんな高い建物がある村じゃないですがね。あえて言うなら、村の中央部の小高い丘に広場があるくらいで」
「わぁ、素敵ですね。そこから村が一望できるのでしょう?」
「いやいや、誇れるようなものではありませんよ。本当にただの田舎で」
「ただの田舎であっても、住人にとっては記憶が詰まった場所でしょう。ほら、小さい頃にはシュフェーナさんも、丘の上に上がって夕暮れをずっと眺めていたりしていそうですが」
「よくわかりましたね、まさにその通りで……思えば、意外と見晴らしは良いですよ。小川にすぎませんが、遠くにはベルガ川も見えますし」
「良いところじゃありませんか。私のような旅人には、そういう思い出の場所はないですからね。ぜひその丘をずっと大切にしてください。そして、私にも少しだけ紹介してくださいね」
「ええ、もちろんですよ」
シュフェーナは奥手のはずの自分がなぜか饒舌になりつつあることに驚いていた。このロムリスという少女は、旅人という職業も影響しているのか、どこか人を引きつける、警戒心を解かせる性格をしているようである。もしかすると、なんだかんだでシュフェーナとうまくやっている妻イベットにも似ているのかもしれない。ロムリスの丘についての話が一般的なもので、国内や外国に数えきれないほどある名所に比べればその丘など大したことがないことはシュフェーナはよくわかっていたが、それでも悪い気はしなかった。東の地平線から出てきたばかりの太陽の下にもうすぐ見えてくるはずの丘の頂上を、シュフェーナは目をこらして探し始めた。




