裏の危険
平日の近所の公園。都市部から少し離れているお陰で車両や人間の喧騒とは程遠い世界を構築しており、また、平日というのもあって訪れる人も多くはない。大抵は運動が好き、または老いてもなお体力を維持したい初老の男女、あとは小さな子供を連れて散歩をしている親子連れくらいだ。なのでそのどれにも当てはまらない私は極めて特殊な人種とも言えるだろう。
近くに大きな木の見えるベンチに座っていると、バッグを下げたスーツ姿の女性が隣に座った。年齢は二十代後半、紺のスーツを着たいかにも会社勤めといったような風貌だ。
「久しぶり」
外回りの休憩で公園に立ち寄ったわけではなく私に声をかけてきた。
「あなたから声をかけるのはいつぶりかしら。また助けが必要?」
彼女の名前は山波。フリーのジャーナリストで時々であるが私の持っている裏から仕入れたネタを提供している関係である。その見返りとして私の必要としてる情報を彼女の調べをもとに提供してもらってる。フリーというある程度足の軽いことと、仕入れてくる情報の質も高い。そのためサキの吸収できる情報も限りがあるため、彼女らが太刀打ちできない問題にぶつかった時この山波の出番というわけだ。
「ある港について調べてほしい。調べるだけで今のところ特に公表の必要はない」
私は先日事の起きた港に関して必要な情報を記載した用紙と報酬金の入った封筒を渡した。今回は普段よりリスクの高い仕事と量を加味して多めに入れている。山波は封筒を受け取ると厚みで理解したのか遠くを見つめていた。
「前払いなんて初めてじゃない?もしかして厄介なことに巻き込まれてる感じ?」
「もしかしたらな。少なくとも一枚岩ではないだろう。上手くいけば追加の報酬とお前が喉から手が出る情報の一端をやろう」
それを聞いた山波はスーツの内ポケットに封筒を忍ばせて立ち上がった。
「じゃ、いつも以上に気張らなきゃね。終わったらいつも通りメールするから。それじゃあ」
山波はそういって立ち去り、再び私は一人となった。私の右手が自然とポケットのスマホを手に取り画面を開くと二件のメッセージが来ていた。
――今晩もそっちに寄ってから帰るわ。
その後にはサムズアップした猫のスタンプが添えられていた。こんなメッセージを私に送ってくる知り合いは一人しかいない。小神子である。彼女が最初にうちに来てからというもの何かと私の世話を焼きたがる。おおよそしっかりしている彼女のことだ、不摂生な私の生活を見て目も当てられなくなったのだろう。彼女から直接聞いたわけではないので仮説の域を過ぎない。
私は会社に戻った。時間は十六時半前。もう少しで授業を終えた小神子がここにやってくる。部屋の一番奥の椅子に座る私の今の気分はさながら勇者の到着を待つ魔王。もしくはその四天王。これから小神子に私の健康面へのおせっかいとも言える文言を言われる未来を考えるとひどく萎縮する。
小神子がここに来た当初の私はと言えば一人だったことが加速して生活はたった一点が杜撰そのものだった。食生活である。食べるものといえば手軽で腹も満たされるジャンクフードや調理が簡単な冷凍食品なんかが定番だった。つまり偏食家だったわけだ。そんな有様をみた小神子は
「ひどい……」
その一言と引いたような顔は今でも覚えている。それ以来小神子は私に料理を教えたり、作るためにわざわざ寄ってくれたりしている。料理はもちろん美味い。率直に言って感謝しかないが何故と聞かれれば私もよくわからない。
そんなことを考えているといつのまにか小神子がいた。いつからいたのだろうか、もしかしたら天井を見上げて物思いに耽っていた私をじっと見ていたのかもしれない。
「何してるの?」
「考え事だ」
私は大して気にしていないといったような素振りを見せて椅子から立ち上がった。
「今晩は肉じゃがよ。野菜もお肉も食べれるでしょう」
私が偏食家だったこともあってか小神子が作るものは野菜とタンパク質両方摂れるものを作ってくれる。そして調理する姿を見て、私も作れるようにしてくれる。
材料の切り方、調味料の種類や匙加減も、火加減も全て小神子の指示で調理した。
「そういえば小中学校ではこんな風に料理をする時間があるみたいだが、こんな感じで教えるのか?」
「いいえ。先生は黒板に作り方を書いて生徒の調理を見守るだけ。何かトラブルがあったり、味見をしたりする時に動くだけ。調理とかは教科書を参考にしながら生徒がやるのよ」
私はそういうものなのかと思いながら豚肉を炒めながら聞いていた。私は諸事情によって小中学校、最低限の義務教育を受けずに育った。それでも読み書きができるのはこれまでお世話になった人々が私に尽力してくれたお陰である。
「なぁ小神子。前から聞きたかったんだが……」
何故小神子がここまで世話をしたがるのか聞こうとした瞬間オフィスから電話が鳴った。それも電子音ではなく耳をつんざくような音だということは私の机に置いてある私個人に宛てた電話だった。小神子に菜箸を渡して机に向かった。
「はい」
電話の主は男性だった。年齢は推定六十代ほどで穏やかな口調だ。
――やあMRC。久しぶりだな。
「やはりお前か。オフィサー。今度はなんの仕事だ。悪いがこっちは別件で忙しいんだ。先に言っておくが大企業や軍事会社の怪しい取引を台無しにする仕事はもうごめんだ。筋肉モリモリマッチョマンお抱えの社長を暗殺も嫌だ」
――そうだろう。そう思って今回は別ベクトルの依頼を持ってきた。とある人物の身辺警護を依頼したい。
私個人に依頼をしてくるこのオフィサーと呼んでいる男はどこで知ったか、私の過去の事情を幾分か理解している。そのためこうして私に表に出ては不味いような依頼を持ち込んでくる。しかし身辺警護といった依頼は初めてだ。受けようか受けないか以前の問題が立ち塞がった。
「残念ながらそういった仕事に必要な認定証をうちは所持していないのでね。悪いが警察に頼むか、いくつか警護を請け負ってる警備会社を尋ねるんだな」
今更ではあるが後に厄介になりそうなことを考慮して耳から受話器を離そうとすると男は待てと言わんばかりに大きな声で呼び止めた。
――心配には及ばない。その辺の根回しはこちらでやっておく。万が一バレてもカバーストーリー等は用意してある。
どうやら本気で私に依頼を受けさせたいらしい。これ以上引き伸ばしても面倒なので仕方なく受けることにした。
――ありがとう。護衛対象と仕事の詳細はメールで送ろう。では明日から頼むよ。
仕事の内容はこうだ。政府役人とも繋がりの深い大企業の超の何乗も付きそうな敏腕秘書が怪しい密談を聞いてしまい、それもバレてしまったため身が危うくなったので政府の息のかかってない私に依頼が来た。どこで私を知ったかと言えば大企業ともなればそういう情報が入るのだろう、裏社会で都市伝説のような扱いを受けている私のような何でも屋の存在を知っていたようだった。そしてここからが本題。なんとその敏腕秘書さん。会社の不正に立ち向かうと来た。
翌日
朝の八時。集合場所に向かう途中昨晩と今朝食べた肉じゃがについて考えた。結論から言うと成功だった。何せ途中から小神子に丸投げして料理が完成するまで仕事をしていたのだ。当然と言えるだろう。だが、教えるそのつもりでいた小神子の機嫌を料理の腕を褒めることで上手く取りながら仕事について考えていた。私の家から少し離れた高層マンションの裏に一台だけ車が停めてあった。オフィサーが移動の手段として用意した世界中に普及している大手自動車メーカーの傑作車だ。メールでは前輪の内側に鍵を隠していると言っていたが本当にあった。その鍵を使い車に乗車した。パッと見普通であるがオフィサーの用意したものだ。絶対普通じゃない。
車に乗り込んでから数分待っているとマンションの裏口から一人の女性が出てきてまっすぐ車の後部座席に乗り込んだ。
「本日からよろしくお願いします。沖田琴です。早速ですが……までお願いします」
タクシーと勘違いして乗り込んできたわけではないようだ。名前も今回の依頼人の名前と一致した。何か急いでいるようだったので私は二つ返事で了承して車を走らせた。後部座席では沖田はタブレットを取り出して何か作業していた。自身が異常な状況だというのに仕事ができるというのはこの人物の肝が相当据わっているのかそれとも。
某社
指定された場所は大部分がテナント募集と貼られた私の会社より小さなビル。隣の駐車場に停めると短く礼を言ってそそくさと出ていった。ちなみにここまで会話ゼロ。運転している私を気遣ったのか、はたまた多忙で会話の余地がなかったのか。いずれにせよこの先もこうでは気が思いやられる。
沖田が降車したのに続いて私もその後に続いた。一応狙われているであろう身なのに大胆だ。もしここがどこか敵の潜んでいるジャングルなら五分もせずにお陀仏だろう。
「あの」
沖田が急に止まった。
「ここから先は私一人で大丈夫ですが」
いや、あなたの状況が大丈夫じゃないから私がこうしているのである。沖田は怪訝そうな顔をしていた。
「沖田さん。私の任務はあなたを警護することです。それは車の中でもこのビルの中でも変わりありません。それが私の仕事ですから」
しばらく沈黙が続いたあと沖田は「わかりました」と言ってビルに入っていった。苦手なタイプだ。小神子と初めて会った時も第一印象で苦手だったがこの沖田はいわゆる仕事人間の傾向がある。仕事に妥協せず、融通が中々効かないような感じだ。
沖田が入っていったのは三階の一室。そこまで私は沖田の右斜め前に立ち、周囲の安全を確認しながら進んだりしていた。後方確認などで後ろを見た際一瞬沖田の顔がチラついた時めちゃくちゃ不機嫌そうな顔をしていたのを見て複雑な気持ちになったが仕事だからと言い聞かせた。
扉には沖田の会社の名前と資料室と札が貼ってあった。中に入ると確かにPCやファイルや置いてあるいかにも資料が保管してある部屋だった。
「えーっと、天道さんもお手伝い願います。私はPCを見ていますので赤いファイルから……年から……年までの予算表と支出管理の書類をお願いします」
先程私は護衛が必要ないと沖田に言われて反論したが今回は二つ返事で了承した。本来お客様の要望には応えなければならないが先程は主な業務と沖田の安全を考慮しての反論だ。しかし今回はどちらにも該当しないので私は了承せざるを得なかった。
そうしてファイルが保管されている棚を見た。赤のファイルもあれば青、緑、黄色のファイルもあり大手の企業ともなると膨大な書類の整理をしなければならないことへ気後れを感じた。とりあえず赤のファイルを適当二、三冊引き抜いた。適当というのはよりにもよってファイルに月日もなんの書類が入っているかも書いていないからだ。一冊目を開くと確かに経理に関係のありそうな書類が保管してあった。しかし、沖田の欲しそうな書類ではないことを確認すると効率も考えて流し見でページを送った。
数十分後
五冊目のファイルでようやく見つけた。おまけに幸いにも目的のファイルが二部とも入っていた。
「沖田さん。これを」
ファイルを沖田に渡すと一応のお礼を言って受け取るとまた何か作業をし始めた。現状周囲に異常が無いことを肉眼と直感で確認し、好奇心からか適当に青いファイルを取り出そうとするとそのファイルだけ異様に重たく、一歩手前まで取り出す直前で止まりカチッとした音が鳴ると棚の一部が奥まで引っ込んで左に流れた。するとその奥にもう一室現れてまた同じように書類が保管されている部屋が現れた。
いつのまにか沖田も後ろに立ち茫然としていた。反応を見るに彼女も知らなそうだが念のため。
「沖田さん。この部屋に心当たりは?」
「いえ、初めて見ました」
沖田を一度静止させた後私は中に入り隅々まで確認した。窓や扉の類もない。外から確認できないように作られている。ワイヤートラップや床に地雷や罠もない。改めて安全を確認して沖田を中に入れた。
「噂には聞いていましたが普通の日本人ではありませんね」
ここにきてようやく向こうから話しかけてきた。
「どんな噂か存じ上げませんが、良い噂ではなさそうだ」
「そうですね。おおよそ法治国家にいる人間とは思えないようなものばかりでした」
耳が痛い。事実私のやっている仕事は表に出れば死刑宣告をいくつ叩きつけても足りないくらいと自負している。それでも私が無事なのは常に国の首根っこもとい弱みを鷲掴みしているのが主な原因だ。
「危険人物ですな。じゃあ何故依頼を?」
自嘲気味に言うと危険人物を前にしても沖田は毅然とした態度で答えた。
「あなたに守ってもらうほうが一番安全だと判断しました。それに電話の方が信頼できるとおっしゃっていましたので」
電話の方と言うのはオフィサーのことだろう。まだ奴とは二年ほどの付き合いだがよほど目利きがすぐれているのか、はたまた年の功か。判断が難しい。
会話もほどほどにして沖田は再びPCに向かった。私も何か無いかと適当にファイルを物色した。隠し部屋のファイルだ。収穫がゼロと言うことはないだろう。資料の保管方法が表と同じならば赤が経理だ。一冊を手に取り中を見ると。
削除依頼
から始まり名前、所属、プロフィール、顔写真の上から「削除済み」と大きな印が押されていた。その後何ページを捲って確信した。殺人依頼のリストか。
「沖田さん。これを」
沖田にファイルを渡すとやっと人間らしい反応を見せた。と言っても目を少し見開いた程度だが。
「私も裏の世界の端くれだがこんな人物を消すような依頼を受けたことは無い、ついでに言えばあなたの会社とはこれまで何かを依頼されたことない。つまり、私の他にいけない仕事をしている人間がいるということ」
「天道さんは他に同業者の存在を知っていますか?」
同業者。平気で人を殺したり、非合法な仕事を請け負ったりする人間を指しているなら答えは一つ。
「知らない。少なくともこの日本では。海外に行けばそれなりに聞くが」
私の右手の指が右側のこめかみを抑え始めた。いわゆる癖のようなもので考えている時大体こんな動作をしてしまう。かぐやから「わかりやすいな」と言われたことがある。
次に私は他のファイルを漁った。と言っても赤のファイルの他には青しかないのでまたしても適当に手に取った。
輸出リスト
そう書かれた資料には左に大量の名前と右に輸出済みと書かれていた。もしかすれば私側の件とも関わりがあるのかもしれない。一旦ファイルをしまい、最新のものと思われる右端のファイルを取った。日付は今年のもので月日は一週間前。とするなら一番最後には
香鴬瀬奈 行方不明
ビンゴであった。沖田の会社は香鴬君のような人間を海外に売り飛ばしているつまり人身売買を行っている。だが、まだ疑問点がある。香鴬君の超人的な身体能力は先天的なモノか後天的なモノかだ。前者の場合、このリストに載っている人物は皆そういった人間であり、他にもこの国のどこかにいる。そして、中には私に牙をむくかもしれない。後者の場合超人に改造することのできる機関が存在している。おおよそ私と敵対することになるだろう。いずれにせよ、厄介だ。それでもってこのリストが最後に記録されたのはつい最近。人の出入りが割りとあることを意味している。
「沖田さん。早々に引き上げましょう」
「そうですね。必要なものは手に入りました。行きましょう」
結局隠し扉の直し方はわからなかったがいずれバレることを考慮するとどうしようと変わりない気がしてきたのでそのままにしてビルを後にした。




