11th.02『また下僕達をやり過ごせ』
トイレ男は歩いて出口へ向かっていた。背中が痛くて走れなかったのと、【眼】を頭が痛くなるほど開いている今では足元が疎かになってしまっていてとても走れないからである。地下水路は複雑で、出口までの道順はとても記憶できるようなものではなかったので、トイレ男は警戒がてらに【眼】を開きっ放しにして進んでいた。
その【眼】が異常を捉える。
「!」
【眼】の効果範囲内に入ってきたのは、さっきやり過ごした筈の下僕達。明らかにトイレ男の方へ向かっていて、しかも包囲するように動いている。
「……………………」
困った。痛む体を酷使して危険を顧みずに走ったとしても、出口に辿り着く前に奴らに捕まってしまう。かといって隠れるのも無駄だろう。彼らはどういう訳かトイレ男の居場所を知っている。物陰に潜んだところですぐに見付かるだけだ。
「……………………」
せめて包囲が薄くなるようにしよう、と近くにあった十字路の方へ向かう。十字路の中央に立つと同時に、下僕達が四つの通路の先から現れた。
「……………………」
さて、どうする。言葉を操るための紙は最早無いも同然。彼らを全員打ち倒すための暴力も、逃げ切るだけの体力も無い。近くに落ちていた石を拾うだけ拾うが、どれだけ意味をなすのやら。
下僕達はトイレ男から一定距離離れた所で足を止めた。一人が話す。
「……我らの……主人が……貴方を……呼んで……いる……」
「……………………」
主人というとフィリアの事だ。
フィリアがトイレ男を呼んでいる? 何故だ。記憶を掘り返す。これまでは下僕達(一回だけデッド)がトイレ男をフィリアの元まで連れて行っていて、トイレ男がフィリアの元に行かないというパターンは無かった。下僕達はフィリアの所まで一回戻ってからトイレ男の事をフィリアに報告したのだと思われるが、フィリアがトイレ男を求める理由は何なのか。フィリアは前回までの事を忘れている筈なので、【眼】云々ではない筈だ。
「……………………」
フィリアに苦しめられた記憶が蘇る。多分、誰かを痛め付けたくなったという所だろう。
では、残る僅かな、数単語しか書けない紙を使って下僕達に言う事は何か。単に拒否するだけでは彼らは聞かないだろう。フィリアのように性根が狂っていない代わりに彼女への忠誠心が命を投げ出すまでに高い彼らの事だ、『急いでいる』などの事情を言った所で無視されて終わりだ。
「…………!」
どうしたものか、と考えていると【眼】がある光景を捉えた。デッドが自分の家から出てくる場面だ。これまで通りなら彼はフィリアの居る所へ向かう筈である。
【眼】の範囲を広げて、彼の通るルートを予測する。彼が最短ルートで向かうとすると……ここを通りはしないが、近い所は通る。その時に石でも地面に叩き付けて音を出せば、彼は寄ってくるだろう。彼が来る事で、状況はどう動くのか。
「……………………」
彼はトイレ男が、正確にはトイレを持つ男が茶男の組織の一員である事を知っている。彼の内心はあまり読めないが、この時点ではまだフィリアに友好的な筈だ。真っ先に考えられる彼の行動は下僕達に協力してトイレ男を捕まえる事。
しかし彼は気分屋というか、とても気分が変わりやすいし、それが如実に行動に現れる。本人は感情が薄いとか言っていたがそれは置いておいて、トイレ男の伝える言葉如何によっては仲間に付ける事ができるかも知れない。例えば……
「!」
そうこうしている間にデッドがここに一番近付く場所へ来た。トイレ男は石を天井に投げ付ける。石は天井にぶつかって硬質な音を立て、床に落ちてもう一度音を立てた。一度なら小動物が出した音だと思って気にしないかも知れないが、二度連続なら人為的な音だとわかってくれるだろう、と思って。
案の定、デッドはこちらに向かってきた。「……何を……」と戸惑う下僕を無視して、トイレを足元に置く。紙を出して、狭いスペースに詰めて書く。
「……何か音がしたから来てみたけど、何してるの?」
デッドがそんな言葉と共に現れた。
「……我々は……」
【我フィリア僕コイツら邪魔す】
彼らの喋りは遅い。そこにつけ込んで、デッドにそう極限まで短くした文字列を見せる。これでもギリギリで文字が小さい。
「ん? ……あー、そういう事ね。君はフィリアの下僕だけどコイツらが邪魔してきている、と」
少しの漏れも無く意味を読み取ってくれたデッドにこの時ばかりは感謝する。デッドは本物の下僕達に対して敵対的な目を向けた。
「君達は何者なの? 一見、フィリアの下僕みたいな服装をしているけど」
「……我々は……フィリア様の……下僕……」
「ほんとにぃ?」
「……本当……です……」
デッドは実に単純だ。
ほぼ勘に近い考察だったが、彼は最初に信じた事に忠実である。自分の結論を疑わないのだ。だからこそ、トイレ男の見せた少し意味の取りづらい文章を信じた。意味の取りづらい文章の意味を読み取れた事で彼は得意げになり、その内容を疑うという事を忘れる。……この通りに行くかどうかはだいぶ賭けであったが、無事に行ったようだ。デッドはトイレ男の嘘を完全に信じて、本物のフィリアの下僕を偽物だと思っている。
「なら、証拠を出せよ証拠」
「……我々の……忠愛は……心の……中に……あり……見せる……事は……できません……」
「本当にフィリアに忠誠を誓っているっていうんなら、ここで死んでみろ。そうしたら信じてやる」
こうして無理難題を吹っかけてくれる事も予想通り。
「……今……ここで……我々が……死んで……みせた……所で……それは……フィリア様の……ためには……ならない……」
「死ねないんだな? ならお前達はフィリアの下僕じゃぁない訳だ。消えろ、本物の彼女の下僕に手を出すな」
下僕達は少し黙った後、一人、また一人と去っていった。
「……よし」
デッドは彼らが視界から消えたのを確認して満足げに頷いた。
「で? 君は何をしようと……あぁ、外行きの格好って事は地上に用があるんだね?」
「……………………(頷く)」
デッドの早合点が都合がよすぎる。よすぎて何か裏があるのではと疑ってしまうが、仮にあったとてそれを隠すだけの演技力は彼には無いだろう。
「ならまた奴らに絡まれないとも限らないから、出口までだけど守ってあげよう」
「…………!?」
これは予想外だった。
先にも述べたが、デッドはトイレを持つ男が茶男の部下であると知っている。今は地面に置いたトイレを体で隠して誤魔化している訳だが、移動するとなればバレかねない。
トイレ男は拒否しようとしたが、デッドは完全にその気になっていて先に進んでいた。ここで彼に付いていかないで機嫌を悪くされてもそれはそれで困る。トイレ男は少し逡巡して、彼の後ろをついていく事にした。トイレを背中側で保持しておけば振り向いても即座にバレる事は無い。が、どうしても片手を背中に回さないといけないので、そこを不審に思われたら終わりだ。
さっきから賭けてばっかりだなぁ、と思いつつトイレ男はトイレを拾い、デッドの後ろを追った。
◊◊◊
「……という……事が……」
フィリアは何やら急いで帰ってきた下僕達からの報告を聞いていた。曰く、デッドに邪魔されて対象を捕獲できなかった、と。
「……そう」
フィリアは報告を聞き終えてそう相槌を打った。
「……どう……致しますか……」
「そうね……」
フィリアは思案する。
彼の能力⸺【眼】ではない方の能力は酷く有能だ。【眼】と併せて持っているので今は本来以上に有能だ。欲しい。捕まえるなら地下水路に居る今が一番のチャンスだ。一度地上に逃がしてしまえば衛兵なり何なりに守ってもらうように動くだろう。そうなっても奪い取る事はできるが、面倒だ。できれば地下水路に居る間に捕まえてしまいたい。
フィリアは決心した。
「次は私も行くわ。彼が地上に出る前に、急ぎましょう」
「……は……」
下僕達を従えて、フィリアは走り出した。




