11th.01『下僕達をやり過ごせ』
「⸺あ"あ"あ"あ"あ"ッ!!!!」
痛い。
全身を強打したかのような痛みが全身を貫いた。肩を抱いてがむしゃらに悶える。
痛い痛い痛い痛い痛い⸺暫く思考はそれしか無かったが、やがて痛みが弱まり、それ以外の事を気にする余裕が出てくる。
「……………………」
立ち上がって状況確認。頭痛、ナシ。視界、アリ。記憶⸺アリ。
トイレ男は、無事に【眼】を制御する事に成功し⸺巻き戻り直後から記憶を保持できていた。
◊◊◊
しかし、【眼】というものは本当に凄まじい。
「……………………」
これまでは光が無いが故に視界が役に立たず、周囲の状況が把握できなかった。だが、今は見える。灯りが無いのに、ある時と同じように見える。しかもそれに留まらず、物陰に何があるかも見えるし、何なら物の中も見える。一定範囲内ならばどこでも見渡せるようだ。さっきの叫び声を聞き付けたのか、フィリアの下僕達がこちらへ近付いてきているのもわかる。
「……………………」
さて、まずは彼らをどうにかしないといけない。具体的には撃退。フィリアに捕まらずに地下水路を出、黒女達と合流しようというのが当面の目標だ。そのためには下僕達の手を振り払わなければならない。
「……………………」
トイレ男は彼らが戦っている所を見た事が無い。流れ込んできた情報の中にも見付からなかった。埋もれているだけかも知れないが、膨大な量の情報を一つ一つ精査して確かめる間は無い。ただまぁ、あの人数……具体的には七人にトイレ男一人で敵うかと言われれば、よっぽど相手が弱くない限りノーだろう。トイレ男はひ弱なのだ。巨女のような身体能力も無ければ黒女のような、即実戦に結び付けられる能力も無い。あるのは白女のような情報を得る力だけ。
……ふと思う。この【眼】は白女が持っているものと同等の能力であると思う。白女の持つ情報収集能力は【眼】が正体だ。ならば、彼女の使うもう一つの能力⸺相手の感覚を封じる能力も【眼】ではないか? 『感覚』という共通項もあるし。それが使えるのなら、七人の下僕達を無力化し、その間に逃げる事ができる……かも知れない。
「……………………」
しかしどのように【眼】を開閉すればそのようにできるのか全く検討が付かないのであった。【眼】とは全く関係無い術なのかも知れないし、単純にトイレ男が知らないだけで【眼】に開閉以外の操作方法があるのかも知れない。
「……………………」
探す時間は今は無い。考えている間に下僕達はトイレ男を包囲するように動いている。というか包囲している。逃げ場が無い。
「……………………」
あれ? 詰んだ?
【眼】の範囲内に武器になりそうなものは石しか無い。取り敢えず手頃な石を拾うが、トイレ男に別に投擲の能力は無い。殴り掛かるか? いやしかし戦闘能力がわからない相手に近付くのも怖い。
「……………………」
トイレ男は『【眼】の制御に成功した』という全能感から油断が生まれてしまっていた事を認めた。本当は下僕達の包囲網が完成する前に逃げ出すべきであったのだ。それをやらなかった時点でトイレ男が逃げられない事は決まっていた。
逃避はダメ、武力による撃退もダメ⸺となれば、残された道は一つ。言葉による懐柔だ。これまでは追い立てられたり無警戒に付いていったり問答無用で連れてこられたりしたが、今回はそのどれもやらない。言葉でもって見逃してもらう。これまでの感じから、下僕達はフィリアのように狂っているのではなく、フィリアに忠誠を誓っているだけだと予想できるので、対話は成り立つだろう。……この予測が間違っていた場合は、最悪やり直す事も視野に入る。
「……………………」
そうこうしている内に、下僕達が向こうからもトイレ男を視認できる位置に来た。
「……貴方は……どういう……者か……」
どうやら今回はこっちの意思を訊いてくれるようだ。
トイレ男はポケットから紙とペンを取り出す。
「……………………」
紙はびしょ濡れでほとんどが使い物にならなくなっていた。同様に濡れていたペンを服の綺麗な所で拭いて、紙の辛うじて無事な部分に書く。
【何者でも】
【ねぇよ】
【住むのに丁度いい】
【場所を探】
【してただけだ】
複数枚に跨ってしまった。
トイレ男の考えた、下僕達に見逃してもらう方法⸺それは即ち、その辺のチンピラに扮する事だ。
前説明した通り、地下水路は路地裏同様悪党の温床だ。壷売り残党の一件以降見回りは強化されただろうが、これまで一度も会っていないという事は警邏の時間外か、純粋にこの辺りまで手が回っていないのだろう。いや、トイレ男をここに落とした優男からすればトイレ男が衛兵に保護されてしまえば自分の罪がバレてしまうのだから、この辺りに衛兵は居ないと思っていい。なら、自然とこの辺りには他の場所から追いやられた悪人どもが集まる筈だ。流石にフィリアもそれら悪人を全て集めてはいないだろうから、そこに紛れる事で下僕達に見逃してもらおうというのである。
【ただ、ここがアンタら】
【の場所だっ】
【てんなら侵すよ】
【うな事はしない】
【すぐまたどっかを】
【探すさ】
「……何故……筆談なのか……訊いても……」
【色々あ】
【るのよ】
その質問は誤魔化した。答えてはいけない気がしたからだ。
「……何故……立ち……止まって……いたのか……訊いても……」
【歩き疲】
【れてたから休憩】
【してた】
紙が無くなってきた。書けて、残り数ワード。
「……最後に……一つ……」
トイレ男はその質問の内容を予想した。
「……先程の……声は……」
予想は当たった。下僕達を呼び寄せる原因となった悲鳴である。
トイレ男は書いた。
【コケた】
一ワード。
「……わかった……事情聴取への……対応……感謝する」
どうやらそれで納得させる事ができたらしい。その言葉と共に、下僕達はぞろぞろと去っていく。
「……………………」
【眼】の範囲から彼らが消えた事を確認して、トイレ男は漸く息を吐いた。向こうはトイレ男が【眼】を開いている事を知らない(筈な)ので、待ち伏せするとしたらトイレ男の近く、【眼】の範囲内でする筈だ。【眼】の範囲外から出た以上、彼らは完全にトイレ男を信用してくれたといってもいいだろう。トイレ男の服が汚れていたお陰でチンピラて言われても違和感が無かったであろうのが大きい気がする。
「……………………」
トイレ男は意識を切り替えて、次は出口を探す。辺りを彷徨き歩いて⸺なんて事はしない。もっと簡単な方法がある。
【眼】を、開く。
見える範囲が一気に広がり、地上も見えるようになった。
「っ」
頭が痛い。普通に生きてきたら経験する事のないほどの広い視角を処理しているのだ、脳もオーバーヒートの一つや二つ起こそうというもの。
それでも前回の、止めどなく情報が流れてくる状況よりはマシだと我慢して、広がった視界の中を探す。
「…………!」
そして見付けた。
トイレ男が問題なく通れる出入口を。
◊◊◊
「……という事が……ありまして……」
主であるフィリアの元に帰還した下僕達は、トイレ男に纏わる一件を彼女に報告した。
「そう……」
彼女は珍しく動揺しているようであった。この報告に、ではなく、下僕達が戻ってきた時から、ずっと。
それでも流石にそれも冷えたのか、一度大きく深呼吸をして、命じる。
「その人物を⸺トイレ男くんを捕らえなさい」
「……は……」
下僕達は異を唱える事は無く、その命に唯唯諾諾と従う。
「……こうなった以上は、仕方ないわよね?」
下僕達が去った後、フィリアは独りそう呟いた。




