10th.07『幼い暴虐』
︵︵︵︵︵
ずっと独りだった。
気付いた時から近くには誰も居なくて、周りには自分と同じような人間しか居なかった。
ゴミ箱を漁って食料を得る。吐くほど不味かったし、何度も腹を壊した。それでも生きるためにゴミ箱を漁って、何で生きるのなんて事に考え至って、そもそも生きるとは何なのかを考えてみたりもした。
今でこそそんな苦しみからは解放されているが、その過去は消えない。
今でも思い出す。自分に向かって食べ物を投げ付けた裕福な大人を。その時は気にも留めなかったが、今思えば酷く屈辱的で腹立たしい態度だ。その他にも自分を騙して食料を奪い取った同類、自分を汚らわしいものとして遠ざけ罵倒した子供、下卑た笑みで保護だなんだ言っていた自称衛兵。何も苦しみの原因は環境ばかりでなかった。寧ろ大部分は人だったのだと、今になって気付いた。
なら、自分にはある筈だ。復讐する権利が。彼らに同等の苦しみを与える自由が。自らに苦を与えたのと同等の立場の者達を傷付けても、自分には何の非も無い。咎めようというのなら、先にかつて自らを苦しめた者達を咎めよ。
……そんな想いが、濁った池の底に沈んでいる。
︶︶︶︶︶
世界は僕の思うように出来ているんだ!
デッドは壁を破壊しながらそう歓喜する。
何が原因かは知らないが、突然としてこの身にありえないほどの力が漲った。ちょっと机に力をかけたら机が潰れ、床を蹴り付けてみれば床が凹んだ時は焦ったが、ここから脱し、気に入らない者達を始末する力を得たと悟った瞬間に、デッドは扉を拳で破壊した。あれほど絶対の壁として君臨していた扉はいとも容易くぐしゃぐしゃになった。思わず笑みが零れ、周りの壁も破壊してしまう。
「……えへへ」
口で醜悪な三日月を描いて、デッドは走り出す。
部屋を飛び出して、廊下の上ではなく破壊した壁の上を気の向くままに突き進む。感じた事のないほどの活力。圧倒的な全能感。この不止の体に即死の力、そしてこの腕力と三拍子揃ったデッドは無敵だった。
そして廊下の先にフィリアを見付ける。
彼女は開いたドアの前に立って、誰かと会話をしているようであった。
「……気に入らないッ!!」
助走を付け、殴り掛かる。
フィリアは蹴られた小石のように飛び、壁に激突した。
「……………………」
拳を振り抜いた体勢のまま、デッドは止まる。
「……気に入らない」
そしてポツリ。
一度殴った筈なのに⸺いや、だからこそだろうか。こんな簡単に吹き飛んでしまうものにあれだけいいようにやられていた⸺その事の方が、さっきまで気に入らなかった事よりも更に気に入らない。
「なぁフィリア。僕の何が気に食わないんだ?」
気に入らないのはさっきまでの弱い自分だ。だがもうその人物は居ない。ここに居るのは新しい強い自分だ。
だから、デッドはその悪感情を吐露する先をフィリアしか持たなかった。自然とその内容は最初に感じていた気に入らなさとなり、それを幾ら吐いた所で新しい気に入らなさは消えない。
「もういい、フィリアなんて嫌いだ」
その消えない気持ちを発散するために、フィリアに更なる追い打ちをかけようとした。
そしたら、突然に横から殴られた。
◊◊◊
デッドの体は軽く、弱いトイレ男の拳でも十分な効果があった。
「ぶぎっ」
そう壁に頭をぶつけたデッドを尻目に、フィリアの元へ走る。
フィリアは壁際に蹲っていた。
「!」
ぎこちない動きで頭を上げて、向かってくるトイレ男と悪鬼の如き形相でこちらを睨むデッドを目にする。
「デッド……何故ここに?」
「あー、痛い。痛い痛い痛い。痛いねこれは。痛いのなんていつぶりだ」
デッドは起き上がりながら、
「今僕を殴ったのはどこのどいつだ? ……あぁ、君か。二回目だね、君」
デッドはフィリアではなく、トイレ男に目を向ける。
「っ…………」
トイレ男はその瞳から溢れる威圧感に動きを止めた。
「今さぁ、僕がフィリアを殴ろうとしてたよね? ただの暴力じゃない、正当な理由あっての制裁だ。君は何でそれを止めたのかな?」
「……………………」
理由はトイレである。トイレを持つフィリアが殴られて、トイレが壊されてしまうのが一番避けたいケースだったのだ。幸いにしてトイレは第一撃では壊れなかったようで、未だフィリアの腕の中にあった。
「答えろよ」
デッドは敵意を剥き出しにしてトイレ男を凝視している。トイレ男は冷汗を流した。トイレを想うあまりつい飛び出してしまったが、普通にトイレ男もあの腕力で殴られたら一堪りもない。無事だったフィリアがおかしいのだ。
「何故彼があんな事に……もしかして、セッちゃん?」
フィリア呟いた。セッちゃん。さっきも聞いた名だ。
「何であんな事を? ……はぁ、仕方ないわね」
どうやら、セッちゃんとやらは常にフィリアに友好的である訳ではないらしい。フィリアが溜息を吐いた。友達の家の猫が
「!!」
思考が侵食された。薬の効果が切れかけている。
早すぎだろ! と悪態をつく間にも、頭痛がしてきて、病気の母が心配になって、激辛料理を食べている。慌てて薬の瓶を開けようとするが、こちらの隙を伺うように睨んでくるデッドが怖くてそっちに意識を割けない。開こうとする【眼】を自分の意思で閉じようとするが、難しい。
「トイレ男くん」
頭が痛い。
「一度力を抜いて楽になりなさい」
猛獣に噛み付かれる幻を見た。つい後ろの方に跳び上がってしまい、背中を壁にぶつけた。
「力を抜いて」
この声も幻だろうか?
否⸺隣に居る、フィリアの声だ。
そう言われた通りに力を抜いた。床にへたり込み⸺【眼】が開く。
「閉じてッッ!!」
知覚に飲み込まれる前に、そんな声が聞こえた。閉じる。【眼】を。どうやって? 力ずくしかない。
「ねぇ、少し様子を見てる間に何始めてんの?」
「様子を見てたんじゃなくて、怯えてたんでしょ!!」
「っ、言ったな……!!」
さっきよりも押し留めるのに必要な力が弱くなっている気がした。
「死ねぇぇぇ! 我が論を聴け、世界!!」
「そんなのが効くと思ってるの?」
「あぁ効くさ、生きてるならな! 我死せり、如何にかあの女死せざるやぁぁぁ!!!!」
これぐらいなら、力ずくで閉じられる気がする。ありったけの力を込める。
「…………、あ?」
「言ったでしょ? 効かないって」
「は? おいおいおい何でだよ」
少し、狭くなった気がした。
「何で死なないんだよ!!」
「簡単よ。貴方が死んでないから」
「…………何言ってんの?」
また少し。
「僕は死んでいる! それは変わらない!!」
「じゃあさっき感じた痛みは何? 死んでるのに痛いの?」
「っ…………」
あ。
ふと感じる。これはもう、い|つでも閉じれる、と。
それは即ち、【眼】を制御できるようになった、という事。
「…………、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいッ!! 僕は死んでいるんだ! 我が論を聴け、世界ッ!!」
「……もう大丈夫みたいね」
フィリアはデッド⸺いや、もうその呼び方は正しくない。男から視線を離して、トイレ男の方を見た。
「……………………(頷く)」
「戻った後に制御できなかったら今回と同じになっちゃうものね。⸺じゃあ、あの子達をお願い」
「我死せり! 如何にかあの女死せざるや!! ……我が論を聴け、世界ァァァ」
男はもう結果を結ぶ事のない言葉を延々と吐いていた。
「……………………(頷く)」
彼女の願いを聞くのは癪だ。だがトイレを彼女が持っている以上、下手に断って『やっぱやーめた』と言われたらどうしようもない。
フィリアがトイレを振りかぶった。
「…………!?」
どうやらトイレ男の頭に叩きつけるつもりらしい。
流石にそれはちょっと、と手を出したが、フィリアは止まらなかった。
トイレが振り下ろされる。
⸺頭を、打つけた。




