10th.05『襲い来る死』
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「足りないの? なら、お母さんの分もあげる」
母は優しかった。
生活は苦しい筈で、そんな中私ばかりを優先するのだから彼女はもっと苦しい筈で、なのに常に笑顔で、何かに耐えてるようになんてちっとも見えなくて。
「おやすみ」
母がいつも、私が寝た後にどこかへ行くのは知っていた。昼は私と遊んで、夜は出かけて。いつ眠っているのかわからなくて、多分寝ていないのだろう、と思っていた。
寝ないでいると人はとても苦しい。母にはせめて昼でもいいから寝ていて欲しい。でも、そうは言えなかった。彼女はどうやら私に夜の用事がある事を隠したいらしい。私は知ってしまったのだが、彼女はまだ隠せ通せているつもりだ。その『つもり』を壊した時、彼女がどんな反応をするのかがわからなくて、怖くて、だから言えなかった。でも寝て欲しいのは変わらなかった。
だから私は出ていった。
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「死ね」
デッドの言葉は明瞭だった。
「我が論を聞け、世界」
ただ騙界術を使う以上、どうやっても結果が伴うのに時間がかかる。
「我死せり」
「! 皆逃げて!!」
黒女が叫んだ。ただ椅子に座っている状況からすぐに逃げ出すというのはトイレ男には難しい。
しかし流石の黒男が動き出して、抜き放った短剣でデッドに迫る。
「如何にかこの者死せざるや」
が。
先程の下僕と同じように、黒男は突然ぱったりと倒れてしまう。
「ハミー!」
部屋の奥に退避していた黒女が悲痛な声を上げた。
「ッ……!!」
何が起きたか、トイレ男にもわかった。
死んだのである、黒男は。前回、デッドにくどくどと彼の事を語られたが、結論としては『自分は死人である』だった筈だ。いや馬鹿か、お前動いてるだろと突っ込みたいが、騙界術を実行している何者かがそれを認めているらしい以上、突っ込んでも無駄だ。
漸く椅子から降りられたトイレ男は一人を倒して油断しているデッドに突撃する。
「わっ!? 我が論を⸺」
驚いているようだが、遅い。
突き飛ばして言葉を中断させてから、そのまま廊下へと駆け出す。
「……………………」
我ながら『死』に慣れてしまったものだと思う。
黒男が死んだという事を理解した直後、トイレ男はやり直す事に決めた。そのためにはトイレが必要なので、トイレを探しに部屋を出た訳である。
「ツァーヴァス!!」
部屋から響く黒女の声を振り切るようにして、走る。一番最初の角を曲がった。デッドの視界に居ればいつ殺されるかわからない。一先ずは彼から離れる事が大事だ。これまでの経験から騙界術では明確に個人を指定する事はできず、『この者』『あの女』といった指示語を伴う指定しかできない事は推測できる。推測だが。間違っていたらトイレ男が死ぬだけである。合っている事を祈る。
「……………………」
少なとも、それから少し経っても死ぬような事は無かった。
トイレ男は取り敢えずは大丈夫そうだと胸を撫で下ろし、本格的にトイレを探し始める。
さて、フィリアがトイレを隠すとしたらどこだろう?
「……………………」
全くわからない。一番高いのは近くに置いてある可能性だが、デッドが居るあの場所には戻れない。なら、そうでない可能性を願って、家の中を虱潰しに探すしかないだろう。考え無しに飛び出した少し前の自分自分を呪った。
トイレ男は近くにあったドアを開けて、その中へと入り込んだ。
◊◊◊
「我死せり。如何にかあの女死せざるや」
机の下を覗き込んだデッドが言うと、そこに隠れていた黒女が死んだ。
「…………さて」
漸く害虫を駆除し終えた、という感じでデッドはフィリアに向き直った。どうやらこの女も騙界術を使えたらしいが、パニックになっていたのか逃げる事しかしなかった。
「何であそこに居なかったの?」
二人きりになった部屋で、デッドは問う。
「彼を追わなくていいの?」
「彼? ……あー、別にいい」
彼とは、さっきデッドにタックルをかましてから逃げた男の事だろう。酷くムカつくし殺してやりたかったが、ここに来た目的はフィリアと会う事だ。感情に流されて目的を見失わないクールな自分をデッドは賞賛する。
「僕は彼を殺すためじゃなくて君と会うためにここに来たんだ。最初は君が居るって言ってた場所に行ったけど、君はそこには居なかった。だからわざわざここまで足を運んだんだよ」
道中道に迷ってかなり時間を食ってしまったのはダサいから秘密。
「そうなの。何の用事?」
「特に何も?」
「…………そう」
それまでは微笑を浮かべていたフィリアは、途端にすんと無表情になる。
「……何だよ」
「つまり貴方は明確な目的無しに、私の愛すべき下僕を殺した訳ね」
「目的ならあったよ。君と会う事だ」
デッドはフィリアの間違いを訂正する。デッドは決して目的無しに人を殺す事はしない。
「そう。じゃあ何人殺したの?」
「え? そうだなぁ……一〇人ぐらい? 数えてないしあんま覚えてないけど。あんな奴ら幾らでも替えが効くんだからどれだけ殺してもいいだろう?」
直後、デッドの胸にナイフが突き刺さった。フィリアが投擲したのだ。
「……何だよ」
全く痛くも痒くもないにしても、会話の途中で突然こんな事をされればデッドだって不機嫌になる。
「とても貴方を殺したいのだけど、死人を殺すにはどうしたらいいかしらね」
「さぁ? 死なないからわからないよ。それより会話の途中で突然相手を殺そうとするなんて⸺」
フィリアはデッドの言葉を聞いていなかった。
恐ろしい速さでデッドに肉薄し、その頬をぶん殴る。
「っだぁ!?」
デッドは壁に叩き付けられた。
「もういいわ。今回は諦める。失われた命は戻ってこないものね」
フィリアは部屋にあった戸棚を開けた。
その中にはトイレが入っていた。
「後はもうあの子に、トイレ男くんに全部任せるわ」
「は? 何言ってんだよ」
デッドは立ち上がり、フィリアの元に寄ろうとする。
が、フィリアは拒絶するようにナイフを連続して投げた。
「だから効かないって言ってッ!?!?」
ナイフの一本が目に刺さった。痛くはないが、視界が狭まる。かと思えばもう一本が無事な方の目に刺さり、デッドは視界を失った。
「〜〜〜〜ッ」
よろめいたが、手を突いた場所に運良く机があったので倒れずには済んだ。
「大人しくしておきなさい。私はこれを⸺セッちゃんを彼に届けてくるから」
フィリアが去る足音が聞こえた。
「おい待て! 我が論を聞け、世界」
ドアが閉まる音が聞こえた。
「我死せりっ」
鍵が閉められる音が聞こえた。
「……如何にかナイフ如きに目を奪わるるや」
視界は戻らなかった。
「…………糞ォッ!!」
そもそも本来視界を持たない筈の死人が視界を取り戻せる事など有り得ないのである。自分が死んでいる事以外をダシに騙界術を使えればまだ可能性があったが、これまでそれしか使わなかったデッドはそれ以外を使うのが何だか癪だったし、そもそもやり方も知らなかった。
「……………………糞ォッ!!!!」
もう一度吼えて、地団駄を踏む。
そもそも自分はフィリアに会いにきたのだ。なのに何故こうなるのか。自分は客人なのだから、、フィリアにもてなされて当然の立場である。しかしよく考えればフィリアに歓待なんて事をされた記憶なんて無い。いつもいつもいつも、こうして邪険に扱われている気がする。というかそうだ。フィリアは客人をもてなすという事を知らないのか。
「…………糞糞糞糞糞糞糞糞糞」
あぁ、何もかもが気に入らない。




