10th.04『一方的な話し合い』
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ずっと独りで暮らしていた。人の居ない山奥で、それなりに長く。何故そんな事になったかというと、裏切られたからである。
「……………………」
最初の方は、独りは楽だと思えた。裏切られたのは初めての経験で、それはトラウマになった。独りで居れば、他に人が居なければ、裏切られるなんて事は有り得ないから、気が楽だ。
「……………………」
だが人というのは流動的でいつまでも同じでは居られないものらしい。時間が経ってゆくにつれて、段々と腹が立ってきた。独りで居るとそりゃあ自分について考える時間が増える訳で、考えれば考えるほどに自分が悪い訳なんて無くて、だからこそこんな目に甘んじる自分に腹が立ったし、その原因となったかつての仲間にも腹が立ってきた。
「……ほな、行きましょか」
そして遂に耐え切れられなくなり、久方ぶりに人里へと下りた、という訳である。
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「っ」
案内された部屋に黒女と黒男が居て、トイレ男はとても驚いた。何故ここに⸺というのはわかっているが。黒女が消えたトイレ男を探すのは監視役としても当然だし、居場所自体は白女に訊けばわかるだろう。そもそも、最初の回で彼女はトイレ男を助けにきていたのだから。
具体的にどこに驚いたかというと、二人がフィリアの向かいに座っていて、フィリアがまるで敵対なんてしていないかのようにしているからだ。フィリアからすれば二人はこの後襲う対象であり、今の内に殺しておいても問題ないどころか寧ろ得なのだ。いや、フィリアが常に損得で動く人間などではない事はわかっているが、それでも驚くものは驚く。
「ツァーヴァス!」
「来たわね。ここに座りなさい、トイレ男くん」
黒女がトイレ男を呼び、フィリアは自分の隣を指差した。
「……………………」
逡巡。
トイレ男はフィリアの隣に座るべきなのだろうか。机のフィリアの向かい側の辺の席にはまだ空きがあり、そこに座りたいし、座った方がいいという気持ちが大きい。フィリアの隣になんて座りたくない。座ったら黒女達を裏切ったと感じさせてしまうかも知れない。でもフィリアは座れという。フィリアの命令を破ったら、トイレ男は、トイレという人質を取られているトイレ男はどうなるのか。
「……………………」
結局、トイレ男はフィリアの言葉に従った。
「ツァーヴァス!?」
やはり黒女が悲痛な声を上げた。黒男はその隣でじっとトイレ男を見ている。
「さて、お話を始めましょうか」
フィリアはそんな二人の反応などお構い無しにそう切り出す。
「まず、あっち側に座ってるのはトイレ男くんの保護者。迷子だったトイレ男くんを探しに来ました」
誰が聞いているという訳でもない(トイレ男を連れてきた下僕はとっくに退室している)のに、そう状況を説明し始めるフィリア。
「トイレ男くんって、ツァーヴァスの事?」
「そしてこっち側が、そのトイレ男くんと彼を拾った私」
黒女が口を挟むも相手にしてもらえない。
「私は、トイレ男くんにウチの子になってもらいたいと思っています」
「ちょっと急に何言ってんのよ!?」
「おい落ち着けっ!」
フィリアのその突然の言葉に黒女が身を乗り出すが、黒男がそれを横から押さえた。
「落ち着ける訳ないじゃないの! ツァーヴァスも何か言って!!」
黒女がトイレ男の方に視線を向ける。トイレ男は無意識に紙とペンを探して、どのポケットにも入っていない事に気付いた。今更だが、服は着替えさられているらしい。
紙とペンが無いのなら、口で話すしかない。トイレ男は白女を脳内で殴り、
「…………!?」
そして驚く。
喋れない。
「どうしたのよ驚いた顔して!」
「まぁまぁ、落ち着いて黒女ちゃん」
「誰が黒女よ馴れ馴れしくちゃん付けまでしてんじゃないわよ!!!!」
漸くフィリアが黒女に反応したが、それは彼女の神経を逆撫でしただけであった。
「続きを話すわね」
「続きもクソもねぇとっととツァーヴァスを返しなさいよこのぇ"っ"」
「いい加減にしろ」
遂に黒男が黒女の横っ面を殴った。椅子から転げ落ちる黒女。痛そう。
「お前が幾ら喚こうがフィリアが話を進めないとどうにもならないだろ。焦り過ぎだ」
「……むぅ」
痛みで頭が冷えたらしい、黒女はそうむくれながらも椅子に座り直した。
「私はトイレ男くんへの人質としてトイレを確保しているわ」
フィリアは目の前の暴力なんて無かったかのように話す。凄いスルースキルである。
「……人質?」
「えぇ。あのトイレはトイレ男くんに対する絶対の人質として機能するわ」
「……………………」
黒男が訊くとフィリアはそう頷いた。全くもってその通りなので頷くトイレ男。
「……えぇ……ツァーヴァス、そこまでだったのかよ……」
黒男もトイレ男のトイレ愛は知っていたが、ここまでとは思わなかったようだ。
「だから私はトイレ男くんに好きに言う事を聞かせられるわ。いい?」
「「……………………」」
黒女は気に入らなさそうな顔で、黒男は未だ苦虫を噛み潰したような顔でそれぞれ頷いた。
「でも、私の下に来るかどうかは彼の自由意志に任せているわ」
その言葉には黒女と黒男よりも寧ろトイレ男の方が驚いた。てっきり、思考の猶予を与えはしながらも、最終的にはトイレを使い無理矢理仲間にしてくると思っていたからだ。
「トイレ男くんがどのような決断をしようとも、私はトイレを返そうと思うの」
……今までの葛藤は何だったんだ。トイレ男は思わず天を仰いだ。いや、確かに、別にトイレ男はどうしても必要である訳ではないとは言っていたが……。
「という訳で、私に付くか、黒女ちゃんの下に帰るか……今、決めてくれる?」
フィリアはトイレ男に微笑んだ。
「……………………」
トイレ男は迷わず後者を選び……たかったが、どうにも即決できない。急展開すぎて、後者を選んでしまっても何も問題が無いのかどうかわからなかったからだ。一見何も無いように思えるが、それでも相手の底が知れない事もあって不安になる。
「……ツァーヴァスは口では喋れないから、紙とペンを用意してあげて」
トイレ男の沈黙をどう受け取ったのか、黒女がそうフィリアに言った。
「あら、そうなの? ちょっと待っててね」
フィリアは立ち上がって、棚から紙とペンを取ってくると、それをトイレ男に渡した。
「……………………」
今、決めねばならない。
座り直したフィリアも、黒女も黒男も、この部屋に居る全員がトイレ男を見ている。黒女は最初は『こっちを選ぶんでしょ?』と余裕な表情だったが、トイレ男がなかなか答えないせいか不安になってきたようで、今は縋るような表情になっている。黒男も無表情を繕おうとしているが、不安が隠し切れていない。フィリアは、虚無すらも感じさせる微笑みを浮かべていた。
結局、
【先にトイレを返してくれ】
と、トイレ男は決断を先延ばしにした。もっと考える時間が欲しい。
が、
「ダメよ。先に決めなさい」
と一蹴されてしまう。
「……………………」
いよいよ困った。
トイレ男は仕方ないと決心する事にする。不安はあるが、もう黒女の方に付くと書くしかない。
そう、ペンを握り直した矢先⸺
ドタドタドタッ、ガチャッ。
「失礼、します、フィリア様!」
ただならぬ事が起こった様子で下僕が部屋に駆け込んできた。文節ごとに文を区切るのは変わらないが、焦っているのか間隔が短くなっている。
「どうしたの?」
「デッドが!」
どうやら息のタイミングが悪かったようで下僕は一旦そこで区切り、
「デッドが、襲って⸺」
「⸺ここに居たのか」
言ってる途中で、下僕は糸が切れたようにパタリと倒れた。
そしてその背後には、恐ろしく顔色の悪い男⸺デッドが居た。




