10th.01『【眼】』
︵︵︵︵︵
⸺暗い夜の、狭い路地裏だった。
「これで終わらせる。我が論を聴け、世界⸺岩墜ちども潰れず、墜つれば地窪ます。如何にか我墜つれば潰れ、墜ちども地窪まざるや?」
「⸺ぐぁっ」
⸺華奢な少女の体の細い足が、大柄な女の太い胴体を踏み潰した。
︶︶︶︶︶
「⸺うっあああああああぁあ!! ああああああああああああああ!!!!!!!!」
脳が焼き切れる。
とにかく頭が痛かった。色んな景色が見えた。色んな音が聞こえた。色んな匂いがした。色んな味が舌を犯した。色んな物が皮膚に触れた。
暗い夜だと思えばその直後には明るい昼間の光景が広がり、かと思えば昇る朝日の眩しさが眼を焼いた。芳ばしい肉の匂いに釣られて歩き出したかと思えば赤く燃える家が目の前にあったり、鳴り響く音楽と夜を切り裂く悲鳴が交互に流れたりした。
脈絡の無い感覚。繋がりの見えない知らない記憶。止めどなく流れてくるそれらはただひたすらに脳を蹂躙して、一切の思考を許さず、延々とただ味わう事を強要する。
路地裏で野垂れ死んだ少年、何かを祝うパーティー、衛兵に捕まり必死に抵抗する女、犯罪者を捕まえて喜ぶ青年、出産に失敗した母親、子供と仲睦まじく遊ぶ父親⸺
ありとあらゆる景色を、情景を、ただひたすらに見させられ続けた。
◊◊◊
「…………?」
下僕達は困惑していた。
地下水路を歩いていた所悲鳴が聞こえたため駆け付けたのだが、そこでは一人の男が頭を抱えて蹲っていたのだ。近くにはトイレが落ちている。
「……何だ……コイツは……」
思わず一人がそう零した。
彼が蹲っているすぐ隣の壁は崖になっていて、服やその隙間から見える傷の様子からそこから落ちでもしたのだろうという事はわかった。が、何故頭を抱えているのかがわからない。頭をぶつけたにしても、血が出ない程度の怪我でこの長時間悶え続けるのは不自然だ。
「……取り敢えず……連れて……行くか……」
「……そう……するか……」
下僕達は数人がかりで男を持ち上げ、運び出す。男は全く抵抗しなかった。
「……これは……どうする……」
「……一応……持って……行くか……」
下僕の一人がトイレを抱えた。
そうして彼らは主人の所へと向かう。道中、男はずっと変わらず悶えていた。
「……変な……男だ……」
「……早く……フィリア様に……」
下僕達は足速にフィリアの下へ向かった。
そして少しして。
「あら……どうしたの?」
フィリアの居る場所まで辿り着いた。
「……は……この……男が……倒れて……いたので……保護を……」
「ふぅん……あ、この子"開い"ているのね」
「……………………」
フィリアは下僕達に抱えられる男を見てそう看破した。"開く"のここでの意味がわからず黙り込む下僕達。
「【眼】っていうのがあるのよ」
フィリアはそんな下僕達に説明を始めた。
「言わば私達の感覚器官ね。目も、鼻も、耳も、舌も、皮膚も、ぜーんぶ【眼】」
「……それが……開いて……いるのですか……」
「そう。うーん、何て説明したらいいかしら」
フィリアは少し考え込むような素振りを見せた。
「勿論私達にも皆【眼】があって、私達はそれで世界を認識しているの。貴方達もね」
「……では……我々も……開いて……いるのですか……」
「そう言えなくもない、ってところね。確かに、私達は全員【眼】を開いているわ。閉じていたら何も見えないもの。でもね、それは少しだけ、薄ーく開けているだけなの。細目を開けてるのよね」
フィリアは細目をしてみせた。
「勿論、細目しか開けていなのだから、見える範囲はとても狭くなるわ。その分くっきりと見えるけど」
「……では……完全に……開いたら……」
「えぇ、【眼】を完全に開けたら、見える範囲は細目の時とは比じゃなくなるわね。世界全体を見れるようになるもの」
フィリアはあっけからんと言ってのけたが、その言葉はそれに似合わぬインパクトを持っていた。
「……それは……即ち……」
「世界の全てを知れるって事ね。実際、今も彼は世界中の情報が頭に流れ込んできている筈よ。今は脳がその処理に耐えられなくなってるってとこかしら」
下僕達はざわめいた。
「……実感が……湧かないが……」
「……凄まじい……」
「……神の……如き……力……」
「まぁ、制御できるようにならないとそこの子みたいにまともに役に立たないんだけどね」
フィリアの一言で下僕達はしんと静まり返った。そうだった、今は忠愛する主君からの講釈を受けているのだった。
「でも制御できるようにさえなれば、さっき誰かが言ったように神みたいな存在になれるのよ。そこに騙界術も合わされば正に全知全能ね」
「……制御……できる……ように……するには……どうしたら……」
「さぁ? そこは私も知らない。セッちゃんにでも頼むんじゃない?」
フィリアは、あぁあとね、と繋げ、
「制御できるようになったら、他人の【眼】に干渉できるようにもなるの。私達もたまにセッちゃんにやってもらっているでしょう? 感覚を封じるアレ。あれを自分でできるようになるの」
「……強い……」
「それに、他の眼術……あぁ、これまで説明した【眼】を完全に開き制御したらできるようになる事ね……を使える人からも自分を見えなくしたり、他の物を隠したり。私達の家にもセッちゃんがやってもらってる事だけど」
「……………………」
下僕達は思った。眼術を使える人が一人居たら、何もかもがとても楽になるのでは?
「そうね」
フィリアは彼らの心を読んだ。
「問題は絶対数がとても少なし、正直私達にはセッちゃんが居るから今更居ても居なくてもどっちでもいいって事だけど……」
フィリアは男をまじまじと見た。
「……ま、居て損はないでしょう」
そしてそう結論付ける。
「家に【眼】の働きを一時的に抑える薬があるから、連れていって飲ませましょう」
「……畏まりました……」
フィリアが歩き出し、その後ろを下僕達が付いていく。
◊◊◊
「……………………?」
トイレ男はふと思う。思えるようになる。
「……………………」
ずっと意識はあった。流れ込んでくる感覚の処理に追われて意識を動かせなかっただけで。
だが気が付けば流れ込んでくる情報は無くなり、トイレ男の脳は自由を取り戻していた。
辺りを見回す。全体的に茶色い、木で出来た部屋だ。トイレ男は椅子に座らせられていて、目の前には机もある。食事でもするのだうか?
「あら? よくなったかしら?」
そうドアが開く音と共に、一人の女が部屋に入ってくる。
「……!!」
トイレ男はその女を見て背筋を固くする。
フィリア⸺トイレ男にこの世のものとは思えぬ痛苦を与え、更には黒女達を襲い、殺し、まるど芸術作品かのように飾り立てた、愛を謳う狂人。
「少し、二人きりで話したいのだけど」
トイレ男の第二のトラウマとも言える存在が、そう宣った。
◊◊◊
「……居ない……」
デッドは、灯りだけが放置された地下水路の十字路でそう呟いた。
「ここに居ると思ったのに……」
フィリアがこの街に来たのはつい最近だ。そして来た時『普段はここに居る』とも言っていた。
なのに、居ない。彼女に会いに来たのに。
「……嘘をついたな……!!」
デッドはそう決め付けた。
そして彼女の家の方角へと、水飛沫を飛ばしながら走ってゆく。




