09th.02『開眼』
「ん? あぁフィリア、わざわざお出迎えありがとね」
「いえいえ。貴方が新しい子を連れてきてくれたって聞いたから」
どうやらデッドはその声の主⸺フィリアと知り合いであるらしかった。
「は? 誰に聞いたの?」
「下僕の一人が先に来たのよ」
「…………はー」
デッドは込み上げてきたイラつきを抑え込むかのように息を吐いた。
「……まーいいけど。それとコイツは君の新しいオモチャじゃないんだよ」
「オモチャだなんて酷いわね」
「オモチャと言われて何の事かわかるという事は、そう扱っているという自覚があるという事だ」
フィリアがムスッとしたように文句を垂れる。デッドはさっきの鬱憤晴らしのつもりだったのか、気分がよさそうな声で言い返した。
「で、コイツだけど。コイツ、前にナコードの言ってた奴ね」
「それだけじゃわからないわ」
「君がこれから襲う所の新入りだよ」
「新入り? ……記憶に無いわね」
「……君は記憶力を育てたらどうだ」
それから二人はそんな感じで会話を続けていた。聞いていても内容がよくわからないのでトイレ男は段々と暇を感じ始め、デッドに掴まれていない方の手でトイレをイジり始める。
「……………………」
すべすべしていて気持ちよい。トイレ男の短い記憶の中で最も(以下略)。
「ふぅーん……ねぇ、私いい事を思い付いてしまったのだけれど」
二人の話を聞き流していたトイレ男だが、フィリアの放ったこの台詞にだけは異様に気が取られた。背筋がゾワッとする。
「セッちゃん、お願いね」
⸺感覚が、消えた。
◊◊◊
黒女達は突然現れた襲撃者達と戦っていた。
「っ、我が論を聞け、世界!」
黒女は廊下の奥から騙界術を行使する。先程から前線の黒男達のサポートや攻撃などでひっきりなしに術を使い続けているため、疲れが出始めていた。
黒女は広場でトイレ男を見失った後、白女に彼の居場所を訊こうと館に戻っていた。が、そのタイミングで黒い服に身を包んだ数十人規模の集団が館を襲撃。最初は黒女に黒男トリオ、そして白女の五人で戦ったのだが、首魁と思われる唯一白い服を着た女が白女と二、三言話すと、あろう事か白女は降参して首魁の傍に行ってしまった。それからは四人で戦っているが敵も弱くはない上に数が居るので、今は一階の廊下まで押されているという状況だ。
「羽根軽し、如何にかあの女然らざるや!!」
黒男に蹴られようとしていた敵に放った術は不発。敵の外見に個性が無いため、個人に対する攻撃はやりづらいのだ。かと言って狭い屋内で全体に攻撃する術も無い。
現在廊下で戦っているのは黒男と小黒尾で、大黒男は外から敵を狩っていた。首魁と目される女と白女はその間である玄関に立っていて、どちらからも攻撃する事は難しい。
「あーもうっ、あの女に術が使えたら……!!」
黒女が吐き捨てた言葉からもわかるように、彼女に騙界術は通じない。普段別の相手になら使える術も、何故か彼女相手には通らないのである。
「我が論を聞け、世界!」
また物理的に隔てられている黒男トリオも彼女に攻撃できない以上、頭を潰して敵を無力化するという方法は取れない。地道に敵を一人ずつ潰してゆくしかないのである。
「さて、そろそろかしらね……」
女はそう、全体に聞こえるようにだろう、大きな声で言った。
「これ、知ってる?」
彼女がそう言って持ち上げたのは一人の人だ。
動けないように四肢を縛られ、意識が無いかのようにぐったりしている彼は⸺
「⸺ツァーヴァス!!」
騙界術を唱えている途中だったが、思わずそう叫んでしまう。
女が抱え上げたのはトイレ男だったのである。見れば、彼女の傍に控える敵の一人がトイレも持っていた。
「ちょおいツァーヴァス何してんだ!?」
そんな悲鳴が外から聞こえてきたので大黒男の無事が確認できた。安堵しつつも、それ以上の焦燥を覚える。
「あ、やっぱりデッドの言う事は正しかったのね。これ、地下水路で拾ったのよ」
トイレ男は眠らされているのか全く動かない。ただただ女に持ち上げられているだけである。
「アンタ……! 我が論を聞け、世界羽根軽し如何にか我然らざるや!!」
恨み言よりも優先すべきは戦う事。黒女は自分に騙界術を掛けて、
「……っっ!!」
跳ぶ。
体は軽くなっても身体能力はそのままだ。天井近くまで舞い上がった黒女は器用に敵の一人の上に着地、動きづらいロングスカートを憎みながら敵の頭の上をポンポン進んでゆく。
「あら、人の上を走ると危ないわよ?」
「ツァーヴァスを返しなさいよ!!」
そうして女の元まで到達し、勢いを利用して彼女にタックルをかますも、体重を軽くしたままだったので対して効果はなかった。
「っ、この!」
密着した状態から相手の体によじ登ろうとするも、近くに居た敵に引き剥がされ、黒女は拘束されてしまう。
「畜生アーニ無茶しやがって!!」
背後から黒男のそんな叫びが聞こえてきた。
「この子を助けるためなら自らの命も顧みない……えぇ、いいわ、いい、いい。貴方、名前は?」
女はまるで黒女にどつかれた事など無かったかのように、そう興奮した顔で問うてくる。
「っ、白姉!」
女を無視してその隣に居る白女に助けを求めた。
「……………………」
だが白女は俯くばかりでちっとも反応しない。
「ねぇ何で!? 何でこんな奴らに従うの!?!?」
訊いても答えは返らない。
「今まで一緒に居たのは何だったの!? 本当はコイツらの味方で白姉はスパイだったの!?!?」
「いいえ、違うわ」
白女以外の答えなど求めていないので女の言う事は聞かない。
「ねぇ! 教えて!!!!」
「うおおおおアーニいいいいぃぃぃぃ!!!!」
黒女の声から彼女が囚われている事を知ったのか、数多の敵を押しのけて大黒男が突撃してきた。脇腹を見ればざっくり斬られた傷があり、相当な無茶をしたと思われる。
彼はそのまま女にタックルし、黒女とは違いしっかりとした結果を出した。
「きゃっ」
女が悲鳴を出して押し倒される。そしてその手からトイレ男を手放した。
そしてトイレ男が飛ばされた先には、トイレを持った奴が居た。
◊◊◊
実に不思議な感覚だった。視覚は元々無いも同然だったが、聴覚、嗅覚、触覚、味覚が消えただけで世界はこんなにも消えてしまうものなのかと驚いた。
何とか五感を取り戻そうとしても、時折取り戻せそうな感覚があるだけで、ちっとも取り戻せやしない。それでもその感覚がある事に希望を持ち、根気よくやり続けた。
自分の中にある何か(何かはわからないが、確かにある)に強く働きかける。具体的に何をしているかというのは説明が難しいが、それでもそれをやる事により、五感を取り戻す事ができる。そう思う。
そして或る時、明確な手応えがあった。
取り戻せそうな感覚はいつも一瞬で消えてしまうのだが、今回はそうではない。まるで浅く細い溝に爪がしっかりと引っ掛かったように、不安定ながらも継続した感覚を得たのである。
もうすぐだ。そう直感し、そこを起点に押し広げるようにして、世界を取り戻そうとする。押し広げるのに必要な力は大きくなかなか難しかったが、或る時ふっと、開いた。そうすると後は抵抗無く広がる。そして完全に開き切る⸺その直前に。
⸺頭を、打つけた。




